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正しい迷い方

作者: 神奈宏信

長所は短所であり、短所は長所である。

そんな自分と、どう向き合っていくか。

そんな課題って、常に付きまとっているようなそんな気がしています。

空には入道雲。

もうすぐ、この地ににわか雨がやってくるだろう。

「正しいって、何なんだろうね。」

河原に腰を下ろす私は、隣にいる幼馴染に向かってぽつりと呟いた。

紺色ズボンに手を入れて、ワイシャツを出しっぱなしにしている幼馴染はただ黙って空を見上げていた。

急に空が暗くなる。

頬に冷たいものが当たった。

私も、同じように空を見上げた。

刹那、雨の勢いが強くなる。

地面にたたきつけるような豪雨。

河原の上を歩く人々は、足早に去っていく。

黙っていた彼は、急に口を開いた。

「わかんねえ。」


【正しい迷い方】


私、戸川恵美が高校に上がったのは今年の春のこと。

真新しい制服に身を包み、この学校に入学した時、これといった高ぶりもなかった。

どこへ向かい、何をするかなんて決めてなどいなかった。

親に言われるがままに高校を選び、幼馴染の正木正敏が決めた高校に進学した。

何ということはない。

ただ流されてきただけ。

それだけで、順風満帆だった。

学校に入ると、友達も何人かできた。

春先は、部活への勧誘ラッシュであり、私のいる教室にも何人も先輩たちがやってきた。

それでも、私は部活に入るわけでもなく、ただ何となく毎日を過ごしていた。

気が付けば、もう夏だった。

廊下を歩いていた私は、足を止めた。

窓の外には、青空に一筋の飛行機雲が長く尾を引いているのが目に見えた。

昼休みに入ったためか、学校内は騒がしかった。

先生に頼まれて、ノートを職員室に運んで教室に戻ろうとしていたところだった。

「恵美。」

立ち止まっていると、急に声をかけられた。

振り返ると、ショートカットの少女が軽く手を挙げてこちらに近寄ってくる。

夏なのに、紺色のブレザーもしっかりと着込んでいる。

「ああ、歩美。」

「部活決まった?」

同級生の高瀬歩美は、隣に立つなり尋ねた。

彼女に部活のことを相談したのは、ついこの間のことだった。

このままだらっと高校生活を送るのも勿体ない気がした私は、彼女にこの先のことを相談したのだ。

少々ミステリアスな彼女は、友達想いのいい友人だ。

快く相談に乗ってくれて、親身に話を聞いてくれたものだ。

「いや、まだね。」

「大丈夫だと思う、急がなくても。ちゃんと恵美のことを評価してる人は多いよ。」

「持ち上げすぎだな。歩美は。」

「持ち上げてるつもりはないよ。事実を言っているだけ。」

真顔で彼女は、平然とそう言う。

そういうこと、よく平気で言えるものだ。

「そういう歩美は部活やらないの?隠塚さん、美術部に決めたんでしょ?」

「そうだね。私はやるつもりはない。やること多いから。」

「多いって、何やってるの?」

「さあ。それよりも、知り合いの先輩に、恵美が部活探しているって話したらぜひって言う人がいたんだけど。」

相変わらずの行動力に驚くものだ。

一体誰にどんなことを話したというのか。

それに、どんな交友があるというのだろうか。

そんな私の興味は他所に、歩美は続けた。

「もし、興味があるなら放課後会ってみない?」

「な、何部?」

「それは会ってみてからの方が面白いと思うから。」

「ま、まあ。歩美が言ってくれるなら。」

なら、放課後と彼女は軽やかに去っていく。

本当にミステリアスな友人だ。

彼女の背中は、すぐに見えなくなった。

廊下の人ごみに紛れるようにして、風景に溶け込んでいった。

突然訪れた転機に、私は面食らっていた。

それこそ、物語のような・・・。

「おい、戸川。」

後ろからまた声をかけられた。

後頭部に手をやって、軽く頭を掻く。

男子の夏服、紺色のズボンに白いワイシャツのみの格好で短く刈り上げた髪の男がやってくる。

正敏の友人の三牧将司君だ。

正敏の紹介で顔を合わせたこともあれば、一緒に遊んだこともあった。

「お前、往来の真ん中で邪魔だろう。」

ポケットに手を入れたまま彼は言う。

「あのね。三牧君。無遠慮な男子は嫌われるんだぞ。」

「正木の幼馴染に言われてもな。説得力ないって。」

「さすがに怒ってもいいよね。」

ぐっと拳を握りしめる。

「おい、待てって。」

それを見た彼は、一歩後ろに下がる。

ふっと力を抜いて私は歩き出す。

ポケットに手を入れなおして、後ろから三牧君もついてくる。

「お前、部活決めたいんだって?」

「誰情報?正敏?」

「まあ。だったら、お前も柔道やらないか?」

「やだよ。そんな男くさい。」

「精神修練にはもってこいだぞ。それに、男勝りなお前なら余裕だって。」

またも無遠慮なことをいう。

これでも、ちゃんとした女子だというのにひどい話だ。

「そんなこと言っている間は、修行が足らん。」

「なんだよ、それ。」

「女の子だよ。精神修練してるなら、ちゃんと扱わないともてないんだぞ。」

「お前が言うか?」

むっとしながらも、私は彼の方を振り返らずに言った。

「大丈夫。それならさっき、歩美がいい部活紹介してくれるって言ってたから。」

「高瀬が言うならいいのか?」

「少なくとも、三牧君よりは信用できるじゃん。」

彼の方を振り返ると、彼は顎に手を当てて俯いてうなっている。

本気で、歩美と自分を比べているようだ。

「まあ、勝てる気がしないな。」

すぐに結論は出たようだ。

ふうっと息を吐いて、振り返った私は再び歩き出した。

「高瀬だぞ?あいつ、たぶん妖怪か何かの類だろう。」

「歩美の前で言わない方がいいよ。私と違って、歩美はれっきとした女子だから。」

「あれも女子とはいいがたいだろ。」

「じゃあ、三牧君の思う女子って?」

そうだな、と彼は考え込んだ。

興味があった私は、隣に並んで彼の答えを待った。

「やっぱり、おしとやかとかそんな感じだろ。髪も長くて。」

「それって単なる好みじゃないの?」

「そうじゃないって。」

話しながら歩いていると、ちょうど右手にある階段から髪の長い女子が降りてくるのが見えた。

夏なのに、ブレザーも着ている。

歩美もそうだが、たまにそんな女子を見かける。

こんなにも暑いというのに、真面目なものだ。

私には真似できそうもない芸当なので、素直に感心する。

「あんな感じ?」

指さすと、三牧君は素直に頷いた。

「そうそう。あんな感じだ。」

「そう。素直でよろし・・・。」

そんな話をしていると、指さしていた生徒と目が合う。

彼女はばっちりとこちらを見ていた。

私が彼女を指さしている姿を。

「あ、えっと・・・。」

「おい。目が合ったぞ。」

少女は、澄んだ目でじっとこちらを見ている。

まずい。

何か言われるかもしれないとあたふたしていると、少女はそっと私たちに近寄ってくる。

見たところ、上級生のように見える。

胸元の校章に、青いラインが入っている。

青は、今の三年生を示す色だ。

「あ、えっと・・・。どうも・・・。」

「もしかして、興味あるの?」

「勿論、あります!」

「なんにだよ。」

半ば、反射的に答えてはっとなる。

確かに、何に興味があるというのか。

戦々恐々とする私たちを前に、少女は不思議そうに首を傾げているのだった。


少女は、後藤田千佳先輩という、書道部に所属する先輩だった。

後藤田先輩は、どうやら書道教室に向かう途中だったらしい。

私たちの事情を聞いた後藤田先輩は、楽しそうに笑う。

書道教室は、昼休みとあってかしんと静まり返っている。

ただ、遠くから蝉の声が聞こえる。

「二人とも、仲良しなのね。」

「いや、そんな大層なものじゃないですから。」

事情を聞いた後藤田先輩は楽しそうに声を立てて笑っていた。

「なんだよ。そんなに不満なのか。」

「少なくとも。」

じろりと三牧君を見る。

まあ、その辺りのやり取りはいつも通りなので、これ以上やっても無駄だと思い無視する。

「それで、先輩は何やってるんですか?」

見たところ、昼食を摂りに来たわけでもなさそうだ。

周囲に人気はないし、弁当などを手にしているわけでもない。

「うん。ちょっと書こうかと思ってね。」

「書く?」

よくわからず、私は後藤田先輩をきょとんと見ていた。

彼女は、机の上に書道道具を広げる。

その光景に、私も三牧君も驚いてしまう。

「何をやってるんですか?」

「今の気持ちとか、そういうものを文字にしておこうと思ってね。」

「は、はあ・・・。」

私と三牧君は、後ろから後藤田先輩を覗き込んだ。

穏やかな手つきで筆を握ると、流れるように手を動かして文字を書いていく。

真剣な顔つきで、後藤田先輩は半紙を見つめている。

その横顔は、美人といえるものだ。

絵になるな、と考えていると流麗な文字が出来上がる。

『五月晴』

そう半紙に書き記した後藤田先輩は、それから長く息を吐いて筆を静かに置いた。

「こんなものかな。」

「へえ・・・。」

「興味ある?」

振り返った先輩は、澄んだ目で私を覗き込んでくる。

その瞳を見ていると、引き込まれるようだった。

「え?じゃ、じゃあちょっとだけ。」

「え?お前、やるのか?」

「ちょっとって言ってるじゃん。」

三牧君にそう言う私に、筆が差し出される。

それを受け取り、席を空けてくれた後藤田先輩に代わってそこに座る。

白い紙が置かれる。

それを前に、何を書こうかと考える。

「なんでもいいのよ。今の気持ち。文字には色があるから、それを形にすればいいと思う。」

「文字に色、ですか。」

筆の絵を口元に当てて、小さく唸りながら考える。

夏か・・・。

ふと、脳裏にそんなことがよぎった。

何かが見えた。

その瞬間、手が動く。

筆を扱うのはあまり得意ではなく、動きがぎこちない。

後藤田先輩とは雲泥の差だが、それでも何とか形にはなる。

『飛行機雲』

書き上げて、何となく満足して筆をおいた。

「お前、相変わらず字汚いな。」

「うるさいな。じゃあ、三牧君は綺麗に書けるの?」

いちいち茶化してくる三牧君をじろりと睨みつける。

彼は、私の後ろに立って肩口からのぞき込むように手元を見ていた。

「どうして、この文字を選んだの?」

「え?そりゃ、夏だからですかね。ほら、夏といえば澄んだ青空で、そこに一本白い雲が通ってたら爽やかじゃないですか。」

そういうと、後藤田先輩はにっこりと笑った。

「ほら。青とか白とか。この言葉一つとっても二つも色が出てきたでしょう?」

「ん?あ。確かに。」

言われてみればそうだ。

意識していなかったが、心の内に色ができていたような。

そんな気がした。

「あ、あはは。面白いですね。書道って。」

「そうでしょ?興味があったら、入部してね。」

「はい!是非、お願いします!」

「おい。」

三牧君は、私の後ろで慌てた様子を見せる。

彼は、顔を寄せてきて小声で言った。

「お前、放課後高瀬と部活見に行くんだろ?」

「ああ。そんなのもあったね。」

先輩には聞こえないような小声で話す。

「どうすんだよ。」

「まあ、それとなく断っておくって。よろしくお願いしますね。後藤田先輩。」

「そう。よろしくね。」

私がそういうと、後藤田先輩は気持ちのいい笑顔を見せた。


ようやく一つの場所が定まった気がする。

私は何となく安心感と充実感を持って午後の授業をこなすことができた。

充実感があると、時が過ぎるのは早く感じるものだ。

「いやあ。早かったね。」

もう放課後となって、私は大きく伸びをした。

「恵美!正敏君!」

入口近くにいた友人が大声で私を呼ぶ。

正敏?

鞄を手に立ち上がり、私は黒板側の入り口から顔を出す。

ポケットに手を入れて、壁にもたれかかるようにしながら正敏は携帯を弄っている。

人を呼びつけておいてと思うが、いつも正敏はこんな感じだ。

「何さ。」

「お前、いいことあったんだって?」

「まあ、あったって言えばあったね。」

「よかったじゃん。」

「本気で喜んでるの?」

投げやりな態度に私は苦笑する。

とはいえ、正敏は昔からあまり自分の感情を表現するのが得意ではない。

要は不器用なのだ。

メールのやり取りを終えたのか、正敏は携帯をポケットにしまって頭を掻いた。

「まあ、本気でよかったって思ってるって。最近、お前なんだか落ち込んでたしさ。」

「あー。まあね。まあいろいろあったけど、ふっきれたかな。」

漸く向かうべき方向が少しは見いだせた気がする。

ただ、何となくその時、その時間を過ごしていたよりもよっぽどいい。

やはり、目的がなければ何をするにしても辛いものだ。

打ち込めるものがあれば、学校生活も少しは良くなるだろうと、私は信じて疑っていなかった。

「恵美。」

急に名前を呼ばれて振り返る。

放課後ともなって、廊下は人混みで満ちている。

その人混みを潜り抜けて、歩美がこちらに向かってくる。

「ごめん。お待たせ。ん。正木と一緒だったんだ。」

歩美は、正敏を見つけて少し目を細めた。

軽く手を挙げて、彼は挨拶する。

「とりあえず、恵美とは約束があるから。」

そうだった。

歩美が私のために骨を折ってくれていたことを思い出す。

どうしようかな・・・。

でも、言わないと。

歩美はこちらを見て、安心させるように微笑んだ。

「大丈夫。部長も、悪いようにはしないって言ってたから。期待していいよ。」

「え?あ、ああ。そっか。そうだね。うん。行こうっか。」

あはは、と笑う私を正敏は怪訝そうに見ている。

何か言いたそうな顔をしている。

わかっている。

わかってはいるのだが・・・。

「じゃあ、行こう。」

歩き出した歩美に、結局私は大人しくついていくのだった。


やってきたのは、最上階にある多目的ホールだった。

講堂とも呼ばれるここでは、一学年が集まって集会を行ったりすることもある。

壇上には、いろいろな機材が並べてあり、左右にはスポットライトが置いてある。

ワイシャツ姿の男子が、重たそうに絵が描いてあるパネルなんかを運んでいた。

その様子を見て、私はぴんと来た。

「ああ。もしかして、演劇部?」

「そう。正解。部長さんが、是非恵美に入ってほしいって。」

「部長さんって、どんな人?」

無論の事だが、演劇部に知り合いなどいるはずもない。

部長がどんな人なのかも、正直にわからなかった。

「真面目な人。部長。」

「おう。高瀬。待ってたぞ。」

袖を捲った体格のいい男子が台本を片手にこちらにやってくる。

それから、彼は私の方を見て一つ頷いた。

「お前が戸川か。うん。お前なら、いい役者になるな。」

「そりゃどうも。あの、一応自己紹介を。」

「ああ、悪いな。俺は演劇部の部長で角野渉だ。よろしくな。」

「部長には、恵美のことはちゃんと話してある。信頼できるって。」

「ああ。高瀬の言うとおりだな。」

うんうんと角野先輩は頷いた。

悪い人ではないようだが、どうしたものか。

もう、書道部の入部届は後藤田先輩に渡してある。

「今日は、お前に演劇の素晴らしさを知ってもらうために一つ舞台を用意した。まあ、楽しんでいってくれ。」

「あ、どうも。」

私は、歩美とともに舞台の前に設置された観客席に案内される。

とはいっても、パイプ椅子が数脚並んでいるだけで、座ってみている観客も私たち以外に一人いるだけだ。

「よし、始めるぞ!」

角野先輩が声をかけると、舞台の上で用意をしていた生徒たちが一斉に降りていく。

私は、歩美の隣にとりあえず腰を下ろした。

歩美のその隣に、もう一人座っている生徒がいる。

見物客は、私たち三人だけ。

部屋が暗転して真っ暗になる。

窓には、暗幕が張られていた。

スポットライトが、突然舞台の上を照らす。

そこに、一人の少年が立っていた。

白銀の鎧を身に纏い、腰に剣を帯びている。

剣に手をかけて、彼はそれを高く掲げた。

「竜を討つため、俺は最後のカギを探しに行く!」

高らかに彼が宣言するところから物語は始まっていた。

歩美の隣で、もう一人の観客は腕を組んでしきりと頷いている。

「うんうん。角ちゃんもわかってるじゃん。」

口ぶりからして、部員ではなさそうだ。

「部員じゃないんですか?」

歩美の肩越しに、私は声をかけてみる。

彼女は、私の方に視線を向けた。

「ん?そおだよ。私は、ほら。台本を書く角ちゃんのお手伝いしてるだけだからさ。」

「こら、羽田野。俺のことは部長と呼べと言ってるだろ。」

いつの間にか、角野先輩が少女の後ろに立って、丸めた台本で軽くぽんと頭を叩いた。

角野先輩の口ぶりからして後輩なのだろう。

そんなやり取りの中、歩美は姿勢よく椅子に腰かけてじっと舞台の方を見ていた。

真面目というべきか、何というか。

「それにしても、今回のは気合入ってるね角ちゃん。」

「当たり前だ。新入部員獲得の為だからな。俺としては、演劇の素晴らしさをぜひわかってもらいたい。」

力強く角野先輩は言い放つ。

この人、真面目なんだ。

そして、本気なんだ。

まずいな・・・。

来るべきではなかったのかもしれない。

「どうしたの?恵美。」

「え?」

「さっきから変だよ。」

歩美は舞台の方に視線を向けたまま言う。

私は、慌てて笑みを浮かべて取り繕った。

「別に。そんなことないよ。気のせい。」

「それならいいけど。」

それ以上深くは歩美も立ち入ってこない。

とりあえず、今は演劇を見るべきだと思って視線を舞台に戻す。

「王の為、民の為、そして大地の為に!俺はこの剣で竜に挑みたいんだ!」

「そんなバカなことが認められると思うの!?いい加減にして!!」

演劇は、既に佳境を超えて、かなりの盛り上がりを見せている。

演じている部員も一生懸命で、大真面目なのだ。

それなのに、私一人は浮かれて、安易な気持ちでここに足を踏み入れている。

何となく後ろめたい気持ちになった。

やがて、演劇が終わり、歩美たちは拍手を送る。

演劇の内容は、はっきりと言って面白かった。

「よし!お前ら、よくやった!」

角野先輩も、部員に拍手を送る。

やがて、部員たちは後片付けに入り、角野先輩は台本片手に私の方へやってくる。

「と、これが我が演劇部だな。どうだ?気に入ってもらえたか?」

「え?あ、はい。とっても、素敵でしたよ。」

「そうだろ?だったら、お前も俺たちと一緒に最高の劇を作り上げないか?」

「えっと。その、そうですね。そういうの、嫌いじゃないです。」

最低だ、とは思いつつも、ついつい相手が喜びそうな答えを返してしまう。

角野先輩は、満足そうに頷いている。

「なら、この入部届をだな・・・。」

「待った、部長。」

急に鋭い声が飛ぶ。

話を遮ったのは歩美だった。

「どうした?高瀬。」

「とりあえず、今日のところはそこまでで。」

「だが、善は急げっていうし、何よりお前がそうしてほしいって声をかけてきたんだろ?」

立ち上がった歩美は、強い意志の籠った眼で角野先輩を見た。

そんな顔をするとは思っていなかった私も、そして角野先輩は息をのむ。

「ちょっと事情が変わった。少しだけ、考える時間がほしい。」

「あ、ああ。そうか。そうだな。」

「恵美もそれでいいでしょ?」

「え?う、うん。そうだね。」

有無を言わせない調子で、歩美が畳みかける。

その剣幕に押されて、私も角野先輩もただ頷くだけだった。


家路につく私は、小さくため息を漏らした。

「どうしたの?ちょっと様子が変だったけど。」

「ああ、いや。ごめん、歩美。」

「いや、私こそ。咄嗟に勝手なこと言ってごめん。」

顔を上げて彼女の方を向くと、片手を顔の前で左右に振る。

「いや、そんなことないって。」

「ならいいけど。」

私は、そのまま黙り込んでしまう。

歩美は、何も言わずに私の隣を歩いていた。

階段を下りて一階にまで来る。

外からは橙色の光が差し込んでいた。

遠くから部活に勤しむ生徒たちの掛け声が聞こえてくる。

玄関には、まるで人気はない。

がらんとした広い玄関で、私は下駄箱に上靴を戻して外靴を取り出した。

靴を履き替えると、小さくため息をつく。

「よお、戸川。どうした?」

無遠慮に、背後から唐突に肩を組まれる。

三牧君が、いつの間にか来ていたようだ。

「お前ら、辛気臭い顔してるぞ。あ、高瀬はいつも通りか。」

「三牧。ちょっと無神経すぎる。今は、恵美にとってはあまりよくない。」

ずばり、と切り捨てるように歩美は言う。

「強いよね、歩美は。それに、紳士だし。三牧君も見習った方がいいよ。」

「なんだよ、それ。高瀬は紳士というより機械的だろうが。」

「歩美。いいんだよ。半殺しくらいなら、きっと誰も文句は言わないから。」

「そうかもね。」

小さく頷くと、三牧君は慌てた。

目を瞑って、小さく口端を上げた。

「でも、やめておく。それで構うと三牧も喜ぶから。」

「ああ。わかるわかる。構ってちゃんだもんね。」

「お前らな!」

歩美は余裕のある態度で三牧君を受け流す。

それが、あるいは大人の対応なのかもしれない。

ただ、二人の相対的な態度がなんとなく可笑しくて、私は声を立てて笑った。

「笑うなよ。」

不貞腐れたように三牧君は言う。

「それよりも、お前結局どうしたんだ?ほら、書道部入るんだろ?」

「書道部?」

急に三牧君は歩美の前で余計なことを言う。

「こいつ、昼休みに書道部に入部届出しててさ・・・。」

「三牧君!」

慌てて遮るが、遅かったようだ。

歩美は全部悟ってしまったようだ。

「そうか。だから、恵美の様子がおかしかったのか?」

「いや、それは。なんで余計なこと言うかな。」

「余計なことじゃないだろ。嫌ならはっきり嫌って言えばいいだろ。」

「恵美。私も気にしない。むしろ、それが恵美にとって一番いい選択なら、支持する。」

きっぱりと言ってくれるのはありがたいが、だからこそ、逆に罪悪感もあった。

「大体、断り切れないなら掛け持ちすればいいだろ。」

「私にそんな余裕があるかな。それにさ、なんか失礼な気がして。」

「お前な。そんな態度で煮え切らないのは一番失礼だろ。」

はっきりと三牧君に言われて、私はむっとする。

自分だってわかっている。

一番言われたくないことを言われたような気がしていた。

「いいじゃん、別に。」

「誰にだっていい顔してるのは、俺は納得しないな。」

「それこそ、人それぞれに考えがあるんだし。三牧君に言われる筋合いないよ。」

「なんだよ、その言い方。」

次第に空気が重たくなる。

だが、引き下がることはできない。

「歩美だって、私の為に頑張ってくれたわけだしさ。」

「お前、そういって逃げてるだけだろ。」

「そんなんじゃないって。大体さ。三牧君に何がわかるわけ?」

「お前こそ、何様だよ。」

「二人とも。」

いつしか睨み合うように私たちは立っていた。

それを見かねて、歩美が声をかける。

暫く、私たちは黙って睨みあっていた。

「少し頭を冷やした方がいいよ。」

「わかってる。」

私は、踵を返して歩き出した。

何か言おうとする三牧君を、歩美は手で制す。

それを背中で見ながら、私は一人家路を歩いた。


翌日。

三牧君とは、今日は会っていない。

あんなことがあった以上、少々会うのは気まずかった。

私は、机に突っ伏すように座っていた。

自分でもわかっている。

最低なことをしているのだと。

でも、誰だってそうだ。

嫌われたいと思う人なんていない。

だからこそ、どちらにもついついいい顔をしてしまって。

ちゃんときっぱり断り切れないのは、自分の弱さなんだって。

そんなことくらい、わかっていた。

突然影が差した。

顔を上げる。

いつの間にか、正敏がそこに立っていた。

机に両手をついて、私をじっと見下ろしている。

三牧君に何か言われたのかもしれない。

「何?正敏。」

気だるげに私は声をかけた。

「お前さ。これから暇?」

「え?まあ。」

「ちょっと歩かね?」

「歩くって、また無計画だね。」

手を机から話して、鞄を肩から引っ提げて振り返る。

「嫌ならいいよ。」

「あのね。まあ、いいよ。そういう気分だから。」

体を起こして、鞄に授業道具を詰める。

重たい腰に鞭を打って、私はその場に立ち上がる。

それを見計らって、正敏はさっさと歩きだしてしまう。

自分から誘っておいてとは思うが、いつものことなのでもう慣れたものだ。

その一歩後ろを私が続く。

正敏は、歩く速度が速い。

誰かと一緒にいても、それを緩めるようなことはしない。

学校を出ると、空には入道雲が顔を出していた。

雲は、早い動きで空を進んでいる。

空を見上げる私は、一雨来るかもしれないなんて考えていた。

道路沿いの道を、正敏は足早に歩いていく。

時折小走りになって、私は彼についていく。

「相変わらず気楽だね。ちょっとは後ろの人のこととか考えないの?」

「めんどくさいから。」

こちらを振り返ることもなく、ぶっきら棒に正敏は言う。

「そんなのじゃ、正敏の彼女になった人は苦労するだろうな。いやあ、正敏の彼女とか見てみたいのにね。」

「いいんじゃね?」

「つれないな。それで?なんなの?」

道路わきにあった、川沿いの土手に上がる階段を正敏はのぼっていく。

私も、それに続いて上にあがった。

「いや、お前結局部活どうすんのかって思って。」

「三牧君、なんか言ってた?」

「言ってた。」

「あ。やっぱり?」

何となく、そんなことだろうと思っていた。

いや、あんなことがあって、それ以外で声をかけてくるとは思えない。

「馬鹿げてるよね。結局嫌われたくなくて八方美人やっててさ。」

「俺はいいと思うよ。でも、どっかで決断しないといけないわけじゃん。」

「決断ね。」

道を逸れて、正敏は土手を下っていく。

私も、それに続くように河川敷に出た。

そうだ、結局は最後には決断しなければならないのだ。

どうするのが正しいのだろうか。

私は、どうするべきだったのだろうか。

そもそも、正しいって何なんだろうか。

腰を下ろして、私は膝を抱えるように考え込む。

正敏も立ち止まって、ただ流れる川の水面を眺めている。

暫く沈黙があった。

空には入道雲。

もうすぐ、この地ににわか雨がやってくるだろう。

「正しいって、何なんだろうね。」

河原に腰を下ろす私は、隣にいる幼馴染に向かってぽつりと呟いた。

紺色ズボンに手を入れて、ワイシャツを出しっぱなしにしている幼馴染はただ黙って空を見上げていた。

急に空が暗くなる。

頬に冷たいものが当たった。

私も、同じように空を見上げた。

刹那、雨の勢いが強くなる。

地面にたたきつけるような豪雨。

河原の上を歩く人々は、足早に去っていく。

黙っていた彼は、急に口を開いた。

「わかんねえ。」

雨に打たれて、私は小さく笑った。

「そりゃそうだよね。」

「絶対に正しいなんてものがあるならさ。誰だってそうするじゃん。」

「ああ。まあ、そりゃね。」

「それにさ、そんな簡単にわかってできることばっかりじゃ、面白くないじゃんか。」

濡れた髪をかき上げて、正敏は空を見上げた。

「いいじゃんか、悩めばさ。迷っていいじゃんか。それで、わかんなかったり、できなかったりすれば頼れる奴頼ってやればいいって俺は思うよ。」

ずぶ濡れになりながら、私は顔を上げて笑った。

「何それ。正敏らしくない。」

「かもな。」

「まあ、そうなのかもね。でもさ、私弱いからちゃんと断れなくて、そんな自分が許せないんだって。そう思ってる。」

「弱いお前もお前じゃん。俺、お前のそういうところいいと思うよ。」

「いいって、あんたね。」

苦笑する私の方に目線だけ寄越す。

「だって、短所も長所で、長所も短所じゃん。」

変なことを言うものだ。

本来なら、対極にある言葉ではないか。

「俺は、そんな簡単な言葉で切り捨てるべきじゃないと思うしさ。悪いお前もお前で、しっかりお前が使いこなしてやれって。」

「使いこなすね・・・。」

「そうすりゃ、長所になるって。」

「まあ、そうなのかもね。」

少しくらい、許してあげてもいいのかもしれない。

そんな弱い自分を。

彼の話を聞いていたら、私は何となくそんな気持ちになった。

いつの間にか、雨は上がっていた。

それでも、私たちはずぶ濡れだ。

私は立ち上がって、前髪をかき上げた。

雨の雫が飛び散る。

「ずぶ濡れになっちゃったね。」

「そうだな。」

「まあ、でもそれもよかったのかもね。」

「そうだな。」

「三牧君にさ。ごめんねって言っといてよ。」

それには、正敏は何も言わなかった。

私は、彼に背を向けて土手にのぼっていった。

行こう。

どうするべきか、私の中で決意は固まった。

例えそれで嫌われるとしても、やらなければならない。

ちゃんと筋は通しておかなければ、結局のところどちらにも申し訳がないのだから。


「すいませんけど。今回のことはなかったことにしてください。」

三年生の教室が並ぶ廊下。

私は、角野先輩に頭を下げた。

「いいよ。今回は、俺もちょっと強引すぎたから。」

「部長はそれくらいで怒るほど狭量じゃないから。」

角野先輩は軽く片手をあげて笑った。

隣で、歩美もフォローしてくれる。

「歩美もごめんね。先にちゃんと言うべきだったね。」

「いいよ。私は気にしてない。」

二人の言葉がありがたかった。

「それよりも、これを機に興味を持ってくれたならいつでも見に来てくれよ。演劇は見られてなんぼだからな。」

「じゃあ、ぜひそうさせてもらいます。」

もう一度、私は角野先輩に頭を下げた。

彼はそのまま去っていく。

罪悪感はあったが、それでもちゃんと自分なりに筋は通せたかな。

百点満点ではないけど、これでよかったのかもしれない。

「それよりも、ちゃんと部活決まってよかったね。」

歩美は小さく笑みを浮かべる。

「これからが本番だけどさ。」

「おい、戸川。」

急に背後から声をかけられる。

振り返ると、三牧君が腕組みして立っている。

「なに?」

「・・・・・。」

彼は、何も言わずに黙っている。

私もただ黙って彼を見ていた。

「やれは、できるじゃん。」

「まあね。」

「その。悪かった。」

「私も。」

それ以上は、彼は何も言わずに去っていった。

三牧君とも、何はともあれ仲直りというところだろうか。

「よかったね。安心した。」

「歩美には、なんだか迷惑かけてばっかりな気がする。」

「考えすぎたと思うよ。私が勝手にやってるだけだから。」

「いや、ありがとう。お礼になにか奢るよ。」

彼女の腕を掴んで引っ張る。

或いは、これでよかったのかもしれない。

迷って、進んで、時には間違って。

それでも、進んでいけるのであれば、それは正しい迷い方なのかもしれない。

そんなことを、私は何となく思った。



季節外れなお話になってしまいましたが、それもそのはず。

これを書き始めたのは、八月頃。

結局、他の小説に浮気して、完成に三か月もの月日を費やしてしまう始末。

あまつさえ、何を書きたかったかを忘れて、自分でもあんまりまとまりがないお話になったなと思いますが、

生暖かい目で見守ってやってくださいな。

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