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24.私は、感謝をこめて弾いてみる

昨夜の話のおかげで睡眠時間は短かったものの早朝に起きることができた私は、朝食後、時間が早いかなと思いつつ予定通りヴィトを弾くことにした。


それを伝えようとした時、部屋に入るのは特別な鍵が必要だと周囲は手間なのではと考えた結果、水分だけもらっていこうとお願いすれば。


「重くないですか? 部屋までご一緒に」

「大丈夫です。ありがとうございます」


瓶と陶器に入った果実水と濃厚スープを渡され、予想以上の重さで受け取った際によろめいた。


フローラさんが持ってくれようとしたけれど、今日はこれから珍しく交代要員が来るらしい。ならば、待っていたほうがいいですよ。それに外じゃあるまいしと付き添いを断った。


「えっと、部屋から出るときはベルを鳴らすので勝手に動きませんから安心して下さい」


結局、入り口迄きてくれた心配顔のフローラさんに嘘つきませんともう一度伝えたら、やっと表情がゆるんだ。


「ヒイラギ様」

「はい?」


フローラさんにあまり呼び止められた事がないので、ちょっと驚いて返事が裏返ってしまった。


「昨夜の話とても参考になりました」


昨日? そうだ。フローラさんも実はいたなぁ。


「特に災害時の避難、備蓄については異例の早さで会議にかけられ、また承認されると思います」


騎士さんだからか、いつもお堅い雰囲気は変わらない。でも少しラフな格好と、それだけじゃなくて。


「感謝します」


ふんわり笑った顔は、とても綺麗で優しかった。その反面、なんか、ほんの少し彼女の素顔に触れた気がしてしまい気まずくて視線を外した。


「あー、役にたってよかったです!」


私は、変なテンションの返事と挙動不審のまま鍵を壁にあてて急ぎ気味にその場から離れた。


私は、背後でまたフローラさんにクスリと笑われていたのにも気がつかなかった。



* * *



「あれ? 音が」


重い荷物を楕円形のローテーブルに置きさっそく鍵盤にふれたら、昨日弾いた時と少し半音くらい違う気がした。試しに音階をリズムを変えて弾いていく。


やっぱり昨日と違う。


「きっと調律したんだ」


私は、絶対音感なんてものはない。ヴィトはピアノより鍵盤の数が多く、また音が私が知るピアノより僅かに高い。ただそれは昨日弾いていた限りでは。


練習曲を指を音を確認するように動かせば、やはり低くなっており、一音づつしっくりする。


「そういえば、ここに来る途中知らない男の人を見かけた」


なにやら荷物を持っているとは思っていたけど、あの人が調律師さんかな?


でも音は聞こえてこなかったけど。


「あらら」


元の世界から一緒に持ってきていたペンが転がり落ち、下のペダルの下に入ってしまった。


「挟まったら不味い。あ、ペダルがもう一つある」


ヴィトの下に身を屈めてペンをなんとか掴んだ時、ピアノにはない4つ目のペダルを発見。何やら左右にスライドできそうだ。


「何だろう。窪みが横にある」


人様の楽器の用途が分からない箇所に勝手に触れていいものなのか悩んだのは一瞬で手で動かしてみた。


「弾いてみるか」


どんな用途か知るためにキーに触れ一音だしてみたら。


「おぉ。音量調節だ」


かなりの音が出たけど音の響きが凄くいい。ちらりと窓側を見た。そこは外から見つけにくいように向きが斜め、また大きさも小さい。でも青空が隙間から見えて。


「音大きくしたままだと煩いかな? でも弾くと暑くなるし」


お屋敷なだけあってバルコニーに出た時、隣はかなり先にあった。


近所の人なんて知らない。

元の私の事を知る人も一人もいない。


「今日だけだし。いっか」


私は、部屋の窓を全て開け放ち音量を最大にしたまま鍵盤に指をすべらせた。


「こんなもんか」


暫く昨日と同じ様に単調な音階を弾き納得した頃、手を止めた。


「さて、動くかな」


出だしから強烈な一発、一見乱暴そうに鳴らしながら、とある曲を弾いた。


「あーボヨンボヨンになってきた」


最初はなんとかなったけど、後半はボロボロ。暗譜なのは問題ないけど指がとにかく動かない。只でさえ高速だ。だからこそ人気な曲でもあるけれど。


なんとか最後まで弾ききった!


「あー疲れた。水分とろ」


小さな箱にはグラスが入っていたので、それに果実水を注ぎ一気飲み。


「おいしい」


甘さ控えめのリンゴジュースのようだ。空になったグラスと瓶をなんとなく眺めた。


「そうだ。お礼にはならないかもしれないけど、何か明るいの弾こう!」


明日でこのお屋敷にいるのも最後だ。思えば屋敷の皆さんには、とてもお世話になった。


「よし!」


私は、感謝を込めて再び鍵盤に向かった。




* * *


その音を楽しみながら茶をすする男が一人。


「これは、調律のしがいがありましたな」


「兄が無理を言ってすまなかった」


「とんでもない。お母上、フロリア様も喜ばれていると思います」


母は、あのヴィトをこよなく愛用していたが、その母の亡き後は仕舞われ、昔から付き合いがあるこの男、メイルにたまに調律を頼むくらいだった。フローラは、幼い頃から体を動かすほうが向いていたので、ヴィトに興味がなかった。


「曲調が」


あの娘に似合わない激情のような曲から、一転し明るい日差しが降り注ぐ様子が想像できるものへと変わった。


「なかなかの腕前ですな」

「ああ」


生き生きとした音に聞き惚れながら、フローラは願った。


あの娘が消えることがないようにと。



* * *


「すげー。何この曲。聞いたことないな」


柊が謁見の間で退出時に同行をお願いした濃い金髪の騎士、バースが前髪をかきあげながら屋敷の音が鳴っているであろう場所を仰ぎ見た。


「暗くそれでいて激しい怒り…ですかね」


ノットも立ち止まってその音に聴きいる。


二人は、その技量と音にのせられた感情の激しさに驚きながらも同時に同じ事を考えていた。


──あの娘には合わない曲だと。


唐突に音は止み、弾くのは終わったのかと思えば。


「なんか、明るいねぇ」


先程とは真逆のような曲が流れてきた。そこで先に我に返ったのはノットだった。


「敷地内に、屋敷に着いたとはいえフローラ様との約束が過ぎています!」


規律を重んじるのは兄妹共々。

ようは時間に厳しいのだ。


そんな焦るノットに。


「また変わったよ。いいじゃんこれ。あの子らしい」


明るく、ゆっくりとしたリズムに加え、歌が聴こえてきた。どうやら聖女様が歌いながら弾いているらしい。それは今聴いた中でも群を抜いて彼女に合っていた。



「あ、時間! バース様!」


この曲ならまた聴きたいと思いながら、ノットはフローラ様に会うため足を速めた。





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