一章……(6)【切っ掛け】
「……ねぇ狩仁くん。
あなた、馬鹿じゃないの?」
美歌の呆れを含んだ呟きは、もう次の授業が始まって静まり返った学校の敷地内。特に、人気の無いその校門前にはよく響いた。
「……はは、馬鹿かぁ、手厳しいね」
「まったくな評価だなぁ」と続け、肩を落として自分の頭を掻き、孝はその美歌の呟きに対して自虐的に笑う。
何故、美歌には理解できない。
「あ、あなたね……」
「うん?」
――理解、できない。
「馬鹿、本当に馬鹿ッ。こ、コスプレ……? 私のさっきの姿が可愛かった。サイコーだった? 馬鹿じゃない? あなたはそんな事を、それだけの事を、そんな“意味の無い”事を私に伝えたかったのっ? そんな事を伝えたくて、私を追って来たっていうのッ?」
美歌は直前まで抱いていた恐怖や不安の裏返しで、ついつい声を震わせて、目の前の考に理不尽な感情をにぶつけてしまう。そんな事をすれば、自身が相手にどう思われるか、扱われてしまうか、それをある程度は理解した上で敢えてそうしてしまう。
――自身が、これまで以上にキズ付きたくないから。否定されたくないから。拒絶されたくないから。だから、だから最初から相手を突き放す。そうすれば、“深い繋がり”を持とうとしなければ、クラスメイトという接点しかない最小限の関係で終われる。つまりは相手を理解しようと、歩み寄れない。美歌はそんな、非常に不器用な人間だった。
「そんな、事の、為に……」
「うん。そうだね!」
「ッ……」
けれども、孝は気にする素振りを全くせずにあっけからんとしている。なら、美歌はもっと、もっと強く突き放すだけ。
「……それで、何でっ、『友達から始めませんか?』になるのよ。意味が解らない! 獣の尻尾と耳を“生やした”私が、ただ単にあなたの好みだったって事なの? ……そうやって顔とか身体が好みだからって、昔から私に言い寄って来る人が居たわ! 本当の私の事なんて何一つ、これっぽっちも知らない人達がッ!! どうせ、あなたもそうなんでしょ? 放っといてよ、私に構わ――
「――違うよ、神波鳴さん!!」
美歌の言葉に被せるように、彼女が言いかけた言葉を最後まで言わせないように、孝がタイミングよく叫んだ。
「……えっ?」
美歌は孝の叫びに驚き言葉を止める。
「女子の顔とか、身体とか、好みとか。僕は、あはは……そういうのは僕って、昔からちょっと疎いんだよ。だから、ただ純粋に、神波鳴さんと僕は、変わり者どうし仲良くなれる気がしたんだ。単純に、簡単な、そんな理由。そんな理由じゃ、だめかな?」
と、そこまで言うと。孝はきょとんとする美歌を見て軽く咳払いをした。そして、美歌を見据え「違う、こんな理由じゃだめだよね……」考は首を振り、言い、更に言葉を付け加えた。
「ごめん、本当の事を言うよ。なれる気がしたとか適当な理由じゃないや。確かに僕はキミの事を何一つ知らない。だから、キミと仲良くなりたい! キミを理解したい。保健室で見た、壊れそうで弱々しいの女の子の助けになってあげたい。僕自身がそう思ったんだよ、だからこその友達申請なんだッ!!」
――解らない、解らない。解らないよ。
「……」
「そう、友達申請だ!」
「…………」
「あの、もしもし? 神波鳴さん?」
複雑そうな顔をして無言になった美歌。
複雑そうな顔をし始めた、その美歌の顔を見ながら同じく複雑そうな顔を返す孝。
「はぁ……仲良く、ね」
美歌は言葉を洩らす。
美歌は孝の言葉に自身の中でも理解できない、何か思うところでも有ったのか。一度溜め息をして固まってしまった。
…………でも。
「私じゃ……無理。だと思うわ」
――美歌は、数秒間の無言の後。
孝に聞こえるか聞こえないかギリギリの声量で諦め果てた表情をし、そう言った。
「……え? なんだって?」
やはり、聞こえずに。
ある意味で無神経に聞き返す孝。
「……狩仁くん。あの……色々言いたい事はあるけど。取り合えず、勝手に私を変わり者だと決めつけないでくれるかしら?」
「あぁ、ごめん……」
「……あと、仲良くなりたいとか。……嬉しいけど、そういうのは私に求めないで。他のクラスの誰かに頼んだ方が良いと思うわ。この一月、教室で見てると、あなた結構いろいろな人に頼りにされてて……人望も有る。私とはまるで、違う!」
「違う、か」
「仲良くするなら、私みたいなのは止した方が良いわ。もっと、付き合ってて楽しくて、面白くて、有意義で……そんな“普通の人”を選んだ方が賢いに決まってる。少なくとも私と付き合えば、私のせいで、クラスにも居場所が無くなるだろうし……得なんて一つも無い」
「神波鳴さん、それは、得って……」
「……はぁ、仲良く、ね。
そんなの、本当に、馬鹿馬鹿しいわ」
最後に出たその美歌の呟きは、何に、誰に対しての物だったのか……? 孝にか。或いは、自分自身にか。それは、彼女にしか解らない。
「そう、か。だったら」
孝はやや大袈裟に肩を落として、気落ちしたように俯いてみせた。それでも、
「……何笑ってるのよ?」
「はは、あははっ」
その態度とは裏腹に、俯いている孝の口は嬉しそうに笑っていた。
「……ねえ? ちょと……?
何を、何に、何で、笑ってるのよ?」
美歌はそんな孝の様子に、
怪訝な顔をして何度も尋ねる。
「……ああ、気を悪くしたんならごめん。でも、さっきまで僕。神波鳴さんにすごく警戒されてる気がしてたからさ。だから、僕がキミに対して思った事、思ってた事を全部伝えて。馬鹿にされたけど。その代わりに、最初より少しでも距離が縮まった気がして嬉しかったんだ」
孝は頭を上げて、そう答えた。
「はぁ……狩仁くん。……あなた、本当に変わり者なのね? 会話の中のどこに、どう聞いたら私とあなたの距離が縮まった要素があったのよ?」
「神波鳴さん、僕の友達申請を……『嬉しいけど』って言ってくれたよね?」
――ッ!
「そ、そうだった、かしら?」
「うん、確かに。聞き逃さなかった!」
「そう」
「ありがとう、神波鳴さん」
「あなたが、そう解釈しただけよ!
私は、そんな、嬉しいなんて、言っただけで。これっぽっちも、思って……」
――思って、無い? いや。
「……思って、無い、かも知れないのに」
「神波鳴さんが僕の言葉に少しでも、“嬉しい”って、そう思ってくれたんならさ。僕達は、もうただのクラスメイト同士じゃなくて。それこそ“友達”で良くないのかな? まぁ、“友達”が嫌なら、ただの知り合いでも良いけど。とりあえず僕とキミに“縁”はできたよね?」
「なに、縁? こんなのが?」
「そうだよ、人と人の縁。何よりも強くて、変わらない。どんな時でも、場所でも、それだけは唯一信じられる繋がり。絆!」
「嘘。人の関係なんて簡単に変わるし、簡単に裏切られて、拒絶されるわ。絆、繋がり、縁。そんなのは現実には有り得ない綺麗事、まやかし物、幼い子供の言葉よ」
「そうかな?」
「そうよ!」
「僕は、そう思わないな!」
「……ふん」
――なんだ、コイツは。
「なら……勝手にそう思ってれば?」
――確かに、変だ。すごく、変人だ。
「許可出たぞ、やった!」
「出してないわ」
「えぇー」
――彼は、可笑しい。
一瞬……本当に一瞬だけ。美歌がずっと仏頂面だった顔を、微かに微笑ましてしまった瞬間を孝は見逃さなかったようだ。
「神波鳴さん? あれ……今笑った?」
「気のせい、じゃないかしら?」
~ ~ ~
あんな事をしてしまったけど。でも、少しだけは美歌が自分に心を開いてくれた気がする。早退して追ってきたのは正解だった。
孝はそうホッと胸を撫で下ろした。
「……はぁ、狩仁くん。さっき送ってもらう約束しちゃったから、今日は送って。途中で私が倒れない保証もないし。ただし、私に関わるのはこれ以降やめ……
「――お節介だとしても、止めないよ!」
「……あっそう。でもそれは、ストーカー発言かしら?」
「違う。別に、付きまとうんじゃない、僕がキミと好意的に付き合って行くってだけ。キミに嫌がられるんなら改める。でも、絆を諦めないって事だよ」
「はぁ? 理解できないわ……」
美歌は、別の意味で諦め果てたように。
孝に向かって小さく呟いた。
「じゃあ、行こう?」
返答は来ないが、拒否もされない。だから、孝はそのまま歩き出した。
――今は、これでいい。これで、少なくとも彼女が自分のせいで壊れてしまうような事は無いだろう。後は自分自身のさじ加減だ。内心そう思いながら。
…………。
十数分後。孝と美歌は木造の古い民家が建ち並ぶ住宅街、そこの人間二人が通れるギリギリの幅の細い道を歩いていた。
「へーえ、神波鳴さん、学校は徒歩で通ってるんだね? 家近いんだ、良いなぁ」
「ええ」
孝は先を歩く美歌の斜め後ろから、彼女に歩調を合わせて付いていく。保健室の時のように気まずくならないよう、定期的に他愛ない話題で雑談しながら。
「一人暮らしじゃなくて、実家だよね?」
「そうね」
「家族で移住して来たとか?」
「……移住? 違うわ。神波鳴はずっと、先祖代々ここに住んでるの。別に、由緒有る家ってわけじゃないけど」
「……へー、やっぱり神波鳴さん。元々この土地、黒百合淵の出身の人なんだね。この辺りで好かれる感じの名前してるから、そうなんだろうと思ったよ」
「好かれる感じ?」
「……知らない? ほら、名前が【カミナミナミカ】で上から読んでも下から読んでも【カミナミナミカ】でしょ? この辺はそんな感じの、回文って言うのかな? そういう感じの名前が好まれて名付けられる事が多いらしいからさ?」
「そう。知らなかった。私の名前は、父方の祖母と同じなの。使ってる漢字は、父親の【歌也】と母親の【美由子】から一文字ずつ貰って名付けられてて……」
共に歩き、そのうち徐々に孝と会話をするようになった美歌。やはり仏頂面だが、その顔はどこか穏やかなものに変化していた。
二人はそのまま細い道を抜け、車が一台通れるくらいは幅のある道に出る。
「ん、どうかした?」
そこで突然。美歌が道の前方で、何かに気が付いたように立ち止まった。
「……ここまででいいわ。私の家、もうちょとの所だから。今日は、まぁ、勝手な善意で送ってくれてありがとう、仮仁くん」
「……? そっか、わかった」
唐突に別れを告げてきた美歌に、孝は不思議に思いながらも。ただそう答えた。
彼女に対しての余計な詮索は、親しくなるまでしない方が良い。そう思ったから。
「じゃあ、狩仁くん。また……」
「――あっ、ちょと待ってっ!」
孝は別れようとする美歌に声を掛ける。
まるで、彼女との今日最初の邂逅を再現したかのように。まるで、何かを確かめるかのように。
「何、かしら?」
「友達の件さ。……ずっと、ずっと保留のままでいいから、頭の中に入れておく事だけでもしてほしいな」
「……それ、まだ言うの?」
突き放すような言い方だが。どこか、満更でもなさそうに美歌は言った。
「それと、もし良かったらさ。平日の放課後に、学校の実習棟二階の右突き当たりの空き部屋。僕は、そこにいつも居るから。伝説とか歴史とかに興味があったらぜひ訪ねて来てよ! もちろん興味が無くても、遊びに来てくれても大歓迎だけどね!」
「……はぁ」
「どうかな?」
「……気が向いたら」
そう孝に言うと、そのまま美歌は足早に歩いて行ってしまう。
「神波鳴さん、待ってるから!
あと、また教室でねっ! お大事にね!」
――孝は最後に、期待を含んだ言葉を美歌の背中に投げ掛けてみた。彼女は振り返ったりはせずに、けれど、小さく頷いてくれたように見えた。