心残り
私が意識を取り戻したのは主観的には事故の直後だった。ただそれはあくまで自分の認識の中の話であり、実際には少なくとも一年と少しが過ぎていた。私が今いるのは轢かれたときにに歩いていたよりもさらに田舎。道に舗装などもちろんされておらず、すっかり踏み固められたむき出しの土。まばらに建てられた家は、私の基準からすればレジャー施設でしか見ないような簡素な木造だった。水道はなく、各家庭は集落の共同の井戸から毎朝くみ出している。円を描くように建てられた家の外周を畑が取り囲み、それぞれの世帯が少しずつ担当しているようだ。寝かせられた寝台から見える窓(ガラスはなく木枠)は、そんな景色を切り取っていた。そう、私は文字どおり産まれ変わったらしい。はっきりとした意識も記憶もなかったが、私は確かにこの赤ん坊として産まれた。そこに、つい昨日の出来事を思い出すかのように、すずなとして過ごした14年と少しの記憶が付け足されたのだ。今の名前は確かエーラだった気がする。1歳半に自分の名前を言いなさいというのは少し酷ではないだろうか。すずな改め私エーラは日がな一日窓の外を眺める生活を送っている。別に病気でも何でもないが、単純に現実を受け止められないのだ。今こうして春のような陽気に包まれた農村で寝ているが、確実に一度死んでいる。新しい人生とは言え、この記憶は間違いなく自分のもの。普通の中学生には厳しい事実だ。両親や友達にも二度と会えず、それこそ家出から戻ることもできない。もう、謝ることだってかなわない。そう自覚するたび、自然と涙がこぼれる。もう思い出してから暫く経つのに、全く整理を付けられない。どうせ今は幼児なのだから、だれに遠慮する必要があるのか。そう開き直って私は思い切り泣いた。そしてすぐに泣き疲れ、眠ってしまうのだった。
「エーラ!?......よかった、何もないみたい。」
私が眠ってしまう頃、決まって母が部屋に入ってくる。農作業用のと手がびしょびしょに濡れていて、急いで土を落としたのがうかがえる。そしてこれまたいつも、眠っている私を見て、安堵と自責の混ざった顔を浮かべる。母の名前は正直まだ覚えていないが、私を育てながら農作業で生計を立てているようだ。そして父親はまだ一度も見たことがない。一歳半にもなって、ろくに動かず、ほとんどしゃべることのない私を母は案じていた。私の感情が落ち着かないのに加えて、いまだに母の言葉がちゃんと理解できない。少しずつ覚えてきてはいるので、もう少し待ってほしい。私の世界は今のところこの部屋と窓から見える世界だけ。狭い狭い世界の中で、まずはすずなと向き合わなければならない。そう誓って、一先ず体力回復専念する。
そうして何日か過ぎたころの昼。私の寝かせられた部屋に、母と二人の知らない人が入ってきた。片方は初老の男性で、こちらに来てから見た中で一番清潔そうな身なりをしていた。もう一人は若い男性で、同じく汚れのほとんどない服に、何かの記号が大きく刺繍されている。
「……なので、我らが主に……」
刺繍の服の男性が、胸から下げた金属質の何かを握りこみながらあまり聞いたことのない言葉、おそらく敬語で母を諭している。この集落ではまず聞くことがないので新鮮だった。そんな二人の間に初老の男性が割って入り、なだめる。
「まぁまぁ落ち着いて、まずは体のほうを確認して……」
母の会話内容から、どうやらお医者様と神父さんのようだ。三人の会話はまだ私には難しく、内容はわからなかった。話が進むにつれて、母の表情がどこか暗くなってゆく。やがてお医者様は私の方へ手を伸ばす。その行方を目で追っていると、途中で引き戻された。お医者様も不思議そうな表情をして、もう一度手を伸ばす。そして先ほどと同じ位置でまた引き戻した。その原因は空中に一瞬現れた半透明の板だ。私に向かってきた手は、半分ほど進んでその板に阻まれた。そしてその板には、神父さんの服に刺繍された記号が書かれていた気がした。不思議がるお医者様をよそに、神父様は少し緊張した面持ちでこちらを見ていた。そして手を伸ばすと、同じように阻まれる。母が私に触れるときには現れた覚えがない。引き戻した人文の手をさすりながら、神父さんは顔を青くしていく。
「なんということだ、私はあろうことか主の寵児に疑いを……。」
震える口でそうこぼし、その場にひざまずいた。少しして立ち上がり、お医者様を引っ張って出て行ってしまった。母はというと、先ほどと打って変わり、今までで一番うれしそうに笑っていた。よほど良いことがあったのか涙まで流し私を抱き上げ、ぎゅっと抱きしめた。理由はどうであれ、母のその様子は私もうれしかった。もちろん先ほどの板は現れず、結局よくわからないままだった。
ある程度までは今週中に......
はじめての投稿で、更新遅めです。