金天秤 闇の上皿: 魔王さん ちーっす その1
大陸中を走り回って、今日も元気にトラブル解消
宮殿の大広間。 巨大な窓から弱々しい光が差し込んでいた。
大小の魔族の者達は物言わぬ骸をさらし、蒼き血潮が抽象画のように宮殿の床にぶちまけられていた。 光当たる場所で、高位聖職者のローブを纏った金髪碧眼の女性が、一心に回復魔法を唱えていた。
血反吐を吐いた勇者を この世に留め置くために。
彼らの周りには、同様にして、いくらかはマシな状態の仲間たちが心細そうに勇者を見つめていた。 手持ちの回復薬も、魔法薬も底をついている。あとは高位聖職者の残余マジカだけが頼りだった。
いかに魔王を倒したとはいえ、勇者がこのありさまでは、この地の果ての魔王の宮殿からの帰還は絶望的だった。
「あの~~」
場違い そうとも取れる声が彼らの耳朶をうった。
ドワーフの戦士が、遠慮も配慮もなく、いらだたし気に、声のした方向に目を向けた。
「こんなのが、有りますが、お使いになられますか?」
声の主は、パーティに紛れ込んでいた、荷運び人だった。勇者と専属の契約を結んでいると勇者自ら言っていた。 戦闘には全く参加せず、激しい戦いの間はどこかに隠れており、戦闘が終了し勇者の持ち物が増えると、何処からともなく姿を現し、彼の持ち物を受け取る。 なんとも得体のしれない男だった。
「なんだ、何か用か?」
むっつりとドワーフ戦士が問う。凶悪とも取れる疲れ切った視線を受けても、男は茫洋とした表情を変えもせず、手に持った大ぶりの薬瓶を差し出した。
エルフの大魔導士がなんだ?という風に、ドワーフとポーターに視線をむけた。と、同時に、エルフの瞳が大きく見開かれた。
「ちょっと、それ、光精薬じゃないの!」
「ええ、そうです。 主人の荷の中に有りました。主人の持ち物なので、主人が使用するならば、私が代わりに取り出しても構いませんので。」
事も無げに、男はそういった。 エルフは目に怒気をはらませつつ、薬瓶をひったくる様に取り、懸命に祈る高位聖職者の女性に声をかけた。
「エルフィン! 光精薬が残っていたわ!」
回復魔法の詠唱がとまった。
「ナーニア?」
残余マジカが、尽きそうになり、意識が半分飛びそうになっていた高位聖職者の揺らいだ視線が、大魔導士と手に持たれていた薬瓶に注がれた。
「光精薬よ!ここに!」
「ナーニア・・・あぁ、ナーニア!」
薬瓶の封印を解き、勇者の上体を起こし、食いしばった口を抉じ開け、注ぎ込む。虚空から光の帯が出現し、勇者の体に巻き付いた。勇者に取憑いていた状態異常は黒煙が上げ、霧散する。シュワシュワと音が響き渡る。青白かった勇者の口元が、切り裂かれた足が、砕けた腕が、へしゃげた胸が、元の形に復元した。
ピクピクと瞼が動き、うっすらと開く。 深い鳶色した瞳に力が戻った。
「・・・エルフィン 俺は、勝ったんだな」
深く、そして甘い声が、高位聖職者の耳に届いた。
「そうよ、 貴方は魔王を打ち倒したのよ!」
絶叫ともいえる声で、高位聖職者は答えた。満足げに口元に笑みを浮かべた勇者は周囲を見回した。
「みんな、無事か?」
「マジカも体力もギリギリだけど、みんな生きているわ」
「良かった。本当に良かった。エルフィン、ナーニア、ゴブリッド、コロナ、セフィーロ、アルシオーネ。本当によくやってくれた。俺一人ではここまで出来なかった。・・・おい、まだ薬はあっただろ、出せ」
勇者は、一人、人の輪から離れて立っているポーターに言った。男は斜め掛けされたバックから六本の光精薬を取り出した。
「どうぞ」 人族の高位聖職者 エルフィンは、戸惑い気味に、
「どうぞ」 エルフ族の大魔導士 ナーニアは、薬瓶と男を交互に見つめ、
「どうぞ」 ドワーフ族の戦士 ゴブリッドは、フンと鼻をならし、
「どうぞ」 ホビット族の盗賊 コロナは”本物かよ”と言うように、
「どうぞ」 猫獣人族の拳闘師 セフィーロは、胡散臭げに、
「どうぞ」 人族の剣士 アルシオーネは、薄く不快の念を視線に乗せて、
男から薬瓶を受け取った。
「みんな、勝利と共に、飲んでくれ。回復しないと帰れそうにない」
勇者 セルシオ=ヨータ=オブライエン 帝国王太子はにこやかに、晴れやかにそう伝えた。
パーティ全員が、手に持つ光精薬を、勝利の美酒のように一気にあおった。仲間たちの周囲に光の洪水が起こり、マジカ、体力が完全復活し、状態異常がすべてキャンセルされた。
「転移門を開く。エルフィン、ナーニア手伝ってくれ。 それと、この魔方陣は最大で七人までしか使用できない。おい、聞いているか?」
セルシオの言葉の先に男がいた。
「城門の前に自力で帰ります。お預かりした、お荷物はあちらで ”すべて” お渡ししますか? それとも、こちらで”すべて”お渡ししますか?」
「お前が、城門まで辿り着く保証は何処にも無い。」
「では、こちらで”すべて”お渡しいたします。 運搬袋が十二袋 内容物目録はこちら。 それと割符に御印を頂きたく」
「かせ」
「どうぞ」
男は懐から木で出来た短冊状の物をセルシオに渡した。セルシオは小指を噛み少々の血を出し、”それ”に押し付けた。 短冊状の物は瞬時に灰となり、崩れ落ちた。
「では、”契約”は満了となりました。私はこれにて」
男の気配、姿形、存在がまるで空間に溶け込むように霧散した。
後に残ったのは、彼が運んでいたらしいセルシオ達の荷物。
中に有る物の重量をキャンセルする符呪付収納袋が十二袋と、羊皮紙のロール 一巻が残されていた。
「セルシオ・・・あの男は一体何者だったのです? 四年もの間一緒に旅をして、声を聴いたのが、この大広間が最初だったのです。喋ることが出来たのなら、少しは・・・」
状況に戸惑い気味に高位聖職者エルフィンは勇者セルシオに不満を漏らした。
「エルフィン 奴は、荷運び人だ。 冒険者ギルドで雇った。 十年前にな。」
「じゅ、十年?」
「十年前に子供の悪戯心で冒険者ギルドの掲示板に”荷物持ち求む、対価:鉄貨10枚。期間 最初の荷物を預けた時点から、全荷物を受け取るまで”だったかな。良い契約だった」
仲間たちに、笑いが広がった。鉄貨十枚 帝都で売られている固焼きのパンが半分買えるか買えないか程の価値しかない。わずか鉄貨十枚で十年。それも、魔王の館に至る大遠征。釣り合うものでは全くない。仲間たちの笑いには、少々の質の宜しく無いもの含まれていた。”嘲り”と”驕慢”と・・・
セルシオ、エルフィン、ナーニアは、転移門の魔方陣召喚呪文をを手早く正確に紡ぎだし定着させた。青白く発光した転移門魔方陣の中央に白い眩い光が漏れ出し懐かしい風景が見て取れた。
「帰ろうか。 懐かしき我が国へ。皆も一緒に。栄誉と賛辞を受けに」
七人の男女が転移門を潜り抜けると、発光していた魔方陣の光が揺らぎ、消滅した。
「やれやれ、やっと終わったよ。 十年間、引きずり回さる身にもなってみろ。世間知らずの坊ちゃん王太子が、曲がりなりにも勇者様におなりになるまで、ちょっと考えれば、どんだけの修羅場を搔い潜らにゃならんか判るもんだがな・・・ おかげでコッチも経験値爆上げ状態だよ、まったく。まぁ、面白い処と、面白い物、それと、やっとこさ魔王様に会えたんだから、良しとするしかないよね」
虚空から風に舞う声が、微かに大広間に漂った。