婚約
朝。
五月九日水曜日。朝、テレビを視ながら、今日も湯山が来ると思って待っていると呼び鈴がなる。
「湯山だな。さて、学校に行くか」
玄関を開けると朝から湯山が清々しい笑顔で門の前に立っている。
「おはよー藺山」
「おはよう」
「湯山、今日はいつもより明るくない?」
「そう? 連休が楽しかったからかな。藺山は楽しかった?」
「まあね。そういえば、今日は一緒に登校する約束ってしてたっけ?」
「うーん、してないかな」
「だよね。まあ、とにかく、学校に行こう」
「うん、明日も一緒に登校しよう。あと、下校もね」
「わかった」
湯山はいつにも増して楽しそうだな。やっぱり、頭が良いから余裕があるんだろうし、将来の事なんか何にも気にしてなさそうだもんな。特に焦りもなく、気ままに生きてるみたいで羨ましい。俺だって、ゲームを色々買って現代っ子を思う存分楽しんでるけど、どうしても将来が心配で仕方がない。
それにしても、湯山と店を開くのか、数日前までは一生考えられない事をなんとなく望んでいる。湯山という頼もしい存在がいるおかげで、将来に対する不安がかなり消えている。湯山がいなければ、店を開くとか考えられない。
俺はそれほど金に興味はないし、趣味を職業にするほどの知識も技術もない。ゲームは好きだが、作るとなると別問題だ。俺にとって、ゲームは遊びにすぎない。自由帳に描くみたいにゲームを想像したりはするけど、本気で作るとかあり得ない。開発以外でゲーム会社で働くという方法もあるが、普通の勉強ができないから会社には入れないよな。
下校になり、湯山とすぐに学校から出ていく。
今となっては、あの空き家で湯山と店を開く以外は考えられない。そうなると心配なのは、あの空き家を俺達が使うことができるかどうかだな。そしてなにより、湯山といつまでも一緒にいられるかどうかだ。もし、湯山が転校したらどうしよう。働く歳になったら自分の力で戻って来れるだろうけど、それまでに俺のことを忘れてたらどうしよう。俺が楽しく生きていくには、湯山がいなければならない。
「藺山って、図書館にはよく行くの?」
「あまり行かないな、湯山は?」
「一、二週間に一回かな。休日が多い」
「結構行ってるじゃん。一日中図書館にいるの?」
「昼までいて、借りて帰ったり、昼から夕方までいたり」
「いいよな、図書館。静かで色んな本があるし。家の周りも静かだけど、ちょっと不気味じゃないか?」
「そう?」
「夜中は真っ暗だぞ、なんでこんな所に家を建てたんだか……」
「私は気にならないけど」
「湯山は森とか似合ってるよな。やっぱり、森の中に住んでるから名前に葉があるのかな?」
「そうみたい」
「ちなみに、桃葉さんはどこからかとついてきたんでしょ? それなのに、もう名前葉があるんだからすごいよな」
「そうだね」
湯山にとって店を開くことは、ゲーム感覚に近いんじゃないか? あまり考えすぎると心配だらけになるし、かといって、考えすぎないようにしていられる器用さも俺にはない。湯山は慣れる前から慣れてそうで羨ましい。
「もし、空き家を俺達以外が使うことになったり、壊すことになったらどうする?」
「うーん、それならお店を開くことは諦めて、図書館で働こうかな」
「そうだよな、湯山は図書館が似合うもんな」
「空き家じゃなくてもいいよ。藺山がお店を開きたい所ならどこでもいいよ」
「どこでも? 羽橋駅まで毎日電車に乗ることになっても?」
「全然構わないよ、ついでに百貨店で買い物もできるし。地下街で惣菜買ったりとか」
「湯山も地下街とか行くんだ」
「うん、休日とかに」
「地下に色々焼きの店があるけど、知ってる?」
「うちもよく飼うよ」
「湯山家もよく買ってるんだ。できたてもいいけど、俺は焼いて食べるよ」
「私も焼いて食べたりするよ」
「湯山はカスタードクリームとか好きそうだよな」
「カスタードクリームも好きだけど、どれも好きだから、全種類の詰め合わせを買ってる」
「うちも詰め合わせをよく買ってる。どれも美味しいもんな。チョコレート、野沢菜、カレー、じゃがいも」
「俺もいつも焼いて食べる」
「もしさ、俺か湯山が転校することになったら、店はどうする?」
「私が転校したら、子供のうちは親に従うしかないけど、お店を開く頃にはまた戻って来れるじゃん」
「そうだな。でも、湯山の家は誰かが住んでるかもしれないぞ」
「藺山の家があるじゃん」
「うちに住むのか。もはや夫婦だな」
「うん、夫婦になれば一緒に住んでもおかしくないよね」
「じゃあ、結婚するってこと?」
「うん、藺山と結婚だね」
「なるほど……俺が結婚できるのか……」
相変わらず言い方が軽いよな。本気で言ってるのか、おままごとなのかよく分からん。そんな大事なことを登校中の雑談の流れで軽く決めちゃって、俺は本気にしてもいいのか? それほどまでに、女はお嫁さんというものに憧れているのだろうか。まあ、俺は人見知りで結婚とかできなさそうなだけに、本気だったらとても助かる。
男から告白とか、場合によっては気味悪がられれそうだが、女は楽だよな。女から告白されて気味悪がる男なんかいないだろう。もっと女から話しかければいいのに。とはいえ、最初に話しかけたのは俺だけどな。近所だから成せる行動だな。とはいえ、湯山みたいな静かで大人っぽいのが、誰彼構わず話しかけてたら引くけど。そして、どこかの男に悪影響を受けて、本来の性格がすさんでいったら、さすがの湯山でも精神力に耐えられないかもな。だが、なんの悪影響もない無害の俺といたら性格が変わることはない。趣味も近いし、会話は少ないかもしれないが、湯山は全く気にしていない。
組が違うのも良かったのかもしれない。勉強ができなくて頼りなくて、俺がどんな奴か知りすぎてたら、話しかけても断られたかもしれない。でもやっぱり、同じ組だったら、もっと早くから仲が良かったかもしれない。
だが、一年生から四年生まで同級生ではなかったのが命取りかめしれない。一年生から近所で少しは親しみがある俺と、一年生から四年生まで同じ組で、高校生の頃に偶然久しぶり会ったりしたら、そっちに興味が向いたりしないだろうか。近所で少し仲が良かっただけの俺と、俺より早くからの同級生ならではの親しみがある誰かと比べられて、あの時決めたことは子供だったからと見捨てられないだろうか。
「湯山は同じ組の男子とは話したりする?」
「全然しないよ」
「話さなくても、ちょっと気になる奴とか」
「いないよ」
「そっか」
疑いだしたら切りがない。とにかく、気が変わらないことを祈るしかない。良くも悪くもなんとも言えない照屋で頼りない俺と、それなりに勉強もできて、なんとなく良さげな同級生、もしくは、ちょっと悪ぶってるからこそ優しいところとの差に引かれ、同級生だから安心感もある同級生、歳を取れば見る目も変わるかもしれない。湯山はいつまでも変わらずにいてくれるだろうか。
放課後、下校の準備を終えると、よく話す友達から最新ゲームの裏技の話が聞こえてくる。湯山がクリアーした奴か、めちゃくちゃ気になる。そいつらの会話に混ざろうとすると、後ろの扉から湯山が覗いてることに気づく。しょうがない、裏技は諦めて、湯山と帰るとするか。
「帰ろ」
湯山が一緒に帰ろうと誘ってくる。毎日一緒に帰ることに決まったんだった。湯山が待ってる以上は断れないな。断って湯山が悲しんだら俺も悲しい。
一組に向かっていくと、一組の教室から担任の女教師が出てきて、俺達に気づいて話しかけてくる。
「あれ? 湯山さんは藺山君とお友達?」
「はい、友達です」
「俺と湯山は家が隣なんですよ」
「そうなんだ。湯山さんはいつも一人だから、ちょっと心配してたんだけど」
「藺山君と仲良しだから大丈夫ですよ」
先生が嬉しそうに階段を降りていくと、俺達も階段を降りていく。校門を出ると湯山が聞いてくる。
「藺山は二組の友達と帰ったりする?」
「大体はそうだな。付いていく感じだけど。湯山は?」
「最近はほとんど一人だけど、藺山と仲良くなったし」
「まあとにかく、周りからは変な組み合わせで間違いないから、見つからないように早めに帰らないとな」
「なんで? 家が隣だから変じゃないじゃん」
「隣なのを知ってるのはそんなに多くないはずだし、知ってるとしても組が違うからなぁ、どうだろう」
「いいじゃん別に。一緒に登校しても問題なかったでしょ?」
「そういえばそうだな。でも、今日みたいに時間ギリギリで登校しないと駄目だぞ」
「じゃあ、下校はどうするの?」
「うーん、もう、どうでもいいか。周りを気にするのはめんどくさくなってきた。まあでも、とりあえず早めに帰ることだな。そもそも下校の時間になっても、あいつらはずっと話してたりするから、さっさと帰りたい俺としては早く帰るはっきりした理由になる訳だし、特に苦労することはないな」
ほぼ直線の道なりに入って西に歩いていく。
「そういえば、結婚って本気?」
「本気だって」
「まだ子供だからな。あとで気が変わるかもしれないぞ」
「しないって」
「俺なんかよりカッコいい奴と知り合ったら?」
「どうでもいいって」
「じゃあ、中学や高校で、俺が他の女子と付き合ったら?」
「うーん、どうしよう。そんなことは絶対にないと思うから、よく分からないし」
切り替えが早そうな湯山でも迷うとはな。
「そうだな。しかも、湯山がいなくなったら、多分、俺は結婚できないと思うけど、湯山なら誰とでも結婚できるはずだから、常に危ういのは俺だしな」
「そんなことないって」
「いや無理。まず、女がそれなりにいる職場にいるとは思えない。いたとしても、なんか怪しい奴だと思われるだろうし」
「とりあえず、今はそんなこんな考えてもしょうがないって」
「そうだな」
今日も俺の家に湯山が来ることになった。湯山はゲームソフトを仕舞ってある棚を見る。
「いっぱいあるね」
「全て持ってるからな」
「じゃあ、これやってみるね」
「それか、かなり難しいぞ」
湯山は魔界の扉を選ぶ。鎧を着た王が、魔界と化した国を救うために戦うアクションシューティング。湯山は何度もやられるがすぐ操作に慣れてステージ1をクリアーする。
「一面ですらかなり難しいのに、やっぱり湯山は凄いな」
「ふふ」
ステージ4をクリアーし、魔界ステージに突入していく。
「まあでも、一面をクリアーできるということは、全面クリアーもできるぐらい、そんなに難易度は変わらないんだけどな」
「確かに、そんなに変わらないかも」
何度もゲームオーバーになるが、早くも最後のステージは8を進めていく。悪玉が住んでいる城を進んでいくと、最後に魔王が現れて、火炎放射を放ってくる。湯山は的確に避けてスピアを投げつけていく。そして、魔王を倒して全面クリアーした。
「かなり難しかったでしょ」
「うん」
たった一日でクリアーしたのに、あまり驚かなくなったし。
「じゃあ、次ね」
次はなにかな。
「これは?」
「忍の刃か。それも有名なソフトだよ。難易度は、まあ、魔界の扉よりは簡単かな」
湯山はゴーストタウンと化した繁華街を突き進んでいき、刃物を振り回すだけのボスを難なく倒す。ステージの難易度が上がっていき、狭い足場が増えていくと、何度も落下を繰り返す。道中やボス戦では、状況にボスに応じて有効な忍術を使いこなし、ステージ5に突入する。
「あ、親が帰ってきた。もう夕飯の時間だし、そろそろ帰った方が良さそうだな」
「待って、もう少し」
湯山がステージ5のボスを倒したところで母親が入ってくる。
「鈴葉ちゃんこんばんは」
「こんにちは」
湯山は軽く振り向いて挨拶をすると、すぐに視線を画面へ戻す。
「さっき市役所で空き家の持ち主を調べて貰ったんだけど……」
その言葉を聞いた途端、湯山はゲームを一時停止させて、母親を見つめる。
「稗田さんが建てた建造物なんだって」
「なんだ稗田のか。うちの組にいるやつだよ、知ってるだろ?」
「うん」
「それで、稗田さんに事情を聞きにいったんだけど、持ち主は決まってなくて、使いたい人がいればに譲るつもりでいたんだって」
「ということは……」
「それで、お店の話をしたら、ぜひ使ってくださいって」
「良かったな、湯山」
「うん……」
「それじゃあ今度、稗田の家に行ってみるか」
母親は夕飯の支度をするために出ていった。湯山を見ると、止まった画面を見つめたまま微笑んでいる。湯山は言葉遣いが軽いんだけど、言葉数が少ないせいか、どこか重みがあるんだよな。
「まあとにかく、これで将来に対する心配事は無くなった訳だ。強いて言うなら、ゲームが湯山ぐらい上手くなれたらいいんだけど」
「ふふ、藺山も上手いじゃん」
湯山は空き家の事を聞いてから、操作に磨きがかかり、どんどんステージ5を進んでいく。ボスを倒し、最後のステージ6に突入する。ステージ6は敵の本拠地に潜入し、後半は城の中を攻略していく。失敗を繰り返しつつもすぐに慣れてボスも倒してクリアーした。
「やっぱり早いなぁ」
エンディングが終わり、湯山はパッドを置く。
「それじゃあ、帰るね」
玄関まで送りに行くと、湯山は笑顔を振りまいて帰っていった。