山鳩屋
五月十二日土曜日。七時に起きて朝食を済ませ、湯山が来るのを待っていると呼び鈴がなる。玄関を開けると湯山が立っている。
「おはよー藺山」
「それじゃあ、行くか」
カメラを持って店へ歩いていく。なにやら、湯山も紙袋に色々な物を入れて持ってきているみたい。
「そういえば、園葉は?」
「あとで行くって」
まばらに生える木々の先に店の輪郭がはっきり見えてくる。
「親が手伝おうか聞いてきたけど断った。最初は親に頼るのはやめたくなっちゃた。客としては来るって」
「私も断った。お客として来るみたい」
店に着くと三脚にカメラを準備する。
タイマーをセットして、湯山の左側に並ぶとシャッターが下ろされる。
「客、来るかな」
「どうだろう。でも、少しずつでいいと思う」鈴葉
「そうだな、まだ慣れてないし。そうだ、立て看板に、この店の使い方を書かないと。コーヒーを淹れることと会計は客任せで、食器の洗浄は任意だな。じゃ、字が綺麗な湯山が書いていくれ」
湯山はメモ用紙を見ながら、立て看板にこう書いた。
山鳩屋へようこそ
この店は、コーヒーの抽出、片付け、支払いがお客さん任せてです。伝票に注文した品を記してカゴに入れておいてください。店員がいればコーヒーの抽出や食器洗いを任せてもらって構いません。ご遠慮なく。今日は店員が洗います。
食器が一つも洗われてなければ、次に使う方が洗ってください。店員がいる場合はお任せください。
食べ物もお客さんが作れます。カウンターにある器具やオーブンを使って、ぜひ色んな物を作ってみてください。
開店時間は24時間営業です。夜中に誰もいなくなる場合は、明かりを消して構いません。
「どう?」
「文章が大人だよな」
「昨日、お母さんと考えたの」
「食べ物が作れるのもいいよな、そのぐらい自由なら客任せに納得してくれそうだし。やっぱり店長は湯山だな」
看板は入口の近くに置く。
「ついにお店を始めるのか、来週には店を開いてるは思いも寄らなかったからな。かなり運がいいぞ、俺達」
店内に戻り、卓上電気コンロをテーブルに設置していく。
左側の壁際にある長い台に、コーヒー豆や茶葉、カップや器具が置いてあり、奥には大きな本棚がある。
「喫茶店といえば本だよな。まあ、少しずつ増やしていけばいいか」
置いてある時計を見ると七時三十分。
「それにしても、ここ広いよな。南側の窓際にはボックスソファー、その隣は普通の椅子の四人掛け、仕切り向こうには、通路を挟んで二人掛けが並び、その奥の仕切りを挟んでまた四人掛け、そこの通路にまた仕切りがあって、壁際には本棚、西側にも四人掛け、入口の右側にはカウンターと、裏側に厨房。ファミレスみたいだな」
「ファミレスでもいいように設計したのかも」
「なるほどね。まあ、そのうち料理も増えていくかもな」
「ホホ、ホーホー……」
「山鳩が鳴いてる」鈴葉
「朝はよく鳴くよな」
まだ時間がある。
「やっぱり早すぎたかな。写真でも撮るか、こっち見て」
笑顔を見せる湯山を撮る。
「私も撮る」
「俺?」
真顔のままレンズを見つめが、湯山はシャッターを下ろさない。
「早く撮ってよ」
「だって、いつも真顔だから」
「自分が笑ってる写真なんか見たくないって。もっと歳をとったらな。さて、コーヒーでも飲むか」
作ったコーヒーを飲んで思い出す。
「そういえば、袋に色々と入ってたみたいだけど」
「パウンドケーキの材料」
「まだ時間があるし、作ってみる?」
「うん、作ろう」
厨房に移動すると、湯山は瀬空の袋から材料や器具を取り出す。手際良く生地を作っていく。
「クルミとレーズンだな」
それぞれの生地を長方形の型に流し込み、オーブンに入れて焼き始める。
「三十分ぐらいで完成するよ」
「何も見ずに凄いな」
「よく作るから」
「今日はいつまで店にいる?」
「うーん、夜までいようかな」
「初日だしな、夜まで見守るとするか」
パウンドケーキが完成する。
「食べてみて」
「店用なんじゃないの?」
「これは昼御飯として、あとでもっと作るし」
クルミのパウンドケーキを食べてみる。
「やっぱり美味しいな」
レーズンのパウンドケーキも食べてみる。
「これも美味しいな。残りは昼に食べるとしよう」
八時五十分になり、扉を開けたままにする。
「まだ来ないか」
開店一分前になり、東の方から人影が見える。
「来たよ」
「園葉、いらっしゃい」鈴葉
「園葉が一人目のお客さんか」
店に置いてある時計が九時を指す。
「開店だ、入って」
園葉は窓際の席に座る。
園葉はヤカンを持って台に行って水を汲み、カップ、竹ドリッパー、生クリームを盆に載せて席に戻り、湯山と俺も向かいに座る。電気コンロでお湯を沸かし始め、竹ドリッパーにフィルターを装着し、テーブルに置いてある缶からコーヒー豆を一杯入れる。お湯を三回に分けて注いでコーヒーができあがった。
園葉はそのまま飲んでみる。
「美味しい。でも、やっぱり苦い」
園葉はお祝いの言葉として美味しいと言ったんだな。
園葉は砂糖と生クリームを混ぜる。
「これなら飲める」
「さっきの美味しいは?」
湯山は
「それは、おめでたいから」
「さっき作ったパウンドケーキを食べてみないか? これは俺が食べるやつだから、無料でいいぞ」
湯山が皿に二種類のパウンドケーキを持ってくる。
「いつも作ってるケーキだね」
園葉はクルミのパウンドケーキをフォークで適度に切って食べる。
「いつもの味だね、美味しいよ」
レーズンのパウンドケーキも食べる。
「うん、美味しい。もっと食べたいから、あっちのパウンドケーキもお金を払って食べるよ」
園葉は台にあるパウンドケーキを持ってくる。
「本棚が大きいよね。そういえば、鈴葉と響人、図書室にいたよね」
「ああ、あの日か。やっぱり、園葉も昼休みは図書室にいるの?」
「時々ね。いつも友達といるから」
「そうなんだ、本が好きだから、やっぱり図書室に居そうだけど」
「本は家で読めるし、学校では友達と遊ばないと」
「普通なら図書室で本を読んでる方が大人だと思うけど、それよりも、大人な考えて方があるとは……」
「そんなんじゃないよ。私は家で読んでるし」
「まあ、それはそうと、本を何時間も楽しく読み続けるにはどうしたらいい?」
「詰まらないなら、無理に読まなくていいんじゃない?」
「まあ、そうだよね。でも、読んで想像するのは好きなんだよね。読めることはできるんだけど、彼とか彼女とかをよく使ってくると、誰のことを言ってるのか分からなくなるんだよね。子供用に書き直したのもわからなくなるんだよ。それでも、どうにかして最後まで読みたいから、少しでも楽しく読む方法はない?」
「じゃあ、最後の方を読んで、どうなるのか知っておくとか」
「そうか、なんとなくでも、最後を知っておけば、なぜそうなるのか知りたくて続きを読みたくなるかも。つまり、カレーと同じだな。給食がカレーだとなんか楽しくなるんだよね。夕飯もカレーだと知っておけば、少しは楽しくなるはず。毎日、夕飯のことを考えて生きていけば、毎日がもっと楽しくなるはず。夕飯を目標に生きる、だな」
窓の外を見ると、見覚えのある女子二人が店に向かってくる。
「湯山ー、来たよー」
湯山は立ち上がって入口に向かう。
「牧野、若草、いらっしゃい」
「一組の友達だな。湯山は一人で別の教室に行くことが多いけど、最近はいつもあの二人と教室を移動してるところをよく見るな」
「本当にお店を始めたんだ」牧野
「でも、子供のうちは藺山のお母さんとお父さんの手伝いって感じかな」
「いいなぁ、私もここで働きたい」若草
「うん、一緒に働こう」
湯山が真ん中の二人席に連れていく。席には俺と園葉が残される。
「手伝いじゃなくて、就職ということか」
「近頃の鈴葉は凄く明るくなったんだよ」
「家でも喋らないのか?」
「あまり喋らないけど、なんか明るくなったの」
「そうなんだよな、一組の教室の前を通りすぎる時に覗いてみると、俺と仲良くなる前に比べて明るいんだよ。いつもニコニコしてる」
「やっぱり、響人と仲良くなってからかなり変わったよね。響人は?」
「明るいというか、気持ちがかなり軽くなったな」
敷居の向こうで湯山も座って話している。
「そういえば、店員って湯山さんだけ?」牧野
「藺山もいるよ」
「藺山って、三組の?」牧野
「うん、隣に住んでるの」
「そっか、仲がいいんだ」若草
「で、藺山君はどこ?」
「あっちにいるよ」
牧野と若草が立ち上がって見てくる。
「あっ、どうも」
「ほんとだ、エプロンしてる」牧野
「あの女の子は?」若草
「妹の園葉」
「こんにちは」牧野、若草
「こんにちは」園葉
「えっと、何年生?」牧野
「二年生です」
「よろしくね」若草
二人はまた座る。
「コーヒーの作り方は分かる?」湯山
「大丈夫、知ってるよ」牧野
牧野と若草は立ち上がって、ヤカンに水を汲んでくる。
「あの二人なら言いふらすことはないな」
「でも、お店で働いてたらすぐ噂になると思うけどなぁ」
「今更気にしてもしょうがないから、もうどうでもいいんだけど、小学生だけで来るだろうか、親が子供を連れて来るかだな」
「でも、鈴葉は響人と一緒に働いてることを隠す気はなさそうだけど」
「湯山は気が強いからな」
「さっきみたいに聞かれたら?」
「一応、親の手伝いということになってるから、わざわざ言うことはないでしょ。あの二人に教えたのは、かなり信頼しているということだよ」
「そういえば、大人はいないの?」牧野
「今はいないけど、普段は私達より店にいることが多いと思う」
「今はいないって、開店早々どういうことだよな」
「さすがにおかしいよね」園葉
「でも、開店したばかりだから、大人がいてもいいはずだけど」若草
「すぐに来るよ、最初は二人だけでやるって言ったから」
「やっぱり大人がいつも居ないと変だよ。どうすんの?」
「自営業だからな、子供が好き勝手に手伝ってるようにしか見えないだろ」
聞き耳を立てなが小さな声で話していると、外に人影が見えてくる。
「なんだ、うちの親か」
「お客さんは来てる?」母
立ち上がって入口に向かう。
「湯山の妹と湯山の友達が二人来たよ」
「とりあえず、今日は客として来たぞ。湯山さんの両親は来てる?」父親
「来てないよ」
二人は窓際の四人席に座ると、ヤカンに水を汲んでくる。
「湯山の親も来たぞ」
「鈴葉、来たよ」母親
「いらっしゃい」
「ちゃんとやってるか?」父親
「うん、なんとか」
「湯山さん、こっち」父
「あっ、藺山さん」母
「園葉、いないと思ったら、もう来てたのか。藺山君、お店はどう?」湯山父
「鈴葉さんのおかげでなんとかやってます」
「あとで手伝いに来るからね」湯山母
「お願いします」
湯山父母は通りすぎると、うちの親が座っている席に座る。
「うちは二人共暇ですから、普段はうちに任せておいて構わないですよ」藺山父
「いやいや、手伝いますよ」湯山父
「図書館の仕事で忙がしいんじゃないんですか?」藺山母
「まあでも、うちらも職場が近いんで、時々は顔を出しに行きますよ」湯山父
「まあ、月一で十分ですよ」父
親達の会話が後ろから聞こえてくる。プロンは脱いでおこう。
その後、稗田親子や雑貨屋の粟野親子など、同じ組の生徒が続々と来る。藺山は棚に置かれた食器を片付けたりして、堂々とした振る舞いで店内を回っている。
「じゃあね、藺山君」牧野
「頑張ってね」若草
湯山の友達が帰っていく。
「そろそろ友達が来るけど、藺山も一緒に居る?」
「カウンターに居るよ」
客席と厨房の間の壁脇を通り、右に曲がると、左側に畳室がある。こうなると思って、図書館で借りた黄昏の海を持ってきておいて良かった。
カウンターの隣にある店員用のレジの隣に座り、客みたいにコーヒーを淹れる。小説を読んでいる間に客は少しずつ増えていき、大きな声も聞こえてくるようになっていく。
棚の上に置いてある時計を見ると、十二時を過ぎている。客は増えていく一方だったが、園葉と友達が席を立ってカップと器具を片付けてから会計に向かってくる。園葉が百円を蔓製の小さなカゴに入れると、三人の友達も百円を入れて、友達三人が店を出ていった。
もういいか、食器を洗おう。
厨房でエプロンを着けて食器を洗っていると、戻ってきた園葉もエプロンを着けて食器を乾拭きする。
「よく会話が続くな」
「まあ、色々と」
湯山が食器を運んでくる。洗っていると。うちの親二人がエプロンを着けて作業を始める。
「あとで手伝いに来るから」湯山父
「鈴葉と頑張ってね」湯山母
湯山の父と母が店に戻って来た。エプロンを着てうちの親と一緒に作業を始める。
「昼御飯は食べた? 」
「そういえば、まだだった」
俺と湯山は奥の畳室に向かった。
「夕飯のパウンドケーキを楽しみに頑張ってるよ」
「ふふ」
昼近くになり、残りのパウンドケーキを食べる。その後、湯山が教えてくれた分量や行程をメモ帳に書きながら、クルミとレーズンのパウンドケーキを作る。
「意外と簡単だよな。俺も家で作ってみるかな。違う味だと、コーヒーのパウンドケーキとか美味しそうだよな、湯山は作ったことある?」
「そういえば、コーヒーはないなぁ」
「俺はコーヒー味のお菓子も好きなんだよな、クッキーとかゼリーとか、今から作れる?」
「多分、作れるかな」
「それじゃあ、次はコーヒーのパウンドケーキを作ろう」
なぜかインスタントコーヒーも用意してあったため、厨房の反対側にある台からインスタントコーヒーを取ってきてから作り始める。
湯山が大さじ2杯のインスタントコーヒーを大さじ1杯のお湯で溶かして生地に混ぜる。生地が完成し、型に流し込む。
「インスタントコーヒーも美味しいよね。簡単だと美味しく感じるじゃん?」
次は。
「もう一つはどうする?」
「ドライフルーツがあるよ」
「よし、それにしよう」
ドライフルーツを混ぜた生地を型に流し込み、二種類を同時にオーブンで焼き始めると、また畳室に戻る。小説を読みなが三十分待ち、焼き具合を確かめにいく。
「焼けてるんじゃないか?」
型を取り出し、二センチに二枚切る。
「いいね、美味しいじゃん」
「うん、美味しい」
「ついでに、店用も作るか」
クルミ、レーズン、ドライフルーツ、コーヒーのパウンドケーキが完成すると湯山が聞いてくる。
「いくらにしようか」
「とりあえず、五十円にするか」
厨房の裏側にある台に並べたパウンドケーキの皿の下に値段を書いたメモ帳を挟み込んで厨房に戻る。
さて、俺はまた畳室で小説でも読むか。畳室に入り、座布団を敷いて柱にもたれて小説を開く。
私に会いに旅館へ来た瑞葉は、私を放ってどこかに行ってしまった。また絵でも描きに行ったんだろう。執筆が一段落したところで海岸に行ってみると、夕日に染まった海に向かってゴザを敷いて、見覚えのある女の子が下を向いて何かをしている。瑞葉だな。近寄って覗いてみると、色鉛筆で画用紙に絵を描いている。瑞葉は気づいて「見つかったか」と、笑って答えた。
湯山が入ってくると、靴を脱いで座る。
「ここも土壁だから、りょっかかる所が土壁から少し出てる柱しかないし、ここにもソファーが欲しいよな。一応あると助かる」
「疲れた?」
「そりゃまあ。慣れてないし子供だし。湯山も疲れてるでしょ?」
「でも、楽しい」
「まあまあ、大人に任せて、少し休んだら?」
「じゃあ、少し」
湯山が居るせいか、なんか本に集中できなくなる。湯山は
「そろそろ、ゲームでもやりたくなってきたかなぁ」
夜九時、客はとっくに一人もいな。
「そろそろ帰るか」
湯山と店を出ていく。
うちの前。
「それじゃあ、また明日」
「またね」
おわり。
まだ続く。