揺れる金天秤:帝国領 その9
マスターへ:
学院での生活は、驚きの連続です。 平常心を心掛けてはいますが、千々に乱れそうです。
---マニューエ
アナトリーが噂を聞きつけ動く前、ハンネが武術練習場から自室に戻った後、ゴードイン卿は早速マニューエを騎士団の施設に招待しようと画策を始めた。 貴族の令嬢を騎士団の施設に招待すること自体は、多々あったが、身分の明らかでないマニューエを招待するとなると、少々問題があった。 帝国本領を防衛する任に当たっている彼が所属する部隊の法務騎士が渋い顔をするのも、うなづけた。さて、どうしたものかと、思案顔で歩いていると、かつて戦場で共に轡を並べた、第一軍の近衛騎士が声をかけて来た。
「どうした、悩み事か?」
ゴードイン卿は、手短に事情を話すと、その男は頷き、
「お前ほどの漢が、そこまで言うのだから、相当の使い手なんだろう。わかった、俺に考えがある。明日、その者を”第一練兵場”に連れて来て、お前が鍛錬の相手をしろ」
「なんだか、分らんが、お前がそう言うのだから、いい考えなのだろう。よし分かった。明日の午後に”第一練兵場”で」
男が指定した”第一練兵場”は、第一軍の練兵場だった。 ゴードイン卿は、そのことに少々疑問に感じたが、”戦友の言うことだから”と、了承しマニューエに招待状をしたためた。
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朝、精霊魔法学の講義が終わった時に、騎士団の雑用を引き受けている、騎士志望の学院の生徒が、ゴードイン卿の招待状を持って教室にやって来た。 ”昼食後に、騎士団詰所においでください。 ご案内申し上げます”と、簡単にカードに掛かれた文字。 彼女は、”早速来たか・・・”と、諦めに似た感情を持ちつつ、午後の授業の欠席を教師に告げ、ゴードイン卿の待つ騎士団詰所に向かった。
マニューエは、今日もまた、笑顔になった。 昨日は武術練習場で、今日は近衛騎士団の”第一練習場”で、思う存分暴れたからだった。 ”光の精霊神”様からのお願いは、今の彼女には少々重い。そんな気分を晴らすには、体を動かすのが一番だった。 今日の相手はゴードイン卿。 歴戦の手練れということもあり、彼女は、最も得意なハルバードを手に存分に暴れた。
ヴァイスの教える体術、剣術は近距離での戦い。当然、彼女はヴァイスに一太刀も浴びせられない。そこで、彼女は中遠距離での戦いに向いた、槍術、弓術の習得に時間をかけた。ヴァイスもその判断に賛成してくれた。 特に槍術は、彼女に合ったのだろうか、ヴァイスから何度か一本を取ったほどだった。
ゴードイン卿は、おのれの目に狂いは無かった事に歓喜した。幾度も打ち合う槍とハルバード。 扱いの難しい武器を、軽々と的確に打ち込んでくる。戦場で幾度も命のやり取りをしてきたゴードイン卿にとっても、彼女の槍術は稀有のレベルだと感じていた。 もちろん遅れをとるような無様な事はしないが、余裕があるわけでもない。 楽しい。 ひたすら楽しかった。 自然、彼の口元にも笑みがこぼれる。
マニューエの感覚に、ゴードイン卿とは異なる覇気が感じられた。こちらに向かって、何か大きな力を放出するようなそんな感覚だった。 ゴードイン卿と打ち合いながらも、口の中で”呪印”を紡ぎ、防壁を張る。と、同時に、巨大な咆哮がマニューエ達を襲った。
『王者の咆哮』だった。
『王者の咆哮』と俗に言われる覇気の放出は、高位の騎士のみが習得できる。激しく震える空気を感じながら、マニューエは、態勢も崩さずゴードイン卿と、その咆哮を放った「者」を見据えた。闊達な笑顔と、興味深げな視線をマニューエに送りながら、その男はマニューエ達の近くまで来た。
「閣下・・・なぜここに?」
ゴードイン卿がそう声を漏らした。 彼の姿を確認したとたん、槍を背後に持ち、片膝をついた。男の名は、リュミエール=アジーン=アートランド。 帝国第一王太子であった。
「こいつが、ゴードインが面白い”者”と、遊んでおると言ってきてな、覗かせてもらった。 おまえ、名は何という」
「マニューエ=ドゥ=ルーチェと申します。陛下」
マニューエもまた、ゴードインと同じ姿勢になり、頭を下げた。
「お前が、マニューエか。 アルフレッドから、何度か名を聞いた覚えがある。 ハンネの事も耳にしたハンネの事については特に礼を言いたい。あの者は、将来の帝国になくてはならぬ者だ。こんなところで腐るような、道を誤るような者ではいけない。 それを導いてくれたそうだな。 ありがとう」
リュミエールの視線が柔らかくなった。
「こいつが、言うに、マニューエが騎士団の施設を利用できないと、訳のわからぬ事を云った者がいるそうだな。では、その者達の言い分を潰してやる。 マニューエ、君を帝国近衛騎士に叙する。 騎士階級二名の推薦が必要だったな。一人は、ゴードインお前が署名しろ。 もう一人は、そうだな、俺が署名しよう。俺の咆哮を受けてたじろぎもせず立っていた。 十分すぎる『騎士の証明』だな。 おい剣を」
異例中の異例だった。帝国近衛騎士に叙せられるのは、激しい訓練を潜り抜け、身元のはっきりした貴族の子弟だけだった。 魔人族との戦争が起こっていても、軍団のレベルを下げない為、そのルールは厳格に適用されていた。
「我、正当な権利者として、マニューエ=ドゥ=ルーチェを帝国近衛騎士に叙す。 付随し彼女に騎士爵の位を授ける。 皇帝代行、リュミエール=アジーン=アートランドが宣する」
マニューエの肩に剣を置く。
「帝国近衛騎士に叙されるに際し、何か言うべきことがあるか」
定型句だった。ここで、『何か』を言う者はいない、普通は。
「帝国近衛騎士の称号を受けし事、誠に光栄至極に存じます。が、一つだけお願いがございます」
リュミエールは、沈黙を守るはずのマニューエが言葉を発した事に、驚きと興味を覚えた。
「ん?なんだ、申してみよ」
「はい、この身分を称するのは、ここ帝国騎士団の施設内において、必要な時にのみとさせて頂きたいと存じます。また、爵位についても、記章、敬称、身分を表すものの着用、呼称を、ご容赦願いたく存じます」
マニューエは頭を垂れたまま、リュミエールにそういった。 彼は、彼女の言葉を聞き、その理由に興味を覚えた。
「・・・何故だ?」
マニューエは此処で引けば、周囲が大変な騒ぎになることを理解していた。なるだけ穏便に済ませたかった。
「帝国内の錚々たる皆様の御心にかなうよう、努力いたしますが、皆様の御立場をほんの僅かでも棄損せしむような事は本意ではございませんので。何卒、ご容赦を」
リュミエール王太子は、彼女の言葉にちょっとした驚きを感じた。騎士爵に叙せられ、近衛騎士の身分を得た者はその誇りを胸に堂々と周囲に披露する。 それだけの権威がある称号だった。 しかし、それをマニューエは隠そうとする。誇りを拒否するのかと思えば、そうではなかった。 この叙勲は、異例。 リュミエールの暴走ともいえる。 厳格なルールを適用している帝国騎士への見極めを、全て無視しているようなものだった。 それをマニューエは理解し、リュミエール王太子への批判を最小限にしたいと言っていると、彼は理解した。
「 マニューエ、君が何を云おうとしているか判った様な気がする。 うむ、あい分かった。 その方の言い分、真にもっともである。 その願い受け入れよう」
「ありがとうございます」
マニューエは、ホッと胸をなでおろした。 今でも若干悪目立ちしている。 声を掛けて来たのが、帝国内で最上層の人々だったからだ。 出自について、『秘匿するように』と、”マスター”と”御師匠様”に言われ、そうしていることが、反対に人の目を引くらしかった。彼女にはどうすることも出来ない、人の性と言うべきものか。隠すほどに目立つ。
そんな中で、自分が騎士爵に叙せられたと、学院の人々に知れようものなら、今度はどんな騒動を引き起こすか知れたものでは無い。望んで嵐の中心になろうとは、思っていない。だから、彼女は慣例を無視し、リュミエール第一王太子に願い出たのだ。 幸いな事にそれは受け入れられた。 特別な場合を除き、彼女はこれまでと同じ単なる”帝国学園の一般生徒”という立場を、辛うじて守ることができた。
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アナトリーは手始めに、噂の収集に努めた。 あの茶会の時、マニューエの言葉にハンネが反応し、二人の間に何かしらの誤解が生じた事は知っている。 その日の夜半、ハンネに連れていかれた後の事を、侍女頭のクラシエを介し、連絡を取った。 マニューエに彼との間に起こった出来事を、手紙で尋ねる為に。 マニューエからの返事の中では、”ハンネ殿下との間の色々は解消している。 ハンネ殿下は、とても紳士的に”お話”をして頂き、ご心配されるような事は全くなかった。”と、書き記されていた。
お茶会の後、ハンネから、マニューエについて色々と尋ねられた。 とてもよく気が付く良き人で有る事。今はまだ、表に出しては居ないが、自分はマニューエの事を大事な「友人」だと思っている事。そんな事をハンネに伝えてもいた。其れゆえに、何故ハンネが彼女を”武術練習場”に呼び出したのか、判らなかった。
侍女頭のクラシエにも手伝ってもらい、その辺りの事を中心に何が有ったのかを調べていた。もちろん、自分も調べるために、アナトリーの御茶会の席で取り巻いている貴族の娘達にそれとなく、尋ねてみた。
一体、この噂、何処まで本当のことなのでしょう




