08.レンズの向こうの悪意
時間は天牙達が学校に到着した朝7時半頃まで遡る。
孤宝博物館執務室。
革張りの椅子に腰掛ける男は白い布で眼鏡を拭き上げ、電気にかざして曇りの有無を確認から満足そうに頷くと、ゆっくりとした動作で眼鏡を顔に掛け直した。
男は机の上の書類を手に取り何枚か捲って確認すると、目の前のソファに腰掛ける少女に目を向けた。
「さて、約束の期限まであと一週間となりましたが、どうです?あれからどのくらい用意できましたかな?」
『孤宝博物館』館長の村山 善二はレンズの奥の瞳に薄気味悪い光を浮かべた。
「まだ半分です。ですが期限までには……」
「準備できるといいですね」
オールバックにしか髪を撫でつけて善二は笑みを深めた。
「なにせ……ご自分の身が賭かっているのですから」
ソファに腰を下ろす少女……月ノ宮 水蓮はその美しい顔を嫌悪でわずかに歪ませた。
「まさかねぇ?父親が自分の娘を身代わりに差し出すとは……辛かったでしょう?」
「お父様はそんなこと致しません!!」
思わず声を荒げた水蓮に善二は手に持った書類を掲げて見せた。
「ではこの借用書と……この裏に書かれた誓約書はなんでしょうかな?」
「それはお父様が書いたものではありません。筆跡は似ていますがよく見ると異なるものと分かります。そもそも1ヶ月前、貴方とお父様に面識はほぼ皆無と言っていい状態です」
「ほう?ではこの書類はみんな偽物と言うことですかね?」
「当然です。悪意によって作られたものとしか思えません」
「そうですか。でもねぇ、ここに確かに月ノ宮家の実印が押してあるのですよ。これはどう言い訳するんですかね?」
「それは……」
善二の指摘に水蓮は言葉を詰まらせた。
「言い逃れなどできませんよねぇ?」
押し黙った水蓮を見て満足気な表情になると、善二は水蓮の座る向かいのソファまで行って腰を下ろした。
「さて、今さら何を言ってもしょうがないでしょう。それよりも【月下美人】だ。今日持ってきたそれを出していただきたい」
「なぜ今日なのですか?」
「予告状を見ましたかな?」
「今朝の新聞に載っていたものでしょうか?」
「ええそうです」
そう言って善二は後ろに控える男に指示をする。
男は部屋の隅にある机に置いてあったパソコンを持って来て、開いて机の上に置いた。
画面に映し出されたのは孤宝博物館のホームページだった。
だがそれはいつもの荘厳な雰囲気のデザインではなく、ポップで愛らしいものへと変えられていた。
フォントは丸文字に、展示品の紹介にはそれぞれ同じ卵の顔に体を生やした一つ目小僧のような珍妙なキャラクターが描かれている。
そして新しく『予告状』と書かれたバーを善二がクリックすると大きな文字で
『7月7日の午後7時7分、貴館が展示する【月下美人】を頂戴する。 White Eye's』
と記され、例の一つ目のキャラクターが横に添えられていた。
「このように、どうやらコソ泥が【月下美人】を狙っているようでして」
眼鏡が光を反射してキラリと光り、善二の目が細く鋭くなった。
「一体どこで情報を得たのやら」
善二の探るような目つきに水蓮は揺らぐことなく静かに答えた。
「月ノ宮は関係ありません」
「そうでしょうなぁ、由緒正しい月ノ宮家が薄汚い窃盗団に頼むことなどあり得ないでしょうからねぇ?」
「………」
嫌味ったらしい善二の猫撫で声に水蓮は沈黙で答えた。
善二は今回の【White Eye's】の犯行予告は月ノ宮家が事前に情報を流したからだと考えていた。
犯行予告のメッセージが来たのは、つまりホームページがハッキングされたのは10日前の6月20日午前0時頃。
これは新聞などに【月下美人】展示の情報が伝わる前のことであり、善二は月ノ宮家以外に情報を漏らしうる者はいないと考えていた。
他に考えられるとすれば、祖父の代から繋がりのある暴力団『神成組』だが、そんな小細工を仕掛けてくるような相手ではないので候補から除外である。
善二は水蓮が何も聞かされていない可能性もあると考え、とりあえずこの場で追求するのは諦めた。
「これは失礼、犯行予告を受けて周りも少々ピリピリしていましてねぇ?決して本気で疑った訳ではないんですよ。あくまで確認です」
「そうですか」
「本当は3日前の予定でしたが、今日こうして【月下美人】をお持ちいただいたのはその辺の理由があるんですよ。7月7日を前に盗み出されてはたまらないですから」
「月ノ宮の警備に不満があると?」
水蓮が少しムッとした顔で睨む。
だが善二は飄々(ひょうひょう)としたままそれに答えた。
「いえいえそんなことはないですよ。ただ普通の邸宅よりも警備システムのしっかりとした博物館の方が良いと思いまして。その方が月ノ宮家としても安心でしょう?」
「抜け抜けと……」
苦々しい顔になる水蓮だが、すぐに表情を元に戻して横の従者に視線で合図を出した。
女の従者は横から白いアタッシュケースを取り出すと、水蓮の前の机に音を立てずに置いた。
水蓮はアタッシュケースの鍵穴を確認すると、首に下げた鍵のチャームのネックレスを胸元から外に出した。
そして月の文様があしらわれた銀の鍵を穴に差し込んで回し、それから左右の5桁ダイヤルをそれぞれ合わせると、カチッという音がしてケースが開いた。
アタッシュケースをくるりと回して、中身を善二に見えるように向けた。
「ぉおおお!!」
アタッシュケースの中から現れた【月下美人】に目を奪われ、思わず歓喜の声を上げる善二。
天鵞絨の上で静かに光り輝く東洋の神秘と謳われた青く輝く大真珠。
直径4センチはあろうかという大粒の真珠にも関わらず、形は真球に限りなく近く、表面も滑らかだ。
光を受けると波紋が広がったり天使の輪のように光ったりして、見る角度によって様々な表情を見せてくれる。
善二はしばらく【月下美人】に魅入ったまま動かなかったが、部下の声にハッとなって意識を戻し、眼鏡のを片手で上げて水蓮に向き直った。
「失礼、あまりの美しさに見惚れてしまいましてねぇ?一応鑑定士の方を呼んでいたんですが、これは間違いなく本物だと確信しました」
「偽物を用意することなどあり得ません」
「まあまあお気を悪くしないで下さい。では確かに確認致しましたので」
「それでは失礼致します」
【月下美人】の受け渡しを終えて従者と共にその場を去ろうとする水蓮。
それを善二の声が引き留めた。
「まあそう焦ることはありませんよ」
「なんでしょうか?」
怪訝な表情になった水蓮に善二はニヤニヤとした薄気味悪い笑みを向けた。
「展示準備をご覧になって行かれませんか?月ノ宮家の大切な至宝がどう扱われるのか気になるでしょう?」
「きちんと扱われなければしかるべき対応をするだけです」
「ほう、それでは展示準備を見るつもりはないと?」
「ええ、これ以上長居するつもりはありません。では」
執務室の扉まで水蓮が歩いて行くと、部下が善二に確認を取る。善二が軽く頷くと、部下が扉を開けて水蓮とその従者を通した。
「また会いましょう、婚約者殿(、、、、)」
水蓮の背中に薄気味悪い笑顔のまま善二が声をかける。
水蓮は一瞬後方を見やると、強い意志をその青い瞳に宿してつぶやいた。
「私は貴方のものになどなりません」
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7月5日。
孤宝博物館は2日後の【月下美人】公開に向けて改装に追われていた。
普段は来乗客でひしめく館内に、工事関係者や警備の人間、【White Eye's】の犯行予告を受けて出動した刑事が慌ただしく動き回っていた。
善二は自ら一つ一つのフロアの確認をして回っていた。
【White Eye's】が当日にのこのこやってくるなど考えられず、事前に侵入してなにか準備をするだろうと考えていた。
普段の日は博物館に訪れた人の目があり、夜は執務室以外に監視カメラが存在しないため難しい。
なにかをするとしたら、大改装によって内部と外部の人間が入り乱れる今日が一番の狙い目であるはずだった。
「待て、その機材はなんだ?」
【月下美人】の展示予定のフロアに入ったところで、覚えのないデザインの機械を抱える作業員を見て善二が聞き咎めた。
「【月下美人】のライトアップのための機材です」
「メーカーは?」
「えー『Albus』ですね」
側面に刻印された文字を見て作業員が答えた。
「聞いたことがないな。発注書はどうなっている?」
「これですね。あれ?」
発注書を確認した作業員が首を傾げる。
「どうした?」
「今日いきなり元々注文していた機材をキャンセルしてこちらに変更したようです」
「なに!?」
善二は作業員から発注書をひったくると、急いで内容に目を通した。
「変更は今日。契約者の名前も確かに私の筆跡ですね。だがこんな書類は記憶にない。さっそく来たか………」
ぶつぶつとつぶやきながら思考を整理していた善二は顔を上げ、フロア全体に向かって声を張り上げた。
「このフロアの全作業をいったん中止!作業員は発注書を持って私の前に並んでもらう!!」
昼の休憩のため善二は執務室に向かっていた。
「やってくれたな。だがこれで芽の一つは摘み取った」
苦々しく思いながらも、相手の思惑を潰せたことに満足そうな表情を浮かべる善二。
あの後確認したところ、機材や設計の不審な点がいくつも見つかった。
死角を作りやすい設計に変更されていたり、盗聴器や盗撮カメラが取り付けられた機材が紛れ込んでいたり。
どれも巧妙にすり替えられていて、善二が自分で確認しなければ分からないものばかりだった。
これは確実に【White Eye's】の仕業である。
【White Eye's】はあらかじめ様々な細工を施して時に大胆に、時に繊細に周りの目を欺いて盗みを成功させているのだ。
そしてもう一つ、【White Eye's】には変装の達人がいる。
ありとあらゆる人物に化けて美術品に近づき、あっさりと持って行ってしまう変幻自在のメンバーがいるのだ。
だが、今までの傾向から女に化けることが多いと分かっていた。
「警備関係者に不審なやつはいるか?」
執務室へ向かいながら善二は部下に尋ねる。
「素性を洗いましたが、特に問題はないようです」
クリップボードに挟まれた警備員のプロフィールを捲りながら部下が答えた。
「分かった……っとそうだ、"女"の警備員はいるか?」
「はい、2、3名ほど」
それを聞いた善二の眼鏡の奥の瞳が鋭くなる。
「その中で最近……いや、ここ1ヶ月以内に入った奴は?」
「………1人該当者がいます」
「そいつを監視しておけ。なにか不審な真似をしたらすぐに知らせろ」
「はっ」
部下は一礼して右の階段へと慌ただしく降りて行った。
善二が廊下の角を右に曲がったところで丁度同じタイミングで警備員の青年が左折してきた。
警備員の青年は素早い反射神経で衝突を回避しようとしたが、ギリギリで善二の左胸に当たって倒れ混んでしまう。
「す、すいません!!」
倒れた青年警備員はすぐに起き上がってその場で何度も頭を下げた。
「気をつけたまえ」
善二は衝撃で少しよろけただけだったので、派手に転んだ青年を心配そうに見ていたが、大事ないと分かると目を細めて踵を返した。
「あのっ!!」
「なんだ?」
青年警備員の呼び止めに面倒くさそうに善二が振り返った。
すると青年警備員が青い化粧箱を持ってオロオロしていた。
「こ、これが懐から落ちましたが!」
その化粧箱を目にした瞬間善二は驚愕と焦燥の表情になり、青年警備員に向かって叫んだ。
「!?っっ返せ!!」
「すみません!すいません!」
すぐに化粧箱を返した青年警備員は何度も何度も頭を下げてからその場を去ろうとした。
「待て」
「は、はい!」
善二の鋭い声に背中を向けた青年警備員がビクッと硬直する。
恐る恐る振り返った青年。
善二は青年から注意を逸らすことなく化粧箱を開けて中をあらためた。
そしてほうっと一息つくと、呼び止めた青年に向かって口を開いた。
「………なんでもない。すぐに配置に戻れ」
「すいませんでした!失礼します!!」
また何度も頭を下げてから青年警備員は立ち去った。
それを見送った善二は化粧箱を上着の左ポケットに慎重に仕舞い直し、上から確認するように軽く叩いて執務室へと歩いて行った。
去り際の青年警備員の口もとがうっすら笑っていたことは誰も知らない。