第4話 アクシデント
ミーティング後、俺は菅野や他のメカニックと共にマシンの最終チェックを行うことにした。
昨夜の時点であらかた整備は済ませていたため、ほとんどやる事は無かったのだが、念を入れておくに越したことは無い。
マシンをジャッキアップし、足廻りなどを確認すると、昨夜とはセッティングが異なる部分が見つかった。
そんな事が出来るのは母しかいない。
昨日、俺がコースの映像を確認している時、母もそれを観ていた。
母ら現役を退いて長いとは言え、元は女伊達らにワークスチームのメカニックをしていた。
映像を観て、コースに適したセッティングに調整してくれたのだろう。
「お前のお袋さんは流石だな・・・やる事無くなったじゃねーか」
菅野はボンネットを閉めて苦笑する。
「劣化したのは見た目だけって事だな!」
「お前、それをお袋さんの前で言う勇気はあるか?」
「居ないから言ってんだよ・・・面と向かって言ったらレンチでボコられる」
「だよな・・・お袋さん怒ると怖いもんな!」
俺と菅野の会話を聞いた他のメカニック達は困ったように笑っている。
「お前のお袋さん、うちで働いてくれないかな?給料は弾むぞ?
正直、お前は時間にはルーズだが、走りの腕は確かだ。
お前が勝ってくれるおかげでショップの宣伝効果は抜群だし、客も増えてかなり利益は出ている。
お袋さんがその気なら、俺は幾らでも出すぞ?」
机の前でパソコンとにらめっこをしていた社長が、そのままの姿勢で聞いてきた。
「いやぁ、無理じゃないですかね?父さんの件があってから、こう言った仕事は避けてましたから・・・。
それに、俺は嫌ですよ!母さんと一緒に働いたら、家だけじゃなく職場でもどやされますからね!!」
「良い事じゃないか?そうすれば、お前も少しは余裕を持って行動するんじゃないか?」
パソコンの画面を観ながらニヤニヤと呟く社長に、俺は何も言い返せなかった・・・。
菅野達はそんな俺を見て笑いを堪えている。
「さてと、そろそろ時間だ!昴、気合い入れていけよ!?ただ、少しでも危険だと思ったら攻め過ぎるなよ?引く事も大事だ!お前が背負ってるのは、お前の命だけじゃない!その事を絶対に忘れるな!!」
時計を見ると、あと少しで開始の時刻だった。
社長は椅子から立ち上がり、俺の目の前まで来ると、いつも通りの言葉を掛けてくる。
モータースポーツは1人で走るものではない。
チームのメンバーを始め、支えてくれる多くの人達が居る。
ただ、ラリーが他のモータースポーツと違うところは、マシンに乗るのが2人と言う点だ。
ステアリングを握るドライバーと、路面状況やコースのナビをしてくれるコドライバーだ。
ドライバーは2人分の命を背負って限界ギリギリの走りをしなければいけない。
ドライバーとコドライバーは一連托生、互いの信頼が無ければ成り立たない。
俺の走りを信じてくれる頼もしいパートナーのためにも、危険な走りは避けなければいけない。
俺は社長の言葉に改めて気を引き締めた。
「うす!いつも通り楽しんで来ます!」
「よし!じゃあ行ってこい!!」
俺は社長を始め、菅野や他のメンバーに背中を叩かれて愛車に乗り込む。
「昴、今日も期待してるぞ!社長はああ言ったが、俺の事は気にせずガンガン飛ばしていけ!」
俺がシートベルトを締めていると、ナビシートに30代中頃の細身の男が乗り込み、声をかけてきた。
コドライバーを務める中城 秀樹だ。
「秀さん、今日もよろしくお願いします!まぁ、お互い生きて帰りましょう!」
「ははは、その辺は心配してねぇよ!お前の走りなら、俺は寝てても良いくらいだからな!!」
「いやいや、寝たら社長にどやされますよ!もし何かあったとしても、秀さんだけは無事に帰しますよ・・・」
中城には、小学5年生と2歳の子供がいる。
俺がミスをして中城に何かあれば、2人の子供に俺と同じ思いをさせてしまう。
そんな事は絶対にあってはならない。
たがらこそ、俺は真面目に答えた。
「ありがとな・・・だが、今は走りに集中してくれ。
今回は、お前にとっても大事なラリーだ・・・俺は何が何でもお前をフォローする」
「秀さんのナビは的確ですから安心して走れますよ!では、お互い頑張りましょう!!」
俺は中城と固く握手を交わし、仲間が見守る中マシンをゆっくりと走らせ、前走車の後ろにつける。
俺が走るのは6番目、最初の走者がスタートしてから約5分後のスタートだ。
俺は自分の番が回ってくるまでの間、目を瞑ってはやる気持ちを落ち着かせた。
「昴、そろそろだぞ」
俺が目を瞑っていると、中城が声を掛けてきた。
「もうそんな時間でしたか・・・」
「あぁ」
前走車がスタートしたのを確認し、俺はステアリングを握り締め、係員の誘導に従いながらスタートラインにつく。
「1分後にはスタートだが、お前の予想通り雨は降るかな?」
「どうでしょう・・・雲は出てきましが、まだ降りそうにないですね」
俺は空を見ながら答える。
雨が降りそうではあるが、自分の走行中に降るかは判らない。
出走順が早かったため、今履かせているタイヤは通常のグラベル用のタイヤだ。
小雨であれば良いが、本降りになれば不利になる。
「降らない事を祈るしかないな・・」
中城が小さく呟くと同時にスタートの合図が出され、俺はインプレッサを勢い良く走らせた。
「right3 and left4 narrow!!」
インプレッサのボクサーエンジンの音に掻き消されない程の声で中城が的確に指示を出す。
マイク無しでも聴き取れる程の声量だ。
俺達がスタートしてから、大小合わせて100を超えるコーナーを抜けた。
入口が狭く出口が広い場所、アウトを維持する場所、イン側に障害物が無くカット出来る場所、出口のアウト側に岩がある場所など、1人では覚えきれないほど多種多様な数のコーナーだ。
だが、それでもまだ全体の半分も走っていない。
「jump!!」
中城の声の後すぐにマシンが宙を舞う。
スピードの載った状態で丘を越え、マシンが飛んだのだ。
落下中、短時間だが無重力を味わえる。
「やっぱり宙を舞う感覚は最高だな!!」
俺は走行中なのも忘れてテンションがあがる。
「流石はフライング・フィンの血が流れてるだけあるな!!何度経験してもこの感覚は最高だ!!」
中城も指示の合間に笑いながら叫ぶ。
だが、そんな俺達を嘲笑うかの様に、フロントガラスにいくつもの小さな雫が降り注いできた。
「嘘だろ・・・」
「なんだってこんな時に!!」
俺達は驚愕した。
正直、タイム的にはかなり余裕がある。
今日の俺は自分でも驚くほどにノッている。
今までで一番の走りをしている自信がある。
このままのペースなら、確実にトップタイムをだせるだろう。
だが、それは乾燥した路面であればの話だ。
「昴、本降りになる前に少しでも稼ぐぞ!!」
「了解です!!」
俺は中城の指示に従い、今まで以上に集中してマシンを操作する。
雨の状況を確認しつつ、少しでもタイムを縮めるためにアクセルを踏む。
そして10分程経った頃、小さな雫は大きくなり、フロントガラスを打ち付けるほどになってしまった。
「秀さん、ペースを落とします!」
「諦めるな!あと少しでフィニッシュだ!!」
「でも・・・このままでは危険です!」
「せっかくのチャンスなんだぞ!諦めるのか!?」
中城はペースノートを確認しつつ叫んだが、俺が折れないのを見て溜息をつく。
「わかった・・・次また頑張ろう」
中城が渋々と頷くのを確認し、俺は左コーナーを曲がりながらペースを落とす。
すると、視界の隅に何かが転がっているのが目に入った。
「マジかよ!?」
俺の叫びに中城が顔を上げ、転がっている物を見て愕然とする。
「昴、避けろ!!」
転がっていたのは人の胴体程もある岩だった。
雨によって地盤が緩み、崖の壁面から落ちてきたのだろう。
俺は岩を回避するべく、すぐさまステアリングをきった。
だが、岩は回避出来たものの、ぬかるんだ地面にタイヤが滑り、マシンは崖に向かう。
「秀さん、掴まってください!!」
俺が叫ぶと同時にマシンが崖に乗り上げる。
ペースを落としていたとは言え、まだスピードの載っていた車体は軽々と宙を舞う。
凄まじい衝撃と共に目に映る風景が逆さまになり、車体は路面を二転三転しながら、なおも勢いが止まらずに転がり続ける。
俺と中城の叫びは、車体の衝撃音で掻き消される。
俺は上下左右に揺れ、割れたフロントガラスから見える物に死を覚悟した。
そこには、立ち並ぶ樹が見えたのだ。
車体は転がりながらも樹に向かう。
このままではぶつかり、俺も中城も助からないだろう。
だが、この状況では何も出来るはずがない。
俺は力一杯目を瞑り、心の中で謝った。
『母さん、秀さん、皆んな・・・ごめん・・・』