金天秤 光の上皿: 魔法使いの弟子っすか その8
いやぁ、成り行きでね
『水の精霊女王の安息地』は「龍背骨」山脈の北東部に広がる「黒い森」の最深部にある。清冽な水を満々と有する湖の南側に少しだけ開けた場所。水の精霊達の聖地にして、大精霊「水の精霊女王」の棲家。その圧倒的な精霊の気に獣も人も入ってこれない。 タケトはこの周辺で水の精霊達以外を見た事が無かった。
食事を終え、荷物を片付け、出発の用意が終わる頃、一頭の獣気配が湖の北側に現れた。タケトは気が付いていたが、マニューエもまた、その姿が現れる前に気が付いていた。
「マスター”何か”来ます」
”ほぅ 判るんだ”と、言う目をしてタケトは云った。
「滅多な”もの”じゃない。 水の精霊女王に許可を得た”者”だろうな。”お使い”だろうけど」
それが姿を現した。巨大な白狼だった。湖の湖岸を悠然と歩き、二人の前まで来た。目の高さはタケトとほぼ同じ。優美な姿をした白狼だった。澄んだ蒼い目で二人を見ていた。
口から突き出した一対の鋭い牙、一点のシミもない白銀の毛皮。齢を重ね、重厚な雰囲気に包まれ、威厳に満ちたその姿は、畏怖と尊敬に値する。そんな白狼が二人を真正面から見つめた。圧倒的な存在感だった。
マニューエは白狼の存在感に圧倒され、一歩後ろに下がった。
二人の頭に「念話」の声が届いた。
”お久しぶりです、兄者”
「白かぁ! おっきくなったなぁ、お前が使いかぁ」
”体ばかり大きくなりました。まだまだです”
「立派になって。 嬉しいよ。ほんとに」
”御師匠様の使いで参りました。”
「うん、知ってる。『迎えを遣る』って言ってた。でも、白が来るって思ってなかった」
”お師匠様が、『アイツが珍しく慌てていた。面白そうだから、お前行ってこい』と、おっしゃられて”
「なんだよ、結局、面白がってるだけじゃんか」
マニューエは、二人の間に流れる穏やかな空気に唖然として立ち竦んでいた。
”この女児が、兄者の言っていた御子ですか?”
「『マニューエ=ドゥ=ルーチェ』って言う。・・・名付け親は俺だ」
”左様ですか。 マニューエ殿、お初にお目にかかります。 ポーター様の弟弟子の「ヴァイス」と。申します。以後、お見知りおきを。 ポーター様は私を「白」とお呼びに成りますが、そう呼ばれるのはポーター様だけです”
マニューエは二人の関係性を理解した。マスターとヴァイスの二人の間には、何かしら目に見えないが強い絆がある事が伺える。ヴァイスの犯し難い気品の中に、彼が貴族の礼を受け取るべき相手だと認識した。
「マニューエ=ドゥ=ルーチェと申します。 聖名を頂きまして、誠にありがとうございました、ヴァイス様。今後とも、どうそ宜しくお願い申し上げます。」
王族の令嬢として、厳しい躾は受けた。貴人への礼節は特に厳しく躾けられた。「言葉」では、人族の間では此れで、十分礼を尽くしたと言える。礼を失しない様、怖れおののきながらも、一歩前に進み、タケトの横に立った。スカートの仲程を持ち上げ、右足を軽く引き、左ひざを自然と曲げる。頭の角度は相手の足元を見る。
”兄者、なかなか素晴らしい御子ですね”
「私も、初めて見た。良い、とても良いね。 『北天狼の王 ヴァイス=シュヴァンツ』 龍背骨山脈の狼の王に対する挨拶としては満点だねぇ」
”御師匠様もこの御子ならば・・・”
「マジ願ってるよ。 色々、根本的な所で何か間違っているんでねぇ。 お師匠さんなら、間違えなく導いてくれると思うんだよ」
”誠に・・・誠に・・・”
頷くヴァイス。ニコニコと微笑むタケト。そんなタケトと、頭を下げるマニューエを優しげに見るヴァイス。
「さて、行こうか。 歩いて行くつもりなんだけど・・・」
”兄者・・・貴方ならいけますが・・・この御子は・・・”
「どうする?」
意地悪気な笑みを浮かべヴァイスを見るタケト。 やっぱり食えん御人だと、あきれるヴァイス。
”わかりました。 私の背をお使い下さい”
「白は、良い子だねぇ」
”兄者・・・”
礼を戻し、タケトの横で二人の会話を不思議そうに聞いているマニューエに向き直り、タケトは彼女の手をスッと取ると、事も無げにヴァイツの背に放り投げた。ヴァイツも心得たもので、彼女の落下点に素早く入ると、背中に乗せた。
”首に、おつかまりなされ、マニューエ殿”
状況に理解が追いついた時、マニューエは狼王の首にしがみついた。風に彼女の長い銀髪が揺れた。
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龍塞(ドラゴン=トロンヌ) 龍族の片王が棲まう場所 南の大陸を南北に貫く龍背骨山脈の最高峰に位置する。 人族はおろか、獣すら容易く近寄らせぬ峻厳な山の頂き。辿り着く道はただ一つ。 しかし、その道は険しく、長い時の中で”その場所”に辿り着いたのは、数人の勇者と賢者。計り知れぬ力を求め、魔術を極める為にその道を行った。途中で倒れる者、諦める者。頂きへ続く道は挫折と徒労と後悔に塗り固められていた。故に『嘆きの道』と呼称される、別名『鬼哭坂』
タケトとヴァイスは事も無げに、その道をぬけ龍塞の巨大な城門の前に居た。
「まぁ、こんなもんだろ」
”相変わらずですね、兄者”
タケトの足元には『高速移動』の呪印が光っている。重力を操り、重量を無視し、思う方向へ高速で移動するその呪印は、”喪われし古呪”と呼ばれる長い時間の中に埋没した過去の偉業の一つだった。
「この呪印のお陰だよ。お師匠さんの文庫整理のついでに、盗んだ呪印だし。まぁ当のお師匠さん、”どうでもいいや”位にしか思ってないし」
”いやいや、そういう事では無くて・・・”
変な方向に話が行くのをタケトは感じ、話題を変えた。
「・・・この城門見るのも久しぶりだねぇ」
”長きにわたり、開かれておりませぬ。今では『嘆きの道』を抜け、此処へたどり着ける者がおりませぬ。我等の様に、一旦、受け容れられた後ならば、『嘆きの道』を通らずとも、龍塞の転移門が使えますゆえ・・・”
「最初の一回だけなんだけどねぇ、『鬼哭坂』通らなきゃならんのは」
”この御子は、異例です”
「んなぁ事は、判っているよぉ。・・・白よ、「只人」の時間は短いんだ。それに女の子だし。私に免じて、これくらいの「ズル」許しておくれよぉ。「ズル」は一回きりなんだからさぁ ・・・さぁ、マニューエ、降りといで。 お師匠さんに逢わせるから」
そう言うとタケトは、北天狼の背で震えている彼女に手を差し伸べた。
白い雪に覆われた見上げるように巨大な城門。 龍塞を訪れる者は必ず通らなければならない城門。真に巨大な力を欲する者は、『嘆きの道』を抜け、この城門を潜る。城門は意思を持ち、資格が無い者には果てしなく重く門を閉ざし、資格有る者には羽根のように軽く開く。この城門を潜ることが出来る者ならば、手にするであろう『巨大な力』を持て余すことも無い。そう、ここは、世界の均衡を護るための関所だった。
マニューエは北天狼の背から降ろしてもらうと、城門の前に立ち、先程とは別の意味で体を震わした。
”私なんかが来ていい場所じゃない”
”龍塞”の事も、”城門”の事も『北の静謐』(じぶんのへや)で読んだ高等魔術書別冊に、詳しく書かれていた。曰く『殿上人の学舎』、『魔術極めし者の聖堂』 勇者でも賢者でもない自分がこの場所に居ていいわけない。そんな感情がグルグル頭の中で廻る。
「城門が開かなかったら、そん時は、裏口から直接、お師匠さんに頼むからねぇ。まぁやってみぃ」
タケトは事も無げにそうマニューエに告げた。”マスターのお師匠様”その言葉だけで、頭がクラクラする。しかしタケトはニコニコ笑っているだけだった。 彼女は此処で”無理です、自分では開けられません”と言うと、マスターから”捨てられてしまう”と感じた。一緒に居れない、それだけは、絶対に嫌だった。自分に誓った『ついていきます、何処へでも、何処までも』の言葉を自分の勇気の無さで破るのだけは、なんとしても”否”だった。悲壮な思いで、巨大な門扉を見上げた。巨漢の衛兵が束になっても開きそうも無い門扉。
意を決し、マニューエはその門扉に手を付いた。目をぎゅっと閉じ、力を籠める。押し返してくるはずの感覚が無かった。音もなく門扉は大きく開き、彼女に道を開けた。
「なっ白。 言ったろ『「ズル」は一回きり』って」
”なるほど、資格は十二分に持ち合わせていたと”
「じゃなきゃ、お師匠さんにお願いしないって」
”成程、兄者は全部知ってたわけですね”
「いやぁ、成り行きでね。 さぁ、行こう、彼女、全部知ってる訳じゃないし」
大きく開いた門扉の前に茫然と佇むマニューエの両側に立ち、進むように促すタケトとヴァイス。 はっと我に返り、二人の顔を見上げるマニューエ。 そんな彼女に至極の笑みを浮かべる二人。三人は城門を潜り、回廊に囲まれた広場に出た。
陽の光に照らされた、白い殿堂が三人の目の前に、広がっていた。
マニューエ がんば!




