揺れる金天秤:帝国領 第五幕 聖女召喚 7 「量刑」
アナトリーに先導され、システナ大聖堂に到着したフォシュニーオ翁は、聖堂の警備兵が止める間もなく中へ入っていった。 歩みを進める彼らに、助祭や司祭が慌てて駆け寄る。
「黒い塊じゃな、邪魔じゃ」
フォシュニーオ翁の手が横に振られるだけで、彼らはその場に昏倒する。 どうでもいい者に対しフォシュニーオ翁は、ぞんざいに相手をする。 なまじ攻撃されても、何の痛痒も無い。 当たり前だ、彼は金龍であり、この世界の三大賢人の内の一人なのだ。 彼に比肩する者は僅かに二人しかいない。
歩みを進めると、強固な防壁を備えた扉の前に出た。
「このうち側が召喚の間で御座います」
「うむ。 アナトリー大儀であった。 下がっておれ。 中に入るのでな」
「はい・・・あの・・・」
「なんじゃ?」
「マニューエは・・・マニューエで居られますでしょうか?」
「わからん・・・しかし、連れて帰るぞ」
「はい・・・」
フォシュニーオ翁の力が強大でも、この強固な結界を破るには時間が掛かる筈。アナトリーは彼が言うままに後ろに下がった。 フォシュニーオ翁は、ちらりとヴァイスを見る。 すべてを心得ているかのうようにヴァイスは扉の前に行く。 ちらりと扉を一瞥し、腰の刀に手をのせると、一閃。 たったそれだけだった。 アナトリーは声も出なかった。 教会の多重重防御障壁は王城のそれと同等かそれ以上と噂されている。 それがたった一閃で扉ごと上下に分断され崩れ落ちている。
「脆いですな、これでは障害にもなりませぬ」
「うむ、行くぞ」
「御意」
六龍とヴァイスを引き連れ、召喚の間にフォシュニーオ翁は入っていった。彼らの背中を見ながら、アナトリーは深々と頭を下げる。 ”どうか、マニューエを無事に・・・” 小さな祈りでは有ったが、真摯な祈りでもあった。 彼女の周りに光の精霊が舞い、”大丈夫”と囁いている。 その声はアナトリーには聞こえない。 彼女は只一心に祈っていた。
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教皇ルーブランは混乱していた。未だかつてこんな状況に陥った事がなかった。 用意した依代が召喚魔方陣に吸い込まれていったのだ。 慌てる枢機卿達に魔方陣を確認するように命じる。 エセラオエ上級司教が魔方陣に手をついたと同時に後ろの壁に叩きつけられた。
「何事か!」
「結界が張られています。 魔方陣全体に。 我らには未知の結界です。 魔方陣に近づけません!」
上級大司教の言葉に教皇ルーブランの混乱は焦りに変わる。 「神」の怒りを買ったかもしれない。 マニューエと云う供物がお気に召さず、お怒りになっているのかもしれない。 その想いが口にでる。
「使えん聖女候補だ! 「神」がお怒りになっているでは無いか!」
キンキンとした声が召喚の間に響く。突然魔方陣が明るく輝き始めた。 それまでの青白い光でなく、薄緑色に色が変化している。 ぼんやりとした光が徐々に強くなる。 外輪が高速で廻り始めた。
「何事か!」
「魔方陣のマジカが逆流を始めているかと・・・こ、これは!」
魔方陣の輝きを見詰めていたバヌアン大司教はその輝きをかつて見た事があった。 マニューエの使う呪印の輝きと同じ色だった。 精霊魔法使いの使う呪印は個人の特徴的な色があった。 加護を頂いている精霊の色とも云う。 一人として同じ色は無い。 教会が使用している魔方陣は巨大でもある為、幾人もの魔術師が床に彫り込んだ魔方陣にマジカを流す為、青白い光となっていた。 それが、マニューエの色に置き換わると云う事は、この魔方陣の制御権がマニューエに移ったと云う事に他ならない。
”そんなバカな・・・”
あり得ない現象だった。 大魔方陣を一人で書き出す事など出来はしない。また、長い時を掛けて描き出したとしても、其処に注ぎ込むマジカは個人では無理だ。 さらに、他人が、それも多人数が描き出している大魔方陣の制御を奪う事など不可能なはずだ。 バヌアンは目の前の事実に恐怖した。背筋に冷たい汗の流れが幾本も流れ落ちるのを感じた。
高速で回る外輪から内輪に薄緑色のマジカが流れ、内輪も回り始める。軽やかに、力強く。少しづつ、大魔方陣が浮かび上がる。 薄緑色のマジカの奔流が大魔方陣を大きく回す。 教皇と枢機卿、それと大司祭、二十二人が固唾を飲んでその情景を見ていた。
キン!
浮き上がった大魔方陣が中心部に吸い寄せられるように集まる。 眩い光が部屋を埋め、収束する。 中心にマニューエが白いローブと聖女の杖を持って膝を付いていた。
「おお、戻ったか! 聖女!」
床に幾本も亀裂が走り、魔方陣はズタズタに切り裂かれていたが、また時間さえ掛ければ補修できる。今はマニューエが戻った事が重要だった。 「神」が異界の魂を彼女の中に入れ、聖女として成立出来さえすればよかった。 そう、彼女が何であれ、聖女ならば。 教皇ルーブランは戻ったマニューエをもっとよく見ようと一歩踏み出した。
「下がれ、痴れ者!」
マニューエの口から怒気と一緒に言葉がでた。 一瞬何を言っているのか判らなかった教皇は、その言葉の意味に気が付くと、怒りに震えた。 絶対権威者の自分に痴れ者と叫ぶこの娘に純粋に怒りを感じた。 更に一歩を進めようとしたが、一歩も進めない。それどころか、指先一本も動かせない。教皇ルーブランは、咄嗟に足元を見ると、其処に「拘束呪印」が広がっているのを見た。
「教皇ルーブラン=エイダス=アルトマー 森のエルフにして異界の神を崇めるもの。 貴女の罪を量刑いたします」
マニューエの美しいそして、荘厳な声が召喚の間に響く。その内容に更に怒りを覚え、感情のままに教皇ルーブランは、叫ぶように言った。
「小娘! お前は何を言っているのだ!」
「発言を許した覚えはありません。 光の精霊神様より ”断罪”の 【権限】を頂きました。 抗弁は聞きません 『音封』」
高速で「音封」の呪印の描き出し当てた。教皇ルーブランを含め、此処にいる二十二人の高位聖職者の口が封じられた。ルーブランだけではなく、全ての者が「拘束呪印」を施されている。だれも動くことも、喋る事すらできなかった。ゆっくりと立ち上がるマニューエ。 そこにフォシュニーオ翁が入って来た。
「マニューエ! 大事ないか?」
「お師匠様! マニューエは平気です。 異界の神に此方に干渉してきていた御使いを処分してもらいました。 もう、此方に干渉できません」
「そうか・・・ん? お前、何やらもらったようじゃな」
「はい。 でも、今はその話は出来ません。 まずは、この人たちの ”断罪”です」
もごもご動く二十二人の神官たちに一瞥をくれるマニューエ。 おもむろに、彼らに向き直ると、光の精霊神より賜った【権限】を行使し始めた。
「先ず、教会について。 異界の御使いを信奉し、この世界に要らぬ混乱を生じさせた事。 また、異界の御使いを召喚する為、この世界の魂を取引材料とした事。 誠に許しがたい。 金天秤の均衡を狂わすどころか、金天秤自体を破壊するところでした。 教皇、申し開きは?」
マニューエは、ルーブランのみ「音封」の印呪を解く。
「異界の御使いだと! 神に何という不遜! 断罪に値する!」
「異界の御使い、名をバーンと云う。間違いないな」
「聖名を軽々しく口にするな!」
「バーンの主神より、彼の者はその任を解かれ、聖名を抹消され、冥界に封じられた。 もはや貴方達の”神”とやらはこの世界に来ない」
「なに!」
「召喚大魔方陣については、意図的に精霊神様の聖名を抜いていた事を確認している。 精霊神様とこの世界に対する裏切り行為。 貴方達には、ほとほとあきれ返る」
「あれは、森のエルフ族の秘儀だ」
「そう、だから、森のエルフ族も精霊様達の加護が無い。 いずれ消滅する」
「いずれ消滅するのは知っている。 だから私は、この世界に私たちの世界を作ろうと・・・」
「そして、世界を亡ぼすのか?」
冷たく言い放つ、マニューエに、二の句が継げなくなった教皇。
「それでも尚、「神」とやらに信仰を捧げるのならば、致し方ありません。 その眼で自分達が得ようとした土地を見るべきです。この世界の真理を体感するべきです」
彼らの理想と現実の差は余りに大きく、白亜の聖堂の中からは絶対に伺い知れない。 マニューエは、”他人の血によって成される成果の果実だけを食べようとする”その思想に反吐が出そうだった。冷たい視線に、微塵も容赦の光も無かった。
「お師匠様」
「なんじゃ?」
「お願いが有ります」
「何じゃろうか」
「此処にいる神官共を、マスターの元に飛ばします。 私は先ほどまで「精霊界」に居たため、マジカ残量が少なくなりすぎました。 お力お借りできますでしょうか?」
「良いぞ。 幸い、此処には六龍もおる。 どれ、掃除でもしようぞ。 送り先は?」
「はい、北の大陸中央平原、副王領 『隔離収容施設アルカドロス』です」
「うむ、わかった。 者共、判ったな」
無言で頷く六龍。 ヴァイスは油断なく周りを伺っている。 六龍は各自で長距離転移門の呪印を組み始める。 その数は二十二。 この部屋に居る高位聖職者すべての者達への制裁であった。
「な、何をする。我は教会の最高指導者、教皇であるぞ、無礼であろう!」
騒ぎ立てる教皇ルーブランの足元にも、長距離転移門の呪印が描き出されていく。 枢機卿たちから、「音封」の呪印がフォシュニーオ翁によって剥ぎ取られた。 呪印同士の干渉を防ぐ為だった。枢機卿達、高位神官の絶叫と命乞いの ”不協和音” が召喚の間に響き渡る。さらっと、その絶叫を無視し、彼らが長距離転移門へ沈み込む姿を、冷たい目でマニューエは見ていた。
最後に、教皇が残った。
「教皇ルーブラン。 人族は貴女の為の道具では無いのです。 この世界に息づく大切な命なのです。 この言葉をよく覚えておいてください」
足元から長距離転移門に飲み込まれつつある彼女にそう冷たく言い渡すと、くるりと踵を返した。 恨みの籠った視線をマニューエに投げつけ、怨嗟の言葉を紡ぎ出しながら、ルーブランは長距離転移門に消えていった。
「終わりました・・・お師匠様・・・有難うございました・・・」
気を張っていたマニューエの膝から力が抜けた。 崩れ落ちるようにその場にへたり込む。 ヴァイスがサッと手で支え、彼女が倒れ込むのを止めた。
「ヴァイス様、有難うございます。 少し、疲れました」
「そうであろう・・・よく頑張ったな。 しかし、ポーター殿も無茶をさせる!」
憤慨しているのがよくわかるが、そんなヴァイスの頬に手を差し伸べ、マニューエは優しく微笑んだ。
「これで、マスターは認めてくださるかしら?」
「もちろんだとも。 さぁ、少し休みましょう。 龍塞に戻りましょう。 よき茶が手に入りました」
「ありがとう」
ヴァイスがマニューエを抱き上げ、フォシュニーオ翁の元に向かう。 召喚の間は薄暗くなって割れた床が廃墟を思わせた。




