揺れる金天秤:帝国領 第二幕 その5
お師匠様 ヴァイス様
近衛騎士の方に剣を捧げられてしまいました。 もう、驚きで一杯です。
---マニューエ
帝国軍、第二軍 近衛騎士 ランジャー=ダコタ伯爵。
自分が、何者で、何を成すべきなのか、光の中で彼は深く理解した。 深く傷ついた彼の魂は、マニューエの ”特殊呪印” の『力』により浄化され、昇華していく。 北の大陸での無意味な戦いの末、自分の望むものを掴んだ。それは、この上も無く思い焦がれる、帝国の日常。 かつて、最も敬愛する彼の上官 ラマアーン=トゥー=アートランド殿下が、彼に語った理想の国。
『誰もが笑って暮らせる、平和な国を目指す』
その意味が初めて理解できた。 何を幼稚なと、反発していた頃の自分を殴り飛ばしたくなった。 光の輪が徐々に小さくなってきた。 体を苛む虚脱感も潮が引くように、徐々に軽くなる。 目の前の少女が口にした「汚染」と言う言葉。 何に汚染されていたのかが、判る気がした。 自分が人ならざる者への扉に、手を掛けて居た事も理解できた。
感謝。圧倒的感謝しかなかった。
収斂した光の輪が、自分の体に収まる。 足元から複数立ち上がっていた「呪印」の発光が薄らいでいき、やがて床と同じ色になった。 ランジャーの目の前の薄緑色の目をした少女が、ガクリと膝を付いた。
「お、おい。 どうした、何処か痛むのか?」
「はぁはぁはぁ・・・ お帰りなさいませ、ダコタ卿」
消耗激しい彼女は、にっこりと微笑むと、そう彼に語り掛けてきた。
「済まなかった。しかし、お前の言う事を信じてよかった。 あとで、ゴードインにも礼を言おう」
「何よりです。 光の精霊神様の御心に叶いますように」
「ところで、・・・ルーチェ卿」
「はぃ?」
急に呼び名を変え、改まった口調になるランジャー。 きょとんとしてそんな彼をみるマニューエ。ランジャー卿は、自ら、彼女に対し誓いの言葉を発した。
「私、ランジャー=ダコタ伯爵は、 貴女 マニューエ=ドゥ=ルーチェ騎士卿に対し、剣をささげる。貴女が必要な何時いかなる時も、貴方の剣となり盾となろう。 私を甦らせてくれた、貴女への僅かばかりの誓約だ。 受け取ってくれ」
「もったいのう御座います。 が、ここで拒否するのは、武人のダコタ卿に対する非礼。 その誓約確かにお受け取り致しました。 でも・・・一介の騎士爵にいいんですか?」
ちょっと苦笑いを浮かべつつ、マニューエがそう問いかける。 大真面目に誓約を立てたランジャーは暫く考えた後に応えた。
「なに、お嬢さんが困っているなら、おじさんが手を貸してあげようって事だから、気にするな」
此れが本来のランジャーだった。 周囲を圧倒する雰囲気はなりを潜め、気さくで磊落な彼の気性が良く表れている言葉だった。ウフフ と笑うマニューエ。 彼女は口には出していなかったが、内心ほっとしていた。 ランジャーの汚染はかなり進んでいて、彼女の手に余りそうになっていたからだった。 用意した”魂石”十二個は、ほぼ妖気で一杯になり、もう少しで溢れるところだった。 また、使用した「呪印」も、大半が過剰負荷で、修復に相当時間が掛かると思われる。
しかし、そんな事は、彼が本当の意味で生還した事と比べれば、些細な事だと感じていた。 あのゴードイン卿が、”緊急”と言って自分を呼び出すくらいに心配している漢である。 きっと帝国の安定のために必要な人材なのだろうと思っていた。 だからこそ、彼女は手を貸したのである。 そう金の分銅の役目を果たすために。
”耳元で鈴の音が聞こえたから、間違いないわよね”
マニューエは、ランジャーに聞こえない様な小声で、そう呟いた。
*************
夜半、学園寮の端の端の小部屋の扉に、”コンコン” と、密やかにノックの音がした。
「開いてますよぉ」
軽やかなマニューエの声が扉に届く。 そっと開けられ、すぐに閉められる扉。 部屋の中に入って来たのは、ルルだった。
「こんばんは、マニューエ。 約束通り来たよ」
黒髪の少女は、悪戯じみた声でそういった。 相変わらず、マニューエと二人きりでは軽い。 手には小さな箱を持っていた。 くるくると周りを見回しながら、中央のテーブルに着く。
「うちの仲間内のパテシエがやってる店から、貰って来た。 一緒に食べようと思って」
「まぁ、有難う。 いま、ご希望の”ショコラテドンナ”入れますね」
「うん、楽しみにしてた」
コポコポと湯の沸く音がする。 マニューエ自らポットを手に飲み物の準備をしている。そんな後姿を見つつ、ルルは彼女が「鈴蘭の部屋」を退出した後の事を話し始めた。
「貴女が出た後にね、ハンネ殿下がもう一度、部屋に来たの。それでね、ピンガノに渡す”物”の相談に見えられたの。 それで、私は、”私に、ご相談に成らずに、ピンガノが喜ぶ”もの”を自分でお探しください”ってお伝えしたの」
飲み物の準備をしながら、マニューエが応える。
「そうですね、ハンネ殿下も何故気が付かないのでしょうか? あんなに判りやすいのに」
「あまりに近しいからかな・・・ ほんとに、お小さいころからの知り合いだから」
「互いによく知りすぎている・・・そういう事ですね」
「まさに! 自分の気持ちを出すことが下手なピンガノと、そういった感情に疎い殿下・・・前途多難だわ」
「はははは、絆も深くて常に御側に居られるから、ずっと存在するものだと思ってらっしゃるのね」
「そうね、まったく、手の焼ける」
「”居なく無くなってから気が付く”って成る前に、お気づきに成ってほしいわ」
「えっ・・・マニューエ」
何気ない一言に、ルルは驚いた。 彼女が常々ピンガノとハンネに感じていた事だった。
「”有る物はいずれ無くなる。時間は止まれない。大事な”もの”は両の目と両の手でしっかとり捕まえないと、視界から消え、指の間から零れ落ちる。” ・・・受け売りですけど、いつも心の中に有る言葉ですわ」
マニューエは二つのカップを持って、ルルの居るテーブルに来た。 カップを一つテーブルの上に置く。
「さぁどうぞ。 お熱いうちに」
「あ、有難う。 ・・・マニューエのお師匠様の御言葉?」
「えっ、あぁ・・・師匠でもあり、保護者でもある人の言葉。 私の想いは、届かないかも知れないけれど、この想いは私の物。誰にも取り上げる事の出来ない、私だけの物」
「ちょ、ちょっと、大胆な愛の告白ね」
「そうかしら? でも、その方、ハンネ様以上に鈍感ですのよ」
「それは・・・ざ、残念ですわね」
「ははは、でしょ。 でも、そんな方だから、ずっと一緒に居たいと想うの。 だから、その方の力に成りたくて、学院で学んでいるの」
マニューエが学院への入学を承諾したのは、この想いからだった。 人との付き合い方を勉強するため。そして、タケトの力に成れる者に成る為、自身に課した使命だった。タケトが自分をパートナーとして本当に頼りにしてくれるようになるまで、まだ相当な時間が掛かると思っている。金の分銅の役目の事もある。いくら”時の精霊”がタケトの命により、力を貸してくれると言っても、自分の時間はいつか途切れる。
暗い気持ちになってしまう、そんな考えが思い浮かんだら、いつも、タケトから聴いたその言葉を思い出すようにしている。だから、マニューエの目は常にタケトを捉えて離さない。
「・・・私はね、いくら男爵家令嬢と周囲が言ってくれても、あまりピンとこないのよ」
カップを口に運び、持ってきた小箱を開けながらそう話始めるルル。
「小さい頃は、父様と彼方此方旅をしていたのよ。 南方諸王国で色々な国にも行った、龍背骨山脈を超えてエルフの国にも。獣人族達の国にも足を延ばしたこともあるわ。人が、人とつながり、其処に価値が生まれる。 そんな商売の現場にずっといたの。 父様が持っている男爵の爵位だって、落ちぶれた男爵家の家督を父様が買ったから。 私は、元の平民の暮らしの方が好きだった。 いずれ劣らぬ狐とタヌキたちの間を泳ぎ回り、価値ある情報や、人や物の真贋を見極めるのが楽しかった」
「御父様の事を尊敬されているのですね」
「・・・すごいタヌキだよ、父様は。高値で売れるなら、私の事も売り出すくらい」
「まぁ・・・でも商会「エキドナ」の会頭 コンカーラ=トレオール男爵の唯一の弱点がルル様だと、聞いて事がありますよぉ?」
「あははは! ないない。 父様はお金を増やすことに情熱を掛けておられるわ。必要とあれば、一家丸ごと買えるし・・・だから、私は、父の力になれる事を目標にしたわ それが”魔技術の習得”なの」
マニューエは、頷きながら、自身のカップを口に運んでいた。彼女の口振りが、楽しそうに聞えた。”秘密を共有しているしているんだよ”と、そんな口ぶりで話すルルに、マニューエの口元に笑みが浮かぶ。 深夜の二人だけの御茶会だった。




