揺れる金天秤:帝国領 第五幕 聖女召喚 2 「教会」
教皇ルーブランと枢機卿達が、システナ大聖堂の最深部の間で、聖女召喚の儀についての話し合っていた。聖堂の奥深く、何人も立ち入る事の許されない間は、強固な結界が張られ、枢機卿達が ”神聖不可侵” と位置付けている明るい空間だった。 よって、外部の者は中の様子を伺い知る事はおろか、近寄る事すら出来ない。
「あの少女の様子はどうか。 聖女候補として満足な”資質”を持っているのか?」
ルーブランは周囲の枢機卿に尋ねる。
「教皇様、あの少女のマジカ容量はかなりのものです。 十分に”供物”としての量は足りるかと」
「セルシオを超えると思われます、教皇様」
「また、深い信仰心も備えておりますゆえ、神の扉を開くにも問題は無いかと」
口々に質問に答える枢機卿達。 その答えに満足したのか、柔らかな笑顔を浮かべルーブランは大きく頷いた。 さらに、彼女は、現在只今のマニューエの様子を確認するため、その場に大司教バヌアン=フラールを呼び出した。
大司教バヌアンは突然の呼び出しに驚きながらも、喜びに包まれた。 教皇様の御心に叶う様、慎重に進めていた聖女がもうすぐ手に入る。 神の栄光を具現し、北の大地を取り戻す為に是非とも必要な”モノ” それが、「聖女」であった。 この偉業に依代として、召し出されるマニューエは、大変名誉な事だし、彼女もきっと喜んでいる筈であると、彼女は確信していた。
システナ大聖堂の。大司教バヌアンは教皇に呼び出された事に喜びを感じつつ、その場所に急いだ。最深部の間に入る事を許可されることは、大変名誉な事だとされているが、かなりの緊張感も伴う。 呼び出されたバヌアンは、精進潔斎の後、重防御結界が施されている重厚な扉を潜り抜け、入室した。
教皇を中心とした円卓の前に進み出て、大きく膝を折り、頭を垂れる。
「バヌアン=フラール、お召しにより参上いたしました」
「うむ、バヌアンよ、あの少女の現状を報告せよ。 聖名の下に嘘偽りなくな」
「ははっ。 あの少女、マニューエ=ドゥ=ルーチェは、現在帝国学院の保護下にあり、学院寮より聖堂薬草園に通っております。 貴族の爵位、及び、後ろ盾を持たぬため、学園の生徒達とは深い関りを持っておりません。 彼女の庶民としての立場は、とある貴族の子女を通じ、学園に認めさせております。 全生徒、学園関係者、貴族達に判るように、学園舞踏会にも去年に引き続いて今年も招待させませんでした。 なんでも、第二軍よりの通達も有ったそうでは有りますが・・・ 彼女は今、完全に学園の生徒達、および、貴族社会とは切り離せたと考えます」
「うむ、孤独に苛まれておるであろうな。 逃げ出したりせぬように監視はしておるのか」
「ははっ、 昼間は聖堂薬草園にてエルフィン=サザーラント、セルシオ=オブライエンの両名が監視しております。」
「その他の時間は?」
「帝国国軍第二軍団より、要請があり日没前からは、彼らの施設での監視下に置かれます」
「何故だ? 第二軍は我が教会の威光が最も薄いはずでは?」
「昨年、セルシオ=オブライエンが第二王太子息女に危害を加えそうになった事が御座いました」
「あぁ、承知している。 その件でセルシオが教会預かりとなったわけだったな」
「はい、その通りでございます。 マニューエの監視の為に聖堂薬草園へ送り込んで、そこで、彼女と薬草園の再生をさせております。監視の強化という意味合いを含めてですが・・・それを第二軍は問題視しております。 かつての暴挙に関して、特別の関心をもって居るようです。セルシオと一緒に居ると云うだけで、彼らにとっては、重点監視対象とみなされております。 最大の理由は、今年から、第二王太子御息女セシリアが、帝国学園に入学しておりますゆえの処置かと」
「うむ・・・なるほど。 我らの監視により、より彼女を囲い込めたと云う訳か」
「御意に御座います」
教皇の顔にニヤリと笑みが浮かぶ。 ダメ押しの状況だった。 これで、確実に手に入ると確信した。もう一点、教皇の頭の中に不安要素がよぎる。 聖女召喚の儀に際し、マニューエがそうと知らずに、その場に召し出され、召喚の儀に否と拒絶した場合、神の降臨が叶わぬ場合がある筈だった。 力強きモノの意思は、術式を歪める。 彼女には是非とも召喚の儀に賛同してもらわねばならなかった。
「それで、彼女には聖女候補として召喚の儀に召し出す事は伝えてあるのか?」
一抹の不安を覚えた教皇ルーブランは、バヌアンに問いかける。 満面の笑みを湛え乍ら、バヌアンは答えた。
「学園長を通じ、すでに・・・従容と受け入れた由に御座います」
懸念事項は全て消えた。 後は召喚の儀に必要な大魔方陣を完成させ、教皇、枢機卿を含む、教会の重鎮たちのマジカを注ぎ込むだけだった。 巨大な魔方陣の形成と術式駆動は時間が掛かる。 ”その時”に合わせ、全てを調整する必要があり、失敗すればまた幾年も待たねばならない。 今次大戦の結果、現在の魔人族はもう抗う力はない筈だった。 今こそ、北の大陸に ”神の神威” を、広げるまたとないチャンスだと教皇は考えていた。
(世界は神の真意を持つ”我ら”によって統治されるべきである。)
教皇ルーブランは確信を持ってそう断言していた。 自分達【森のエルフ族】こそ”至高の存在”なのだ”と。
「うむ、よし。 ならば、我等も最後の準備をせねばな。 枢機卿、貴卿等の「力」借り受けるぞ。召喚の間を形成し、神の助力を乞う。 準備は長夜の日までの終える事。 供物は依代マニューエ=ドゥ=ルーチェ 。 聖女を降臨させ其れを押し立てて、再度北の大陸を制する。 神の御心のままに!」
「「「神の御心のままに!!」」」
枢機卿達は一様に頷き、席を立った。 バヌアンもまた、部屋を去り、教皇ルーブランが一人部屋に残る。
”エルフ族の中でも最も尊い我らが、世界をすべて治めるのだ。 教会が神の神威をもって、全世界に君臨するのだ。平和な世界の実現の為に、矮小な人族など、我らに治められるべきであり、その世界ももうすぐ手に入る。 人族の聖女をコントロールし、彼女を救世の聖女となす。 押し立てて、北の大陸を制し、その後は教会が隔離してしまえば、問題は何もない。 我等森のエルフ族の礎として遇してやろう”
教皇は一人聖堂最深部の部屋でその端正な顔にどことなく卑しい”笑み”を浮かべていた。
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「マニューエ・・・あの話は本当なのか?」
「あの話とは、なんのお話でしょうか?」
第二軍近衛騎士の正装を着て、仮面を外し、ゴードイン卿の部屋で一時の休息を得ていたマニューエに彼が尋ねた。渋い顔をしたゴードン卿。 話の出来処は帝国学園長からだった。 マニューエは現在、日没前から深夜まで第二軍で監視すると云う名目で、この施設に来てもらっている。 セシリアの夜会や御茶会の護衛をするために、彼女からの提案だった。
この提案には二重の意味で利点が有った。 マニューエが人前に出なくていい理由付けと、セシリアの護衛がスムーズに執り行われる事だった。 しかし、学園長から直々にゴードイン卿に苦情が入っている。曰く、
「彼女、マニューエ=ドゥ=ルーチェは、教会から【聖女候補】として正式に決定された。 聖女召喚の儀の依代としての役目を仰せつかってしまった。 学園は止める事が出来ない。 昼間は聖堂薬草園で、教会の監視下に置かれ、夜は第二軍施設での監視下に置かれている。 彼女は大変従順にその事を受け入れているが、学園は・・・いや、私が受け入れがたい。 年頃の娘御にあまりな境遇である。 ついては、彼女にも夜会等に出席してもらいたい。 少しでも・・・ほんの少しでも彼女の心の慰めになるように」
ゴードイン卿に対し、異例とも言うべき嘆願だった。 ゴードイン卿としても、この話を聞いて、何もせずにはいられない。 まず、マニューエにこの事を正しく聞かなければと、考えた。
「ええ、聖女召喚の儀で、聖女の依代となるように言われました。 確かですよ」
「・・・マニューエ殿は・・・それで、よろしいのか?」
「まだ、聖女になると決まったわけでは御座いませんし、彼方が拒否する事もあると聞き及びます」
「し、しかし・・・」
「そんな事より、セシリア様の明日の予定ですが・・・」
「そ、そんな事って」
「いけませんか?」
「貴方の事なんですよ!」
「そうですね。 しかし、その場に成ってみないと判らない事に思い悩むのは無駄ですね」
「む・・・無駄・・・あ、貴女と言う人は・・・ 歴戦の戦士よりも・・・」
「バカなんですよ。 私には主がおりますゆえ」
「・・・そ、そうか・・・」
「お気になさらないで下さいまし。 私は、私です。 何人も私を侵すことは出来ません。たとえそれが”神”と呼ばれる者だろうと」
艶然と微笑むマニューエ。 その笑顔に壮絶な意思と強大な力を垣間見るゴードイン卿。 ”もはや、何も言うまい。 この少女は全てを受け容れ、何かを成そうと茨の道を歩んでいるようだ” ゴードイン卿の口から溜息が漏れ、そして、毅然と彼女を見た。
「マニューエ嬢。 もし、お手伝いの必要が有れば、何時いかなる時もお呼び下さい。 第二軍全軍を持ってお助けいたします」
「有難き幸せ。 そうならない様に努力いたします」
ゆっくりと頭を下げる彼女の姿を、ゴードイン卿はその生涯を閉じるその時まで忘れる事は無かった。




