揺れる金天秤:帝国領 第二幕 その6
お師匠さま、ヴァイス様
いま、帝国学院は大騒ぎです。 すごい騒ぎです
お祭り騒ぎです・・・ すみません興奮してしまいました。
---マニューエ
ピンガノが、魔術の授業を終え、教室から自室に戻ろうと廊下に出た。仲間たちが、周りを取り巻いて、お茶会に誘おうとしているが、なんだか一連の出来事に疲れて、
「すみませんが、今日は部屋で休ませてくださいな。 ごめんなさいね」
と、断った。 確かに色々な事が連続して起き、公然とではないが、「あの」アナトリーとも連絡を取り合うようになっている。 アナトリーの取巻き達は”あいも変わらず”の、特権階級意識の塊では有ったが、もうすぐ開催される、帝国学園の公式舞踏会の準備で、忙しいようで周囲への威圧感は減っていた。
背の高い窓から差し込む陽の光、騒々しくは無いが、潮騒のように聞こえる生徒たちの声。 何でもない日常が、なぜかとても愛おしく感じていた。歩みを進めていると、突然後ろから彼女を呼ぶ声がした。
「ピンガノ! ここに居たか。 探した」
声の主はハンネだった。 ラマアーン第二王太子未帰還、行方不明の公然の秘密が囁かれ出して以来、何事についても苛立ちを隠せていなかった彼が、最近やっと以前の闊達な彼本来の姿に戻って来たような気がしていた。 原因は、あの高等部からの新入生「マニューエ」だと、知っている。 いくら、ピンガノが叱咤激励しても、変化の無かったハンネが、僅かな期間でこうも劇的に変化するとは、思ってもみなかった。
”私では、ダメなのかもしれない”
そんな思いが募っていた。そのな矢先に声を掛けられた。 探していたとも言われた。 足を止め、振り返ると、確かにハンネがピンガノの居る場所に速足で近づいている。
「殿下、ご機嫌麗しゅう御座います」
「うん、ちょっと話と、渡したい物がある」
「えっ?」
「時間を作ってもらえるか?」
「も、もちろんでございます。 では、サロンに」
「うん、それがいいだろう」
ピンガノは、先ほど断ったお茶会が開かれているであろう、「鈴蘭の部屋」に、ハンネと共に向かった。明るい回廊を二人で歩く。先を歩くハンネが、ピンガノに語り掛けてきた。
「ピンガノ、ルル=トレオールとは、仲がいいのか?」
「・・・え、えぇ。 よいお友達ですわ」
「そうだろうな。 学内ではそんなに一緒に居るところを見たことが無いが、あの夜、君達が一緒に来た所をみると、そうなんだろうなと、思っていた」
「ええ、そうですね」
実際、ルルがピンガノに逢いに来るのは、夜か、学園の外に限られている。 帝国宰相の娘と、帝国内最大の商家トレオール家の娘がそう度々一緒に居ると、周囲の者に誤解を与える。 ハンネもその事には気が付いていた。
「敢えて、ルル=トレオールにマニューエとの仲立ちを頼んだ。あいつは、一応この学園の中で、中立を保っているからな」
「おっしゃる通りです。 私にしても、アナトリー様にしても、上級貴族や貴族達の目が有ります。 ルル様ならば、その眼を気にせず動けますから」
「そう言ってくれると思っていた。 ・・・あの夜のルルの提案を実行した。 マニューエに髪留めを贈った。後はあいつが事を運んでくれると言ってくれた。 俺が動くよりも、その方がうまくいくと」
「帝室の方が直接、軽々しく動くのは存外の憶測を生みます。 良い判断だと思います」
「うん・・・その時にな、あいつに言われた、今回の事で、ピンガノにも色々と心配を掛けていると」
「えっ? そ、そんな事は・・・」
「噂話が変質しかかっている事を、あいつに指摘されるまで、判らなかった。・・・不安を与えた詫びをするべきだと、強く言われた。 俺もその通りだと思う」
「・・・勿体ないお言葉です」
ピンガノは、半分有頂天になった。 これは、彼女に向けられた彼女への言葉だった。他の誰を差すものでは無く、誰かに強制された訳でもない、彼女へのハンネからの言葉だった。 単純に嬉しかった。 顔が赤くなるのを感じていた。
「何か贈り物をと、考え、ピンガノに相談してみた。君たちは仲がよさげだったから。 即座に断られたよ。”私に、ご相談に成らずに、ピンガノが喜ぶ”もの”を自分でお探しください”と、云われた。 女性に物を贈る事は慣れていない。これが騎士団の仲間達なら業物の剣とか、”呪印”で強化された盾とか直ぐに思いつくのにな」
「殿下は ”武人”たらんとしておいでです。 そのお考え方は、むしろ自然ですわ」
「そうか・・・帝室を支える人間としては良いとは思うが、帝室の一員としての立場では、すこしまずい気がする」
「・・・そんな、殿下は素敵です」
ピンガノはそう言うと、更に顔が赤くなるのを自覚した。
”これでは、まるで「告白」・・・は、恥ずかしい”
ハンネは、話を続ける。
「むろん、自分で決めるつもりで居たが、念のため母上にも、ご相談申し上げた。 マニューエの時も同じように相談し、快く答えて頂けたからね」
ピンガノは「マニューエ」と云う名前がハンネの口から出るたびにチクリと心に痛みを感じていた。自分にとっては、正体不明の感情。ルルにそれとなく相談した時、彼女が笑いながらピンガノに言った言葉を思い出していた。
”それは、嫉妬心だよ。自分に出来なかった事を成し遂げてしまったマニューエに対するね。その対象が貴女の想い人なんだから当たり前。こじらせる前に何とかしてあげる”
赤みが差していた顔から、ゆっくりと血の気が引いて行った。 ハンネは前を見て歩いているので気が付かない。 そして、言葉を続けた。
「君の名を出し、随分と心配をかけた詫びをしたいので、何か贈り物を贈りたいが、良い物が浮かばない。 なにかありませんか、と尋ねた。 母上は今回は即答されなかった」
ピンガノは答えられなかった。 やはり自分ではハンネ様の隣には立てないのか、奥様もそう感じられているのかと寂しく思い始めた。
「母上は僕にこう言った。”貴方のお気持ちを十分にお確かめなさい。 『友人』としてなのか、それとも『これから共に歩む人』なのか、それが判ればおのずと贈り物は決まります。 心が決まった後でまた来なさい”とね。 僕は、また考え違いをする所だった。 母上や、ルルが言った意味をもう一度自分に問うてみた」
ピンガノの顔色が青くなり始めた。 ハンネの心の中に占める自分の位置が此れからわかる。 罪人が法廷で判決を聞く気分は、こんな感じなのかと、ピンガノの背中に冷たい汗が流れ出した。 丁度、「鈴蘭の部屋」に着いた。 先触れが室内に二人の訪問を告げる。 扉が開き清楚な部屋の中から、ちょっとした歓声があがる。 二人は並んで歩き、部屋の一番奥の席に着く。 いつもの場所だった。 テーブルにティーセットが並べられる。 何人かの友人達が側に来ようとしたが、ハンネが止めた。
「すまないが、しばらく二人にして置いてくれないか?」
顔色の悪いピンガノ、そして、そう言葉を発したハンネを交互に見て、なにか重大な事が有ったのかと、ピンガノの友人達はハンネの言う通りにその場を離れた。
ハンネは、学院指定のコートの内側から、赤い天鵞絨のケースを取り出した。
「・・・ピンガノ、お詫びだけではなく、俺の気持ちも載せた。 母上やルル、マニューエに言われて、自分の気持ちと向き合ってみた。 出した結論だ」
差出されたケースを受け取るピンガノ。 ハンネの黒く艶やかな目を見てから、ケースを開ける。 中にはオーソドックスなデザインではあるが、落ち着いた気品に満ちたネックレスが入っていた。 ダイヤモンドで形作られた花の文様、周辺にバランスを考慮した輝石が配されている。
「これは?」
ケースに刻み込まれている、第二王太子の紋章。 それを見つけてピンガノはハンネに問うた。
「これは、母上が父上から頂いた最初の贈り物だそうだ。 俺は、とても父上に似ているらしい。父上も御婆様に相談されていたと、その時聞いた。 これは、御婆様から父上に、そして、母上に渡された”もの”だ。多少古びてはいるが、俺の気持ちの伝え方とすれば、一番の物だと思った。 ・・・最初は指輪にしようかと思ったのだけれど、”それは、二人で決める事です”と、母上に釘を刺されてしまった。ははっは」
照れ隠しのつもりか、ハンネは最後に笑って締めようとした。 突然ピンガノの両の目から大粒の涙が零れ落ちた。止めども無く、流れるままに。慌てたハンネは、見当違いな言葉を吐いた
「どうした、嫌か? 泣く程嫌なのか?」
「ち、違います、 う、嬉しくて、嬉しくて・・・涙が止まりません」
ピンガノはいつもの強気な態度とは全く異なる、弱弱しく、儚げで、嬉しさで一杯にした視線をハンネに投げかけていた。 もし、この部屋に彼女ら以外の誰も居なければ、ピンガノはハンネに抱き着いていたかもしれない。渡された物は、神聖アートランド帝国皇帝王妃の持ち物だった物。 つまり、ハンネはピンガノに結婚の申し込みをしたのだった。
「よかった・・・では、受け取ってくれるね。 そして、母上にご報告しても良いね」
「はい、・・・私の全てを殿下に」
この光景を間近で見る事に成った、ピンガノの友人たちは、喜びに包まれた。 自分たちのリーダー的存在のピンガノが、ハンネ殿下からのプロポーズを受けたからだった。 見つめあう二人を遠巻きにしながらも、彼女達は、手に手を取って喜びを分かち合った。




