一章……(5)【追い付けるうちに】
「……ハァハァ、あの様子なら、神波鳴さん、きっとそんなに遠くには行ってないと思うんだけどな……」
校舎から出て、孝はキョロキョロと辺りを見回してみる。体感的にそう時間は経っていないので、美歌がまだ学校の敷地内に居る事も考えてである。
「ここに入学以来、始めての早退をしてしまった。まあ、授業より優先したいと僕自身が思ったんだから。別にいいけどさ……」
保健室から職員室に行き、担任の女性教師に、美歌と自分自身が体調不良で早退する事を伝えた孝。その後、
「急ごう、まだ、追い付けるうちに……!!」
――今から追えば、まだ美歌に追い付けるかもしれない。そう思い立ったから、教室にも寄らずに全速力で真っ直ぐ走ってきた。
手のひら返しのようだが、獣の尻尾と耳を生やした美歌は、孝の中でただのクラスメイトから並々ならぬ興味を抱く対象へと変化していた。個人的に、是非お近づきになりたい異性に変わっていた。……だけど、普段は面識が少ないから。彼女の体調不良を口実に、途中まで送ってあげたりして仲良くなる切っ掛けを作りたい。……そんな不純な理由だけで、孝は早退をしてまで美歌を追っている……
「…………ッ!」
――――訳ではないッ!!
「……やっぱり。しっかりと神波鳴さんには謝らないと。ちゃんと話しておかないと。それも、なるべく早いうちに」
実際、孝はもっとシンプルで純粋な動機から行動している。……まあ、あわよくば親しい関係になりたいと思ったのも確かに事実ではある。“事実ではある”のだが、
それ以上に、考は、
「……だって、だって、なんだよッ!
神波鳴さんの、あんな姿を見せられたらさッ! 見ちゃったらさッ!!」
……ただ、彼女の事を個人的に放って置けなくなってしまったのだ。ただ、彼女の事を何一つ知らない自分が烏滸がましい話しかも知れないが、少しでも泣き叫ぶ程の苦しみから救ってあげたい。そう思ったから。
「ハァハァ、今日、あの時、あの瞬間まで、神波鳴さんは僕にとってただのクラスメイト。赤の他人だったっていうのに。感情移入のし過ぎかもしれない……」
走りながら、そう言葉をこぼす。
「……だけど、だけどっ!!」
――孝はあの後保健室で、美歌の取り乱し具合を客観的に思い返してみた。仕組みと理由は解らないが、獣の尻尾と耳の生えた……又は生える身体。
「獣に、転じる、女の子っ!」
――普通に考えて、周囲の人間には絶対にそんな事は秘密にしているだろう。それを体調不良のせいか、不注意からか、自分に見られて握られてしまった。その結果が、彼女のあの取り乱し具合と絶望したような表情だったのか?
「他人との違いに、苦しんでるのかも知れない女の子ッ――!!」
考は出会ってしまった。知ってしまった。
「――ならさっ!!」
なら、自分はどうするべきか?
……そんな事は決まっている。
――まず謝る。その上でフォローでも嘘でも良いから、彼女にその場で必要な言葉を伝える。彼女が万が一にでも壊れてしまわないように立ち回る。……取り返しがつかない事にならないように。
「――放って、おけないじゃんッ!!」
自分勝手で、自己中心的、浅はかな自覚は有る。でも、普通の人間に疎くて、普通の人間が怖くて、常に他人に都合の良い人間である自分ならば。変わり者の自分なら、普通とは違う彼女を理解する事ができるのではないか。そう思い立った末の行動が、今現在の行動理念であり、孝の意義だった。
(……あっ! 居た、神波鳴さんだ!)
孝は校門の前まで来ると、ちょうど門の前で立っていた美歌を発見する。なので彼女に足早に近づいて行く。すると、
「……狩仁くん。さっきチャイム鳴ったし、とっくに授業が始まってるはずだけど……どうかしたの? もしかして、私に用かしら?」
美歌はバタバタとした足音を立てながらの孝の接近に気が付いていたのか。その場でゆっくりと振り返り、変わらずに鋭い瞳を孝に向けて質問してきた。
「はは、今日は寝不足なんだか……少し体調が悪くなってきてね。だから僕も早退する事にしたんだ! ハァ、ハァハァ……」
正直に追って来たとは言えず、その場で適当な出任せを口に出す孝。その割には元気良く走って来たのだが……まあ、いいだろう。
「……そう」
孝から瞳を反らす美歌。
あんな事があったのだ、当然か。
「フラフラなんでしょ? 途中まで送るよ。……あ、もちろん無理強いはしないよ。僕の同行に神波鳴さんがオッケーくれたらだからね?」
「……送る? 私を?」
美歌は唐突なその言葉に、心底意外そうな顔をして聞き返した。さっきの一件を覚えてないのか? そうとでも言いたげに。
「そう、がんばってエスコートするから。
……伝えたい事もあるし」
「――ッ! ……伝えたい事!?」
微かにだが、美歌の身体が緊張したようにビクッと震える。
「僕の申し出、どうかな?」
それから数秒間。美歌は睨みつけるように孝に鋭い瞳を向け、視線を合わせた。考は拒否される可能性の方が高いとは理解している。それでもこの行動には確かな意味があった。寧ろ美歌に孝が“伝えたい事”が有ると“伝える事”が本命。ここで大きな意味を持つ。
「……勝手に……していいわ」
「え、あれ? そう……? やった!」
しかし、案外簡単に了承された。
~ ~ ~
「……勝手に……していいわ」
――拒否して、酷い目にあうのが怖かったから。だから、そう言ってしまった。
昔、怖い男子に言い寄られて、「嫌だ」って、拒否して。そうしたら逆上されて、手を強く捕まれて、そのまま学校から連れ出された事が有った。人気の無い場所に連れていかれて、髪を引っ張られながらスカートと下着を脱がされて……そう、そうだ、慰みモノにされそうになったんだ。私は抵抗しようとして、でも男子に力では勝てなくて。泣き叫んだ。でも助けは来なかった、無駄だった。絶望した。そうしたら自分がわからなくなって……ぼんやりとして……。
気が付いたら、その男子が倒れていた。赤い水溜まりの上に倒れていた。あの時、自分はその男子を殺しかけてたんだ。……その時のトラウマから、他人からの誘いは、了承する事しかできない。人気の無い場所に連れてかれるなら、幸い。後はどうにでもなる……どうにもできないけれど、脅かして、逃げるくらいなら。そんな諦め。
~ ~ ~
「じゃあ、しばらく帰り道ご一緒するね。カッコ良くエスコートは僕じゃ期待できないけど、がんばるよ。うん、じゃあ……行こうか?」
返答を聞き。ならばと、孝は先導するように先に校門を潜り。振り返って、美歌を急かすようにそう言った。
「……あ」
だがそこで、美歌は学校の敷地外に出てしまう事を躊躇ってしまう。
「ん、どうしたの?」
「何でもないわ……」
「歩けないなら、肩を貸すけど?」
「そこまでしてもらわなくて平気」
そして、孝にせき立てられるよう、渋々と校門から外の歩道に出てしまう。
……これで、美歌は本当に一人になってしまったのだ。
保健室に寄った為に携帯も教室の鞄の中なので、助けを呼ぶ事が困難。最後の手段があるが、それを使ってしまうと人として後戻りが出来なくなってしまうと危惧。可能なら使いたくはない。つまり、正に今は美歌にとって八方塞がりな状態。
そして、美歌も校門を潜ったのを確認すると。孝はさっさと要件を切り出してしまう事にした。
「まず最初に伝えたい事を言っていい?」
「え?! ……な、なにかしら?」
突然の事に、美歌は唾を飲む。
果たして、自分はこのクラスメイトの男子生徒に一体どんな言葉を浴びせられるのだろうか? 怖い言葉か? 酷い言葉か? 傷付く言葉か? そうゆうのは、もう、聞きたくない。美歌は瞳に涙を溜めた。
仮に、ただ自分に生えた尻尾と耳に対して疑問を投げ掛けられるだけだとしても。いずれは、確実に否定される。化け物扱いされる。……だから、どうしようも無くなって、いつも便利な友人に対処してもらうのだ。
――だから。もう、嫌だ!
それが、美歌の心の叫びだった。
そんな彼女に対して、無慈悲に、残酷に、無神経に、言い放たれた孝の言葉は、
「神波波さん。先程は――本当に申し訳ありませんでしたぁぁぁ!!」
…………。
「…………」
――謝罪?
「…………」
「…………」
――何故に、謝罪なのか?
「本当に、申し訳ありませんでした!!」
「…………あっ? えっ?」
――美歌は、困惑した。
「ああいうのコスプレって言うんだっけ?
……罰ゲームとかでしてたのかな? 実際、何であんな格好してたのか事情は知らないけど、あの場は見て見ぬフリをするべきだったよ。尻尾と耳のコスプレを僕に見られて、触られて、やっぱり恥ずかしかったんだよね? いや、本当にごめんっ!!」
――おかしな謝罪の言葉だった。
「……コ、コスプレ?」
――本気で言っているのか? 目が本気だ。だとしたら、凄い度を越した勘違い誤解野郎だ。ある意味で都合が良いが。
「えーと、さ。もしもさっきのアレが、神波鳴さんが自分からしてたコスプレだったりしても。僕は否定したりはしないから。僕自身も人には言い辛い趣味とか有ったりするし。……それに、尻尾と耳よく似合ってた。すごく可愛かったよ? 正直うん、サイコーだった!!」
――続く。誤解しながらも、彼なりにフォローしているような、本音を言っているのような、冗談を言っているような、非常に美歌が判断に困る言葉の数々。
「…………は? はぁ?」
困惑が大きくなり、後ずさる美歌。
「だから、さ!!」
そんな美歌に向かって、
強く一歩を踏み出す孝。
「……な、なによ?」
孝の豹変に若干引きぎみな美歌。
「神波鳴さん!!
……友達から始めませんか?」
孝は声高らかに、
突拍子もなく宣言した。
「…………」
「…………」
…………何とも言えぬ間。
「…………ねぇ?」
「…………ん?」
「……ねぇ狩仁くん。
あなた、馬鹿じゃないの?」
――美歌はそんな孝の意外な言葉に毒気を抜かれ。色々思い悩んでいた自分自身に馬鹿馬鹿しくなってしまって、そう呟いてしまったのだった。