断章 魔王 その1
魔王のお話。
副王エリダヌス=エイブルトン侯爵は、王都ラルカーンの大議事堂に伺候していた。 大議事堂のは、魔王のほかに、文官を務める魔族、武官を務める魔族が一堂に会し、彼らは、エイブルトン卿の報告を食い入るように聞いていた。魔王は、人族合従連合軍との戦に魔王本領のかなりの兵力を出兵させており、副王エイブルトン卿がその総指揮を受け持っていたからだった。
激しい兵力の損耗に、エイブルトン卿は、幾度も魔王に兵士や指揮官の派遣を願い出たため、魔王本領の兵力はやせ細っていた。辺境の監視所に常駐すべき兵すら、中央線戦に送り出していた。
そう言えば、大議事堂に会する重臣達の面々は、文官が、武官よりはるかに多かった。魔人族の人的資源は確実に底を尽き始めていた。そんな中、エイブルトン卿が、戦況が好転したという朗報をもって王都ラルカーンに戻ってきたのだ。重臣達は、彼の中央戦線と東部方面の戦況についての報告を真摯に聞いていた。
「・・・以上が、中央、東方戦線の戦況です。 概算で一年以内で人族はこの”北の大陸”より駆逐出来ると愚考いたします、陛下」
大議事堂の中に歓喜が溢れた。”これで、一息つける。やっと戦が中断する”、と。
しかし、エイブルトン卿の本当の目的は、この戦況報告では無かった。先日、王都ラルカーンで有ったとされる、異変についてだった。
先日、前線で捕虜にした”人族の男”が話した内容の確認がしたかった。
人族の男が話した、噂話の内容は、エイブルトン卿に強い衝撃を与え、魔王軍上層部に知れると、彼の下に忠誠を誓う言葉が集まり始めたのだった。
”人族の男”の語った内容、それは、
『魔王、討たれる』
だった。
人族にとって「朗報」ともいうべきその情報が駆け巡った時、危ういバランスで保たれていた人族の団結に綻びが生じた。浮足立った人族の軍勢に対し、魔王軍は戦線各所でを人族合従連合軍を突き崩し、現在、魔王軍はかなりの優勢といってよい。北の大陸から、人族を駆逐する日も近いと思われた。
しかし、彼がその情報を手にした直ぐ後に王都より、秘話通信が届いていた。
曰く
”勇者、警備の薄い本領南側より少人数で侵入。四侯爵、および、魔王と対峙。 勇者達、陛下の傀儡を破りし後、撤退。陛下、および四侯爵は無傷”
と。
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「陛下、お話があります」
歓声で湧き上がっている大議事堂に、エイブルトン卿の声が響いた。
「うむ、申して見よ」
階の上段にある玉座に座す魔王。両脇には魔人大神官長と、四候が一人ポリエフ=ノクターナル=バァイフ侯爵が侍していた。玉座と彼の間には、天上から緞帳が下げられ、顔を隠している。エイブルトン卿の耳には、壮年の力強い声が響いた。
「先日の勇者来襲の事でございます。あれは、どの様な・・」
エイブルトン卿がすべて言い終わらないうちに、魔王が応え始めた。
「その事か。南方境界地帯、”妖魔ケ森”の監視所が手薄になって、その隙を突かれた。相手は勇者とはいえわずかに八名。四候と共に磨り潰すつもりで、館に出向いた。 出立前に後に残る文官、武官共に事後を託し、万が一、我が倒れた場合、エイブルトン卿に魔王の座を継承せよと申し付けた。四候共と謀を巡らしたが、やはり勇者であった、四候は敢え無く撃退され、我が直接対峙した。 何故かは判らんが、勇者は我が傀儡を我と思い込み、傀儡を倒すと、彼等の地へと帰っていった。一人残してな。 きっと、我が力を恐れたのであろう!」
合理的な説明だった。綺麗にすべての事柄が合致している。
”しかし・・・”
と、エイブルトン卿は腑に落ちなかった。一堂に会した魔族達は、”人族の駆逐”と”魔王の勝利”に興奮し、歓声が大議事堂にこだましていた。
「エイブルトン卿よ、もう少し詳しく戦況を知りたい。居室に来い」
魔王はそう言うと、玉座を立った。
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大議事堂から、真っ直ぐに伸びる回廊。 複雑な”呪印”を織り込ん深紅の絨毯の上をエイブルトン卿とバァイフ侯爵が歩いていた。意匠を凝らしたステンドグラスから光の矢が斜めに差し込んでいる。
「ポリエフ様・・・腑に落ちません」
「何がです?」
「陛下の行動です。磨り潰すにしては余りに寡兵。強固な守りが存在する王都ラルカーンで迎え撃つのならばわかりますが、何故あの館での迎撃を意図されたのか」
「陛下は・・・血を見るのがお嫌いなんです。 あの館であれば、最低限の被害で済むとおっしゃっておられました」
「リスクが高すぎます」
「陛下はこの迎撃案を出された時、私達四候におっしゃられました。 ”自分が死んでも、エイブルトン卿が居る、魔族は滅びない”と」
「買いかぶりですよ、ボリエフ様。私は、先代の魔王様には認められていなかった」
「それから、幾歳経ちましたでしょう。陛下はエイブルトン卿の事を、高く高く評価されておられます」
「しかし・・・」
二人の会話は魔王の居室に至るまで続いた。
回廊の一番奥に豪奢な扉が有った。屈強な衛士が二名扉を固めていた。二人が扉に近づくと、頭を垂れ扉を押し開いた。正面に玉座があり、魔王が座していた。威風堂々とした風格と周囲を圧倒する威厳に満ちた姿で虚空を見詰めていた。その姿を見たエイブルトン卿が呟くように言った。
「・・・傀儡だったのか・・・」
魔王の傀儡を見ていたエイブルトン卿に高く澄んだ女性の声が聞こえた。
「エリ!よく来た! 待っていたぞ」
開け放たれた隣室への入り口に、分厚い仮面を付けた魅惑的な肉体をした女性が現れ、そう言った。
「・・・陛下、参上いたしました」
エイブルトン卿は片膝を付き、胸に手を当てた騎士の最敬礼を女性に捧げた。