金天秤 闇の上皿: 魔王さん ちーっす その6
すみません。ちょっといいですか?
豪華な照明で、煌々と照らされた魔王の執務室。 深紅の絨毯は、様々な防護守護魔方陣が、幾重にも折り重ねられるように、織り込まれていた。魔人大神官が心血と膨大な時間と魔道の歴史を煉り合せたそれは、”鉄壁”と称せられていた。
勇者のように、魔王と同等の”何か”を持つ者で無い限り、この部屋への入室は、魔王が許可しないと、不可能だった。
魔王は、誰もいない部屋で、執務机の上に無造作に身を投げ出し、天井のシャンデリアをぼんやりと見ていた。
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先代の魔王が存命だった頃、魔導士だったマーグリフ=ラルディオ子爵と、この部屋に入りたくて、防護守護魔法を破る悪戯をしていた頃を思い出していた。
悪戯者のマーグリフは、部屋の外で、絨毯に織込まれた魔方陣を解析して、突破口を探り、目を輝かせている。 そんな彼女の後ろで、二人分の”隠者の歩み”を展開して、周囲から気配と存在感を消す係をしていた魔王。先代魔王には、すべてお見通しだったようで、突然扉が開いて、執務室の中の衛兵が彼女達を引きずり込み、先代魔王の前に放り出した。
睨みつけられ、早々に気を失うマーグリフ。 ガタガタと震えるも、そんなマーグリフと先代魔王の間に立って、彼を見上げ ”ごべんなさい~~”と泣く魔王。
そんな、魔王を”おや?”と、言う様に見つめる先代魔王。
「あの時、先代様が決められたと、後で聞いたんだっけ」
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先代魔王が、次代の魔王候補達を集め、教育しているこの館で、一番の落ちこぼれだった魔王。強力な攻撃魔法の魔方陣展開に失敗して、裏庭の美しい庭園の三分の一を焼き払ってしまい、先代魔王付 魔人神官に、個人教育係の幼馴染の魔導士ポリエフ=ノクターナル伯爵と一緒に叱責された。
焼焦げ、ボロボロになった庭園に一瞥をくれ、怒り狂う魔人神官の後ろから、
「よい、励め」
そう言ってくれた、先代魔王のニヤリとした笑顔を思い出した。ポリエフは、先代魔王の顔を覚えていなかったが、彼の言葉は聞こえていた。 それからの個人授業はもう少し厳しくなったが、いい思い出と思っている。
「バカな子ほど、目立つんだ・・・」
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集められていた、強力で偉大な魔王候補達が、次々と魔王城に送り出され、重要な役職を与えられる中、魔王は館に留め置かれた。候補達が候補の名誉と引換えに、魔王側近者の栄誉を担い、館を出ていく様を、柱の陰から見て、寂しく、やるせなくなっていた時、先代魔王がその背後に立ち、
「あの者達には、わしの手伝いをしてもらう。次代の魔王にも、仕えてもらう」
振り返ると、威厳に満ちた先代魔王の顔があった。
「資質は有ったのだが、大きさが足りぬ。しかし、有能な者達だ、役に立つ」
口の端を僅かに上げる先代魔王。彼は、視線を魔王に向けた。慈愛に満ちた瞳だと思った。
「・・・あの者達に負けぬよう、頑張ります。」
消え入りそうな声では有ったが、視線を逸らさず、必死にそれを言うと、はっはっはっ!と破顔した先代魔王、
「うむ、励め」
そう言って、頭を撫でてくれた。嬉しくて嬉しくて、その事を個人教師をしてくれて居るレグナル=ブラド侯爵に、伝えた。
「魔王様に、”励め”って言われた。頭も撫ででくれた!」
”では、頑張らないといけませんね。”と。
授業を抜け出した事も合わせ、さらにさらに厳しくなったレナグルの個人授業。
「・・・加減しろよ・・・」
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先代魔王が中央平原で勇者と戦い、討たれた。
凶報が王国全土を駆け巡った。
館にも、直ちに凶報は伝達された。文官、神官達が慌ただしく、動いた。
魔王候補は二人、残っていただけだった。一人はエイブルトン家の長男。もう一人は何の後ろ盾も持たない自分。
エリダヌス=エイブルトン侯爵は、紛う事なき麒麟児だった。衆目一致で次代の魔王は彼だと誰もが思っていた。魔法力、戦闘力、カリスマ性、家柄 どれをとっても超が付く一流。そんな彼は周囲や、王国中の期待の星だった。
それに引き換え、何もない自分。四人の友人が魔王候補の権利を投げうって、自分の為に教授してくれたが、そこまでしても、エリダヌスとは違い、すべてが”そこそこ”なのだ。噂にもならない。加えて出自のあやふやさ。爵位どころか、王国市民としての名籍すらない。ただあるのは、「両性同体」という身体的可能性のみ。
前代魔王が討たれた今、空位となる魔王を継ぐ者が早急に必要になる。即位を行うために、エリダヌスと自分は王都ラルカーンへ召し出された。
継承の間に通された、エリダヌスは数刻の後、落胆した表情で出てきた。
「僕には、継承されなかった・・・魔王様の御意思だ」
「継承の間」では、先代魔王の残留思念の鍵と、闇の精霊神の審問があった。先代魔王の見極めたものにしか、闇の精霊神の審問が、出来ぬように封じられていた。
帝都ラルカーンの重臣たちは大騒ぎになった。誰もが彼ならばと思う人物の継承が認められていない。このままでは、魔人族が滅ぶ。魔人大神官達がオロオロとする中、エリダヌスは言った。
「もう一人、候補者が居る」
「自分が継承? ム・リ、・・ムリ・・無理です。 エリダヌス卿ですら認められなかったのに、落ちこぼれの自分なんて、絶対に無理です」
そういいながら、割り当てられた部屋の中に閉じこもった。
『エリダヌスの継承 不許可』
その事実が、王都の重臣達には、魔人族の存在を根底から揺さぶるくらいの衝撃だっため、もう一人の継承権保持者の存在を忘れていた。彼女は一人で、部屋にいた。
王城に割当てられた部屋のバルコニーから、外を見ていた。眼下の王都ラルカーンの都市の向こうに、広大な荒野が広がる。刻は夕暮れ。荒野に沈む薄暗い太陽を見ていた。扉から、”コンコン”ノックの音がした。
「どうぞ、開いています」
入ってきたのは、個人戦技を鍛えてくれていた、幼馴染のゲーン=ランフルト侯爵だった。
「受けるのだ。 俺達は、お前を鍛えた」
「無理です。あのエリダヌス卿ですら、お認めにならない魔王様です。自分など・・・。するだけ、時間の無駄です」
「候補は、もうお前しかいない。次代は、居なければならない。何がお前をそうさせる?」
「・・・魔王様の職責、余にりも、余にりも、大きいです。とても背負い切れるものでは・・・」
赤く暗い太陽が地平に沈む。夜の帳が都市を包む。先代の魔王が討たれ、次代が決まらぬ今、ラルカーンは沈痛な空気に沈んでいる。
「偉大で強大な魔王様。そんな偉大な方の跡を自分なんかが、継げるはずもないです。・・・力不足。威厳も力も、何もかも足りません。それは、誰よりも『自分』が知っています。」
呟くように、そう言った。
「・・・ならば、私がお前の力となろう。 レグナルも、マーグリフも、ポリエフもそう言う。絶対にだ。お前が足りなければ、我らが補おう」
「・・・ゲーン候・・・」
白磁の肌が薄ぼんやりと緑色に発光する。闇を凝縮してできたような前髪が はらり と、涼やかで切れ長の目にかかる。 動揺に揺れ動く彼女の切れ長の眼が、ゲーンをとらえる。
「届かぬのであれば、届くまで努力する。先代の”励め”は、そう言っている」
強く穏やかな視線を投げかけるゲーン。
「あなた達が、力を貸してくれるのならば・・・」
「待っている」
部屋を大股で出ていくゲーンの後姿を見ていた。
「あの時、私は決めたんだ。 ゲーンの言葉に心は決まったんだ」
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「継承の間」に入ることを魔人大神官に告げる。
”期待は全くしていない”と、直接言われた。 当たり前だった。しかし、やるしかなかった。先代重臣達の期待なんか求めてはいない。
エリダヌスの時とは違い、「継承の間」に続く回廊には、部屋を管理する魔人大神官と、四人の”先生”達だけが見守っていた。「継承の間」の、重々しい扉が開き、中に入ると、背後でピタリとしまった。
なんの説明もなかったが、ある意味、説明の必要はなかった。薄緑色に発光する壁が取り囲むその部屋には何もなかった。
部屋の中央床面に大魔方陣が描かれていた。 周囲からのマジカを受け、魔方陣もまた薄緑色に発光していた。
ためらいなく、大魔方陣中央に乗る。
”真名を告げよ”
大魔方陣が彼女に告げた。
「サラーム=エクラ=ベルトールで御座います」
何かが、解放された。 さらに、高次元の存在が語り掛けてきた。
”何故ここに来た?”
「民を護るため」
”何処へ行くのか?”
「我らの平安と世界の均衡へ」
”戻れぬ道を歩むか?”
「覚悟いたしました」
”孤独と重責を受け入れるか?”
「受け入れます」
”古の誓約により、汝を魔王とする。”
薄緑色のマジカの流れが増大した。 部屋が緑色に染まった。膨大なマジカの流れがサラームに集中する。彼女の中に膨大な容量のマジカが流れ込む。
”耐えろ。お前ならば受け入れられる”
サラームの耳に先代魔王の声が聞こえた。
”今より先、汝が瞳には「吸魔の力」が、恒常的に宿る。何時如何なる時も。もう、『魔人族』は汝が目を見る事は出来ない。解放されるのは、汝が滅する刻。その刻までに、次代を用意しろ。さもなくば、『魔人族』に未来は無い”
サラームは深く頭を垂れ、痛みを伴う程の力で歯を食い縛り、マジカの奔流を受け入れた。
唐突にそれはやんだ。受け入れたマジカが体の中でユタっている。緩いマジカの流入がまだ続いている。
”祝福する。魔王よ世界の安寧を司れ”
「はい、闇の精霊神様」
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シャンデリアの光に、眩しさを感じた。
あの後、「継承の間」を出たとき、事は決していた。
瞳に宿る「吸魔の力」を魔人大神官か「呪印」を使い確認し、魔王継承が成ったことを宣言した。王都ラルカーンの大議事堂の鐘が打ち鳴らされ、新たな魔王誕生が周知された。新魔王誕生に王都は沸き返り、重臣達も一応は胸をなでおろした。
その実は、不安でもあった。
爵位も、領地も、名籍も無い エクラ=ベルトールなる者が、魔王となった。戸惑いはあったが、結果を覆す事も出来ない。議事堂に現れた彼女。 彼女を一目確認しようとした者が何名か『塵』になった。
紛う事なき魔王の力 「吸魔の力」だった。真っ先に、エリダヌス=エイブルトン侯爵が目を伏せ、臣下の礼をとった。 後に先代重臣達が続いた。
「我、魔王を宣する」
若い、女性の涼やかでは有るが、威厳を持った声が議事堂にこだました。
「あれから、誰も私の目を見なくなったな。 目を合わせないように、仮面をつけたりして、視線を隠したりもしたな。 ちょっとでも、マジカを消費しようと、転換術で男の体になって其れを維持するのに結構マジカを使っても、使う量より溜まる方が多くて、困った。 エリを副王に据えて、先代の討たれた中央平原を任せて、ちょっと楽になったけど。・・・だれも、目を見れない。だれも、心を開かない・・・ 先代魔王の重臣たちの”無能にして、使えない、怠惰な魔王”と言う評価に、全面的に同意しよう。本当に私は無能だ。」
誰も居ない執務室。天井のシャンデリアに向かい、魔王は吐きすてる様に言った。
人族は「魔人族は泣かない」と言うが、あれは嘘だ。 現に魔王の両の目から流れ落ちる涙があった。
「・・・あのぉ~~~。すみません。ちょっといいですか?」
魔王の耳に、間抜けた声が聞こえた。
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