第8話 ミュール
目的の女性までコーナーは2つ、距離にして300mを切った。
「クーリエさん、その女性ってどんな人なんです?」
俺は、入口が狭く出口が若干広がっている左コーナーをアウト側に膨らませながらクーリエに聞いた。
タイヤはしっかりと路面を掴かみ、立ち並ぶ木々を掠めるように走り抜ける。
「そうですね・・・名前はミュール、今年18歳になります。
両親に先立たれ、今は独り暮らしをしています。
見た目は、磨けば光ると言ったら良いでしょうか・・・素材は良いのですが、飾りっ気はないですね。
あまり積極的な性格ではないので、人と話しをするのは苦手ですね」
「未来視に出て来てから調べたんですか?」
「いえ、私はこの世界の人々の事なら大抵わかりますよ」
クーリエは何気なく答えたが、この世界では、文字通り神様に隠し事は出来ないらしい。
「では、ミュールさんの今の立ち位置は右側ですか?」
「このまま進めば、向かって左側ですね」
クーリエの答えに、俺は少し思案した。
今乗っているインプレッサは左ハンドルだ。
このままでは、助けに行ったところで乗せるのは困難だ。
「了解です・・・ちょっと奥の手を使います」
「奥の手ですか?」
「えぇ、Hシフトの車だからこそ出来る奥の手ですよ!」
俺は、最後になる右の高速コーナーを抜け、70m程先に3人の人影が照らし出されるのを確認して車を停め、エンジンを吹かした。
〜ミュール視点〜
今、私の目の前には剣を振り上げる2人の男が立っている。
このまま剣を振り下ろされたら、私は確実に死ぬだろう。
長時間走り続けたため、脚は棒のようになり、恐怖も相まって立ち上がる事さえ出来ない。
(お父さん、お母さん、ごめんなさい・・・今から私もそちらに行きます)
私は目を瞑り、覚悟を決め、今までの自分の生涯を振り返る。
思えば、私の人生は実につまらないものだった。
見た目は地味だし、人を前にすると緊張して目を合わせる事すら出来ない。
私だって女の子だ・・・素敵な出会いに憧れたし、人並みに恋愛感情はある。
だが、性格が災いして浮いた話は一切無かった。
(もし生まれ変われるなら、今度はちゃんと恋愛したいな・・・)
私が覚悟を決め、目を閉じてから数秒、私はまだ生きている。
殺すなら早くして欲しいものだ。
私は恐る恐る目を開け、前髪の隙間から目の前の男達を見る。
すると、男達は周囲をキョロキョロと見渡して挙動不振になっていた。
(どうしたんだろう・・・?)
私はそこである事に気が付いた。
音が聞こえるのだ。
山の上の方から、獣の唸り声の様な、叫び声の様な、今まで聞いたことのない音だった。
「何だこの音は!?獣の唸り声か!!?」
「わからん!こんな声で鳴く獣なんて、今まで見た事も聞いた事も無いぞ!!」
男達は音を警戒し、再度周囲を見渡す。
音は徐々に大きくなり、私達に近づいている。
私達は固唾を呑み、山頂から繋がる道を見る。
すると、音がカーブに差し掛かると同時に、道の奥の木が照らし出され、とうとう音の主が姿を現した。
「何なんだあれは・・・」
「まさか、封印されていた神魔大戦の獣が目覚めたのか!?」
「そんな馬鹿な話があるか!封印が解けるのは、少なくともまだ何百年も先だって話だろうが!!」
男達は慌てふためく。
私はあまりの恐怖に声も出ない。
完全に腰が抜け、動く事すら出来ない状態だ。
昔、この世界には2人の神様が居た。
この世界は男神と女神の2人の神によって統治されていたのだが、700年前、男神が闇に落ちて悪神と化し、自らの生み出した獣達を引き連れて人間を滅ぼさんとしたのだ。
女神は人間と共に立ち上がり、闇に落ちた男神と魔獣を相手に壮絶な戦いを繰り広げ、何とか封印するに至ったらしい。
私達の前に現れた音の主は、話に聞く魔獣然とした姿をしている。
煌々と光を灯す6つの目、巨大な体躯を地面にうずくまる様に低くし、人の恐怖心を煽る身の毛もよだつ程の咆哮。
今、6つ目の獣は私達3人を見据え、威嚇する様に何度も唸り声を上げている。
「あれが魔獣じゃなけりゃ何だって言うんだ!!」
「俺に聞かれても分からねえよ!!」
男達は完全にパニックを起こしている。
すると、6つ目の獣は一際大きく吼えると、こちらに向かって凄まじい速度で走り始めた。
砂利を撒き散らし、左右に躰を振り回しながら加速する。
だが、その直後、魔獣は急に反転した。
私達は、魔獣が去ってくれるのかと安堵した・・・だが、そうでは無かった。
反転した魔獣の背中と思しき場所には、爛々と真っ赤に輝く2つの目があったのだ。
赤い色は警戒色だ。
赤は血や火などから、危険を連想させる色だ。
私達は顔面蒼白になり、すくみ上った。
そんな私達を嘲笑うかの様に、魔獣は雄叫びを上げながら、そのままこちらに向かって走ってくる。
(斬り殺されると思ったら、まさか魔獣に襲われて死ぬなんて・・・私って本当についてない!)
魔獣が私達を食い殺さんとの目の前まで迫り、急停止する。
「た、助けてくれ・・・!」
「まだ死にたく無い!!」
私を殺そうとしていた男達は、あまりの恐怖に錯乱し、その場にうずくまっている。
「乗れ!」
私が死への恐怖に怯えていると、魔獣が人の言葉を発した。
「えっ?」
「奴等が怯えてる今の内に逃げるぞ!!」
私が呆けていると、魔獣はさらに私に話しかけてきた。
私は目を開けて魔獣を見て驚いた。
魔獣の中には人が乗っていて、私に向かって手を差し出していたのだ。
「早く!!」
「は、はいっ!!」
私は魔獣に乗った人間に怒鳴られ、慌てて差し出された手を取った。
「きゃっ!」
強引に引き込まれた私は、そのまま魔獣の中に座らされると、扉の様な物が閉まって閉じ込められてしまった。
「クーリエさん、ミュールさんにシートベルトとヘルメットを!!」
「解りました!ちょっと我慢してくださいね?」
魔獣に乗っていたのは男性だった。
男性はクーリエと呼ばれた何者かに指示を出し、魔獣を再度走らせる。
「えっ、何!?」
「あまり動かないでください!うまく装着出来ません!!」
私は身体を弄られる感触に驚き身動いだが、女性の声に怒られてしまった。
「君の命を守るためなんだ・・・少しだけ我慢してくれないか?」
男性は後ろを見ながら私に優しく話しかけてくる。
「よし、出来ました!!」
「ミュールさん、左手で右側にある取っ手を掴んで!右手は頭の上にある取っ手を!!」
女性の声を聞いた男性は、私を振り向いて指示を出す。
「えっ?こ、こうですか?」
何が何だか状況が理解出来ていない私は、ただ男性の指示に従った。
「揺れるから舌を噛まないでよ!!」
男性が叫ぶと、私の身体が真後ろに引っ張られた。
そしてその直後、今度は放り出されそうな勢いで右側に引っ張られる。
私は、あまりに急な動きに魔獣の体内に頭を打つけてしまった。
「いたた・・・!何なんですかいったい!?」
私は打つけた頭をさすりながら顔を上げ、目が丸くなった。
目の前には山道が広がっていたのだ。
(あれ?私、魔獣に飲み込まれたんじゃ・・・)
夜の山道は、何故か真昼の様に明るく照らし出され、周囲の景色が凄まじい速度で流れていく。
「何?どう言うこと!?」
「説明は後で!まずはこのまま山を下ります!!」
状況を飲み込めない私が男性に尋ねると、男性は私の質問を流し、それと同時にさらに魔獣が加速した。
目の前に壁のように立ち並ぶ木々が迫る。
私はあまりの速度に恐怖し、泣き叫んだ・・・地獄の第2ラウンドが開始したのだ。