43.私の初デートの夜は
「疲れたか?」
「いえ、楽しかったです」
薄暗い馬車の中、フランネルさんが気遣うように声をかけてくれた。確かに人疲れはあるけれど、あっという間の一日で充実していた。
この最後のお店での事以外は。
マリアージュというお店の店主、マリーさんから受け取ったソレは、私の手の中にある。布越しに伝わる確かな丸い形を強く握る。
「大事な物なのか?」
言葉が行きとくらべ少なくなっていると自分でもわかっている。取り繕う元気もない私は、正直な言葉を口にした。
「わかりません」
懐かしいけれど、大事かと聞かれるとハッキリとそうとは言えない。それよりも今、この状況でこのコンパクトを手にして思うのは。
「忘れるな…という事なのかな」
まるで、お前は幸せになってはいけないと言われているような気持ちで。
早く借りている部屋にこもりたい。一人になりたい。なのに。
「寝る前に少し時間をくれないか? 話したい事がある」
「今ではいけないんですか?」
「いけなくはないが、落ち着いて話をしたい」
そこまで言われては、従うしかない。
「わかりました」
いったい何を言われるのか。明らかに暗い雰囲気の彼を盗み見て私も無言になった。
* * *
「シンシア様が来られるらしいわ」
「それ、本当なの? きっとますます美しくなられているわよね。フランネル様と並ばれたお姿なんて想像しただけで…騒がしくしてしまい申し訳ございません」
屋敷の通路の端で話しをしていた使用人の二人は、私を見てとても驚き、すぐに慌てた様子で謝られた。
「いえ。少し散歩してきます。フランネル様が私を探していたらすぐ戻ると伝えてもらえますか?」
「畏まりました」
彼女達に伝え私は庭へと手提げランプを持ち庭に出た。屋敷から早歩きで離れ葉の音しかしなくなってようやく足を止めた。
「シンシア様って誰かな」
美しいと言っていたから女の人だろう。
「あ、話って」
危うくランプを落としそうになった。
「なんだ。そういう事なのか」
確かこの国は、少子化を防ぐために男女は二人迄旦那さんや奥さんを持つ事ができる。
「…ばっかみたい」
今日の朝からのデートを回想して自分の能天気さに笑いが出た。きっと、今夜は新しい奥さんが来るという話なのかも。うん。そうに違いない。
「…部屋に入りたくないな」
フランネルさんと会いたくない。
「なんか見かけない場所だ。随分来ちゃったかな」
時刻では夜6時半くらいだろうけど、辺りは暗闇だ。いつの間にか敷地内ギリギリまで足をのばしていたようだ。
「あれ?」
ランプの光が一瞬反射したように見えた。それは気のせいじゃなかったようで。
私の心はそれを見つけて決まった。
* * *
あとは寝るだけという、いい時間帯に小さな遠慮がちなノックの音が聞こえた。
「外からじゃないのは何で?」
音がしたのは、鍵をかけてないそこは、隣室と繋がるドア。
「…はい」
「遅くなりすまない」
迷ったけど開けないのも変だよね。そっと開けば小さな扉から大きな身体がするりと滑り込んできた。私を見下ろした穏やかな視線は、手に持っていたコンパクトを見て一気に鋭いものに変わり。
「えっ」
体が浮いたと思ったら、次にはベッド上にいた。
「ヒイラギ」
フランネルさんが私の名前を呼び、その口はそのまま私の唇に重ねられた。