揺れる金天秤:帝国領 その6
マスターへ:
なんだかアナトリー様と、お友達になりそうです。
---マニューエ
夜半
マニューエが深夜のお茶を飲もうと思い、カップにお茶を注いていた丁度その時、密やかなノックの音が部屋の扉から聞こえた。もう深夜と言ってよい時間だった。 何事だろうと、彼女は扉の前まで行き、声を掛けた。
「どなたでしょうか?」
「アナトリー=アポストル=キノドンダス上級侯爵令嬢の侍女に御座います。 我が主より『ご友人』へ「内密のお手紙」お渡したいと由、持参してまいりました」
微かに聞こえる声は、辺りの気配を探り、此処に居る事を誰にも悟られない様にと極力気配を殺したものだった。一応”探索の呪印”で探る。特に危険は無いようだった。静かに部屋に招き入れ、扉を閉めた。
「マニューエ様、主人より”夜分に押し掛ける事を許してほしい”との”お言葉”、預かってまいりました。 侍女頭のクラシエと申します。 此方に主人より預かりました書状がございます。お受け取り下さい」
「ええ、確かにお受け取りしました。 お返事は・・・要りそうね」
「申し訳ございませんが。マニューエ様から一筆頂けると、有難いのですが」
「わかりました。暫くお待ちいただけますか? そこにお掛けになってください」
マニューエの言葉にクラシエは驚きのあまり固まっている。貴族の方々は、使用人の事は空気か何かと思っているようで、通常は彼等の前に出た場合、直立不動で待つことを叩きこまれる。マニューエはアナトリーから”友人だから”と言う言葉を告げられていたので、きっと名のある銘家の方と思っていた。それが、アナトリーの使用人である自分に対し、彼女の主人であるアナトリーと同等の扱いをしようとしたのである。
「いえ、私は・・・」
「お返事、書きませんよ?」
「・・・わかりました。 なるほど、変わってらっしゃる」
「そうかしら、お茶も入れるから。貴方はこの部屋に始めていらした、お客様ですからね」
マニューエの拒否は認めませんよと云うような視線に、クラシエは折れた。
「いくらなんでも・・・わかりました・・・」
部屋に備え付けのテーブルにクラシエを着かせ、先ほど自分用に入れたお茶とは別に、新しい茶葉でお茶を入れ、カップに注ぎ、彼女に渡した。鮮やかな手つきにクラシエは目を丸くしている。その様子を微笑みなら横目で見つつ、机に向かった。
アナトリーから貰った手紙をざっと”探索の呪印”で確認する。この手紙は、”招待状”と違い、何も仕掛けは無い。本来の意味での手紙だった。机に付き、封筒の封を切り手紙を取り出す。”美しいと筆跡だなぁ”と、マニューエはまず字の美しさに見とれた。
手紙には、”御茶会”に行った事についての感謝の言葉から始まっていた。本題は二つ。
マニューエが嫌な思いをしてまで、サロンにくる必要が無いが、今後とも”友人”として、付き合っていきたい。そのため、この手紙を届けさせたクラシエに、仲立ちを頼むこと。
もう一つ、ハンネとの間の事。 かなり強引にサロンから連れ出された事を気にしている、また、乱暴な事をされていないか心配もしている
と、書かれてあった。見事な結文で締めくくられた手紙を丁寧に封筒にいれ、机の中にしまう。クラシエに向き直り、彼女に告げた。
「お手紙読みました。 これからアナトリー様とのご連絡はクラシエ様を介して行うとのことですが?」
「えっ、ええ。そうですね。 あの・・・私に”様”などと・・・」
「嫌?」
「そうでは、なくて、勿体ないなく・・・」
「あははは、なにが勿体ないのかしら? 貴方が私を呼ぶときに”様”ではなく”さん”と呼んでくれるなら、私もそうしますわ」
「えっ、そ、そんな」
「いいでしょ?」
「ええ・・・そこまでおっしゃるのなら」
「決まりね。で、どうするのクラシエさん」
「えっとですね。お嬢様からご連絡が有る場合、私が マ、マニューエさ・・・マニューエさんの部屋の手紙入れに入れます。マ、マニューエさんからのお返事は、私が頂いている部屋に手紙入れに入れて下されば、お嬢様にお渡しします」
「わかったわ。 良い案ね。 よろしく頼みます、クラシエさん。そうそう、”お返事”書かなくてはね」
机で返事をしたためるマニューエ。暫く、ペンが紙の上を滑る音だけがした。 返事には、
アナトリーの案にはすべて同意する事。
今後の連絡には”クラシエさん”を介する事。
提案として、直接会う場合には”クラシエさん”の部屋を利用する事。
ハンネとの間の色々は解消している事。
ハンネは大変紳士的にお話をして頂き、ご心配されるような事は全くなかった事
を書き連ねた。真っ白な封筒に、”アナトリー様へ”と、表書きをし封印で閉じ、クラシエに渡した。万が一クラシエが紛失した場合の事を考え、アナトリー以外が開封すれば、文字が消える様に”隠筆の呪印”を施した。
「必ず、アナトリー様が開封してくださいね。そうでないと、白紙に戻ってしまいますから」
「・・・それは・・・魔法ですの?」
「”魔技”ですわ。アナトリー様の御立場から、アナトリー様以外が決して読むことが出来ない様に、”印呪”を施しました。精霊魔法の一種と思っていただければいいですわよ」
「左様でございますか。お伝えいたします。では、おいとま申し上げます。・・・あの、お茶美味しかったです」
「それは、良かった。 それでは、ごきげんよう」
「あ、有難うございす。・・・ごきげんよう」
来た時と同じように、密やかに彼女は帰っていった。ふぅと一息入れ、お茶の続きを飲み、”今日は、疲れたからもう寝よう”と、就寝の準備を始めた。
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翌日からも、いつもと変わらぬ一日が始まった。 違うのは、昨日の”アナトリーの御茶会”でハンネを激怒させ、サロンへの出入りを禁止されたという噂が飛び交っている事だった。マニューエにしても、そっとしておいて暮れるなら、別段気にも留めずにいた。
週の初め、教室に入ると、今までよりもさらに警戒されていることが分かった。マニューエ自身は、淡々と授業を受けていたが、同じクラスの生徒達は男女を問わず、マニューエと目を合わせる事すらしていなかった。 クラスメイト達は、学園最大にして、最も影響力のある派閥に”はじかれた者”と何らかの接触が有るだけで、どんな問題が発生するか予測も出来ない為、今までよりも遠巻きに彼女を見る事しか出来なかったからだ。
ある日の午後、魔法術の授業が寮へ帰ろうと立ち上がった時、教室の入り口に見覚えのある顔があった。
「マニューエ、時間が有るなら、ちょっと付き合え」
ハンネが立っていた。教室に残っていた生徒達が固まった。
「丁度、自室へ帰ろうかと思っておりました・・・どちらへ?」
「確かめたい事が有るんだが」
「ええ、宜しいですわ」
マニューエは、ハンネの後に続いて教室を出て行った。
ちゃんとお手紙届いたかしら?
お返事頂ければ良いけれど。




