揺れる金天秤:帝国領 第三幕 告白 ゴードイン卿、ダコタ伯爵
舞踏会前後の話はひとまず終了です。
学園舞踏会の翌日から、学園寮は騒々しくなる。 生徒達の大多数が自分の屋敷に帰る為だった。 社交シーズンの幕開けとなる、学園舞踏会から、最後に王城で開催される帝国舞踏会までの間、帝国学園は夏休みに入る。 その間、夜会にお茶会に、活発な社交が行われ、各種の情報交換や婚姻の遣り取りが行われる。
そんな喧騒も、マニューエの居る寮の端の端は無縁でいられた。 学園舞踏会から自室に帰り着けたのは、もう夜も開ける寸前だった。 着替えるのやっとな感じで、彼女はベットに倒れ込んだ。
「マスター、私・・・、マスターに会いたい。マスターと一緒に居たい。まだ、力が足りませんか?」
睡魔が彼女を捉える前、彼女の口から出た言葉は、愛しい人への言葉だった。
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マニューエはセシリアの護衛を完璧に執り行い、彼女とエリザベートを屋敷まで護衛した。引き留められたが、丁重に屋敷を辞し、報告の為に騎士団詰所まで戻ると、バカ騒ぎしている騎士団の面々に捕まってしまった。
「さすがルーチェ卿だ!」
「ダンスまで完璧なんて!」
「だれか!ワインをケースで持って来い!」
騒々しくも、皆、彼女を誇らしく思っていてくれている。 何度か手合わせした騎士達も、その中にいて我が事の様に喜んでくれている。
「な、凄いだろう! 俺の言った通りだろ! 素手で剣を叩き折るんだぞ! お前出来るか?!」
もう、酔っ払いばかりになっている。 上を下への大騒ぎだった。 ”それもこれも、あのバカ王太子のお陰だ”と、マニューエは思っていた。”セルシオ第五王太子が、あそこまで暴挙に出なければ、こんなに目立つことも無かったのに”と、静かに怒りを貯めていた。
「ルーチェ卿、此処は煩い。 此方へ来られては如何かな?」
そう言って、彼女をその喧騒から連れ出して呉れたのは、ゴードイン卿と、後ろに立っていたダコタ伯爵だった。軽く頷くと、彼らに従い、ゴードイン卿の執務室へ向かった。
「今日は、誠に有難う。 セシリア殿も、エリザベート様もご満足いただけただろう。 ラアマーン殿下にも顔向けができる。ついては、この夏の間、継続して護衛を頼むと、エリザベート妃殿下より請願が来ている。夏の間だけだから、お願いしたい。」
本当に安心したように、しかし、申し訳なさそうに、ゴードイン卿がそう言うと、ダコタ伯爵も続けた。
「私からも、護衛の件は、お願いする。貴女にしか出来なさそうだ。 ・・・しかし、よく止める事が出来ましたな、あのバカ王太子の攻撃を。 ”さすがは”と、云いたいところだが・・・貴女は本当に何者か?」
神妙な顔で、ダコタ伯爵は聞いて来た。 ゴードイン卿の部屋に着いた。 扉を開け、中に入る。 ゴードイン卿が二人に椅子をすすめた。 素直に進めに応じるマニューエと、ダコタ伯爵。 ゴードイン卿は鍵付きの戸棚を開け、中からとっておきの蒸留酒を持ち出した。 グラスは三つ。
「ルーチェ卿も飲めるよな」
「嫌だとは言えませんよね」
「ええ、強要しますぞ」
「・・・無茶な方達だ・・・もう任務は解かれたと判断して良いですか?」
「任務中は飲み食いしない・・・か」
「ええ、この仮面、結構つらいんですよ」
「ふふふ・・・どうぞ。施錠したから、此処には三人しかおらんよ」
「有難うございます」
軽兜を脱ぎ、仮面を外すマニューエ。 汗だくで上気した顔が現れる。
「声も変える「呪印」入れていますから、なんだか、話し言葉まで変わってしまって・・・変な感じです」
マニューエのホッとした口調に苦笑いを浮かべる二人。蒸留酒の酒瓶からグラスに琥珀色の中身を注ぎ、マニューエとダコタ伯爵に手渡す。
「帝国の安寧に!」
「捧げられた命に!」
「金天秤の均衡に!」
三人はそれぞれの想いを乗せて、グラスの中身を口に運んだ。 カッと焼ける様な喉越しを感じるマニューエ。口の中に広がる豊かな風味。
「エバレット12・・・いや、15年物かな?」
驚きに目を見開くゴードイン卿
「何気に凄いな、貴女は」
「そうですか? いいお酒は、飲めば大体わかりますよ」
「・・・いやはや、まるで同年代の漢といる様な感覚になりますぞ」
「もう、それでいいですよ。 下手に女性とみられると、なんだか気恥ずかしくなりますしねぇ」
帝国近衛騎士団の第一種装備を付けたマニューエは豊かな体のラインをその装備の下に押し隠している為、一見普通の騎士の様に見える。ダコタ伯爵は遠い目をしたまま言葉を紡ぎ出した。
「こんな、平穏な気持ちになる事が出来るとは思わなかった。 帰還後は・・・忘れたい記憶ばかりだ。 しかし、こんな風に酒を飲むのは、北の大陸以来だな。 ところで、先程の質問だが答えてはくれないのだろうか」
「・・・お話出来る様な事は・・・只の十七歳の学園の生徒ではいけませんか?」
マニューエの目に申し訳なさそうな光が浮かぶ。 薄緑色の瞳はそれだけで吸い込まれそうになる。 艶やかな薄銀色の髪と相まって、美少女に見つめられたダコタ伯爵は、ちょっと心が痛んだ
「俺は詮索はしない。 マニューエが何者かのかは、この際どうだっていい。 彼女がこちら側に居てくれるだけでいいんだ」
ゴードイン卿がやや酔った瞳をダコタ伯爵に向ける。ややあって、ダコタ伯爵も頷いた。それでも一つだけ聞いておきたい事があった。
「貴女は、学園を卒業された後、騎士団へ入団されるのつもりはあるのでしょうか?」
過去は詮索しない。 が、未来ならばよいだろう? そんな問いかけが目の宿っている。マニューエはその瞳を真正面から受け、戸惑いながらも答える。
「ダコタ伯爵は、私の様な素性も判らぬ者が、栄誉ある騎士団の名簿に名を連ねる事に疑問は無いのでしょうか?」
「貴族の子弟は騎士団に仮入団し、私たちに鍛え抜かれる。落伍者も相当数いる。しかし、今でも、そんな厳しい訓練を潜り抜けた者達を教導してくれる君に、”資格”が無いとは思わない」
「ダコタ伯爵がおっしゃる事は事実です。 それに、貴方はもう騎士団名簿に名を連ねていますよ。 ”ルーチェ卿”としてね」
「・・・すみません。 ご厚意は大変ありがたいのです。 本当に皆様にはよくしてもらっています。 私も楽しいし、訓練にもなるし、良い事ばかりなのですが・・・やはり、無理です。 自分には誓った事が有ります。 それに、絶対に受け入れられない事情もあります・・・ご容赦・・」
「認めませんよ。私は。 貴女は帝国騎士団、第二軍団にとって、なくてはならない人になっている!」
久しぶりに感情の高ぶりを見せているダコタ伯爵。 赤く上気した顔を見て、マニューエの瞳が座った。
「ダコタ伯爵・・・今おっしゃった言葉、本当に重くなりますよ。 過去は言わないと云った私ですが、その一端を見せますね。 本当は、言葉だけで納得してほしかった」
そう言って、マニューエは装備の内、ガントレットと、チェストプレートを外した。 鎧下のキルティングの胸ボタンを外す。 白い陶磁器の様な肌が現れる。二人の男は、慌てて目をそらそうとした。しかし、マニューエは二人に言った。
「此れが、騎士団・・・いえ、帝国では受け入れられないと云った理由です。 保護者からは絶対に秘密にしておきなさいと言われましたが、私の道を阻む状況が有れば、その時に限り許すとも言ってもらった”もの”です」
はだけた左胸を二人にさらけ出すマニューエ。 そこにはかつて焼き付けられた「奴隷の印」が痛々しく刻み込まれていた。言葉を失うゴードイン卿とダコタ伯爵。表情を失い、暗黒の深淵を覗き込んだようなマニューエの視線。その表情のまま、彼女は続ける。
「私は、十二歳の時に、人攫いに攫われて、襲われ、汚され、売られました。闘犬の餌と云う死が目の前に迫った時、銅貨五十五枚で買われました。 そんな私が栄光ある帝国騎士団の一員に? 無理です。 ずっと隠し通す事など無理に決まっています。 目立たずに、ひっそりと勉強したい・・・これは贅沢なお願いなんでしょうか」
失った言葉は、戻ってこない。 あまりに凄絶な告白に何も言うべき言葉が無い、見つからない。 気持ちは揺らぐが、マニューエの奴隷印から目が離せない。 告白の内容が頭の中でぐるぐる回る。 わずか十二歳の女の子が体験した凄絶な事実。本人に何も落ち度がなくとも、帝国の人々、特に貴族と呼ばれる人々に受け入れられる筈も無かった。
肌をしまうマニューエ。 取り外した装具を付ける。 目に一杯の涙を浮かべながら。
やっと、声が出たのは、ダコタ伯爵だった。彼は北の大陸で大切な者を失っている。 その一点だけが、マニューエを理解し受け入れる扉だった。絞り出すように彼は言った。
「それでも、貴女は私の友人だ。 私を人に留め置いてくれた大切な人だ。 笑い飛ばせる様なモノでは無い事も、自分の言葉がいかに重かったのかも理解している。 それでも尚、私は思う。 共に居たいと」
「・・・ごめんなさい。 私には誓いがあるのです。 でも、お心遣い大変感謝しております。だから、卒業までは、精一杯お手伝いいたします。 それだけは、お約束いたします」
ゴードイン卿が、マニューエに言う。 言うべき言葉を探しながら、
「・・・マニューエ殿・・・済まぬ、言葉が見つからぬ・・・貴女の悲しみ、辛さ、覚悟・・・すべて想像を上回るものだった。 しかし、それでも尚、私は、ダコタ伯爵と同じ思いだ。 事情も全て理解した。 もう、貴女を追い詰める様な事は言わない。 卒業までの間でいい、我らと共に居ては貰えぬか」
大粒の涙がマニューエの両目から流れ落ちた。 一番、隠して置かなくてはならない事を言って、その事を受け入れてくれた漢たちだった。 もう、言葉では言い表せない感謝しかなかった。 グラスに残っていた琥珀色の液体をすべて口に流し込んだ。
「短い間になりましょうが、どうぞよしなに」
彼女の言葉に大きく頷く。 ゴードインは手に持つ酒瓶から貴重な蒸留酒をざぶざぶと三人のグラスに注ぎ込む。ゴードイン卿、ダコタ伯爵は水を流し込むように喉に放り込む。 芳醇な香りと、喉を焼く熱さ。 三人の間に暗黙の契約が成立した。
まだ、続きます。




