揺れる金天秤:帝国領 第二幕 その10
ヴァイス様
お師匠様に内緒にしてください。 お願いです。
---マニューエ
帝国の華やかな社交シーズンの幕開けだった。 帝国学院舞踏会 学院に在籍する全ての貴族子弟に参加が呼びかけられる舞踏会。 この日の為に新たな彼女達はドレスを新調し、宝飾店の店先が賑やう。生徒たちの親も招待され、自分の息子や娘のハレの姿を見る事に成る。 そこは、たんなる舞踏会ではなく、帝国に籍を置く貴族たちが、自分の立ち位置を判断する場所でもあった。 上を目指す者は、高位の貴族の子弟と友誼を結ぶため、高位の貴族たちは自分の勢力、帝国への影響力の拡大の為に、この場を有効に活用していた。
今年は戦争の収束から、前年よりも華やかさが増し、北の大陸帰りの子弟たちや貴族達も参加している。 高等部の生徒たちにも、ワインが配られ、演奏されるワルツや円舞曲に皆が酔いしれていた。
そんな中、目を引く一団が居た。開始からそう時間も経っていないのに、すでに酔いがかなり回っているらしい男が中心に居た。
セルシオ=ヨータ=オブライエン 第五王太子
その人の名だった。 魔王を倒し、人族の国々に平和を取り戻したと自負していた。彼に付き従い、彼が帝国皇帝の座を占めた時、そのお零れに預かろうと、地位の逆転を狙う中級貴族たちが周囲を取り巻いていた。そんな彼らをみて、人々は密やかに眉をひそめていた。
当の本人は、自負していた功績が、帝国の上層部に全く評価されていない事に鬱憤をためていた。かつての仲間はすでに散り散りになっていた。
あれほど愛し合った人族の高位聖職者 エルフィンは、聖女でもなく使命を帯びたわけでもないのに、単身セルシオについて北の大陸へ向かった事が罪とされた。 もし彼女がそうしたかったのならば、手順を踏み、資格を得るべきだった。そして、今は、上級大司教から断罪され、今は幽閉の塔に居る。
よくセルシオたちパーティーをサポートし、彼とエルフィンを応援してくれていた、エルフ族の大魔導士 ナーニアは、彼女の父親から叱責を受た。 何故、独断で動いたのか、その為どれだけの同胞の命が脅かされたのかを滾々と説教され、エルフの国王の裁可を受ける為、本国に移送された。
パーティの先頭に立ち、魔族どもをなぎ倒し道を開いてくれた、ドワーフ族の戦士 ゴブリッドは、彼の属する家系の族長から、北の大陸の橋頭保に、あれほど嫌がっていた、名誉も名声も贈られる事の無い一兵士として送られた。
罠や、危険の発見で貢献してくれてた、ホビット族の盗賊 コロナは、帝国内での盗賊働きと、ギルドの命令無視の結果、ギルドの牢獄に収監されている。彼女の悪評は、帝都の中では知らぬ者はいない。彼女が判断を間違えたのは、セルシオが帰還後すぐに絶大な力を手にいれると踏んだからだった。 自業自得ともいえた。
猫獣人族の拳闘師 セフィーロは、獣王の一言ですべての権利と保証を剝奪され、今もどこかでさまよっている。もし、獣王に両手が残っていたなら、彼と面会した時に、二つに割かれていただろうと、その時の状況を知る者が伝えていた。 獣王の怒りはそれ程大きかった。
人族の剣士 アルシオーネは、そんなセフィーロを不憫に思ったのか、寄る辺の無い彼は彼女と一緒に行方をくらませている。
つまり、誰もセルシオの傍に居なかった。いや、全員、罪に問われていた。セルシオになんの音沙汰も無かったのは、ひとえに彼が王太子だったからだ。しかし、これ以上の失態をすればそれすらも危うい。その危機意識は、彼にはなかったが。
舞踏会の盛況ぶりを頬を歪めて眺めていたセルシオは、大きな声で蔑むように笑った。
「俺が魔王を殺したから、こうやって平和に遊んでられるのだ、なのに、何故俺の仲間が断罪されねばならんのだ、不愉快だ!」
そう言って。部屋を出ようとしたところに、セリシア達が居合わせた。
「なんだ、お前、其処をのけ!」
突き当りそうになったセシリアに対し、相手も見ずに、蹴り上げようと足をあげるセルシオ。 いきなりの暴挙に立ち竦むセシリア。 スッと白い影が二人の間に割って入る。
「無礼者」
低く澄んだ声が辺りの者に聞こえた、上げた足を掴まれ、そのまま引き倒されるセルシオ。茫然と面体を付けた騎士を見た。周囲に居た取り巻き共も同じように、セルシオを引き倒した者をみた。 胸に騎士爵の爵位を示す記章を付けた小娘に見えた。 当然激昂する。 その怒りはセルシオも同じだ。
「王太子様に手を掛ける不届きものめ!」
「何様のつもりだ、謝罪一つで済むと思うな、その首を差し出せ!」
「無礼は貴様だ、小娘!」
その怒号をまるっきり無視したマニューエは、後ろ手にセシリアを庇い、小声で彼女に言った。
「姫様、此処は私に」
「ううう、ルーチェ・・・」
「帝室の姫様は気高く雄々しくなさいませ。下を向いてはなりません」
「ううう・・・そうする」
震えるセシリアを庇いつつ、時間を稼ぐ。 第二軍、警護部隊の面々が到着するのを待つ。しかし、セルシオがその時間を潰す。 マニューエの面体に手袋を投げつけて来た。 貴族が手袋を投げるのはたった一つの場合だけだった。そう、決闘の申し込みだ。 周りがヤンヤと騒ぎ出す。
”あ~あ、そうなっちゃうのよねぇ” 相手が第五王太子であろうと、マニューエには関係の無い事だった。護衛対象者が危険にさらされたと云うこと自体が、問題である。さらに彼女にはもう一つ重大な知らせが耳に届いている。
”闇の精霊神様のお怒りが、光の精霊神様を介して届いている。何やらかしたのこの王子・・・”
マニューエはタケトから彼の事を聞いてはいなかった。 タケトが失念していたわけではない、無視できる要因と思い、話していなかった。 普通に学生生活を送っているのならば、出逢える相手では無からだ。マニューエの耳に光の精霊神から声が届く。
”私の半身がとても怒っている。 この者、勇者の印を持って居る。 私の印 マニューエ剥奪しなさい。 この者より光の精霊の加護を取り上げる。 力を貸しなさい。 半身の怒りは私の怒り”
北の永久氷より冷たい言葉が彼女の耳に届く。心の中で頷く。
「誰かは知りませんが、手袋を御投げになったという事実は変わりません。 此処では狭すぎます。また、立会人も居ません。 此方へ」
「馬鹿め、逃げるか!」
「呆れ果てる。 皆様の迷惑が判らぬか、そうか、それ程曇っておるのか、下郎」
第五王太子に向かって「下郎」と投げかける。 もう、完全に戦闘状態だった。マニューエは素早くセシリアを安全圏に出す。 丁度ゴードイン卿と、ダコタ伯爵が駆けつけてきた。 ゴードイン卿にセシリアを託す。
「姫様、バカを一人懲らしめてきますから、ゴードイン卿と此処でお待ちください。 ダコタ伯爵、すみませんが、立会人お願いします。決闘申し込まれました」
絶句するゴードイン卿と、ダコタ伯爵。 相手は怒りで目を血走らせている第五王太子。状況が判らない時に、じっと目を離さず、健気に耐えていたセシリアが二人に事情を説明した。
「お、お、お、お、お部屋に入る時に、向こうから来て、邪魔だって蹴ろうとしたの。 ルーチェは悪くない。 私を護ろうとしただけ・・・うううう・・・」
両目から涙が零れ落ちそうになるのを必死にこらえていた。 ゴードイン卿は怒りに我を忘れそうだった。辛うじて剣に手を掛けずにいた。その話を聞き、ダコタ伯爵がセシリアの頭を撫で、云った。
「よく我慢されました。 これから、ルーチェ卿が悪者を懲らしめます。 私が見届けますので、此処でお待ちを」
そう言うと、マニューエとセルシオを伴い、中庭に出た。
*************
うすら笑いを浮かべるセルシオ。 魔王と対峙した自分が負ける筈は無い。 一瞬で真っ二つにしてやる。 酔った視線でマニューエを睨みつけた。
「セルシオ第五王太子。 何故に決闘を申し込まれた」
一応の儀式として、ダコタ伯爵が聞いた。
「俺を侮辱した」
「ルーチェ卿、誠か?」
「当人の行いを正当な評価で口にした。 それが侮辱と云うならその通りだ」
「両人に和解の道は無いか」
「「無い」」
目にセルシオに対する怒りを浮かべたダコタ伯爵は、出来るだけ公平に立会人としての態度を取った。
「では、始めるとしよう。 どうせ、こうなる。 武器の魔法の制限は無い。 制限したところで守る様な御仁でもない。 始めよ」
伯爵が離れると同時に、セルシオが剣を抜いた。 光の剣だった。 眩い刀身は対魔人戦でもいかんなくその威力を発揮したものだった。 決して人族相手に使って良いものでは無い。 これが有るから、だれも彼に手が出せなかった。 そう、彼は勇者なのだ。
マニューエへ
聞いたぞ。 黒様が私に教えて下さった。 まだ、お師匠様には言っていない。
当たり前だ、もし知れようものなら、神聖アートランド帝国は数分で消える。
兄者にも黙っているつもりだ。 マニューエもそのつもりで。
しかし、お転婆が過ぎるぞ
---ヴァイス




