知ってた
缶詰には気をつけなければならないことがあって、金属自体のせいで中毒が云々かんぬんという話が書いてあったので、ハナはやめた。
「ではまず、なんで陳列されてたのかわからない加工食品の作り方が書いてある本を開きます」
半目のリーベは宙に浮きながら、やる気なくキッチンに立つハナを見る。
「魚の水煮を作ります。現物はこちら」
「キッチン番組のまねしなくて良いから」
「この水煮を、こちらのジップロックに入れます」
「待て」
いきなりの事にリーベの鋭い前足がハナの頬にめり込む。
「ジップロックなんて何時作ったんだ。僕は聞いてないぞ」
「今言いましたー。ちなみに現品は昨日の夜出来上がりましたー」
「くっ。ビニールはまだだと思ってたのに」
「残念なことに動く根菜の涎を型に入れて作った、涎の固まりです」
「抵抗はないのか」
「そんなに繊細じゃない」
型は絵を描いたら犬が石を掘ってくれた。
本物よりでかくて分厚くガタガタだが、こんな物だろう。重要なのは中身が見えて動く根菜の涎が破れにくく熱に強い所だ。あの植物いったいなんなんだろう。
「改めて、この水煮をジップロックに入れます」
べちゃぁと水煮を流し込み蓋をする。
すると自動的に中の空気が抜けて真空になった。
「魚の水煮の缶詰です」
「缶に詰まってない」
「いいんだよ似たような物だから」
ジップロックの型には倉庫にある時間停止魔法を刻んで魔力を通したので、中身が同じ仕様になっている。倉庫のように中の物を出さない限り永遠に時間停止だ。
「ある物はコピペして流用する。それが私の職業でした」
「……僕は頭が痛くなってきたよ」
「あ、加工食品は勝手に作るようになってるから。農業自動化魔法の枠だけ流用したらもう簡単すぎて三徹ですんだから。全部ボタン式にしたから。材料は倉庫から勝手に転送されるから寝る寝る寝るね」
「お休み、ゆっくり休めよ……僕はどうしたら良いんだ。一年はかかると思ったのに」
「社畜舐めんなよ」
ごとぅーへるジェスチャーをした後、ハナは三日ぶりに寝た。
徹夜しても能率が悪いだけだった。
*
「ずっと思ってたんだけど増えてない?」
「今更気付いたのか」
初めて犬がやってきてから三年は経った。
外で寝てると知らない間に運ばれてしまう事がしばしばあるが、概ね問題なく二足歩行の犬達と暮らしている。
彼らの発展は目覚ましく、森の一部を切り開いて樹海の地を未開の地へ、更に村にまで発展させていた。
当初掘っ立て小屋だったのが、いつの間にか三階建ての木造住宅から、最近は鉄筋コンクリート式の住宅もちらほら見える。違う、動く根菜の涎を濃縮して固めて作った住宅だった。皆抵抗がない。
食事は完全に配給制となっており、毎日倉庫から食料を出している。
とろこでソーセージの話だが、動く根菜から出たツルが全てを解決してくれた。水につけたら普通に膨らんで食べられる薄い何かになってしまった。あの植物どうなってるんだろう。
とにかく肉を良い感じにあーだこーだやって詰め込んだらソーセージになった。犬その他は全く食べないので毎日増えている。
ハナは茹でソーセージをポキリと噛みしめる。中身は残念なことに可愛いウサギさんだ。牛は食べてはいけないらしい。ヒンドゥー教区域だったのだろうか。
ウサギは毎日増殖しすぎて、最初の子がどこに居るのかもうわからない。
腹の中かもしれないが。
「犬がさ……犬ってあんなに群れるの? あれは群れなの??」
指さす先には服を着た犬が槍を持って整列していた。
八人一グループが十二隊ほどいる。
群れるの意味が間違ってないだいだろうか。
「まるごと引っ越してきたんだろう」
「どこから!?」
「9区だろう。あそこは獣類が多かったからな」
「けものるいとは……あれ? 天国にも区画があるの?」
「そりゃ住んでるからあるに決まってるだろ。何だその顔は」
「驚き呆れ果てた顔」
「変顔を止めろ」
ぶすっと空気を吐き出して白目を向くのを止める。
呆れ顔のリーベはやれやれと腹の立つ肩のすくめ方をする。
「ところでさ、ずっと気になってたんだけどアレなんだろう」
「なにさ」
「あれさ」
つい、と人差し指を横に向ける。
その先には黒い大きな影があった。樹海とも言える木々すら凌駕するでかさの影は、体に見合わない大きさの短い手足をしていて、なんとなくポップだ。目と口があって、両方とも赤く、子供の落書きのよう。
「あれは……バイ菌だ」
「バイ菌があんなにでかくてたまるかよ」
「残念なことに天界のバイ菌は、あんな感じに、せ、生息してる」
「どもりすぎかよ」
ぎろりと睨むが、いい加減無理がありすぎると思う。
リーベは前進しているようで前進していないバイ菌を見ながら「おほん」と咳払いする。
「ここには入ってこられないから大丈夫だ」
「でも犬が出動してるんだけど。あのバイ菌に向かって駆け足になっちゃってるんだけど」
「犬は、バイ菌が……その、バイ菌と戦うのが好きなんだ」
「正直になろ?」
眼下では、残された犬の家族が震えて泣いている。もの悲しい「キューン」と言う鳴き声が耳朶を打ち、崩れ落ちる犬までいる。
リーベは目をそらした。
「本当に大丈夫だ。ここには――ごにょごにょ――入ってこられない」
「ごにょごにょしてる所をはっきりさせようか」
「医療用具を作ろう。消毒液が必要だな」
「あるから」
百億万歩譲って犬がバイ菌に突撃する習性があるとしよう。よくわからないけれど怪我をして帰ってくるらしい。
キリリとした顔で誤魔化そうとしているリーベを半目で見ながら、ハナは外で鳴いている犬達を蹴散らして道具を出しに倉庫へ向かった。
犬は全員怪我をして帰ってきた。
バイ菌に果敢に挑んだものの、全く刃が立たなかった。
*
「いやさ、なんでバイ菌がこんなにでかいんだよ。おかしいでしょ」
蹴り飛ばすと、みにょんと独特の反発を受けて押し戻される。犬達もこれにやられて全員吹き飛ばされていた。怪我はそのときに負ったものだ。
ゴム製か。
「おい、危ないから近づくな」
「わんわん」
「わんわんは下がっていなさい。骨折お大事にね」
バイ菌は見えない何かに阻まれ前進できないようだった。壁にくっついて潰れたみたいな、酷い顔になっている。いや、元からだった。
その壁も微妙に突き破ってるのか、一部中に入っている。ハナはそれを蹴り上げていた。
後ろにいる犬が心配そうに吠えているが、自分の折れた右前足の方を心配してほしい。三角巾が痛々しい。
「じゃあ、恒例の霧吹き」
一度も恒例にしたことのない霧吹きを構える。最初に付属品としてついてきたものなので、一個しかなかった。
ブシュッとかけるが、黒いバイ菌はずっと地面を削りながら見えない何かを押し続けている。
「リーベさん、リーベさんや」
「……な、なんだよ」
「なんでドモってんだよお前これバイ菌じゃねぇよ消毒して消えないバイ菌とか存在してたまるか白状しろよクソ猫モフリ倒して一緒のお布団に連れ込むぞコラぬくみ倒すぞコラ」
「や、やめろぉ」
前足で顔を覆ったリーベが毛皮の体を震わせる。
どこに震える要素があったというのだろうか。
シクシク顔のリーベを可哀想に思ったのか、犬がわんわん言いながら赤い石を差し出してくる。ルビーのような輝きはない、くすんだ石だった。
宝物なのだろう。
怪我した犬の優しさに感謝しろよと目で攻めながら貰うと、そうじゃないというように取り上げられる。
犬は見えない壁的な何かから染み出しているバイ菌に石を押し当てた。
じゅ、という肉の焼けるような音がし、バイ菌が悲鳴を上げた。
「うそだろ」
バイ菌がうねって、お正月の福笑いのような顔になっている。
いや、前からだった。
「まあいいや」
ハナは石を貰い直して霧吹きの中へ入れると良く振った。
「えい」
ブシュッと霧吹きが水を噴いた瞬間、バイ菌の染み出し部分がごっそり消えた。バイ菌の叫び声で耳がワンワンする。
「うっこれは強烈……いっぱい作って一気にやった方がいいなこれ。消防車とかどこで売ってるの」
その前に石の分量は、と見るが石は跡形もなく溶けてしまっていた。水に弱い石だったのだろうか。
解決策は見えてきたので、あとは石とエタノールを作ればいいやと思って振り返り――吹き出した。
福笑いバイ菌顔負けの変顔をしたリーベ達がいた。
「とにかく全身が染みこまないうちに、さっきの石のありかとエタノールどうするか考えよう。エタノールってどうやってできるんだっけ? お酒とか作ってないんだけどな」
「君って本当に頭可笑しいよね」
「罵倒された」
帰った後ぬくみ倒す刑に処した。
リーベは泣いていた。
*
「というわけで、バイ菌を除菌するのでエタノールを作ります。現品はこちらです」
「既にできてた」
「魔法とかクソだと思いました。楽だけど」
全てが魔法で解決してしまったのに、リーベは「僕らの今までは何だったんだ……」と四つん這いで打ちひしがれている。
石の作り方は、犬が知っていたので作ってっもらった。
本当に意味がわからない。
犬によって出来上がる石の色が違い、混ぜ合わせても効果はあまり変わらなかった。問題は一気に混合エタノールを浴びせかける方法で、ハナは放水車の仕組みを考えてげっそりした。
「まあ、水車からだよね基本は」
ホースは動く根菜の蔦が再び活躍してしまった。水につけてふやかし広げた後、温水につけるとカチコチになる。そしてさらに水につけるとゴムのような弾力になった。
足して二で割ると中間になったみたいな微妙な感じだ。
教えてくれたのは犬だった。
「犬の知能とは……」
ハナは考えすぎてドツボにはまりそうになっていた。
そういえば犬達は、エタノールと石の混合液でシュッと吹きかけると、バイ菌が削れる事を知ってから大喜びだった。毎日楽しそうに染み出した部分に、霧吹きをかけに行っている。
最初は実験のため仕方なかったが、そろそろ近所迷惑なので止めてほしい。
バイ菌もどこかに行けば良いものを、相変わらず見えない何かにはばまれた状態で前進し続けている。エムか。
「じゃあ、使用期限ギリギリの三ヶ月混合液から使っていきます」
半年かかったのは放水車製造が殆どだった。魔法を持ってしても放水車が空から振ってくるとか召喚されるという嬉し楽ちんストーリーは生まれなかった。
ただただ設計図とある物を見比べ、頭が痛くなるほど悩む日々だった。大工仕事ができる犬に見せても、首をかしげていた。
けっきょく水車小屋から作る事となった。水車の回転を力にポンプを動かして、大量の水を噴射するだけなのに、もの凄く大変だった。正直失敗しかしていなかった。
「はい、じゃあ全員口に布を付けて下さい付けていましたね。それじゃ配置にも――ついていましたね。ポチッと行きましょう――あっ! もしかして水を転送する要領でやれば良かったんじゃ!?」
今更ながら水を汲んだ時を思い出していると、放水が始まった。
悲鳴を上げたバイ菌は、エタノール混合液でみるみる小さくなり、最後は煙を上げて消滅した。
犬は大喜びだった。
*
最近エタノールが流行っている。
ブームの先駆けとなったハナは諸行無常な表情をしながら、下界ならぬ一階を見下ろしていた。エタノールは魔法で果物を分解して強制発酵した後――いろいろな魔法的な工程を経て三時間くらいで樽一杯分ほどできる。
違った、樽も流行っていた。犬大工が今一番作っているのが樽だった。
うわーい、といいそうな勢いで犬の隊員達が背中に樽を背負って出動して行く。帰って来る頃には樽の代わりに箱を背負っているのだから不思議な物だ。
誰かにあげたのかな。
「……僕達は今までなにをぉうぉう」
「今までになく意味がわからない」
あれからリーベは、浮くのを止めて部屋の四隅でシクシクしている。そんなにぬくみ倒したのが嫌だったのだろうか。傷つくから止めてほしい。傷つけたのはハナなのだろうが。
「加工品も作ったし、農業も順調だし」
「しくしく」
「バイ菌も居なくなったし、犬はご機嫌だし」
「しくしくしく」
「寝よ」
「待ったぁ!」
布団を捲ったら背中に張り付かれた。
「お前なんなの!? 僕が目の前でこんなに泣いてるのに慰めるとかないの!?」
「ここ最近ずっと慰めてるじゃん。猫まんま供えてたじゃん」
「ただの朝ご飯と夕ご飯とお昼ご飯!」
「なぜ順番が――」
「うるさーい!」
「ぷぎゅ」
前足が頬にめり込み、肉球の感触がする。
それは我々の業界ではご褒美です。
「まったく君って奴は本当に適当なんだから! うっうっ、僕はどうやって顔向けすれば」
「その前に、いい加減事情を吐けやコラ。ぬくみ倒しつつもふるぞ」
「ニャンッ!?」
うりうりと耳の後ろを揉むと、プルりと体が震えた。
「わ、わかったよ……ここまで来たんだ。僕は観念するよ。そうじゃなきゃ慰め方もわからないだろうしな」
「慰めるってそういう物じゃない気がする。……まぁいいけど」
ベッドに座ったハナの横にコロリと丸くなりながら、リーベは言った。
「怒らないで聞いて欲しいんだ……」
「大丈夫、もう怒ってるから」
「話しにくい!?」
そ、そんなっと動揺を隠せない隙を狙って抱き上げる。
もふもふ加減が絶妙だった。
「あのバイ菌はバイ菌で間違いない」
「まだ言うか」
「嘘なんだ」
「でしょうね」
「違う。ここは天国じゃないって話」
「それは知ってた」
こんな天国があってたまるか。
というか設定が生きていたことにびっくりする。
リーベは耳を伏せながら言う。
「……僕らは死んだ君の魂を攫い、新しい肉体を与え時間を抜き取った。君は不老となったが、不死じゃない。僕らの世界は感染し、病原菌は元の住人を追い出そうとしてる。ワクチンが必要だったんだ。僕らは僕らの制約を破れず、この地に奇跡を降ろせなかったから」
「なに、何言ってるの……」
「だから、神柱が必要だった。君が奇跡の体現だ。僕らは24の柱を下ろし17柱が喪失した。お願いだ、僕らを見捨てないで」
「リーベ?」
淡く光り始めたリーベはハナの眼前に浮き上がる。
「他の、残りの7人に会うんだ。全員同じ国から呼んだ。君は覚えなかったけど、彼らは皆、この世界の住人の言葉がわかる。教わるんだ。そしてこの世界の住人を守ってくれ」
「むちゃくちゃな押しつけじゃん」
「そうだ。案内人はハナの性格を知ってたから、最後まで騙したんだろう。僕はわかる。同じ状況になったら、絶対同じ事をするだろうって」
「おいコラ! なに天国行きそうなエフェクト纏って丸く収めようとしてるの!?」
「はははっ。僕の役目はこれ説明したら終わりだからー。あ、閉じてた空間も解放されるけど、犬がどうにかしてくれるから。あれ知的生物だから」
「知ってたし!?」
可愛らしいふりをしたリーベは、そのまま薄くなって光が瞬き消えていく。
慰める話はどこへ行ってしまったのか。
キラキラのエフェクトが消え、半目になったハナは外を見る。
風の匂いが変わっていた。
あのバイ菌をせき止めていた透明な何かが、空間を閉じていた物だったのだろう。
犬達が慌てだしているのを尻目に、ハナは今度こそお布団を捲って、中に潜り込んだ。
寝てから考えよう。