揺れる金天秤:帝国領 第五幕 聖女召喚 6 「召喚」
その日は、朝から霜が降りていた。 聖堂薬草園もひっそりとしている。 草花も刈り取られ寒々とした園内をマニューエは歩いていた。 純白のローブを身に着け、手には一本の杖。 杖には聖女の印とされる宝珠と其れを守るように翼を模った彫刻が取り付けられていた。
「では、エルフィン様、セルシオ様、行ってまいります」
「お・・お気を付けて」
「必ず、帰ってこい。 待っている」
二人に華やかで、透き通った笑みを投げかけ、マニューエは薬草園を後にした。 行先はシステナ大聖堂召喚の間。 其処に「教会」の教皇を含む重鎮たち二十人程が待っている。
今日は夜が一番長い日 そう聖女召喚の儀が行われる日だった。
聖堂に向かうマニューエ。 聖堂正面より入る為、一度大通りまで出る。 冬の寒い朝、素足が石畳の上を滑るように動く。 心を沈め、何ものも恐れぬ凜とした表情で歩みを進める。 大通りに出ると、一人の令嬢が駆け寄って来た。
「マニューエ!」
ルルだった。 泣きはらしたであろう目を彼女に向けている。
「ルル様、逢えてよかった」
「うううう」
「泣かないでください。私はマニューエです。今までも、これからも」
「うううう、だって・・・マニューエ・・・」
「仲良くしてくださいって本当にありがとうございました。私は幸せでしたよ」
「マニューエ・・・」
「お体お気を付けて、ルル様。それでは、ごきげんよう」
朝まだ早い聖堂のに続く道、彼女以外に人影はない。ルルはその場に座り込み、両手で顔を覆い誰憚る事無く泣きくれた。ルルはマニューエの笑顔を覆った掌に描き出し、何時までも其れを見ながら涙した。
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神聖アートランド帝国 帝都 多重重防御結界によって護られし、人族の都。 一角に帝国学院の象牙の塔が聳え建つ。 冬の寒い朝、その建物に魔法警報が大音響で鳴り響いた。 定時では無い予定外の転移門の生成が確認されたからだった。
場所は 帝国学院最高顧問居室
大魔方陣が虚空から現れ、床に定着する。 その瞬間を見た者は居ないが、隣接する書記官詰所から駆けつけた者が見たものは、巨大な転移門とそこから次々と沁みだすように出現する最高顧問の姿だった。 慌てて学園長に連絡を入れる。 その時、学園長はアナトリーと面談中だった。 慌てて駆けつけた書記官は、アナトリーが居る事も無視し、学園長に報告した。
「学園長! 最高顧問が! いらっしゃいました!!」
「なに? 誠か!」
権威に置いて彼らの右に出る者はいない。たとえ皇帝でもその席を譲らねば成らない人々だった。 慣例では最高顧問が来る前に先触れが有り、十分な迎賓の準備が整えられる。しかし、今回は違った。何の前触れもなくいきなりだった。 学園長はアナトリーの事すら忘れ去り、最高顧問居室に向かう。 アナトリーは少し逡巡したのち、学園長の後を追った。
学園長が見た光景は、未だかつて経験した事の無いものだった。 いつも出現する最高顧問は一人きりだった。しかし、いま彼の目の前に居るのは六人。 その六人が頭を垂れて誰かを待っている。 最高顧問が頭を立てる相手? 訳が判らなかった。 転移門が震えている。 巨大ともいえるマジカの奔流が転移門に溢れかえり、一人の美丈夫が出現した。 つかつかと歩みを進め、最高顧問たちの列に並び、同じく頭を垂れる。 さらに転移門が震えた。 黄金色の光が周囲を圧倒し、最高顧問居室が光に包まれる。
「なんだ?このシミは?」
フォシュニーオ翁が開口一番そう言った。
「例の「神」とやらの残滓で御座いましょう」
ヴァイスが応える。
「ふん、まぁいい。 おい、此処の責任者」
フォシュニーオ翁の言葉に学園長が震えた。圧倒的な存在感。 其処に居るだけで圧迫されそうな存在感をもつ最高顧問の何倍もの圧力を感じる。さらに、ヴァイスと呼ばれた美丈夫が途轍もない威圧感でこちらを見ている。射竦められ身動きが取れない。
「はっ・・はい」
「お前が此処の責任者か。 我が愛弟子マニューエは何処に居る。 ど阿呆共の処か?」
立ち竦み、押しつぶされそうな威圧感の前に、何も答えられずにいると、美丈夫が言葉を発した。
「頭が高いぞ、最高位魔術師フォシュニーオ=プロポショル様の御前である。 返答は如何に」
膝が崩れ落ちるように学園長はその場に平伏した。 声が出なかった。 威圧感に殺気が乗っている。崇拝の対象で有るミトロージアの至宝方が、何故これ程までにお怒りに成り、此処へいらしたのか判らなかった。 床に頭をつきガタガタ震える彼の後ろから澄んだ声がした。
「発言のお許しを」
「うむ、許す」
「わたしくは、アナトリー=アポストル=キノドンダスと申します。 先ほど、最高位魔術師フォシュニーオ=プロポショル様のお尋ねに成られた マニューエ=ドゥ=ルーチェ様の行く先を知っております」
「うむ、申せ」
「システナ大聖堂 召喚の間に御座います。 ただ、彼女は今、世界の均衡を護る為の戦に出ておられますので、お会いに成るのは難しいかと」
「よい。 傍に居る。 我が愛弟子が必要とあらば手を貸す為に来た。 六龍もそのつもりでおる。 ・・・お前、アナトリーと云ったか」
「はい、左様でございます」
「お前の父親も見る目が無いの」
「誠に・・・」
「精進せよ」
「有り難きお言葉」
「先導せよ。 久方ぶりで判らぬ」
「御意に」
アナトリーは蒼白になった顔で、殺気を孕んだヴァイスと、少々面白がっているフォシュニーオ翁、および六龍を先導し、システナ大聖堂へ向かう。 後に残された学園長は虚脱感と恐怖で立ち上がれなかった。書記官は気絶していた。”なんと、胆力のある方か・・・未来の御妃様であり、国母様は・・・” 学園長は、アナトリーの毅然とした姿に感動しつつも、腰が抜けたようにそこを動けなくなってしまった。
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召喚の間には教皇を含む上級大司教、上級司教、大司教合わせて二十二人が一心に召喚の大魔方陣にマジカを注ぎ込んでいる。 あらかた起動準備は整っているが、まだ、起動には足りない。 後はマニューエ自身のマジカが必要になる。 暗い召喚の間の床に大魔方陣が青白い光を放っている。 ゆっくりと外輪が回り、起動準備が整いそうなのが判る。
「マニューエ=ドゥ=ルーチェ 入室します」
連絡係の司教が彼女を伴って召喚の間にやって来た。 白いローブに身を包み、聖女の杖を持ったマニューエはとても美しかった。教皇は彼女に一瞥を与えたのち、召喚の儀の開始を告げる。
「此処に聖女を召喚する。 神の威光を我らに。 マニューエ、魔方陣にマジカを注げ」
権威を声にした教皇ルーブランの声に従い、マニューエは魔方陣の中心に立った。 聖女の杖を高く掲げ、宝珠を魔方陣の一点に落とす。 ゆっくりと回っていた外輪が徐々に早く周りはじめ、魔方陣の起動準備が完成していく。 回っている外輪から内輪に強く光るマジカの青白い光が走り、内輪が回り始める。
魔方陣全体が強く発光し始め、薄暗い部屋を明るく照らし出した。 教皇ルーブランは違和感を感じ始めた。前回召喚をした時は、このような経緯を経ていない。 セルシオが魔方陣に入った途端に終了したはずだった。 眩い光に目がくらみそうになっている。 何かがおかしいと思い始めた時、拡散していた光が、マニューエに向かって収束した。 そして、
彼女が消えた。
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マニューエは召喚の間に入った時に感じた。 この魔方陣は狂っていると。 必要な駆動式が足りない。 それも、基幹部分に明らかに欠損がある。 そう、この魔方陣は、精霊神にその存在を秘匿したまま術式を駆動させるために用意された物。 此処に至って、マニューエは怒りを覚えた。 世界に反逆する者達に。 教皇ルーブランの言葉を待って魔方陣の中心に立つ。 マジカを注げと云われ、云われた通りにする振りをして、魔方陣を書き換えた。 本来ある部分を書き足し、駆動式に変更を加える。 精霊魔法師にとっては造作も無い簡単な事。 周囲の神官共は全く気が付いていない。 更に、高位精霊召喚呪印を組込む。
術式発動前、光の精霊神に祈りを捧げる。 この召喚術をもって、「神」の存在をこの世から異界に押し戻し二度と来られない様願った。全駆動式が回転を始め、術式にマジカを送り、光が部屋を包む。 そして、光は一気に彼女に収束した。
彼女は精霊界に召喚された。
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上下左右の感覚があいまいだった。 自分を自分として認識できている間はいいが、そう出来なくなったら、消えてしまいそうだった。 虹色に歪む視界。 対象物が全くない。 辛うじて自分が自分でいられると思う。 マニューエは混沌に浮かんでいた。
「よく伝えてくれました。 さすがはタケトが見込んだ者です」
声の主は、直ぐ側にいた。 眩い光を放ち、存在は判るが形は判らない。
「光の精霊神様ですね。 お会いできて光栄です」
「そうね。 こうやってお話出来たのは初めてね」
「はい。 光の分銅として役割は受けました。 御意思も雰囲気で判るようになりましたが、完全ではありませんでした」
「これからは、声が届けられるわ。 大丈夫、貴女は強い。 私を受け入れられる」
「有り難き幸せ」
「そうね。 茨の道だけど、貴女にはタケトがいるから」
「はい!」
綻んだ大輪の花の様な笑顔に、光の精霊神は嬉しく思った。 タケトと、この世界との関りを強くするための方策を闇の精霊神と話し合っていた時の事を思い出していた。
”そう、大切な人がこの世界に居ればいい”
その結論に達したが、それがいかに難しい事かも理解していた。 タケトと同じ時間を歩める者など居ないからだった。 しかし、闇の精霊神の持つ呪印精霊が突破口になった。 ”時の精霊” 悠久の時を刻む精霊神二柱にしても使い処の難しい精霊。 これをタケトに渡す。 ある種の賭けのようなものだった。 彼の時間を吸い取る事すら出来る。 タケトが自分自身に使用して、全てを投げ出す事も考えられた。 タケト以上の金の分銅はもう二度と手に入らないと思っていた精霊神二柱は、彼が決断した「時の精霊」の使い方に安堵した。 結果、タケトはこの世界に大切な者が出来た。 その大切な者こそ、彼女、『ユラ』=マニューエ=ドゥ=ルーチェだった。
精霊界の一端に綻びが生じる。 異界との接点だった。
「なんだ? いつもと違うぞ?」
異界の神は不遜にそう言い放った。光の精霊神はマニューエに入り、それを見た。 半獣神だった。片手に魂をぶら下げている。 その魂は泣き叫んで、全力でこの状況を拒否しているが、その半獣神は意にも貸さない。
「お前は誰だ」
「俺はバーン。 呼び出されてきた。 女の魂をもってな」
「誰の許しを得た」
「許し? なんだそれ?」
「此処はお前の居る世界では無いぞ」
「知ったこっちゃねぇな」
「お前、御使いか・・・そうか、ならば主を呼ばねばならんな」
「なんだ? お前は」
「それこそ、お前の知るべき事では無い。 異界の神、此処にバーンなる者がいる。 上位大憲章により、召喚する」
聖女の杖で空間の一点を差し示す。 混沌の虹色の空間が大きく歪み、別の光が精霊界に召喚された。光は震えている。
「さて、異界の神よ、 上位大憲章はご存知か?」
「知っておる。 我が世界もその上位大憲章を守っておる」
「ならば、こ奴の行いは、大憲章違反なのは判っておろうな」
「う、うむ」
「大憲章の世界の神々に報告する。 これよりお前の世界は、誰も召喚できず、送還出来ない。 お前の世界はお前の世界で閉じる事になる」
「そ、それは・・・」
「違反者への罰則はしっておろう」
「此度の事は我はあずかり知らぬ」
「では、責はこのバーンとやらが一人で負うと? お前の御使いだろうが」
怒りの感情が、グングンと膨れ上がる、目の前の半獣神がワナワナと震えだす。上位神の怒りはそのまま御使いの消滅に繋がる。下手をすれば冥界に落とされ二度と光を見る事は無い。半獣神は持ってきた魂を放り出し、混沌の彼方へ消えた。
「主が主ならば御使いも御使いだな」
「・・・」
「おまえ判っているのだろうな」
「ええい、判っておる。 あ奴はもう我が眷属では無い。 聖名を剥奪し、冥界に落とす。 此処に持ってきた魂は全て回収する。 それでよいな」
「そうか、ならば、送還も出来ぬ不出来な我が民に変わり、お前にお前の民を返そう」
「・・・判った。 もらい受ける」
光の精霊神から輝点が四点離れ、異界の神に吸い込まれていった。
「我が民の愚かな召喚の儀を行った事は謝罪する」
「うむ・・・愚かな半獣神の所業、謝罪する」
「我が民が差し出した我が世界の力と魂の返還を要求する」
「心得ておる、全て差し戻す。 我の名において、今回の始末すべてアレが始めた時の状態まで」
「ならば、今後は互いに・・・」
「不干渉となす」
「宜しい。 大憲章に刻まれた」
「さらばだ」
「さらば」
虹色の混沌に歪みが生じ、異界の神は去っていった。 そして、残されたマニューエの体から光が離れる。
「ありがとう。 貴女が居てくれてよかった。 これで、歪は無くなりました。 これかもよろしくね」
「はぁはぁはぁ・・・有難うございました・・・」
荒い息を吐きながら、マニューエは精霊神に笑顔を向ける。その笑顔に頷くと彼女の一点の輝点を差し出した。 輝点は漂うようにマニューエに向かい、彼女に吸い込まれていった。 光の塊のような精霊神は、彼女に送還を告げる。
「精霊界は人が来るべきではない場所。 送還します。 この度の働き大変感謝しています。 よって、貴女に授けるものが有ります。 受け取って、世界の均衡に役立てて・・・では、また」
マニューエの姿が光に包まれ、霧散した。その様子を見て光の精霊神は満足げに頷いた。
”よき御子を光の分銅としてくれました。 タケト感謝です”




