9.フランネルの困惑
私の平穏はまたしても破られた。
「貴方は一度ならず二度も」
この娘はなんなのか。その気持ちが口から漏れた。
早朝、鍛練の場に場違いな若い女の声がしたと思えば、二日前に見た姿がいた。それは、黄色い素を追いかけ部下の一人を踏み台にし飛び上がり、此方に向かって落ちてきた。
それだけでは終わらなかった。
この場を貸せと、どうやら娘が「蝶々さん」と呼ぶ素の塊は多数の人の空間を嫌うらしい。この訓練場は、昔から続く我々騎士団の管理下にある。
無論貸すなど到底ありえない事だ。
だが、己にまた剣を突き立てるのかと蔑みをこめて言えば。
「しません。ただ会いたいんです。私の妹に。お母さんお父さん、兄に」
嘘は感じられなかった。
また、これを逃せばないとも話す様子に拒む選択をとれなかった。
『彼女から距離を。あの柵まで下がれ』
聖女だかなんだか知らないが、この場を特定の者に貸すとは前代未聞だ。驚愕の顔をした部下達は、ただ事ではないと察し文句を言わず従った。
「私が危険だと判断したら中断させてもらう」
そう伝えたものの次に起こる出来事に俺はただ見いった。
映し出された向こう側は、以前の場所とは違っているようだが、一番の変化は、興奮し話している娘の姿だ。もう死を待つだけのようだった者がこんなにも直ぐに回復するのだろうか?
「せーの!」
よく分からない掛け声の後に聖女と呼ばれる娘と鏡の向こう側の聖女と同じ顔を持つ娘は歌い始めた。
少し距離をとった私と更に下がっていた部下達は、聞いたこともない歌を耳にしながら信じられないような光景を見た。
満開の見たことがない花の下、同じ服を着た娘達が各々話をしながら歩く姿。突風か吹いたのか、舞い散る無数の花弁。我々の前にも触れる事は出来ないが舞い落ちる。
その美しい世界は消え、また二人の娘は鏡を挟み会話をする。
「ひいちゃん、柊!」
鏡にすがりつく向こう側の娘の顔は歪んでいた。
鏡が暗くなり、これで終わりかと近づこうとすれば。
「お母さん」
家族ではあろう人が映る。それも少しの間で鏡と共に消えた。
「今だけ、いまだけ泣かせて下さい」
慰め方など私は知らない。仕方なく泣き声が小さくなる迄待ち、娘を抱えた。顔を見られるのが嫌なのかと肩に担げば文句が出た。離れて此方を窺う部下達の視線もなにやら非難めいている。
何故だ?
重くはないが、色々と面倒だと裏道を通り抜け人が行き交う通路へ出た際に、苦しそうな気配を感じたので横抱きにした。ついでに声をかければ、案の定部屋を覚えていないようだ。初めての城内は確かに迷う。
しかし、バルコニーからだと? 警備はどうなっているのか。
大人しくしていると思ったのもつかの間。
「…消えた」
娘は、私の腕から消え去った。
* * *
「どうします? 目処が立たないとこれ以上探しても時間の無駄にしかならない」
部下の一人ライナスが言う事は正しい。このままでは日が暮れる。夜半の急激な温度変化もさることながら最悪人拐いもいなくはない。
「団長!街の境界線、塀にある塔に団長の色を纏った若い娘が立っていると報告が来ました!」
どうやら国からは出ていなかったか。いや、まだ安心はできない。
「力を使える者、ノット、フィックスを呼べ。ライナスも来い。暗くなる前に城に戻らねば」
「ハッ」
これで捕まらなければ私だけではなく部下達も只では済まされないだろう。
「団長! あそこに!」
馬を急がせ着いた先には、町中に響き渡っていた音を奏でている本人がいた。