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「タコ焼きって、美味しいですね。海の幸、初めて食べました」と彼女は嬉しそうに食べている。タコを食べたことのない日本人は珍しいと思う。僕は、彼女を家から出すことに成功し、今は駅前に来ていた。
「外出しないとか言ってた割に、結構楽しんいるようだね」と俺は皮肉を込めて言う。彼女は、お金を持っていなかった。たこ焼きは、俺の財布から出たのだった。
「未来を変えるために、リスクを取るのは仕方ありません。栫さんに諦め癖がついてしまっては困りますので。それに、本音で言えば、外に出てみたかったんです」と彼女は言った。どうやらたこ焼きを八個ともすべて自分で食べるつもりのようだ。まぁ、こんな暑い中、アイスクリームならまだしも、たこ焼きなんて食べたいわけじゃないけど。
「どこか、行きたいところってある?」と俺は尋ねる。
「特に希望はありません。ただ、未来を変える可能性を下げるという意味で、人が少ないところがいいです」
「徹底しているね」と俺は言った。ここまで来ると、彼女の妄想の完成度の高さに脱帽したくなる。
「やはり、未来を変える可能性が大きいのは、動物、主に人間ですから」と彼女は言った。
「町を君が歩く程度で未来は変わらないと思うけどね」と俺は呆れて言う。
「そんなことはありませんよ。たこ焼きを買うことだって、物凄いことです」
「いや、普通でしょ」と俺は言った。
「栫さんは分かっていません。たこ焼きを買うのに、私達は並びました。本来、栫さんはたこ焼きを買うという事象は存在しませんでした。つまり、たこ焼きを買った時間、後ろに並んでいた人達の未来に変化を与えました」
「そうは言っても、三十秒くらいじゃん」
「その三十秒でもです。栫さんがたこ焼きを買った為に生じた待ち時間の三十秒が、後ろに並んでいた人の人生を大きく変える可能性があります。たとえば、本来間に合うはずだった信号が間に合わなくなる」と、赤に変わった彼女は信号機を指差した。黄色信号で強引に交差点を渡ろうとした車が、急ブレーキをして止まった。横断歩道の線は軽く越えていた。
「その影響で、本来交通事故に合わなかった人が、事故にあって亡くなる可能性があります」と彼女は言う。
「おいおい。俺がたこ焼きを買ったせいで、人が死ぬってこと?」と俺は言う。
「可能性の話です」と彼女は言った。たこ焼きを奢らされて、さらに人殺し扱いされる俺って、不憫ではないだろうか。おいしそうにたこ焼きを食べる彼女を見て、六白円の出費を許せる気になっていたが、そんな気分じゃなくなった。さっさと彼女を町の何処かで撒きたい。
「公園にでも行こう。電車に乗るよ」と俺は言って、彼女の分の切符を買った。隙を見て、走って逃げるなんていうようなハードボイルドなことを俺はしたりしない。電車に彼女と乗り、扉が閉まる寸前で俺だけ下りれば、自動的に彼女は次の駅に運ばれていく。それが手っ取り早いと思う。
「早く通りなよ」と俺は改札を抜けたところで彼女を待つ。
「これ、どうするんですか?」と閉まってしまった改札に立ち往生した彼女は叫んだ。どうやら切符の使い方が分からないらしい。俺は、SUICAを使ったから、余計に彼女を混乱させたようだった。
「切符を入れる場所があるでしょ。そこに入れるんだよ」
「え? 見当たりませんが」
「自販機の札入れるところみたいなのがあるでしょ。そこだよ」
「ごめんなさい。じはんき、というのがそもそも分かりません」
「じゃあ、あそこの駅員に切符を渡して入りなよ」と俺は説明を諦めた。未来人というより、古代人なんじゃないかと思ってしまう。
電車はすぐにやってきた。電車に対してもそれなりのリアクションをしてくれると期待していたのに、残念ながら彼女は特に驚いたり、楽しんだりしている様子はなかった。
お昼少し前だというのに、電車は空いていた。俺はドアが閉まる寸前で、降りられるように出口付近に立った。
「栫さん、この駅ってなんて読むんですか?」と彼女は乗ったのと反対側のドアのモニターに表示されている路線図を眺めながら言った。子供に聞かれる分には良いのだけど、自分と同じくらいの年齢の人に、真顔で質問されると、恥ずかしい。お上りさんみたいじゃないか。
「おかちまち。少し待っていれば、ローマ字表記が出るよ」と俺は彼女に近づき、小声で言った。
「私達が向かっているのは?」
「上野」と僕は答える。扉が閉まった。これ以上、周りが聞いたら眉を潜められそうな会話を大声でしたくないと、彼女の方に歩み寄った俺が馬鹿ったと、降りるはずだった駅のホームを眺めながら思った。