海の中から
こいしの日用に書いたやつです。構想一日弱、執筆半日、校正それ以下ですので、クオリティはそんなもんです。
始めてここに来たときは、かなり戸惑った。というより気味が悪かった。あまりにも無茶苦茶で、混沌としていて、秩序が逆立ちしたような感じだった。そのせいか、少し動きづらかった。そもそも時間の流れが一定ではない。どれだけ経っても日が昇ったままのこともあれば、数分で昼が終わってしまうこともあった。ひどいときには同じ時間が繰り返すのである。私はこの世界を知っている。ここは、夢の中だ。不安定な精神世界で、厄介なことにいつまでも終わらない。一応身体は前の世界と同じように変化していっているが、いくらか時間がたつと、何故か伸びたはずの髪の毛や爪が元の長さになるのである。意識が途切れることはなかったから、その間に、というわけではないだろう。いつも気が付けば戻っている。そしてそれに気が付く前後に必ずすきばさみをもったお姉ちゃんが現れる。多分、現実でも髪が切られたのだろう。とすると、この夢の世界には現実に起こったことが多少なりとも反映されているのかもしれない。それがこちらに来てから一週間ほど(勿論体感なのだけど)して私が下した結論だ。
この世界に登場する人たちには内面的な心が無いけど、それも考えれば当たり前のことだろう。あの日、心を閉ざして私の世界を自身の無意識に売り払ってからはずっと、その無意識が現実世界で行動していたことになる。彼女は心を読めないのだから、当然その記憶も残らない。だから外面だけの登場人物が完成するのだろう。だからこそ、心のある、読むことのできる人が話しかけてきたのには驚いた。
「はじめまして」
彼女はドレミ―と名乗った。夢を食べる妖怪、獏らしい。はじめましてと彼女は言ったが、私はまえにあったことがあるとなんとなく感じていた。そのことを話すと、ドレミ―は期待通りの返事をくれた。つまり、YES。
「確かにあったことがあります。しかし、あの時私が会ったのはあなたの無意識ですから、本当のあなたとこうして顔を合わせるのは初めてなんですよ」
「そう。それで、あなたは一体何しに来たの?お目当ては私の夢?悪いけど、食べさせてあげるわけにはいかないわ」
そう問いかけてみると、ドレミ―は可笑しそうに笑いながら首を振った。
「いえいえ、違いますよ。ただ興味本位であなたに会ってみたくなったんですよ」
「よくここだと分かったわね」
「そんな気がしたんですよ。勘ってやつでしょうかねぇ」
「案外適当なのね」
ドレミ―は苦笑いした。
「まぁ、話は聞いてあげるわ」
「ありがとうございます。」
そう言うと、ドレミ―はどこからともなく机といす――ピンク色のゼリーのようだった――を出した。
「立ち話もなんです。座ってください」
「不思議なことができるのね」
「これでも夢の管理人ですからね」
座ってみると思った以上にやんわりとしていて、とても座り心地が良かった。そしてドレミ―が腰を下ろすと話し始めた。
「それじゃぁ早速、一番聞きたかったことを」
「あら、もうメインディッシュ?」
「ええ。ケーキのイチゴはいつも最初に食べているんです」
なんてもったいない。そんなことしたらせっかくのご馳走が台無しになってしまうじゃない。
「で、話を戻しますが……」
急に改まった表情になり、それが可笑しくて少し笑いそうになってしまった。
「こいしさんはこちらには戻ってこないのですか?」
一瞬思考が停止してしまったが、ただ笑わなくてよかったと言う事だけを感じた。
「……簡単に戻れるかのような言い草ね」
「出来るんです。この世界の仕組みさえ理解すれば」
私は黙ったまま聞くことにした。
「海、はご存じですか?」
「当たり前よ。なぜそんなことを?」
「幻想郷、つまり我々の住む世界、あなたの無意識が活動しているところには海が存在しませんからね」
「そう」
海が無いとは、とても残念だ。大好物のヘリングスゲリヒテ(ドイツの魚料理。ニシンの酢漬けにヨーグルトとリンゴを混ぜたものをジャガイモにかける)も食べられないじゃない。
「夢というのはまさに海そのものなんです」
「意識の海?」
「そういう意味でもありますが、今私が言ったのは正真正銘の海です。夢を見る、ということは海に入ることなんですよ」
「抽象的よ。もう少し分かりやすく話してくれないかしら」
「そのままですよ。夢を見るとき、その人は気づかないうちに海の中に入ります。だから普通夢を見ている間はそこが海であることに気が付かないんです。それで、自分の意識とは違う、海の流れに流されていくんです」
「気付いたら?」
「勿論自分で泳ごうとします。が、陸と海では勝手が違いますからうまく泳げません。なれる必要があるんです。ここに来てすぐくらいは動きが鈍かったでしょう?」
確かに、うまく動けるようになるまで幾らか時間がかかっていた。すこしドレミ―の話に信ぴょう性が出てきた。
「で、慣れれば自由に動くことが出来るんです。さて、ここで問題」
「なによ」
「夢が海であることが分かりましたが、ではこの夢から脱出する方法は、なんでしょうか」
ようやく意味が分かり、ゆっくりと答えた。
「……陸に上がる」
「そのとおり。今のあなたならもう”慣れている”はずですから、岸へ行ったりして海から出ることくらい簡単なはずです」
そこでいったん口を止め、こちらを見つめてきた。気持ちの悪い沈黙。探るような目つき。気分を良くする人はいないだろう。
「ここから出たくないんですか?」
再び沈黙。それから、
「そうよ。私はもうあんなところに行きたくなんかないわ」
「なぜです。あの時とは違うんですよ。あなたのその目を拒む人はいないんですよ」
「いいえ、居るわ。ただ忘れているだけなのよ。そしてまた思い出したとき、みんなは私を虐げる。何も変わっちゃいないのよ!」
思い切り机をたたいて立ち上がったが、机はただグニョンとなっただけで、私は行き場を失った怒りと悲しみを抱えてしまった。
「しかし、ではあなたのお姉さんはどうなんです。さとりさんは間違いなくあなたの帰りを待っていますよ」
「それだったら尚更よ。例え戻ったとしても、またすぐに世界に絶望してこっちに戻ってくるわ。そんなだったら、お姉ちゃんが余計に悲しんじゃう」
「でも、居場所くらいは」
「いいえ、居場所なんてない、私はそっちに居ることを許されない、私でいたらいけない、私は私でいられなくなってしまうのよ」
「そんな小難しいことを。こちらのあなたなら、もっとシンプルに行きますよ」
「そっちの私……そうよ、現実の方にも私はちゃんと居るんだからもうそれでいいじゃない」
「駄目です。本当のあなたは、今私と向かい合っているあなた自身なんですから。確かに今現実に居るあなたの無意識はあなたの一部なのかもしれません。しかしそれはあなたの内側のその奥の奥に位置するところなんです。だから外面であるあなたの意識が外に居なければ話にならないじゃないですか」
突然分かりにくいことを言い出すので、戸惑ってしまう。が、なんとかひるまずに反論することができた。
「でもその話じゃ本物の私は無意識の方にならないかしら?”内側”に居るんだし」
「そんなところ、誰も見ていませんよ。観測されないのでは無いようなものです。だから、本当のあなたは存在する、観測できる外側、意識なんです」
「……分かりにくい。あなたの話はなんだか哲学的ね。ハルおじさんみたい」
「ハルおじさん?」
「ドイツに居た頃、私に優しくしてくれたおじさんよ。有名な哲学者だったらしいわ」
「エドゥアルト・ハルトマン?」
「そうよ」
とても優しく、私のことを孫のようにかわいがってくれた人。そして私が心を閉ざすきっかけとなった人。あの頃に戻りたいななんて少し思ったが、叶わぬことと分かっていたのですぐにやめた。
「それで無意識に」
「多分ね」
軽い沈黙。
「ともかく、私はそっちへは戻らない。これが私の意志よ」
「そうですか。残念です」
しかし、ドレミ―は仕方ないといった様子だった。
「おや、もうこんな時間ですか。私はもう行かねばなりません。どうも、ありがとうございました」
「さようなら。」
ドレミ―は立ち上がり、私と反対の方向へ歩いて行こうとした。
「……そういえば、一ついいですか」
途中で立ち止まり、尋ねてきた。
「えぇ」
「なぜ、会話の間私の心を読まなかったのです」
「……なんでかしら。あなたの言い方を借りるのなら、見えなければ存在しないから、かしら」
ドレミ―は答えだけ聞くとそのまま去っていった。
ドレミ―はどこからともなく黒電話を取り出し、受話器をつかんだ。
「もしもし。はい、私です。えぇ。はい、ちゃんとここに居ました。ですが当人は帰りたくないようですね。無理やり外に出すことも可能ですが……良いんですか?もう百年もたっているんですよ。え、まぁ確かに帰りたがったなかったですけど。ああ、はい。そうですか。分かりました。では」
静かに受話器を置き、長くため息をついた。
「こいしさんでいられない、ですか。やはり姉妹なんですかね。私には理解しかねますよ」
作中登場した「夢は海である」というアイデアは数ヶ月前実際に私が見た夢が元になっています。個人的によく気に入っていたのでどこかで使いたいなと思っていたのですが、こんな形で役に立つとは。そう言うわけでゲストとしてドレミーさんが登場しました。