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揺れる金天秤:帝国領 第四幕 迷いの森のセルシオ

 虚ろになったセルシオの認識の外側から、急に声が掛けられた。


「魂の無駄遣いですね。 精霊様の加護が吹き飛んでいますよ」


 薄銀色の髪が揺れている。 薄緑色の瞳がセルシオを覗き込むように見ている。 意識が彼女に向いた。マニューエだと認識した時、顔に嫌悪が走る。 ”俺から全てを奪った男と同じ名を持つ者” その認識が彼の口に冷たい言葉を浮かび上がらせる。


「ほっといてくれと云わなかったか?」

「あぁ、無理です。 手伝いとは言え、此処ではポーションを作っています。 セルシオさんの黒いマジカは邪魔なんです。 そんな”陰気”まき散らさないでください。 精霊様達の加護が台無しになります」

「精霊? 俺には「神」が付いていて、光の精霊神と云えども逆らえないのだぞ!」


 冷たいセルシオの声に、マニューエもまた、冷たく答える。


「馬鹿ですか、貴方は。 ならば、何故貴方から光の精霊神様の加護が消えたのですか? その偉い「神様」とやらは、精霊様に何も出来なかったんですか? 加護が消えるなんてよほどの事をしなければ起こりませんよ。 それに、あなたは、あなた自身に光の精霊様の加護が有ったと思っているようですけど、それは、間違いです。それはあくまで『勇者』についていた加護。貴方には最初から光の精霊の加護など無かったのですよ」


 精神的に殴りつけられたような気がしたセルシオ。ポカンと口を開けてマニューエを見た。そして、合点がいった。 ぼんやりとはわかっていた。 召喚された魂を受け入れさせらる前は、精霊の加護など感じられなかった。勇者の魂を受け入れ、勇者のメダルを付けた時に初めて感じた力のうねりだった。


 ” そうか、あれは、自分の力では無かったんだ。 あの男に殴りつけられた時、自分が勇者ではなくなったと思っていた。 違う、違う、違うんだ。 勇者の地位を剥奪されたのではなく、魂を分けられたのだ。元の孤児院出の子供に戻っただけだったんだ ”


 と、理解したとたん、口から出たのは乾いた笑い。”俺は、一体何だったんだ?”自分を自分として定義していたものが全て瓦解した。 そんなセルシオを哀れみの目で見ていたマニューエ。 


 なんの希望も無いのなら、このまま精神的に崩壊していても問題ない。自己崩壊を始めている自我を放置すると廃人の出来上がりだ。生きる気力も無くなり、生きながら腐り果てる。しかし、と思うマニューエ。このまま彼を廃人にしてしまえば、エルフィンもまた同じ道を歩むかもしれない。そうなれば、光の精霊神様のご依頼には答えられない。光の分銅としては大変不名誉な事になる。マスターも喜ばないと思う。


 仕方なく、本当に仕方なく、マニューエは、「探索の目」でセルシオを見てみる。


「えっ」と、驚きの声をあげた。微かでは有ったが、彼にも精霊の加護があった。とても大切な人族の中では希少ともいえる加護があった。 与えていたのは「樹の精霊」。 もう一つ彼には特殊技能がその魂に付加されている「緑の手」。 もし、樹の精霊の加護が強く、この特殊技能が発動できれば彼は途轍もなく有用な人材にとなる。 植物に対してはほぼ精霊と同等の力を発揮できるのだ。


 彼一人が存在するだけで、精霊召喚魔方陣も常に注ぎ続けなければならないマジカも要らない。内包する力を伸ばしさえすれば、どんな高位薬剤師にも負けないポーションの作り手に成れる。 これには驚いた。 そして、光の精霊神にお伺いを立てる。”この者を手助けするべきか”と。 


 マニューエの耳元で涼やかな鈴の音が響く。 光の精霊神様は、彼の役割を知っていたようだった。 冷たい目をしたまま、マニューエはセルシオに言う。


「先ほど、魂の無駄遣いと云いましたね」

「・・・」

「生まれ落ちて、この世界に生を受けた人族は、何かしらの役割を持っていると、聞いたことはありませんか?」

「・・・」

「貴方にも多分あったはずです。 その役割を知るには、真摯に精霊様の御意思を計らねばなりませんが・・・」

「・・・」


 マニューエは薄ら笑いを浮かべながら虚空を見ているセルシオに、苛立ちを感じた。


「エルフィンさんの役に立とうとは思わないんですね。 あの人も一緒何だと思ってるんですね。 はぁ・・・ほんとに無様」


 馬鹿にされた事と、エルフィンの名が出た事で、セルシオの微かに残っていた感情が揺らめく。


「ぶ、無様・・・た、確かにな・・・エルフィンは・・・違うのか?」

「違いますよ。 あの方、この冬ここで一生懸命自分の力を見つけようと、苦しまれました。幸い学園からの良い指針もありましたから、やっと迷い道から出られたようですね」

「な、何が・・・何があった?」

「ええ、高品質回復薬ハイキュアポーションを作り出されましたよ。ここの薬草を使って」


 セルシオの知らないエルフィンがいるらしい。彼女の得意魔法は「回復」系魔法。決して生産系の魔法が得意では無かったはず。 そういえば、薬草園が良くなっていると聞いた様な気がした。


「あとは、貴方の目でお確かめなさい。 ただし、薬草園には入らないでください。 貴女の黒いマジカは本当に迷惑なんです。 私は今日はこれで帰ります。 エルフィンさんとよく話し合ってください」


 マニューエは、そう言って踵を返した。 心配そうにこちらを伺っていたエルフィンを戸口近くで見つけ、軽く会釈した。


「あの方は、かなり混乱されていますね。 よく話し合ってください。 お願いが有ります。「薬草園」には足を踏み入れないでください。 せっかく生まれ変わろうとしている畑が、ボロボロになりますから」

「・・・ええ、わかっているわ。 よく注意して見てるから」

「宜しくお願いします。 早いですが、今日はこれでお暇させて頂きます」

「・・・ええ。 ・・・あ、明日も、来てもらえるのかしら?」

「ええ、来ますよ」

「・・・そう、よかった」

「それでは、ごきげんよう」

「えっ、ええ、ごきげんよう」


 マニューエの後姿を見送った後、聖女の館に入る。 打ちひしがれたセルシオが居る。 セルシオの視線が、エルフィンを捉えた。色々と話し合わなけらばと、彼女は思う。”私たちはどこかで道を大きく間違えたような気がする。私は、私の事を見つめ直した。セルシオにもそうして欲しい” そう、彼女は思い、セルシオの視線を正面から受け止めた。 長い話し合いが始まった。


 *************


 翌日、昨日と同じような暗い目をしたセルシオがマニューエを出迎えた。 辺りに巻き散らかされていた”陰気”は、かなり減少している。


「おはようございます。セルシオさん」

「ああ、おはよう」

「エルフィンさんは?」

「まだ、眠っている。 と、云うよりさっき寝た」

「・・・そうですか」

「お前に話がある」

「何でしょうか?」


 セルシオは昨日エルフィンと話し合った内容を思い出しながら、訥々と話し始めた。エルフィンが感じていた違和感について。自分が感じている「神」がこの世界の「神」では無いのではないかと云う疑惑。そして、精霊の加護と祝福について。マニューエに尋ね始めた。 


 マニューエには、どれもが明白な事実で説明できる事柄。出来るだけ丁寧にそして、”断定的に”話し始めた。その話のどれもが、「教会」の教義にとっては異端と云えるものであった。セルシオは息をのむ。彼の疑問は「教会」に対する反逆でもあった。それを、聖堂薬物園の手伝いをしている、一介の学園の生徒があっさりと言ってのける。 それも、「教会」の施設の中で。


「お前は・・・信者では無いのか?」

「何に対しての信者ですか? 私が祈るのはいつも精霊神様だけですよ?」


 疑問に疑問で返すマニューエ。揺らぎのない彼女の薄緑色の目。一瞬、助祭たちに報告しようかと頭をよぎった。彼が下男として此処へ遣って来た理由は、なにも薬草園の手伝いをするためではない。薬草園を手伝う学園の生徒の監視を命じられていた。


 ”「教会」に役立つ者かどうか報告せよ”


 助祭に言われてた言葉だった。 目の前にいる少女の真っ直ぐな目と、自分を蔑む助祭達の目。 セルシオの心の中にエルフィンと同じ”何かに対抗する反抗心の様な動き”が芽生えた。心に巣食う得体のしれないモノに対する嫌悪感。あまりにも真っ直ぐに見つめて来るマニューエ。 セルシオの迷いが徐々に方向性を持ちだし、収束する。 


「なぁ、お前、俺に何かできる事は無いか? エルフィンの手伝いで出来る事は無いか?」


 ぶっきら棒だが、彼の言葉に嘘は無かった。 マニューエの耳元に鈴の音が響く。セルシオに笑顔を見せる。


「私は、マニューエと云います。セルシオさん」

「・・・すまん。 マニューエ」

「はい。 出来る事は有りますが、まずは掃除からですね」

「お、おう。何処を掃除するんだ?」

「何を言っているんです?貴方自身の掃除ですよ」


 そう言って、地面に呪印を紡ぎ出す。 「清浄」の呪印。 呪印の外輪が緑色に発光する。魔方陣の中央に立つように、マニューエはセルシオに言う。


「俺は・・何を・・・するんだ?」

「別に、何も。 ただ綺麗にするだけですから」


 呪印が回り始める。 セルシオの体の中に巣食う黒々としたマジカの塊が、光の粒になり昇華を始める。全身から金色の光の粒を吐き出して、黒いマジカの塊が消え去っていく。驚きに目を見開くセルシオ。倦怠感が消え失せていく。やがて、光の粒が虚空に消え、呪印の発光が収まる。


「はい、終了です。 薬草園のお手伝い、おねがいしますね」

「あ、あぁ わかった。 ・・・いったい何が?」

「いずれ判りますよ。 何が出来るのか、ご自分で探ってくださいね。 きっと、楽しくなってきますから」


 にこやかに微笑みながら、セルシオにそういうマニューエ。 運搬袋から一丁の鍬を出し、セルシオに渡す。鍬とマニューエの顔を交互に見てから、彼は笑みを浮かべ、鍬を受け取る。


「どこから始める?」

「あそこの、荒れている処から。 地の精霊様に感謝を捧げ乍らね」

「おう。任せておけ」


 そう言って、セルシオは示された場所に向かう。 精霊が楽しそうに舞っている事を、彼はまだ知らない。 そう ”まだ” 知らない。  


 ”お手伝いは、この位でいいですよね。 あとは、あの人の人品に任せましょうか”


 マニューエの耳元で鈴の音がする。 精霊は見守るが、導きはしない。 人の無限の可能性は、その人が向かい合う為のものだと、マニューエは思う。 何を感じ、何を見出すかは本人次第。出来ればセルシオの心に平安が訪れる事をマニューエは祈った。






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