第3話 ミーティング
玄関を出て車庫に回ると、暗がりの中、1人の男がローダーの横にしゃがんでタバコを吸っていた。
「よう、朝早くからすまなかったな」
俺が片手を上げて挨拶をすると、その男は携帯灰皿でタバコを消し、こちらを見る。
「ふぁっ・・・そう思うなら早くインプを載せるぞ。仕方ない理由があったとは言え、皆んな一昨日から現地入りしてるってのに暢気なもんだなお前は・・・。」
欠伸をしながら愚痴をこぼした男の名は菅野 尚人、俺とは同い年だが、高校を卒業してから働いていたため、職場では先輩にあたる。
だが、俺と菅野の付き合いはそれ以前からある。
俺が大学に通っていた頃、夜の峠で何度となく競った相手だ。
走り屋としての腕は上の下だったが、自分のマシンを知り尽くし、若い割りに堅実な走りをする男だった。
彼が乗っている車は三菱のランサーエボリューションⅥ。
俺のインプレッサにとってはライバルになる車だ。
彼がホームにしている峠にインプレッサに乗った走り屋が現れたと聞いて、いてもたってもいられなくなったらしく、俺に絡んできたのが彼との出会いだ。
最初こそ彼は俺に対してライバル意識を持ち、何度となくバトルを挑んできたが、俺はその度に彼を敗かし、しばらくすると彼は俺とのバトルをしなくなった。
これ以上敗けつづけたら自信を無くすとボヤいた彼は、スッキリした顔をしていたのを覚えている。
それからは一緒に連むようになり、車談義に花を咲かせ、彼の働いているショップを紹介してもらい、今では同じ職場の同僚だ。
彼は三菱車をこよなく愛しているが、ショップでは俺のインプレッサのチーフメカニックをしてくれている。
彼は、俺がプロのラリーストを目指す事を話すと「自分の腕では一緒に走れないが、メカニックとしてならお前を支えられる」と言い、率先してマシンのメンテナンスをしてくれるようになった。
今の彼の夢はワークスチームのメカニックだ。
願わくば、俺がプロになれたなら、彼と共に世界で戦いたい・・・心からそう思える大事な友人だ。
「ぼさっとすんなよ昴!早くしないと遅れるぞ!」
「あぁ、ごめんごめん。ちょっと昔の事を思い出しててさ・・・今シャッターを開けるよ」
「頼むからしっかりしてくれよ?まだ物思いに耽るような歳じゃねぇだろ?」
俺は彼のボヤきを笑って流し、シャッターを開け、ローダーからワイヤーを伸ばしてインプレッサのフロントバンパーの下に取り付け、サイドブレーキを解除する。
俺のインプレッサはマフラーを替えているため、音がうるさくて近所迷惑になってしまうのだ。
菅野は俺がワイヤーをセットしたのを確認し、ローダーのウインチを作動させる。
インプレッサはゆっくりと動き出し、ローダーに引き上げられて行く。
「昴、後ろ固定してくれ」
「了解・・・よし、大丈夫だ!」
俺達はインプレッサを固定し、ローダーに乗り込む。
会場までは菅野の運転だ。
「安全運転で頼むぞ?会場に着く前に事故なんて縁起の悪い事はよしてくれよ?」
「安心しろ、そんなミスはしねえよ!お前は黙って隣で寝てろ!」
俺が寝るまでの間、俺達はしばらく会話をしながらローダーを走らせた。
「おい、着いたぞ!起きろ昴!」
俺が気持ち良く寝ていると、菅野が俺の頭を叩いて起こしてきた。
「ん・・・もう着いたのか?結構早かったな・・・」
「早くねぇよ・・・お前が寝てから1時間半は経ってるからジャストだよ!お前は緊張感のカケラも無えな、そんなんで大丈夫なのか!?」
「寝起きなんだから怒鳴るなよ・・・心配しなくても大丈夫だよ。ガチガチに緊張してるよりはマシだろ?」
俺達がローダーから降りると、少し離れた場所に設置してあったテントから中年男性が歩いてくるのが見えた。
「お前等、測ったように時間通りだな・・・日本人なら15分前行動を心がけろよ」
中年男性不機嫌そうに俺達に話しかける。
「あ、社長おはようございます」
「おはようございます社長、すみません・・・こいつがもたついてて・・・」
俺と菅野は、社長である中年男性、但馬 吾郎に頭を下げて挨拶する。
「だと思ったよ!昴、お前は毎回毎回同じ事を言わせんな!大事な時位早めの行動が出来ねえのか!?」
俺は寝起きで社長にどやされた・・・。
「まぁ良い・・・早くインプレッサ降ろしてこっち来い!ミーティング始めるぞ!」
俺と菅野は素早くインプレッサを降ろし、テントの中に運んだ。
「昴、毎回懲りねぇなお前は・・・」
「こいつが予定の時間より早く来たら嵐が来ますよ」
俺がテントに入ると、先輩達が呆れたように声を掛けてくる。
「いやぁ、申し訳ない・・・どうも早めの行動が苦手で」
俺が頭を掻きながら謝ると、全員が揃ってため息をついた。
「時間も無いし始めるぞ!」
社長の声を聞き、その場の雰囲気が引き締まる。
「昴、コースは頭に入ってるか?今回、お前は実際に試走していない・・・正直、これはかなり不利になる」
全員の視線が俺に集中する。
俺は、本来ならば一昨日の時点で現地入りしている筈だった。
だが、先日父方の祖父母が急に日本を訪れ、昨日まで家に滞在していたのだ・・・。
ラリーにおいて、試走は重要なものだ。
ラリーはコースを周回するレースとは違い、交通を閉鎖した道路でタイムトライアルを行うスペシャルステージと呼ばれる区間が設けられる。
その総延長は数百kmに及ぶこともあり、ドライバーがコースの路面状況を暗記する事はほぼ不可能だ。
だからこそ、ラリーでは本番前の試走とペースノートの作成が認められている。
俺は昨日、祖父母を空港に送った後、自宅のパソコンでSkypeを通じてコースの下見をし、打ち合わせをしながら急いでペースノートの作成をした。
自信が無い訳ではないが、やはり不安はある。
「まぁ何とかしますよ・・・。それより、今日の天気はどんな感じです?」
俺は肩を竦めて答え、テントの外を見た。
今の所空は晴れている。
「こっちの天気予報では今日一日晴れにはなっていたが・・・お前はどう思う?」
社長は携帯の天気予報を見ながら俺に問いかける。
俺の勘はよく当たる。
まぁ、実際には勘では無いのだが・・・。
俺が大学に通っていた時、地方から来ていた友人が、雨が降るかどうかの予想をしていたのだが、それが驚く程の的中率を誇っていた。
俺が興味本位でコツを聞き、言われた通りにやってみると、怖いくらいに当たった。
「たぶん降ります・・・何時位かは判りませんが、晴れの日とは空気が違いますから」
「わかった・・・いつ降っても良いようにタイヤは準備しておこう。お前の予想は面白いくらいに当たるからな!こう言う仕事やってると、お前の予想はありがたい!」
社長は豪快に笑って頷いている。
ラリーの勝敗を左右する要因は色々とあるが、俺はその中でもタイヤこそが重要だと思っている。
どんなに早いタイムで走ろうとも、タイヤ選びを間違えてしまえば全てが無駄になる事もある。
ラリーは舗装路、未舗装路を走るが、雨や雪など状況によってタイヤを換えなければいけない。
ワークスチームなどは、大型トラック一杯に色々な種類のタイヤを用意して参戦する。
ラリーにおいてタイヤとは、それ程重要な存在なのだ。
「昴、最後にお前から何か一言ないか?」
「えっ、俺ですか?」
「お前以外に昴は居ないだろ・・・今回で最後かもしれないんだから何か言え」
俺はいきなり無茶振りされて周りを見渡す。
皆んなはニヤニヤと笑いながら俺が口を開くのを待っている。
「えっと・・・どうなるかは判りませんが、勝ちに行くつもりです。お世話になった皆んなの期待に応えられるように頑張りますんでよろしくお願いします・・・って痛い!?何すんの!!?」
俺が照れながら呟くと、菅野に背中を叩かれた。
「何縮こまってんだ?お前だけでやるんじゃねえだろ?皆んなで勝つんだ!マシンは任せろ!お前は安心して走れば良いんだよ!!」
菅野に触発されたのか、俺は皆んなに背中を叩かれた。
皆んなの顔から硬さが抜け、いつも通りの空気に変わり、俺はそれを頼もしく感じた。