金の分銅 : お荷物、お運びいたします その4
いろいろ 事情はあるのです。
クランクハイト=フォン=ベルクライス伯爵は、公都「クレーメンス」の自分の屋敷で籠っていた。 姪のエリザベートが未だ見つからない現在、仲間の貴族からも憐みの情を持たれている。
伯爵は公国の内務に携わっている。主に交易品の監視や領内の経済状態の維持だった。 公国の税の徴収も彼の職分になっている。表での評価は”可もなく不可もなし”
一人で担当する事では無いので「出仕しても仕事が手に付かず、迷惑をかける」と云う彼の言葉に、代わりに仲間内の貴族が彼のカバーをしていた。弟君家族の消失が衝撃となって、なにも手に付かないのであろうと、周囲は理解を示していた。
”昨日は城へ行ったので、行けなかった。今夜は、別宅へ転移門で行こうか。”
書斎で寛ぎながら、彼は手にした酒を口元に持って行った。
今は亡き妻は、彼の飲酒を好まなかった。というより、彼のする事は何もかも気に入らなかった。彼女はこの家に嫁いだ事を常に悔いていた。親同士の決めた婚姻に嫌とは言えなかったが、クラインハイトに愛情を覚えた事など一度も無かった。実家が男爵家でなかったら、こんな事に成っていなかった筈だと、口に出した事さえあった。そんな彼女をクラインハイトは寂し気に見る事しか出来なかった。
流行り病で、生きる気力の無かった妻が逝ってから、彼の酒量は一気に増えていた。
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クラインハイトは伯爵家を護るために、幼少期からずっと厳しく教育されて来ていたが、彼自身はいたって平凡な男のだった。体格こそ大きいが、武術はからきしダメで、帝国本領の”帝国学院”に入学すると、もっぱら”魔術”の習得に力を入れた。
しかし、彼の”魔術”の能力は国家保護を必要とされる程でもなく、そこでも可もなく不可もなく学園生活を送っただけだった。容姿も平凡で、学園生活でも公国に帰国してからも浮いた話一つなかった。周囲の貴族からは身持ちの固い堅物と思われていたが、彼自身はなんとか、女性からの好意を勝ち取りたいと願っていた。
彼にとって残念なことに、身近に綺羅星が存在した。彼の弟、グランツ=フォン=ベルクライス準伯爵だった。文武の才能に満ち溢れたグランツは、幼少の時からその才能をいかんなく発揮し、十二歳になり”帝国学院”に進むと、学園の教師たちにも一目を置かれるような偉丈夫となった。
更にグランツは類い稀な”美しい”と表現される容姿の持ち主だった。彼の周囲には女性がいつもいて、数々の浮名を流していた。
何もかも正反対の弟は、成人の後、公国国王陛下より準伯爵の爵位を賜り、帝国本領の貴族の美しい娘を娶った。おりしも、始まっていた魔人族との今次大戦で、第一王太子の側近として参戦。初戦で北の大陸の橋頭保確保から内部に侵攻した。公国にも「その報」は届き、一時期熱狂した。 あの地での戦闘で負傷し、第一王太子の勧めで一旦凱旋した後、「例の件」、第五王太子が魔王を討った件が起こり、グランツも家族と共に、一度公国に帰国する事になった。
クラインハイトには子が無く、妻にも先立たれていた為、姻戚達がフランツをして、ベルクライス伯爵家の当主に、との声が上がって来た。あからさまにクラインハイトを蔑む者も出始めた。
しかし、周囲の者達はクラインハイトの隠された力には気が付いていなかった。と、云うより余りに平凡な彼に忘れていた。彼の守護精霊は”闇の精霊”彼の家は本来魔道をもって公国に使える家だった。魔族領域と境界を接する公国の特殊事情の末生まれてきたのが彼の家系だった。そして、彼自身も帝国学園で学び、身に着けたのは”魔導士”としての力だった。彼は、自分自身の為にも、公国の公式な立場の為にも、極力その力の発動に制限を掛けた。帝国本領の認識では、魔道を使える者は、魔人族だからだった。
本来、人族は闇の精霊の加護は受けない。従って、魔道も習得できない。出来る者は魔人族だけのはずだった。しかし、対魔人族の戦いにおいて、彼らの力と同じ力が無くては対抗手段も取れない。防壁一つを取ってしても、魔術者の防壁だけでは、魔道の攻撃魔法に対し、完全に防ぐことは出来ない。そこで、何代にも渡り、魔人族と交わり、”闇の精霊”の加護を受けられるように人為的に作られたのが彼の祖先だった。
今では、魔道術の”呪印”も発見、研究され、もはや彼が、その存在すら、必要とされることは無い。クラインハイトは、自分が本来の意味で必要とされておらず、”闇の精霊”の加護を受けていない弟がこの家を継ぎ、その役目を永遠に手放す事もある意味、納得していた。
・・・グランツと彼の家族の言葉聞き、あの目を見るまでは・・・
グランツが帰国して、屋敷で出迎えた時、胸に激しい情念が沸き起こった。今までに無い感覚だった。美しい弟の妻、さらに瑞々しく清楚な姪。 何も持っていない自分、何もかも手に入れてしまう弟。邪な感情が彼の中で激しく巻き起こった。
彼は耐えた。耐えに耐えた。 気を緩めると、暴走を始めようとする身の内の悪魔。 魔道本来の凶悪な妖気が渦巻く。 それを抑えつけたのは、ベルクライス伯爵家当主としての矜持と誇り。グランツは、そんな兄を見誤った。ベルクライス伯爵家の血脈の秘密は『”闇の精霊”の加護を受けている』次期当主にしか教えられない。”闇の精霊”の加護を受けていないグランツは、何も知らなかった。
だから、周囲の戯言や、甘言に、易々と乗せられ、”言ってはいけない事”を、深く考えもせず発してしまった。
「クラインハイト伯爵は、この春に隠居されてはいかがです? あとは、この私がすべてを引き継ぎますよ」
晩餐の席、執事、使用人たちはグランツの言葉に固まった。グランツの視線に嘲りの感情が入っていた。グランツの妻は、”あら、まだ言ってなかったの?”とでもいうかのように、彼らの娘エリザベートはも同様の視線を送ってきた。その言葉の外側には、”お前はもう用無しなんだよ”の意味が隠されもせず浮かんでいた。執事や、使用人達の目も、”その時が来た”と。
今にも決壊しそうな、満水のダムに火球を当てたようなものだった。
”こいつ、ベルクライスの血がどんなものかも知らない。それはいい、この家系もいずれ歴史から退場する筈だった。しかし、今じゃない。こいつは、俺の努力は何も理解していなかった。ならば、いっそ派手にぶち壊しても構わないのではないか。魔人族の血と”闇の精霊”の加護があるこの家の当主として、すべてを終わらせても”
自信の呪われた血に対する自制心が吹き飛んだ。そこからは早かった。自分が疑われない様、勧めに従って王宮に隠居願いを差し出し、この春の終わりをもって、グランツに家督を譲ると宣言した。グランツにも、一度領地に顔を出し、顔繋ぎをしておいた方が、何かと有利に事が運べると示唆した。国王も姻族達も貴族達も皆が納得し、全ては順調に伯爵家継承の準備に入った。
”せいぜい踊ってもらう。我が家系の役割を忘れた者達には道化師役が当然だ”




