揺れる金天秤:帝国領 その8
マスターへ:
とっても楽しい時間でした。そうそう、髪を切りました。ちょっとへんですけど。
---マニューエ
マニューエは、”我が体は鋼、我が剣は牙” と、呟くようにそういう唱える。彼女の穏やかな淑女の雰囲気が歴戦の戦士のそれに、がらりと変わった。 トーン、トン とその場でジャンプするマニューエ。口元には ”楽しくてしょうがない” と、云うような笑みが浮かんでいる。
ピシッ と、張り詰めた緊張が走る。
今度はマニューエから仕掛けた。ハンネは長剣でいなそうとしたが、予想より遥かに重い斬撃に受け止めるだけで精一杯になった。連続した打突を弾き、流し、受け止めるハンネ。 マニューエの動きはどんどんと加速してゆく。
ゴードイン卿は、マニューエの切れのある動きから、目が離せなくなった。一つ一つの斬撃の正確さもさることながら、いなされ、弾かれ、流された太刀筋が、そのまま次の攻撃の予備行動になっている。どのような訓練を、どれだけこなせば、この域に達するのだろうか? 彼は自問しながら、マニューエの動きを目で追った。
マニューエの上気した明るく朗らかな笑顔に、ハンネは驚きをもって対峙していた。
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彼の父、ラマアーン第二王太子の行方が分からなくなった後、巷の噂話に鬱々とした時期に、近衛騎士団の練習場で仲間達を相手に激しく鍛錬していた時の事を思い出していた。 嫌な気分を一掃しようと、訓練に打ち込んだが、彼の剛剣に仲間たちは恐れ慄き、こうやって打ち合った際には、皆一様に苦しい顔をしていた。そのうち、誰もが彼の練習相手を丁重に断るようになった。相手をして呉れと頼んでも、誰もが同じ答えを返して来るようになった。
”貴官の剣についていけません”
ただ、ゴードイン卿だけはハンネに苦言を呈していた。
”硬すぎる鋼は、折れますぞ。 柔軟にして、強くなければ"
頭では理解できる言葉も、現実には出来ずにいた。ゴードイン卿は近衛魔法騎士。近衛騎士たる自分の未来を見せてくれるわけではない。彼を導くべき ”者達” は、彼の父ラマアーンと”北の大陸”へ赴いて、未だ帰還していない。最近では、剣を、槍を一人で振るう。自分を見失わない為に。
マニューエと剣を交えると、一合毎に、自分の至らない部分に気付く。周囲を圧倒する力だけでは、彼女に一太刀も浴びせることはできない。 現にハンネの剣は、彼女に届いていない。 彼女の動きの中に”ヒント”あるのだ。それを見極めるために、ハンネは増々激しく剣を振るった。
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ゴードイン卿は、マニューエの動きに変化を見つけた。歴戦の戦士の戦い方はそのままに、ハンネに対し彼の欠けた部分を見せつけるような動きをしていた。 常々、ハンネには ”鍛えすぎた鋼は脆い” と、諭してはいたが、彼自身でそれを見せることは出来ていなかった。近衛魔法騎士と、近衛騎士では戦い方が違う。
歯がゆく思っていていたが、それを、この少女がハンネに見せつけている。 ”剛にして柔” まさしく、ゴードイン卿がハンネに伝えたかった戦闘スタイルだ。ハンネの自尊心を折ることなく、彼をより高みへと導くような、一緒に高みを目指そうとするような、そんな意思を見たような気がしている。
”これでは・・・まるで、国軍の実戦指導だな。 彼女が居れば、ハンネ殿下は、より強くなる”
誰に言うでもなく、ゴードイン卿は心の内でそう呟いた。
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”ハンネ殿下は確かに御強いわ。でも、剛よすぎるの。 有利に流れると、自分の得意な形にもっていこうとして、強引に力で”ねじ伏せよう”とする。 そうじゃないの。 ハンネ殿下、そうじゃない”
マニューエは、かつて自分が通った道を、ハンネが力づくで通ろうとしていると感じていた。まるで、もがき苦しんでいる様に見えた。誰も彼を導けなかったのだろうか。マニューエは、自身の経験から、ハンネ自らの力だけで、其処へ到達するには「命のやり取り」の経験が足りないと感じていた。
”剛を突き詰めても剛にしか到達しない”
マニューエが、”迷い”を感じた時、ヴァイスが語った”言葉”だった。 そして、かつてヴァイスがしてくれたように、マニューエはハンネに道を示そうとした。 徐々にハンネの剣筋が変わる。 マニューエの口元の笑みも、それに従い徐々に大きくなった。
”そう、そうなのよ。 ハンネ殿下、貴方は聡い方。 もう直ぐそこに、次の段階への扉があるわ”
よくなめした革のように、ハンネの剣筋が変わった。剛さの中に柔らさが生まれた。弾かれた軌道は、修正を加えられた後、次の打突の軌道と重なる。
そして、彼の横薙ぎの一閃が、マニューエをとらえた。
――――――
ゴードイン卿は、ハンネ達二人の動きから、城で開催される舞踏会の広いダンスホールで、皇帝がその妃と踊る様を、なぜか思い出していた。 曲は”円舞曲”。 流れるような華麗なダンスで、二人から、笑顔が零れ落ちる。出席者達は、その光景にうっとりと感嘆の息を漏らす。一挙手一投足が計算され尽くしたダンス。
その情景が、今に重なる。最初にリードしていたのはマニューエ。しかし、それは、ハンネに移った。ハンネがリードするダンスは、どんどんと洗練され行く。残念なことに、本当に残念なことに曲が終盤に差し掛かる。ついに、ダンスは、最終章の最後のステップに入る。 そして、曲は終わった。
「そこまで!」
ゴードイン卿の大きな声が練習場に響き渡る。 ハンネの横薙ぎの一閃がマニューエの脇をとらえ、彼女は大きく弾き飛ばされて、ゴロゴロと床を転がった。ハンネの残身が、一分の隙も無く決まっている。
「勝者 ハンネ殿下」
そう、言われて、ハンネは ”ハッ”とした顔つきになった。床に座り、破れた制服を気にしているマニューエの傍に駆け寄った。
「マニューエ! すまない。 夢中になってしましった」
「いいえ、殿下。 謝らないでください。 私も、とても楽しかった。 殿下の”迷い”は、吹っ切れましたか?」
「ま、マニューエ・・・君は・・・」
「何かを会得するときには、時として、痛みを伴います。 ”迷い”を晴らし、何かを会得する、お手伝いができたのなら私は、とても幸せですのよ」
「・・・ありがとう。 本当にありがとう。 心から礼を言わせてもらう」
マニューエの息はもう乱れてはいなかった。見つめ逢う二人の下に、ゴートインがやってきた。そんな、二人を見るゴートインの目は、どこまでも優しかった。
「殿下は、会得されたのですね。 良き鋼になられました。 マニューエ殿、貴方は・・・」
「ノドバン=ゴードイン卿、私はただ、殿下と手合わせしただけです。 もう、このような機会は二度とはないでしょうし、精一杯務めさせていただきました。 殿下はとても、”御強い”ですね」
にっこりと笑うマニューエに、ゴードイン卿は戸惑った。 もし、ハンネがもっと高みを目指すならば、彼女が必要なことは、自分の”両の目”で見て、確信していた。彼女が次の機会は無いと口にしたのは、ゴードイン卿にとって、とても残念な事だった。
「もう、手合わせしてくれないのか?」
ハンネが心底残念そうな声でそう言った。
「・・・殿下。 この場所に何度も呼び出されますと、かなり目を引きますよぉ。殿下は有名人ですから。その度にボロボロになった私が、ご一緒していると、殿下にとって、”とても良くない噂”が広がってしまいます。ご自重くださいませ」
「・・・」
もっともな話だった。ハンネは帝室の一員である自分の立場を忘れていた。 あまりに楽しくて、充実していたので、すっかり失念していた。 悄然と項垂れるハンネ。 やれやれと言いたげな目をして見つめるマニューエ。そんな二人を見て、”状況が許せば、マニューエ殿がまたハンネ殿下と高みを追えるのでないか”と、ゴードイン卿は思案し、ある提案をした。
「マニューエ殿は、近衛騎士団に興味はござらんか?」
「はい?」
「私、ノドバン=ゴードイン卿がご案内して差し上げます。広い施設ですから、何度も来ていただかないと、すべてをご案内することは出来ませんが。どうでしょう?」
ゴードイン卿の言外の言葉を間違わずに受け取ったマニューエは少々逡巡したのち、彼の言葉に応えた。
「・・・お心のままに」
きょとんとするハンネに、ゴードイン卿が続けた。
「幸いな事に、殿下が練習場に入られると、皆、退席しますな。 それに、殿下の、あのような楽しそうな御顔、久しく見ておりませんでした。 ・・・私も、できるなら、その”楽しさ”を味わってみたく思っております」
ニヤリと笑うゴードイン卿。”ここでは目立ちすぎる。だから、俺がマニューエ殿を招待する形で近衛騎士団の施設へお連れする。 殿下もマニューエ殿と手合わせがしたいのならば、近衛騎士団の練習場を使え。出来るなら自分も参加したい”との、言外の言葉を過たずハンネは受け取り。ニヤリと笑い返す。
「良く、ご案内差し上げろ。 大切な友人だからな」
「仰せのままに」
マニューエは、彼女だけが聞こえる ”清らかな鈴の音” の耳を傾けていた。
”光の精霊神様も、賛同していただけますのね。”金の上皿”の安定に役立ちますのなら、喜んで行きましょうか”
マニューエは、ニコニコと微笑みながら、そんな彼らを澄んだ瞳で見ていた。
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「第二王太子ラマアーンが令息、ハンネ殿下が、増上したマニューエを叱責した。泣いて許しを請うたらしい彼女の髪をお切りになった。」という、噂話がたちどころに学園内を駆け巡った。事実、顔の左側の浅銀色の髪だけ、ざっくりと切られたマニューエ、それを隠そうともしていない彼女の態度に、
”そのままでいろ、それが謝罪の代わりだ” と殿下が言い付けられたとか・・・”
との、尾ひれまでついている。
その噂の出処は、真っ赤な顔をしたマニューエが切られた髪を隠そうともせず、ボロボロの制服のまま、学園の武術練習場から出て来るところを見た生徒達だった。
ハンネが、マニューエをつれて人払いをした学園の武術練習場に入ったことは、何人もの生徒達が見ている。ただし、部屋への入り口には近衛騎士の歩哨が立ち、中の様子は伺えなかった。 数時間してから、練習場から出てきたのは、マニューエだけだった。
確かに、マニューエは上気した顔をしていたし、顔の左側の髪がざっくりと切られている。制服も汚れていた。練習場の中で何が有ったのかは伺いしれないが、それまでの噂話から、そんな噂話が飛び交うようになった。その噂話に心を痛めた人が、一人いた。 アナトリーだった。
遠目で彼女の姿を確認したアナトリーは、気絶するくらい驚いた。其れからの彼女の行動は早かった。
な、なんてことを・・・




