揺れる金天秤:帝国領 その7
マスターへ:
練習試合をしました。 ムキになってしまいました。
ヴァイス様に顔向けできない・・・
ーーーマニューエ
ハンネは近衛騎士第一種軍装を身につけていた。実用一辺倒の近衛騎士専用の軍服だった。マニューエを連れて行った先は、数週間前、マニューエが破壊した練習用の的がある、「武術練習場」だった。学園内の回廊を歩く二人の姿は、”きっとハンネ殿下が直接叱責されるのだろう”と、誰もが思うほどに、ピンと張り詰めた空気を醸していた。
二人が、武術練習場に入いると、歩哨が扉を閉じ、中に誰も入れないようにした。 練習場の中では、同じ軍装を着けた男が一人、彼らを待っていた。
ずっぱりと切られた、練習用の的を指さし、ハンネは言った。
「あれをやったのは君か?」
「あれ・・・弁償しなければなりませんか?」
「そうじゃない。あの太刀筋は、君のものか」
「ええ、久しぶりだったので、ちょっと乱れましたが、私がやりました」
「あの太刀筋・・・あれだけの斬撃を打てる者なら、”問題”は無いだろう」
「なにがでしょか」
「僕の相手にだ」
「はぁ・・・そのお姿からそうではないかと、思っておりましたわ」
「君の事は、色々聞かせてもらった。しかし、どうも信憑性にかける。だから自分の目で確かめたい」
「別に構いませんが・・・どうなさったのですか?」
「お茶会の時、酷く礼を失した事をしてしまった。 それで、君に詫びを言いたかったのだが、僕は、君の事を何も知らない。そこで、君の事を少し調べてみた。・・・信じられない事ばかり聞かされた」
「・・・別に、失礼だなんて、気にしてませんから、私は」
「僕の気が済まない。しかし、君に関する話を聞いて俄然、君に興味が沸いた。そこで、君に関する話が本当かどうか確かめてみたくなった」
「・・・ずいぶんと勝手な、お話ですこと。 でも、嫌いじゃありませんよ、そんな素直さは」
マニューエは、ハンネの言葉に、半分困惑、半分好奇心でそう答えた。 朗らかに笑いながら、ハンネは続ける。
「ははは。 では、きちんとお願いしよう。 マニューエ、僕と手合わせ願いたい」
マニューエの微笑に困惑の度合いが深くなった。
「喜んで・・・とは、言えませんが・・・ どのような方法で?」
「一人、監視役と云うか、立会人を用意させてもらった。 彼は僕の指導係だ。お名前は、ノドバン=ゴードイン騎士爵だ。第二軍所属の近衛魔法騎士でもある。もし、僕が君を傷つけてしまっても、彼が治療魔法で直してくれる」
マニューエは、ハンネの隣で彼女を観察するかの様な目をしたゴードインに対し、貴族に対する礼を捧げる。ゴードインは無言で答礼した。彼女は、言葉を続ける。
「ノドバン=ゴードイン騎士爵様。お初にお目に掛かりります。・・・つまり、ハンネ様は”手加減はしない” と、そう云う事ですね」
「手合わせで、”手加減”などと・・・、その方が失礼だろ。 で、何を使う?」
「・・・では、兄弟子から譲り受けた”木剣”で」
「木剣?」
「練習用にと頂きました」
「話に聞く、”バルバード”では無く?」
「”あれ”は、護身用です。”あれ”を見たら普通の人なら竦むでしょう? 出来るだけ非戦で事をすます為の方便です」
「そうなのか。 ・・・ところで、マニューエ、防具はどうするんだ。此方で用意しようか?」
「自分用の物を持っていますので、しばしお待ちを・・・」
収納鞄から、革と金属プレートで作られた籠手と、膝までカバーする戦長靴を取り出した。腕に籠手つけ、靴を戦長靴に履き替えたマニューエは、次に、制服に ”防御の呪印” を施した。最後に、収納鞄から”黒芯の木剣”を取り出すと、収納鞄を壁際に置いた。
「準備できました」
「よし、・・・ゴードイン教官、頼みます」
中央に二人を呼び、その間に立つ。試合方法の説明に入るゴードイン。とても華奢で非力に見えるマニューエを心配して、ゴードインは特別ルールを一つ付け加えた。
「近衛騎士団教本式の試合形式を用いる。ルールは・・・以上だ。もう一つ、付け加えるルールがある。両者、首から上は打突禁止だ。特にハンネ殿下、貴殿の相手は”うら若き女性”だ。貴殿なら出来るだろう」
「はい」
「互いに開始点まで離れ、私の合図で始める。いいね」
「はい」
「よしなに」
「勝敗は、私が決めるか、両者のどちらかが、負けを認めるまで、続行する。武器は・・・お嬢さんが”木剣”、ハンネ殿下が練習用の”短槍”と”長剣”、多少の怪我は私が居るからいいが、致命傷になる様な攻撃は、互いに寸止めを心掛ける様に」
「はい」
「はい、判りました」
「では、両者開始点まで後退。・・・はじめ!」
マニューエとハンネは試合の開始点まで下がった。 ゴードインの開始の合図で、まずハンネが動いた。
ハンネが槍を扱く。
うなりを上げて穂先がマニューエに襲い掛かった。
反射的にマニューエは”半歩”体をずらし、穂先を弾く。
弾かれた穂先が弧を描いて、もう一度 彼女に襲い掛かる。
槍自体が、生き物の様な動きをした。ハンネの腕は、彼の所属する帝国近衛騎士団、第二軍本領防衛隊でも有名であった。
襲い掛かる槍の穂先を躱しながら、マニューエは一気に間合いを詰める。
ハンネは槍を引く。
ハンネの次の打突に移る動きよりも、マニューエの足の方が早かった。
彼女の手にある木剣がハンネの護拳に襲い掛かる。
”間に合わない”と、咄嗟に判断したハンネは、即座に槍を手放し、一足飛びに後退する。
ハンネの護拳の有った位置に木剣が叩きこまれ、固く高い音が響いた。
槍は武術練習場の壁に一直線に飛んでいき、甲高い音と共に刺さった。
一連の攻防をみて、ゴートインは感嘆の声を上げた。
”ほう、やりおる。殿下の槍の腕前は相当なもの。 それをいなし、弾き、懐に飛び込む。 かなりの修練を積んで居なければ出来ぬ動きよ。マニューエとやら、ただ者ではないな。 ん、殿下、長剣に持ち替えるのか? 殿下も本気を出されるのか。止め時が難しくなるな。”
背負った長剣に、躊躇いなく持ち替えるハンネ。身のこなしが格段に上がる。
先に動くのはやはり、ハンネだった。マニューエに撃ちかかる。斬撃の重さは隊内随一
マニューエは、斬撃をいなす。しかし斬撃の重さにいなしきれず、身体が泳いだ。
ハンネの剣が間髪を入れず、追撃に移る。斬撃、攻防、十数度の打ち合い。
辛うじて、マニューエは、その鋭い剣筋を凌いでいたが、ついに壁際に追い詰められた。ハンネがとどめとばかりに、左胸に剣を突き入れる。マニューエ木剣がその軌道をわずかばかり上にそらした。
彼女の顔のすぐ左側を切っ先が通り抜け、美しい浅銀色の髪を一房、壁に縫いとめた。
戸惑いもせず、倒れこむように躱し、円弧を描いて、距離をとるマニューエ。 ざっくりと左側の髪が切られていた。
「それま・・・」
「まだです。 私はまだ、降参いたしません」
ゴートインは、もう十分と試合を止めようとした。目を細め、乱れた息を整えたマニューエがそう言って続行と求めた。ハンネも嬉しそうに壁に刺さった長剣を引き抜き、マニューエに対峙した。マニューエが口の中で何かを唱えると、床に散らばった、月の光を固めたような彼女の髪が光の粒になって霧散した。
「人の子に、ここまで追い詰められるとは。ヴァイス様に顔向けできませんわ」
何者だ? この生き物は。




