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揺れる金天秤:帝国領 その14

マスターへ:


わたし、何か悪い事したんでしょうか? 


                       ---マニューエ


 クラシエの部屋。 アナトリーの部屋に隣接する侍女の部屋。 侍女の部屋とは思えない立派な調度品が並ぶ。 白と金を基調とした家具の数々が、三人の客を迎え入れていた。 アナトリーの誘導で、立派な円卓に着く。 クラシエが時を置かず、紅茶の入ったカップをサーブし、御菓子を置く。一通りの挨拶が済み、アナトリーは、マニューエに痛々し気な視線を送る。


「マニューエ様、大変な事でしたね。 ”魔術師の髪を切る”と、云う事の重大さを、ハンネ殿下は、御存じないのかしら?」


 そう言って憤るアナトリー ”あはは”と笑いながら、切られた髪を、撫でつけるマニューエ。


「・・・少し意外ですね。アナトリー様がそんな事をおっしゃるなんて」


 ちょっと、挑戦気味にピンガノがそう言った。 なるほど、上級貴族の間では、マニューエの言動が原因の自業自得が、噂話の骨子となっている。その首魁たるアナトリーが、彼女に同情的なのは、ピンガノやルルにとって意外としか受け止められない。


「何を、おっしゃっているのかしら? 友人がこんな非道な扱いをされているのに、黙っているなど、出来ませんわ。 御二方は、平気なの?」


 反対に正論を言われ、言葉を失う二人。


「まぁまぁ アナトリー様。 別に命を取られた訳では・・・」


「髪は、魔術師の命ですよ! マニューエ様。 いくら帝室の方とは言え、非道に過ぎます。もし、マニューエ様に非が有ったとしても、手を出すなど言語道断ですわ!」


「い、いや、あの、その・・・これは、あくまで、事故ですの・・・その事故なんですよ」


 アナトリーの剣幕に、マニューエがしどろもどろに成りながら答えた。 ピンガノも、ルルも、その話が聞きたかったと、身を乗り出した。マニューエは仕方なく事の次第を話し始めた。


「噂話の前半は大体合ってます。 アナトリー様もご覧に成っていた通り、私はハンネ殿下に、ラマアーン第二王太子殿下が生存の可能性があり、帰国もまだ諦めないで欲しい。自暴自棄になって、ラマアーン殿下に顔向けできない様な事をして欲しくないと、お伝え申し上げました。」


「そ、その話は、・・・本当の事なの?」


 アナトリーは、話の重大さに驚いた。あの時の言葉は、周りで聞く分には、単なる慰めの言葉にしか聞こえなかった。しかし、今のマニューエの口振りから、マニューエには何かしら、ラマアーン殿下の消息に関する情報を持っている事に成る。


「ええ、現在の”北の大陸オブリビオン”の戦況、魔人族の状況、第二軍がほぼ壊滅した場所、および、ラマアーン殿下の消息が不明になった場所。其れを考慮すれば、おのずとラアマーン殿下が捕虜になっている可能性が浮かび上がります」


ルルが彼女の言った事に、敏感に反応した。


「”現在の北の大陸オブリビオンの状況”って・・・例の件の後の状況かい?」


「そうですねぇ。 皆様が”例の件”とお呼びになる、『セルシオ=ヨータ=オブライエン第五王太子殿下が、少人数のパーティで、主戦線の裏口である、レテ要塞から、彼方に渡り、魔人族の魔王を討ったというあの報告』の後の状況ですよ。 あの件も、どうも曰くが有りそうで・・・ 中央平原を実質統治している魔人族の副王の軍勢は、全く勢力を落としていませんし、多分彼方にもその報は、入っている筈なのに、全く軍勢に動揺が無かったと聞き及びます。 反対に、合従連合軍の、獣人軍、エルフ軍との足並みが乱れ、その結果、第一軍の撤退、第二軍の壊滅に繋がったと」


 正確な戦況分析にピンガノが驚いた。 マニューエの言った事は、彼女の父親が屋敷に帰った時に、たまたま戻っていたピンガノに愚痴を言った内容に沿っていた。今、北の大陸オブリビオンに居る軍勢の中で、まともに機能しているのは、第5軍のドワーフ族軍のみ。


 第三軍の獣人族の軍勢は、度重なる戦闘で、壊滅状態で、本国に帰還中。獣人族の王も酷く怪我をして、回復をしようにも北の大陸オブリビオンでは、根本的に治癒できないありさま。”例の件”の報告が入ると、”これ以上、人族の茶番に付き合えるか”と、捨て台詞を残し、第三軍全軍で撤退、本国に帰還していった。


 第四軍のエルフ族は、”例の件”の話が入ると同時に、本国に向け軍を引いた。 彼らにとって、北の大陸オブリビオンは、悪夢でしかなかったからだ。 自身の高い魔法力がほぼ相対消滅し、出来る事は、自前の剣で戦うのみ。 魔法戦力が主体のエルフ族は元々この戦いには引き気味だった。


 第一軍、第二軍の人族の軍勢は、浮足立った合従連合軍の穴埋めに各部隊を当てて行ったが、それより早く、魔人族軍が各方面からの攻勢を開始。 そして悲劇の撤退戦になった。


 第五軍 ドワーフ族の軍勢が橋頭保に籠り、南の大陸ミトオージアとの連絡口を死守している。 撤退中の各軍残余部隊の撤収を支援、最終的に、彼等も撤収する事に成っている。あちこちに散らばって配置されている残余隊の撤収に時間が掛かっており、橋頭保確保に全力を挙げていると言う状態だった。


 この事は、神聖アートランド帝国でも上層部しか知らされていない。娘のピンガノ相手に愚痴を喋り過ぎたと感じた宰相レヒト=エルフィンは、『忘れくれ、どうも疲れているようだ』と、彼女に固く口止めをしたほどだった。どんなに疲れていようとも、帝国の機密事項をうっかり漏らすと云った事の無い彼女の父親が、愚痴と云う形で漏らした事は、北の大陸オブリビオンでの戦争は人族の負け戦となったと彼女は判断していた。


「その情報は、帝国から漏れ出たものですか?」


 ピンガノの懸念は当然の事だった。 もしそう易々と、機密事項が漏れ出てしまうとすれば、戦争で北の大陸オブリビオンを失陥するよりも恐ろしい事になる。 早めに漏れた穴を埋めなければ、帝国の情報の防壁は決壊する。そうなれば、人族の優位な地位などあっという間に瓦解し、南の大陸ミトロージアに戦乱の嵐の時代が訪れる。


「いいえ、違います。 その御懸念は無用です。 私が知る北の大陸オブリビオンの情報は全て私の保護者からの物ですから。 彼方オブリビオン此方ミトロージアを行き来する職業を生業としておられます。 ちょっと特殊な職業ですので、あとの御詮索はご容赦の程を」


 重苦しい沈黙がテーブルの上に落ちた。彼女達にとって、話があまりにも大きなスケールに成ってしまったからだった。


「ごめん。 変な事を聞いて」


 ルルが申し訳無さそうに下を向いた。マニューエもまた、まずい話題を話してしまったとばかりに、空気を換えるために、ことさら陽気な声で、続きの経緯を話した。


「まぁ、そんなこんなで、状況は悪いですが、まだ生きておられる可能性もかなり有りますから、ハンネ殿下にはご納得頂きましたよ、御茶会の夕暮れには・・・でも、なんで、その後、また私が呼び出されたのか、理由は判りませんねぇ」


 もう一度、ルルが声だした。


「それについては、多分、私の方が知っている」


「「なんですって」」


 ピンガノと、アナトリーが声を合わせて驚いた。


「ハンネ殿下が、”あの”お茶会の後、元気を取り戻したって、ピンガノ さっき教えたよね」

「ええ、聞きましたわね」


 ピンガノは、自分の御茶会の後、ルルがやって来て話した内容を思い出していた。 


「ハンネ殿下は、あのお茶会の後、マニューエの事を色々聞いて回っていたそうよ。 でも、女の子には聞かずに、騎士志望の男子生徒。 もっと言えば、護身術の授業でマニューエと同じクラスに居た人達に聞いて回っていたそうよ。私も彼等から、同じ話を聞いたけど、とても信じられないから、ピンガノには言わなかったのよ」


 ルルの言葉に、アナトリーとピンガノは小首を傾げる。ちょっと慌てながらもマニューエは、ルルの言う”マニューエに関する噂”について、話し始めた。


「あ、あのぅ ルル様・・・護身術の授業の話って・・・もしかして、練習用の的を一刀両断にしたとか・・・組打ちの練習で、力任せに掴みかかって来た騎士志望の大きな男の子を片手でぶん投げたとか・・・弓の練習で矢を三本「的」の中央に集中して当てて、矢自体を割ったとか・・・剣で不意打ちされた時に、刃を掴んで奪い取ったとか・・・そういう事ですか?」


 恐る恐る、そうルルに尋ねるマニューエに、本当に不出来な冗談を聞かされた時の様に、”全く馬鹿げた噂もあったもんだ”と、言いたげなルルは応えた。


「そうそう、あり得ないでしょ。マニューエみたいな細い女の子が、歴戦の近衛騎士みたいな事出来るわけなでしょう。あんまり、荒唐無稽だったから、笑い飛ばしましたわよ」


 ルル、ピンガノ、アナトリーが苦笑を浮かべる中、マニューエだけが真剣な面持ちになった。


「・・・それでか・・・ハンネ殿下、下調べしてたんだ」


 笑い飛ばそうとしたルルの言葉に、しんみりとしたマニューエの言葉が被さる。ピンガノはその言葉を捉えた。彼女は此処にいる誰よりも、ハンネの事を知っている。


「そうですよ、マニューエ様。 ハンネ殿下は、誰に対しても必ず先に情報収集をします。自分の敵に成るか、味方になるか、役立つか、不利益になるか。 総合的に評価されますよ。あの方が受けた教育のせいですが、仕方のない事です。 お立場や役割を実によく理解されていて・・・」


「そうね、ピンガノ、その通りよね。 まさに、帝国の藩屏たるを目指そうとしておられるわ」


 アナトリーが暴走し始めたピンガノの言葉を受け取り、強引に締めた。マニューエはどうするか悩んだ。いま、彼女達に言った噂は、全て本当の事だった。だからこそ、ハンネがマニューエに興味を持ったと云う訳だった。 この前提が無ければ、武術練習場での経緯は無かったはずだった。


”結局、自業自得なんだ”


 マニューエは力なく笑った。 




思いもかけない、お話が聞けたわ。 そうか、マニューエには、れっきとした保護者が居るわけね。

それも、大陸を行き来する程の人。 すごいわ。 もっとお話を聞きたいわ。 

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