Dead On Arrival
ある医師が事故で妻とそのお腹の中の子を失った。
よくある話だ。ただこの世界には魔術があり、天使や悪魔が人に干渉できる規則があった。
「おい!女が馬車の下敷きになってるぞ!」
目の前の光景に口が開かない。俺が気づいて彼女の手を引けたなら。…引けたなら、俺たちは知らない振りでもして何事もなく家にいただろうに。
柔らかな曲線を描いていた彼女の輪郭は馬の前足に弾かれてひしゃげてしまっていて、胴体は車輪のストッパーの役割をしようと腹ごと潰れていた。
助からない。全てが真っ白になるなかでそれだけが頭を巡っていた。
「ゲホッ、」
最早死を待つのみだと目を瞑ろうとした中で彼女がこちらを見たのに気付いた。震える唇を持ち上げて出されるか細い囁きに駆け寄って耳を傾ける。
「…ども、……子どもは無事?」
彼女の体は潰れてしまっている、ましてや子宮なぞ、一番最初に破裂しただろう。その痛みすら感じることが出来ていない。
だが彼女の手を握り、自然と口は開いた。
「大丈夫。子どもは俺がちゃんと。」
「そう………、よろしくね、」
曇りがかっていた瞳から光が失われ、瞳孔が緩み開いた。
大丈夫。子どもは俺が、
周囲の手伝いを得て車輪の下から彼女を助け出す。
医者に連れていくと告げて、重たくなった彼女を抱き上げ自宅へと足を向けた。
「もう!ラッセル、新聞は読まなきゃ意味がないの。いつもいってるでしょ?」
目の前でぺしぺし机に叩きつけられる紙面を哀れみつついつも通り呟いた。
「新聞は偏っているから好きじゃない。」
「あなたのなかの情報は傾くような繋がりを持っていないでしょ。点々の情報をあなたの思う方向に傾けられるよう線を引く。その手段の一つに新聞を読むことが存在するのよ。」
いつものやりとりだ。言われてしぶしぶ紙束に目を向ける。
近隣に訪れるいかにも趣味が悪そうなフリークサーカス、魔術と科学の混合燃料を蒸気機関車に導入する話。はたまた大量の不審死が一面を飾り、飛び散る血痕と映る死体の腕の写真からは記者のしたり顔が目に浮かぶ。
もういいだろうと少し目を上げると不満そうな少女の瞳と視線が合う。
…?普段ならここらで満足してコーヒーを入れ始める頃合いだと思っていたが、何かしただろうか。
「サーカス。」
「それがどうかしたか?」
「行きたいの。そこでアンドレ・アグレルが演奏するんですって。」
今度はこちらが眉間に皺を寄せる番だった。フリークサーカス、新聞広告を見る限りいつも通りの、健常者の愉しみと呼ぶには余りに不健全・常軌を逸した催し。名前に聞き覚えはないが、そこに訪れる演奏者なぞ、どうせ碌なものではないだろう。乗り気でないのを察したのか少女は演奏者の説明を始めた。
「AAはね、すごい演奏者なんだって。とにかく綺麗な演奏で、聞く人皆の魂を抜くみたいに魅了するらしいの。」
「随分抽象的だな。」
「当然よ。聞いた人が次々に死んでいくんだもの。噂しか残らない。」
一呼吸おいて、彼女は告げた。
「『悪魔の腕』かもしれないわ。」
説明するのは少し億劫だが、話が少し前になる。
事故で妻と、彼女のお腹の子供を死なせた自分は、子供を産むために研究を始めた。一医者として死んだ人間を作ろうとする同業者は多くいた。事故が起こるまでは馬鹿らしいと思っていたがいざその場に立つと人間はどんなものにも縋りたくなる。
人間を作るというバカげた創造を始めたのだ。妻の胎から娘の肉片を取り出し蒸留器にいれて密封した。毎日手首から血を注ぎ、人肌程度に温めてひたすら語りかけ続けた。娘の肉片で失敗すれば妻の物を、それが駄目なら自分の物を、これが駄目なら家畜を切り開き、水気を失った妻をすり鉢で粉末にした。
もう何をしているのか自分でも分からなくなってきて、ふと気付いた。伸びた爪、視界を遮るだらりと垂れ下る髪の毛。浮き出る骨格。時間が足りない。
手に取ったのは黒魔術が記された書だった。子供を産むのにとにかく時間が欲しくて、ナイフを右手に携えてひたすら床に左の手首を擦り付け続けた。死体が要るというから、部屋にある肉片を足で中央にかき集める。
記された文言を読み上げて、とにかく祈り続けた。
しばらくして、いや一瞬だったかもしれない。薄暗く光りはじめ影を示したそれに願った。
「俺を不老不死にしてくれ。」と。
代償に何より大切な物を頂戴すると告げた影に、俺にとって大切なものは妻であり、娘であったと、そう伝えれば影は死体を一瞥してからじっくりと頷いた。だが人間を不老不死には出来ないと、そこで悪魔-俺はそうだと思った-は自身の体を俺に渡すことで契約を遂行した。
目の前に映っていた影が水面に滴を垂らしたように歪み、姿を変える。現れたのは削りすぎた素人の石細工のような、かろうじて人だと判別したそれを自分だと認識するのに随分かかった。
「お前の魂を私の体に移す。私の体はすぐ代わりができる。私の目を見ろ。」
―
不老不死の体は便利だった。多少傷が付いてもすぐ治る。しばらくして体が欠損しても数日すれば新しいものに生え代わることに気付いた。確かにこれなら悪魔が代わりができるといったのも理解ができる。
治るのに気付けばあとは早かった。自分の心臓を用いて作成に取り掛かり、研究に当たって金銭が足りなくなれば街にでて事故で腕を失った者、戦争で失明したもの、事情を抱えた人間へ金と引き替えに体を臓器を貸し出した。
時が経ち、ようやく娘が産まれたのだ。
ようやく。最早時の概念を失った私ですらそう歓喜した。
「『悪魔の腕』かもしれないわ。」
娘は柔軟だが少し頑固だ。
自身の生い立ちを知っていた娘はどのように生まれたのかを聞きたがった。
多少の経緯は省きつつも、私が臓器や体を貸し出していたことを知った所で目を皿にして取り立てろというのであった。
それが先月、先々月、去年だったかもしれない。
それから彼女は新聞を取るようになり、奇怪な噂を耳にすればすぐに悪魔の身体かもしれないと私に外出をせびるのだった。
今までのは全て外れ、それはそうだ。私は別に目についた人間全てに臓器を貨したわけではない。
心臓と両の腕、脳の3つ。
それに貸した人間はとうに死んでいる。そもそも奇怪な現象なぞ起こる訳が無い。棺桶に詰められて土に葬られているのが関の山だと、そう思うのだが。
「俺は、お前とのんびり暮らしているだけでいいんだ。別に貸したものに執着する気はない。」
「嫌よ。だって…」
「?」
「人にものを貸したままなのは借りてる側もきまりが悪いしパパの臓器があちこちに転がってるのもなんだか気持ち悪いわ。踏んづけてたら嫌。」
「……わかった。行けばいいんだな、」
「そうよ!もう、ラッセルも面倒くさい人ね。いつもと同じやりとりじゃない。」
まぁ、日常だ。これもいつもと同じ日常となっているのだ。