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 大学の授業も終わり、テスト期間に突入する前の、時化のやって来る前の凪のような一時。時計は既に午後だった。外は暑いので、図書館で勉強するのを諦め、部屋のクーラーを全開にして、我慢できずに寝てしまった、サッカー・ワールド・カップの試合の録画を見ることにした。テレビのスイッチを入れて、録画した試合を呼び出す。

 もう、ドイツが優勝するっていう結果は新聞で読んだけれど、それとは別としてスーパープレイーがみたいのさ。


 ふぉーん ふぁん ど ドン


 変な物音がした方を見た。そしたら、髪の長い女性が机の上に立っていた。俺は、驚いて布団を両手両足ではね除け上半身を起こした。彼女は、俺の存在に気付いたらしく、ベッドへと飛び込んできた。

 寝ている俺の上に覆い被さる彼女。俺の胸に、彼女の胸が当たっている。


「成功したんだ。夢みたい」と彼女は言った。彼女の髪が俺の首筋をくすぐる。恥ずかしけど嫌いじゃない感覚。女の子は、シャンプーの匂いがするって聞いたことがあるけど、そんな匂いはしなかった。


「え? え?」としか俺は言えなかった。


「あ、あなた、栫・誠司さん?」と彼女は言う。


「そうですが」と、俺は何故か敬語で答える。彼女は見たところ俺よりも二、三才年下のようだけど。


「お願い。人類の未来を救って。あなたにしかできないことなの」と彼女は言った。彼女の目は本気だった。言っている意味は分からなかったけれど。夏の暑さは、満月よりも人を狂わせるのかもしれない。



「とりあえず、重いからどいてくれる?」

 女の子に覆い被さられて、善処できるほど俺は場数を踏んではいない。


「あ、すみません」と彼女は言って起き上り、フローリングの床に正座をした。俺も正座をして彼女に相対した。


「ところで、君は誰?」


「あ、申し遅れました。私は、(おうぎ)(ゆう)と申します。未来から来ました」と、彼女は頭を下げる。


「え? 未来って? ここは俺の家だし、ちょっとよく状況が分からないのだけれど」


「あまりに突然で、よく分からないということは良く分かっています。私は、未来、現在、過去の、未来から来ました」と彼女は言ったが、俺はそれを信じなかった。

 どうせ、JR湘南新宿ラインで、横浜みなとみらい21からここに来た、というようなことなんだろう。


「あ、え? じゃあ、さっき、机の上に立っていたみたいだけど、引き出しの中から出てきたってこと? タイム・パトロールによく捕まらなかったね」


「仰っている意味が分かりかねますが、とりあえず未来から来たということは信じてください」と彼女は再度、頭を下げた。俺の切れ味抜群のジョークは、通じなかったようだ。


「はいはい。分かったよ。それで?」と俺は言った。

 『時を駆ける少女』の再放送でも見て感化された、アンテナ感度が良好な電波系女子高生なのだろう。まぁ、突然の訪問客とは言え、彼女がいない歴が年齢と等しい俺が、初めて部屋に入れた女性が、計らずしも彼女となっていしまった。ともかく丁重に、そつなくもてなし、成功体験を積み上げたい。大学を卒業するまでには、別の卒業もしたいし。


「手短に説明します。栫さんは今後の人生で壁にぶつかる時が来ます。頑張ってみたけど、もう無理だ。諦めようという時が。そんな時、もう一度だけ頑張ってみてください。お願いします。人類の未来の為に、お願いします」


「ごめん。抽象的過ぎてよく分からないし、壁に当たるとか誰にでもありそうな話だよね? 人類の未来ってどういうこと?」と俺は聞いた。挫折しそうになる時がない、順風満帆の人生を過ごせる人など、むしろ少ない気がする。


「具体的な選択肢について、私も説明を受けていないので分かりかねます。私は、西暦、二千二百十六年から来ました。栫さん、繰り返しになりますが、貴方の行動によっては、人類が二千二百二十二年に亡びます。どうか、諦めないでください」


「あ、ごめん。たぶん、長い話になりそうだね。とりあえず、麦茶を出すよ。あと、ポテトチップスでいい?」


「お構いなく、と言いたいところなのですが、この時代の飲み物とお菓子、実際に食べてみたかったんです。ごちそうになります。正座も解かせていただきますね」と彼女は言って、物珍しそうに本棚に並べてあるコミックを眺め始めた。俺はくつろいでいいよと言った訳ではないが、彼女の受け取り方は違ったようだ。


「じゃあ、俺、コップ洗っているからさ。待っている間、頭を冷やして、俺にも分かるように話をまとめておいてよ」と俺は言った。クーラーの設定温度も一度下げた。彼女は、本棚の漫画に手を伸ばして読み初めてしまいそうだった。


 流し場には、洗っていない食器が山積みされていた。最下層にある食器は、いつ使った食器かもう思い出せない。コップも、ぬめりとしていて、洗っていて気持ち悪かった。だが、冷蔵庫の麦茶は良い感じだった。煮出し用のティーバッグを、煮出さないでポットに水道水と一緒に入れておいただけなのだが、ちゃんと色は麦茶になっていた。1週間くらい前に作ったやつだから、麦茶成分がゆっくりと染み出したのだろう。


 とりあえず彼女に麦茶を差し出し、ちゃぶ台にポテトチップスを置いた。

「あ、もしかして、この緑色のはミドリムシですか?」と、彼女はポテトチップスを一口かじったあとにそう言った。


「いや、それ、青のりだけど。『のり塩』だし。もしかして、『うすしお味』か『コンソメ』がよかった?」と、俺は聞いた。

 青のりをミドリムシだなんて、随分斬新な表現をする。俺個人としては、そんなに貶めなくてもいいだろうと思う。たまにいるんだよね、アンチ「のり塩」の人。大学のサークルでは「うすしお味」信者が多い。サークルの宅飲みで「のり塩」をつまみに買ってこようものならバッシングを浴びせる奴もいたりする。それにしても、ミドリムシはないよ、と思う。


「のり塩、っていうのですね。これ、とてもおいしいです。この時代くらいからミドリムシの研究が盛んになりはじめたと聞いたことがあったので、もしかしてと思ったんです。早とちりしてしまいました」と彼女は言って、またポテトチップスに手を伸ばした。一度に三、四名をつかみ、それを口に運ぶ。結構、遠慮のない食べ方をするなぁ。


「まぁ、誰にでも間違いはあるよな」

 俺は内心では、何言ってんだコイツと思った。せっかく、録画したベルギー・アメリカ戦を見ながら食べる予定だったのを奮発して出してやったのに、なんかなぁ。麦茶だけにしとけばよかった。


「ありがとうございます。飲み物もおいしいです」と彼女は言った。


「いえいえ、大したお構いもできませんで」と、俺は言った。うむ。俺は、何を言っているんだと自問自答をする。こんな茶番をしている場合じゃないだろう。 


「えっと、扇優さんだったっけ?」


「はい。そうです。栫・誠司さん」


「何でここにいるんだっけ?」と彼女に聞く。彼女も麦茶を飲んで、少しは落ち着いたはずだ。


「人類の未来を変えるためです。繰り返しになりますが、諦めそうになっても諦めないでください。どうか、お願いします」と、彼女はまた頭を下げた。


「あの、よく分からないんだけどさ。人類の未来を変えに来たんでしょ? 人類の未来が変わるのであれば、人類の未来を変えようとした貴女も最初から存在しないってことになるんじゃないの? どうしてここにいるの?。未来を変えられないから、ここに存在できているってことは、つまり、未来を変えるってことが失敗したわけだ。お家に帰ったら?」と俺は聞いた。早々に、お引き取りを願いたい。


「はい。仰っていることはよく分かります。グランドファーザー・パラドックスですね」と、彼女は言った。どや顔だ。


「まぁ、そういうやつ。実際どうなの?」


「すでに、私がここに来た時点で、この世界の素粒子の運動に与えてしまっています。つまり、未来は変わっていきす。もちろん、栫さんの未来も変わっています」


「え? 俺の未来も変わったの?」


「はい。このまま私が来なければ、栫さんはサッカーの試合を見ていました」


「うん、そのはずだね」と俺は同意する。内心、だから? という感じ。


「栫さんの未来が変わったんですよ。本来なら、サッカーの試合を見ていたはずなのに、それが今! まさにこの時、私とお話をしているんです。未来の改変が成功しているんですよ。感動しませんか?」と彼女は立ち上がり、興奮した口調で言った。


「いや、あんまり実感わかないかなぁ。大したことない感じ。それより、床に散らばるから、ポテチは座って食べてよ」と俺は一人で盛り上がっている彼女を落ち着かせた。


「あ、すみません」と言って彼女は座り、「では、栫さんは二ヵ月後に彼女が出来るはずだったのですが、その未来が変わったと言えば、実感していただけます?」と彼女は言った。


「え? 俺、彼女ができるの? まじで?」と、俺は彼女の意外な発言に少し驚いた。


「ですが、その未来は変わったと思います。まず、二週間後に、友人から誘われた合同コンパの席で、彼女となるはずだった女性と出会います。ちょうど、栫さんの向かい側に座った女性です。そして、彼女とベルギー・アメリカ戦について熱く語り合い、意気投合、ということになるはずでした」と彼女は言った。


「あのさ、『はずでした』とか、未来のことを過去形で語るの止めなよ。君が帰った後に、しっかりとベルギー・アメリカ戦を見るようにするから、問題ないでしょ」と俺は言う。三回ぐらい繰り返し見て、暗記するくらい観よう。


「そううまくいくでしょうか。すでに栫さんは、二週間後に出会う女性が彼女になるという事実を知ってしまっています。その事実を知っているがゆえに、本来するはずのない行動、もしくは、していたはずの行動を行わない可能性が高いです」と彼女は言った。


「ちょっと待って。じゃあ、扇さんの話を聞いてしまったから、彼女が出来ない可能性もあるってこと?」と俺は答えた。


「はい。そうです。私が喋ったことが、大きな変化の要因になります。人類を救うためとは言え、申し訳ないことをしました」と、彼女は言った。

 たしかに、この人が未来の自分の彼女になる人だなんて知っていたら、普通の対応は出来ない気がする。変な意識の仕方をしてしまうだろう。しかし、この扇って子、とんでもないことを平然と言いやがる。作り話だとしても……。


「栫さんのファースト・キスの相手は、その方になるはずだったのに、残念でしたね」


「おい、それはまじか?」


「はい」


「なんてこった。じゃあ、俺はいつ彼女が出来るの?」


「それは、未来が変わってしまったので、再度シュミレーションをしてみないと分かりません。申し訳ございません」

 どうして俺は、突然不法侵入してきた人に、凹まされているのだろうか。早く、この子、どっか行って欲しい。というかそもそも、どうやって俺の部屋に入ったんだ? 鍵はかけてたぞ。


「これで、未来が変わるということは分かっていただけましたか?」と彼女は言った。


「まぁ、未来で彼女になる人と普通に接するのは難しいというということは分かるよ。でも最初の、未来を変えるために来た扇さんは、そもそも存在できないだろうって話、あれはどうなっているのさ? 話題をうまく反らされた気がするんだけど」


「私が来たことによって、今も未来がどんどん変化しています。その変化の波が、私がタイムトリップした時間まで到達した段階、つまり二千二百十六年に到達した時点で、私の存在は消えます」と彼女は言った。


「ん? よく分からない。どういうこと?」


「えっとですね。水面に石を投げ入れた時を想像してくだされば分かりやすいかもしれません。石によって出来た波紋が、徐々に広がっていきます。その波紋は、近くから徐々に遠くまで伝わっていきます。私がこの時代に来た時間から逆算をすると、変化の波は徐々に広がっていっています。そして、その波が二千二百十六年の私がタイムトリップした時間軸まで押し寄せてきたとき、私は消えます。人類の滅亡しない未来であれば、私がこの時代に来る理由もないですしね」と彼女が言った。


「つまり、未来の未来が変わるまでは、って未来の未来って日本語変だな」


「大丈夫です。仰りたいことは分かります」と彼女は言った。なぜ、俺がフォローされているのか分からないけれど。


「未来の未来が変わるまでは、時間差みたいなものがあって、その間、扇さんは存在していられるってこと?」


「そういうことです。私は今、本来存在していないはずの存在、つまり幽霊みたいな存在なんです。あと、三時間四分二十秒で、二千二百十六年に波が到着するはずです」と彼女は聞いてきた。


「でもさ、未来がどんな風に変わるかって、分かっているの?」


「実は、どんな風に変わるか、わかりません。今から百年後とかに、核戦争で人類が滅ぶとか、そんな結果になっていたらすみません」と彼女は言った。


「行き当たりばったりで来たんだ」と俺は言う。


「はい、行き当たりばったりです。過去のどの時点に行けば私がいた未来を変えることができるかを計算して分析するだけで精一杯でした」と彼女は言った。


「でもよく、俺なんかのことを、二百年後によく調べたよね。二ヶ月後に彼女が出来るとか、よく調べたもんだよ。もしかして、俺って、二百年後でも知られているような偉大な人物になるの?」と俺は聞いた。まだ、頭角を現していないだけかもしれない。


「すみません。栫さんのその後の人生のことは、シュミレーションの分析結果を見ていないんです。二千二百十四年に細菌テロを起す首謀者の先祖を遡っていて、偶然、栫さんを見つけたというのが本当のところです。テロを防ぐということ以外に、未来人である私が接触したとしても、その他の未来を大きく変えそうにない人っていう項目で条件検索したら、栫さんが抽出されたということです。未来に影響を与えなさそうな人ランキングというものがあるとしたら、この時代のトップが栫さんだったんです。この時代のナンバーワンです。あ、でも、そのテロリストの先祖が、栫さんということではないですよ」と彼女は言った。

 どうやら、俺は大器晩成型でもないらしい。ってか、未来に影響を与えなさそうな人ナンバーワンって、俺、どうなのよ。かなり貶められている気がするのだけど。


「もし、俺がそのテロリストのご先祖様だったら、俺を殺していたでしょ?」


「はい。そうなります」と彼女はまじめな顔で即答した。

一応、冗談のつもりで言っただけの俺としては、真顔で断言されてもこまるものがあるのだけどね。


「思ったんだけど、直接先祖を殺せば、その子孫は生まれなくなるから、未来って変わるのでない? なんで関係のない俺のところに来るなんて回りくどいことをしてるの? そのご先祖様のところへ行った方が確実なんじゃないの?」と俺は思った。未来を変えるとかそんな戯言は、他でやってほしい。そろそろ、このちょっと頭が残念な女の子の相手をするのも疲れてきたし。


「過去への関与が単項だと、テロリストからの妨害があるので、そんな安易な方法を取ることはできません。私が、栫さんに危害を与えることはありませんよ」


「ごめん。なんで? もしかして、君を追っかけてテロリストの人も、ここにやってくるって設定なのかな?」と俺は聞いた。勝手に我が家に不法侵入された挙句、美人局されるなんて、まじ笑えない。


「いえ、今回はそんなことないはずです。そのためにリスクを犯して、多項アプローチをしていますので。もちろん、単項であれば、二百年前へのタイムスリップと言えども、妨害される可能性もあったかもしれません。しかし、どうやら今回は、テロリストを出し抜けたようです」彼女は胸を張って言った。


「ごめん。扇さんの言っている事が分からないから、余計不安になるんだけど、さっきから、タンコウとかタコウとか、それ何?」


「単項アプローチというのは、直接的に未来を変えようとすることです。先ほど栫さんがおっしゃった、先祖を殺して、その人がそもそも生まれないような未来に変えるというやり方です。多項アプローチは、間接的に未来を変えようという試みです」


「ごめん。意味が全然分からないんだけど……」


「栫さん、ビリヤードって分かります?」


「それなりに。ナインボールくらいしか知らないけど。あまり上手じゃないけどね」


「単項アプローチは、もの凄く単純に言うと、9番しかテーブルに残っていない状況を想定し、そして9番に手玉を当てて、9番をポケットに落とすっていうやり方です。多項は、それを、1番から9番までの玉がテーブルに残っている状況で、たとえば1番に手玉を当てて、動いた1番が3番と6番にあたり、6番が9番に当たり、9番がポケットに落ちる、というような方法で未来を変えます。これをやれば、テロリスト側は我々がどのように未来を改変するかを、分析するのに時間を稼げます。テロリストが妨害に動く前に、未来を変えてしまおうという発想なんです」と彼女は言う。


「つまり、バタフライ効果を狙っているわけだ」


「はい? それは全然違いますよ。そもそも、カオス理論は私達の時代には棄却された理論ですよ。そもそも、正確な観測が不可能という前提に立つなら、素粒子の動きを読んで過去を計算したり、未来を計算しても無理じゃないですか?」


「ごめん。バタフライ効果ってそれっぽいから言ってみただけなんだ。知ったかぶりしてごめん」と俺は謝った。オタクの小難しい知識を言われても、訳が分からないし。


「いえ。栫さんの時代の人には、分からない話ですし、私も説明下手でごめんなさい」と彼女も謝った。


「それにしても、二千二百十六年って、タイムトリップできちゃうなんて、すごい技術発展だよな。宇宙戦艦とか、猫型ロボットとか発明されてる? 猫型ロボットって、やっぱり狸みたいな感じ?」


「宇宙で永続的に生活できる技術をまだ人類は開発できていませんから、宇宙戦艦は建造されたりはしていないですね。あ、そもそも、地球外生命体を二千二百十六年でも発見できていないです。ですので、宇宙戦艦を作ったとしても、戦う相手がいませんね。あと、猫のロボットはたくさん製造されていました」と彼女は言う。


「そうなんだ。未来も少しさびしいね。すごい技術って他にもあるの?」と俺は聞いた。どうやら彼女は、俺の渾身のギャグについては、さらりと流すという対応方針なようだ。


「この時代の人が驚く技術というと、やはり量子コンピューターでしょうかね。なんでも計算できちゃいますよ。人類の未来も、過去も計算できます。栫さんに彼女ができるというのも、量子コンピューターで計算して分かったんです」と彼女は言った。


「はぁ? それって、計算して分かるという類のものではないとおもうんだけど?」

 俺もできることなら俺の懇意の女性が俺に恋するような計算と気配りをして、二十一歳になる前に彼女を作りたい。


「いろいろと計算して、としか説明できないんですけど。あ、サッカーでたとえていいですか?」と、部屋の中に転がっていたサッカーボールを見ながら彼女は言った。二千二百十六年でもサッカーはやはりあるのだろうか。あるとしたら、第何回目のワールド・カップとなっているのだろうかと計算をしようと思ったけれど、やめた。


「うん。身近なものにたとえてくれないと、俺では理解不能な気がするし。サッカーでたとえてくれると、ありがたい」と俺は答えた。


「はい。あの、選手がシュートをしたとき、ゴールキーパーはそのボールの軌道が分かりますよね?」


「うん。分からなきゃ、止められないしね」


「そのゴールキーパーが、瞬時に頭の中でやっている計算を、大規模にやれるのが量子コンピューターです」


「全然意味が分からないんだけど」


「あ、すみません。えっとですね、ゴールキーパーは、ボールがどのような軌跡を描いているか、ということから、どこにボールが飛んでくるかを予測していますよね。野球でも同じです。バッターが打ったボールの軌跡を見て、外野手はボールの落下地点を予測しています。つまり、そのボールの軌跡を正確に分析できれば、その後、ボールがどう動くかを正確に観測できるんです」

 サッカーから野球へと種目が移っている気がしたが、まあいいや。


「それはそうだろう。俺は理系じゃないから詳しく分からないけど、ベクトルの矢印の方向とか、力学とかで、現代でもそれはできる気がするんだけど」


「私の時代では、その分析を素粒子単位でやるんです。試合の始まる前に素粒子の動きを全てスキャンして読み取り、試合内容を予知することが一瞬で出来ます」


「は? 選手がどんな動きをして、いつパスしてとか、そんなのも分かるの?」


「はい。選手のパスをする際の判断も、その選手の脳のシナプスにどんな電流が流れるか、もっと細かくしてしまえば、素粒子の移動です。結局、すべては人間には無数としか表現できないような膨大な数の、素粒子と素粒子の相互作用がこの世界の現象であると、説明できちゃいます。つまり、ボールと同じように、素粒子がどういう軌跡を描いているか、というようなことを分析できれば、その後の素粒子の動きがわかります。そしてその素粒子の動きを全部計算すれば、そしてその素粒子の集合体によって構成されている世界、つまり私達の世界のすべての現象が正確にわかるということです」


「相変わらず分からないのだけど。ボールがどう動くかが分かるように、試合がどう展開していくかも分かるんだ。でもそれって、太陽の光とかまで計算しないと、おかしくなるんじゃない? 植物が太陽の光で光合成をして、酸素作って、その酸素を人間が吸って、みたいな感じでしょ?」


「もちろんです。太陽が一番、影響を与えているといっても過言ではありません。もちろん、太陽すべての素粒子も計算の範囲に含めてますよ。ちなみに、今回、私達は、銀河系全部の素粒子を範囲にして過去を計算しました」


「なんか、SFの話をしているみたいだ」と俺は感想を言った。


「この時代からすれば、SFだと思いますよ。あ、ちなみに、SFって、すこし、不思議って言う意味じゃないですよ」と彼女は言った。

 どうして、彼女はSFを「少し不思議」と読めることを知っているのに、先ほどから、俺のギャグには全スルーなのだろう……。


「でも、なんか素粒子を見ても、何がなんだか分からないんじゃない? サッカー選手の筋肉線維の動きを見たとしても、何がなんだか分からないじゃん。木を見て、森を見ずな感じ?」と俺は言ってみた。ほとんど、扇さんの話を理解できていないけどね。


「木を見て、森を見ず…… 上手いこと言いますね。ですから、量子コンピューターにその素粒子の動きを、人間が認識、可視化できる次元にまで再構築させるんです。サッカーの試合結果を予測したデータなんて、まるっきし、肉眼で試合を見るのと同じですよ。音声まで再現させたら、歓声も試合と同じですし、試合解説者の台詞も一言一句同じですから」と彼女は言いながら笑った。


「そうなんだ。すごい技術だな」と、俺は言った。ちなみに、俺は彼女の笑いのポイントがいまいち分からなかった。さっきの彼女の発言の中に、笑いの要素はなかった気がする。


「ええ。でも、その技術で、自分達が二千二百二十二年に滅びるということが分かっちゃって、その時はショックでした。私達が避難しているドレミの仲間全員が死んでいる映像でしたからね」と彼女は床を見つめて言った。ポテトチップスを食べる彼女の手も止まった。本当に彼女は深刻そうな顔をしていた。これは重傷だな、と俺は思った。


「そっか。変わるといいな、未来」と俺は言う。


「変えるのは、栫さんです」と彼女はすかさず言った。

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