揺れる金天秤:帝国領 第二幕 その9
ヴァイス様:
ご依頼通り、お師匠様にお手紙をお送りいたしました。 ちょっと込み入った事情なので、
ちょうど良かったと思います。 お師匠様の事、よろしくお願い申し上げます。
ところで、マスターからなにか追加情報はありませんか? 宜しくお願いします
ーーーマニューエ
マニューエの下にゴードイン卿からの使者が何度も訪れていた。教室で、食堂で、図書館で、待ち伏せられるように柱の陰からすっと姿を現す。 「隠遁」の呪印を使っているのか、周囲にの生徒は気にも留めない。 何度目かの大きなため息をつき、彼女は思っていた。
”お断りした筈なのに、なんで、こんなに執拗に・・・”
彼女がこんな風に思った理由は、ゴードイン卿の”貴人の護衛に騎士爵として当たってくれ”との言葉だった。第一王太子リュミエールの前で約束した”騎士団施設以外での騎士爵としての身分は晒さない”と言う約束を無視する要請。受けるはずも無い事は、”ゴードイン卿自身よくわかっている筈だったのに”とも思っている。仕方なく近衛騎士の詰所に向かう。 はっきりと断らなければ、これ以降も呼び出しは続く事に成ってしまうとおもったからだった。
「マニューエ入ります」
詰所に入る。 そこにはゴードイン卿だけではなく、ダコタ伯爵まで居た。 もうウンザリと云うような表情を浮かべながら、彼女は頭を下げた。
「ルーチェ卿、すまない。 ほんとうにすまない。 卿の立場と、約束を忘れたわけではないのだ。しかし、我等ではどうしようもないのでな」
ゴードイン卿はそう口火を切った。後をダコタ卿が続ける。
「リュミエール殿下には、許可を受けた。 殿下も最初は拒絶されておったが、粘り勝ちした。 ・・・ルーチェ卿、貴女は護衛対象者については聞かなかったそうだな」
「ええ、そうです。 騎士団施設以外では私は帝国騎士では御座いませんので」
「・・・そうか、しかし、聞いてもらうぞ。 対象者はハンネ殿下の母君と妹君だ」
マニューエは絶句した。 噂話でしか知らないが、ハンネの母君は、第二王太子ラマアーン殿下が出征してから社交の場に出ていない。妹君が居た事については、今、初めて知った。 ”しかし”と、疑問が浮かぶ。
「第二軍にとって大事な方々とは思いますが、何故、私なのですか? 第二軍の方々の方が適任だと思われますが?」
「周囲は固める。 五十二名の魔法騎士が堅固にな。 しかし、直近で御護する騎士が問題なのだ」
苦渋の表情でゴードイン卿が続ける。
「姫様が怯えられるのだ。 我等の姿にな。 魔物や魔人達と戦ってきた我等を怖がられるのだ」
マニューエは”そりゃそうだ”と思っていた。 第二軍の面々は最前線で戦い抜いた漢達だ。 当然何もしなくても闘気が体から零れる。 帰還、間もない者ならば、残滓の妖気すら纏う。 本国勤務の近衛騎士達ですら近寄りがたい雰囲気を持つ。 婦女子などがおいそれと近寄れるようなものでは無い。
「我が隊には、女性騎士もおらぬ。 そこも問題となった」
続けるダコタ伯爵。 護衛となれは、男性が入ってはならない処にもついて行かなくてはならない。 常に護衛の付いている貴人の御婦人達は、護衛を空気として認識するが、多分無理なのだろう。第二軍の主力メンバーはいくら「隠遁」の印呪を使っても、その纏わりつく”闘気”から、常に存在を意識される。 とてもトイレには連れて行けない。
十分に困った状況は理解できた。しかし了承する事とは別問題なのだ。彼女はゴードイン卿に食い下がった。
「第一軍には女性魔法騎士が居られるとか?」
「打診したが、断られた。彼等にも護衛対象者が複数いる」
「・・・では、ハンネ殿下が自ら護衛される方が問題は無いと思われますが?」
「婚約者の”ピンガノ嬢”と、ご自身の護衛が思いのほか大変でな、余裕が無い」
「・・・ゴードイン卿自ら・・」
「俺ですら怯えらえる」
「・・・」
もう万策尽きたという顔でマニューエを見るゴードイン卿。とどめを刺しに来たのがダコタ伯爵だった。
「リュミエール殿下より、帝国内での”面体”の着用を許可された。 誰に対しても取る必要はない。 皇帝陛下の許可証も貰ってある。 たとえ、皇帝陛下、王妃様とまみえても面体を取る必要はなくなった。 呼称は一つだけ、ルーチェ卿に統一してある。 騎士名簿も教導騎士として登録された。 ルーチェ卿が身元を明かさない限り誰も問えない」
外堀を埋めてから話を持ってくるダコタ伯爵らしい話しぶりだった。 これ以上の抵抗は学園ひいては神聖アートランド帝国内に身を置くものにとって甚だ不都合となる。タケトの約束で、卒業までは学園に居る事を約束させられているマニューエはもう選択の余地が無かった。
「皆様が強要している事をお忘れにならないで下さい。 周囲からご不満が出れば、即座に引きます」
「もちろん、そのような不届きものが居るはずも無い。 そんなものが居れば、誰であろうと我が剣の錆になるので安心してくれ!」
ダコタ伯爵のどこか取り違えた解釈に
「そんなこと言ってません! 波風を立てないでください!! 嵐の中心に成りたくないのです!!!」
多少興奮気味だが、云いたい事を言って、嫌々、諦めたように承諾をを伝える。
「・・・判りました、不肖マニューエ=ドゥ=ルーチェ、護衛の任をお受けいたします・・・」
ゴードイン卿の顔がぱぁっと明るくなった。 そんな彼に向かって、ダコタ伯爵の顔に”どうだ、説得はっ得意だと云っただろ!”と言ったような自信に満ちた表情が浮かび上がっている。マニューエはもうどうにでもなれと言ったような雰囲気で二人に伝えた。
「護衛対象者との面談はあるんですよね。 いきなり任務開始だと困りますし、護衛対象者から断られることもありますからね」
「もちろん、引き合わせる。 ちょっとまて、いま、ご都合を聞いてくる!」
このチャンスを逃すまいと、詰所を駆けだしていくゴードイン卿の後姿を見送ったマニューエは深く溜息をついた。
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エリザベート=ラーブ=アートランド妃は、目の前の第一種軍装に身を包んだ護衛官を興味深げに見詰めていた。ゴードイン卿の「帝国教導騎士ルーチェ騎士卿で御座います」との紹介をうけた。
それ以上は言わない。 身元についてもっと色々と話されるものと思っていたエリザベート妃は肩透かしを喰らったようだった。目の前の女性騎士と思われる”者”は面体を着用し、右手を胸に、片膝を付き、頭を垂れた騎士の正礼を取っている。言葉は発していない。身にまとう”闘気”は、過剰なものでは無く、護衛官ならば誰でも持ってしかるべき程しか発せられていない。
武人ラマアーン=トゥー=アートランドが選んだ女性であるエリザベートは、人の”気”を見る事に長けている。 その彼女をもってしても、目の前の騎士の力を計りかねていた。 ゴードイン卿が連れて来たという事は、第二軍の面々と同等以上の力を持っている筈。 しかし、うまくそれを隠している。
トコトコとセシリアがその者の前に進み出た。面体が”すっ”とセシリアに向かう。伺うような視線をセシリアが投げかけ、面体に開いている目線のスリットの奥の涼やかな薄緑色の目を見詰めて言った。
「お顔が見たい。 大丈夫、セシリアは怖がりません」
きっと顔に大きな傷でもあるのだろうと、彼女は思っていた。戸惑うゴードイン卿、さらにその後ろに控えていたダコタ伯爵まで身を固くした。 たった今、約束した”面体の着用の許可”が反故にされそうになっている。
「姫様、それは・・・」
ダコタ伯爵はセシリアを止めに掛かった。スッと左手を差し出し、ダコタ伯爵を止める。
「姫様、顔が見たいのですか?」
「はい、御顔を見てお話がしたいです」
「何故ですか」
「はい、御父様がおっしゃっておいででした、御顔を見てお話したら、嘘は付けないと」
セシリアは、自分を護ってくれるという者が何者なのか自分の目で確認したいと言っている。誰も、その事に異を唱える事は出来ない。 至極もっともな要求だった。 面体の下でマニューエは頬に笑みが浮かんだ。
”マスターと同じ事を言いますね、この姫様は”
その言い分は嫌いではない。そして、彼女はセシリアに言った。
「一つだけお約束ください。 貴女が見た者は貴女と此処にいる人達だけの秘密です。 絶対に口外しないでください。 御父様の名に懸けて誓えますか?」
「・・・誓います。御父様と、その娘セシリア=レゾン=アートランドの名に懸けて」
「わかりました」
マニューエは面体を取った。 腰まで延びた浅銀色の髪は、華麗な銀細工を施した髪留めに纏められ、薄緑の瞳は何処までも澄み渡り、陶磁器のような肌はに滑らかだった。しっかりとした目線をセシリアに合わせる。セシリアは背筋を伸ばし、彼女を見入った。
「綺麗・・・」
セシリアの口からそう漏れた。エリザベートの目には別の物が入っていた。華麗な銀細工を施した髪留めだった。 それは、ハンネが自分の暴走で傷つけた女性に贈られた”もの”と瓜二つだった。
「マニューエ=ドゥ=ルーチェ・・・」
エリザベートの口から洩れた自分の名前にマニューエは ”もう、わかっちゃったかぁ”と、言いたげな目をして、エリザベートを見上げた。
「エリザベート妃殿下、お許しください。 私が騎士爵に叙されたのは、帝国騎士団の施設の中だけです。今回は特例にて御側に上がります。 この髪留めの事をすっかり失念しておりました。 御側に上がる際は別なものに取り換えておきます」
其れならば、話は分かる。 ハンネから彼女の剣技が素晴らしい事も聞いていた。 暗く落ち込んだハンネを立ち直らせてくれたとも聞く。感謝こそすて、苦情をいう事は無い。
「わかりました。 ルーチェ卿、護衛よろしくお願いします」
「妃殿下、不肖マニューエ=ドゥ=ルーチェ、精一杯務めさせていただきます」
ゴードイン卿もダコタ伯爵もホッと胸をなでおろした。 一介の警護官に此れほど気を遣うとは思わなかったが、全ていい方向で纏まった。未だ、キラキラした目で、マニューエを見詰めるセシリア。 彼女の為にも良かったのだと、心の底からそう思った二人だった。
マニューエへ、
お師匠様は手紙を貰って、ニヤニヤしている。 とても助かった。
兄者からはまだ、何も言ってこない。 難航しているようだ。
もし、兄者から何か助力の願いが来たら、すぐに参じるつもりだ
---ヴァイス




