31.私は、逃げた
「ヒイラギ、話がしたい」
いまや目の前にいる冬を思わせる人物に誘われた。勿論嫌に決まっている。怒鳴りたいけど今の私は、自分の背景が気になっていた。
私がやらかしたらヴァンフォーレ家に迷惑がかかる。あんな悪目立ちな曲を弾いておいてなんだけど。
「ヒイラギ」
「あの」
「フラン、スノウだよ。それに今回初めての夜会だし不馴れな妹を貸し出したくないなぁ」
何か言わないといけないと口を開いた時、肩にずっしりと重さがきた。無駄に長い片腕が背後から自分の首辺りに置かれた。
寄りかかるなら壁にして欲しい。
「バー」
「お兄様だよ。スノウ」
今日のパートナー役の彼は、いつぞやかの陛下と会った時、扉の近くにいた金髪チャラ男の人だ。
それだけではなく、現在お世話になっている家の三男、バース・ラン・ヴァンフォーレだ。
「離れるなと言われましたが、どちらにいたのでしょうか?」
「ん? いや~ちょっと今夜は、深窓の令嬢が来るって聞いてご挨拶しに」
バースさんをほんの気持ち頼りにしていた私は、間違っていたと深く反省をした。
「バース、離れろ」
フランネルさんが、抑揚のない氷を放つもこのチャラ男には通じないようで、私の肩は重さが増していく。この人絶対わざとだな。
「そんな険しい顔するなよ。兄が妹を守るのは当然だろ?」
なら側にいて下さいよ。
危うくお触りされそうになってたんですけどと言いそうになる。
「重いし周囲のお嬢様方の視線が怖いので離れて頂けますか?」
「そういう場合は、お兄様、お願いって言うんだよ。スノウ」
目立ちたくない。そんな私の顔を覗きこむバースさんは、とても楽しそうだ。
「チャラいオニイサマ、あそこの柱まで離れて下さいます?」
一番遠い隅の柱を閉じた扇子で示した。
「つれないなぁ」
疲れる。本当に自分は何をやっているのか。自分を見下ろせば豪華な似合わないドレス。
「ヒイラギ」
今は誰も呼ばない名を呼ぶ人。心配する口調に気づいたけど目を合わせるつもりはない。
いたくない。
もう嫌だ。
「…消えたい」
思わず口にした瞬間、懐かしいと感じてしまう浮遊感に包まれた。
* * *
「降りる場所あるのかな」
どうやらお城の屋根の上に転移したようだ。はいつくばりながら下を確認し降りるのは不可能な高さに目眩がした。
膝を抱えて限界まで小さくなる。
「この一年近くの努力が数分で散ってしまった」
明日からどうすればいいのか。
「蝶々さん」
『ヒイラギ あの人 助けてくれた』
久しぶりに出てきた蝶々さんは、以前の半分もないくらいのサイズになっていた。
「……頼んでない」
ひねくれているけど、正直な気持ちだった。私は蝶々さんの前だとなんでも話す事ができた。
『あの人 半分 命 ヒイラギ渡した』
魔力の力じゃない?
命を?
「それは本当なの? 私は、フランネルさんの命を減らしてしまったの? そんな事、誰も教えてくれなかった」
「本当だ」
薄暗い闇夜で浮かぶ綺麗な銀色の髪。
「どうでもいい話だった。今日会うまでは」
「うわっ」
私の脇腹に手を差し込み立たされ、顎を持ち上げられた為にお互いの視線が絡み合う。
「何故そんな顔をしている? いつからあんな弾き方をしていた?」
「離して」
私の抗議も無視された。
「貴方をこんな風にさせる為に渡した命ではない」
冷たい視線に負けそうになった。だけど吐き出すような言葉に我慢の限界がきた。
「なら戻してよ! 命を喜んで返します!」
「ヒイラ‥」
「私は、望んでいなかった。どうしたら戻るの?」
本人が目の前にいるなら、今なら返せるのだろうか?
「ヒイラギ!」
勢いよく体をひねれば、顎や腕にあった彼の手は離れ、その反動で後ろにのけ反った先には何もない。
私は、両手を広げてそのまま身を任せた。