1.その大きなカブ
パンダのぬいぐるみの感触はなんだかぐにゅりとして気持ちが悪かった。
「わっ! やった! これでおじさんがカブの餌だ! わーい」
「俺はおじさんじゃない、お兄さんだ。それに餌とか。お前、何つう物騒なことを言うんだよ」
「えー」
「それでこれは何の悪戯だ」
「悪戯じゃないもん! おじ、お兄さんも早く次の人に捕まらなきゃダメだよ! そうしないとカブに食べられちゃうからね!」
「つかさっきからカブって何なんだよ」
そもそも存在自体が訳のわからないパンダの意味不明な話はこうだった。
このパンダの後ろにはたくさんの捕まった者たち、俺の業界用語でいえば供物候補がいる。それでその最奥にはカブと呼ばれる大きな鬼がいるらしい。そのカブが歩き出したら一番近くの者を食べようとする。そうすると自分を捕まえた人を前に出して『この人の方が新鮮ですからこちらをお食べください』と言う。そうするとカブは、うむ、と頷きその人を食べようとする。けれどもその人も自分を捕まえた人を前に出して『この人のほうが新鮮で〜』と言う。これを繰り返して最後尾にいる者が食われるらしいのだがつまり今それは俺だ。
カブがうむと頷き?
さっぱり意味がわからないが、俺はこのままではカブに食われる運命らしい。そんなバカなと思うがそんなバカな話をしているのも『そんなバカな』が該当する喋るパンダのぬいぐるみだ。そんなバカな。
だが俺は『巻き込まれ体質』だ。こんなわけのわからない事態も残念ながら割とよくあることだ。
そしてその『そんなバカな』の謎の連鎖からなんとなく思い浮かぶ話があった。
「そのカブってでかいのか?」
「そりゃあもう。山のように大きいんじゃないかな?」
「かな? 見てないのか?」
「だって僕は前の人に捕まって、お兄さんを捕まえただけだもん」
「逃げればいいんじゃないのか? 俺が全力疾走で逃げてお前が俺を見失ったらそれで終わりじゃないか」
「そんなことはありません。必ず自分より足が遅いものを狙いますから」
偉そうに腰に手を当てエヘンとしゃくれるパンダのぬいぐるみを上から下まで眺める。こいつが俺より足が速い? そんなバカな。そしてパンダはさらに得意げに反っくり返る。
「試してみますか? 無駄ですよ?」
「こんな往来で全力疾走する必要なんかないだろ。目が届かないうちに逃げりゃいいだけだ」
「僕はずっとおじ、お兄さんを追いかけてますから。学校では自販機のそばでぬいぐるみのフリをして、家に帰ったら玄関の前で嫌がらせモノのフリをして」
「ストーカーかよ。じゃあお前も誰かに見張られてんのか?」
パンダは意味深に頷き、今曲がってきた壁の向こうを覗けとでもいうように指? 腕? で示す。そっと覗いて心臓が凍るかと思った。少し離れた街灯の下に、パンダと同じくらいの大きさのブリキのロボットのおもちゃが斜めにかしげて佇んでいた。ボロボロに赤錆びている分パンダよりよっぽど怖い。妙に四角いフォルムで動かすとギギギという音がしそうだ。これに毎晩追いかけれるならお祓いが必要な気がするな。でも。
「あれそんなに足が速いのか? 逃げられないほど?」
「お、兄さんはまったくわかっていませんね。あれはロケットブースターで空を飛ぶんです。敵うわけないじゃないですか」
「うーん?」
「つまりお、兄さんはお兄さんを捕まえてくれる生贄を探さないといけません」
「それはつまり俺に俺の代わりに食われる候補を探せってことだろ? 俺を捕まえるような奇特な奴なんているかっていう前に、流石にそれは気がとがめるわ」
「何故です? 弱肉強食でしょう?」
どう見てもかわいらしく首をかしげるパンダのぬいぐるみに弱肉強食いわれても困惑しかない。そもそもカブは食いもんじゃないのか。うーん。
「今カブはどういう状態なんだ?」
「地面ですくすくと育っています」
「その間に叩き割っちゃだめなのか?」
「それが恐ろしく硬いのです。どんな伝説の武器を持ってしても不可能でした、と思います」
「近づいたら襲ってくるのか?」
「いえ、きちんと育つまでは普通の根菜と同じように地面に埋まって寝ています」
「寝て?」