8.フランネルの呟き
『私は誓いを受けません』
騎士の誓いを断られたのは初めてだった。それだけではなく私の剣は払われ落とされた。
驚き、つぎに生まれたのは怒り。立場を忘れた私はその感情を抑えぬまま仕えるはずの小娘を見上げれば。
そこには私よりも更に強い怒りを炎に変え体から溢れさせた聖女と呼ばれる者がいた。
私は、この娘と会った夜明けの日を思い出した。
* * *
いつもより霧が深い。
フランレルは、日課の鍛練をしていた。視界が悪い為、いずれ現れるであろう部下達と万が一接触しないよう周囲に薄い膜をはる。
帰還し暫くは落ち着ける。部下を失わずに怪我を負わせずに済むと思えば心はとても穏やかだった。
だが穏やかなはずの一日の始まりは一瞬で終わりを告げた。
侵入を容易く許すはずがない私が作り出した塀をなんの前触れもなく崩したのは、奇妙な服を着た娘だった。
髪を乱れさせ「蝶々さん」と追う姿は異様でもあったが、何より驚いたのはこの娘の素。
遥か昔は、森を焼くほどの火を操り、また周囲を一瞬で凍らせる力を持つ者が何人もいたが、いまでは、そんな者は存在しない。
勿論人に差はあれど、多くの民は、種火を指先に灯したり風で髪を乾かすなどに利用している。
どれも日常で使う力。
ただ希に私のように強い素を持つ者はいる。だが色が決まっているはずだ。適した分野は瞳に現れまた気配もそれを纏う。
この娘の瞳は黒に近い茶で髪は漆黒だ。纏う色は全てだと? 私は、極秘扱いの通達が数日前に来ていたのを思い出した。
──最後の聖女が来ると。
『すみませんが、逃げも隠れもしないんで私から離れて黙っていて下さい』
私に指図をするとは。だが、娘の蒼白な顔を見て言葉にのせるのは控えた。ほどなくして鏡が現れそこには娘と同じ姿だが、痩せ衰えいまにも消えそうな者がいた。
鏡がどういう仕組みなのかは解せないが、娘の『蝶々さん』と呼ぶモノは素の塊だった。でなければ、このような不思議な現象など起こせるはずもない。
突如、畏怖を感じるほどの物が娘の体から形を成し出てきた。それは鞘なしの美しい剣だった。
私は、不思議だった。剣を扱った事がないような娘はどうするのか。ぎこちなく握り、何か戸惑う様子がみられたが、その後。
娘は、己の下腹部に突き立てた。
「なにを」
思わず声が漏れた。
何故なら娘は、あろう事か自身で引き抜いたのだ。その瞬間、痛みにであろう声がこちらまで響く。
よく立っていられる。
娘は、気をやることなく膝すらもつかず、そのまま鏡へ近づき突き立てた。
『届いて』
血で濡れた剣を必死で鏡の向こう側に送ろうとし焦る彼女にとうとう我慢できなくなり声をかけた。
「押せばいいのか?」
力で動く物ではなさそうだ。私は、素を解放し手に集まるよう念じ娘の血だらけの手の上から握り一気に押した。
剣が柔らかい鏡に引き込まれたような気味の悪い感覚が手から感じられた。
剣はアッサリと消え、その直後、鏡は砕け散り同時に娘が「蝶々」と呼ぶモノも消えた。
残ったものは、辛うじて抱きとめた、地面に残る少量とはいえない血だまりを身体からだした聖女と呼ぶ気にはなれない娘がいた。
私は、医師をと鍛錬場に現れた部下に指示をだしながらも上の空になっていた。
この時はまだ何も知らなかっのだ。
娘がどれ程の思いで来たのか。
私の人生が既に変わりつつあることにも。