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怪盗は迷い猫にいる  作者: うろこ雲
月下美人編
7/14

07.BLACK MOUTH


 うっすらと生臭い空気が暗い石造りの地下道を満たしている。

 絶え間無く流れる水の音が壁に反響し、どこまでも暗闇が広がっていた。


 時計の短針が9に達した頃、夏の湿気とは無縁の涼しいこの下水道に水音とは異なる規則的な音が混ざり始めた。

 音の大きさではなく、一歩一歩を気にするような慎重な足音が辺りに反響する。


 スッと暗い空間に一筋の光が差し、全身黒ずくめの影が懐中電灯を持って現れた。


 黒い人影は下水道の壁面に等間隔で記された番号を一つ一つ確認しながら歩き、『777/1235』と書かれた場所で足を止めた。

 そして湿った壁に薄いゴム手袋をはめた手を()わせてあちこち確認し始める。


 そしてあるところでピタリと手を止めると、壁の(くぼ)みに指をかけて手前に引いた。


 ゴゴゴ…と重厚な音がして、石の壁に一筋の線が縦に走る。


 黒い人影は背中の袋から取り出したバールをはめてその隙間を少し広げると、両手をかけて腰を落とし、全身に力を込めて壁を横に引いた。

 ゆっくりと壁が開き、丁度小柄な人間が一人入れるスペースが出来ると、人影はその奥へ足を踏み入れた。

 人影が壁の向こうに消えると、今度は隙間が(せば)まっていき、しばらくして元の何もない石の壁に戻った。





▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼





 日本でも指折りの富豪である黒条家別宅。


 東京にある本邸よりは少し小さいが、それでも1000坪を超える大豪邸である。


 その一室で本を読みながら紅茶を飲んでいた黒条(こくじょう) 舌莉(ぜつり)は頬に湿った微風を感じ、窓の方を見た。


 すると大の大人くらいの高さの窓が半開きになり、窓枠の上に黒ずくめの何者かが立っていた。

 だが舌莉は不審人物に驚くことなく、黒ずくめに向かって笑いかけた。


「遅かったわね。もう少し早く来て欲しかったわ」

「誰かに見られないようにあの道を通るように言ったのはお前だろ」


 そうボヤいた黒ずくめが音もなく部屋の中に降り立つ。

 そして窓を閉めて顔の覆いを取ると、中から少し不機嫌な影山(かげやま) 天牙(てんが)の顔が現れた。


「そうだったかしら?」


 とぼけるように舌莉は細い指を(あご)にあてた。


「それにしても下水臭いわね。女性の部屋に入るというのにエチケットの欠片もないの?」

「言いがかりだ。ちゃんと使った靴とか手袋はゴミ袋に入れて封をしたからな」

「そうしたらあなたの存在そのものが下水の匂いがするのかも」

「おい」

「冗談よ。汚れた服とかを入れた袋はゴミ箱の横に置いてもらえるかしら?後でまとめて処分しておくわ」

「助かる」


 天牙は手に持った袋を言われたところに置き、舌莉の向かいの椅子に腰を下ろす。


「じゃあ始めましょうか」


 扇を開いた舌莉が蠱惑的に微笑む。


「【BLACK(ブラック) MOUTH(マウス)】としての活動を」




 怪盗【BLACK MOUTH】。


 その姿を見た者は誰もいない、いるかどうかもわからない、(なか)ば都市伝説と化している美術品泥棒。


 博物館や資産家の大邸宅にいつの間にか忍びこみ、誰にも気づかれることなく貴重な美術品を持ち去る。

 監視カメラには一切姿が映ることなく、どんな防犯設備も意味をなさず、犯行日の前後にも不審な人物の目撃情報すらないあまりの異様さに『虚無(きょむ)の怪盗』と呼ばれている。


 【BLACK MOUTH】はそこにいた痕跡をほとんど残さないが、唯一、持ち去った美術品のあった場所にシルクハットを被った不気味に笑った口の仮面の絵が添えられた黒い手紙を置いていく。

 手紙の文言はいつも同じで


『貴殿の所持していた○○は我が混沌の口が美味しく頂いた。BLACK MOUTH』


と書かれている。『○○』の部分には盗んだ美術品の名前が記入される。


 この手紙と美術品が消えた結果だけが【BLACK MOUTH】がいたことを示すただ一つの証拠なのだ。


 被害者が警察や探偵に捜査を頼んでも証拠がないので、冗談かなにかだと思われて取り合ってもらえない。

 中には自分は魑魅魍魎(ちみもうりょう)(たぐい)に魅入られたんじゃないかと気が狂ってしまう被害者もいる。


 確かに存在するはずなのに、いるかどうかわからない怪盗、それが【BLACK MOUTH】だった。




 そして……



 【BLACK MOUTH】の正体がたった3人の若い男女だと知るのも本人達だけである。



「狙うのは…」

「【月下美人(げっかびじん)】だろ」


 被せるように天牙が言うと、舌莉が意外そうな顔をした。


「あら、新聞はきちんと読んでいるのね」

「基本毎日読んでるぞ」

「知ってるわ」

「…………」


 仕切り直すように舌莉が1枚の写真を机に置いた。


 写っていたのは青い真珠。

 まるで夜空に浮かぶ満月のように淡く神聖な輝きを放っている。

 写真だけでも十分に美しい宝石だった。


「話を戻すけれど、天牙君の言う通り7月7日に展示されるこの【月下美人】をいただく予定よ」

「だが、今回はライバルがいるみたいだな」

「ええ、かなり厄介な相手ね。小夜」


 部屋の(すみ)溝口(みぞぐち) 小夜(さよ)が無数の配線と6つのモニター画面を前に3つのキーボードの上でせわしなく指を動かしていた。


「はいっ【White(ホワイト) Eye's(アイズ)】の構成員は3名。名前、年齢、素顔は全て不明。ですがこれまでの警察の捜査の記録や監視カメラの映像から10代後半から20代前半の女性と推察されますっ」

「山西に聞いた情報とほぼ同じだな」

「はいっ【White Eye's】はまず予告状を出し、指定した日付けと時間通りに目的のものを盗み出しています」

「成功率は?」


 天牙が(たず)ねると、小夜がキーボードに指を走らせ、タンッとEnterキーを打った。


「100%です」


「は?」

「100%、【White Eye's】が今までに失敗したことはありません」


 小夜が指し示す先の画面には【White Eye's】の事件記録、そしてその成功率が示されていた。


 『100%』


 その3つの数字に天牙の目が釘付けになる。


「マジか……」

「捕まっていない以上、100パーセントになるのは当たり前でしょう?」

「いや、そうじゃない」

「どういうこと?」


 目を細めた舌莉に天牙が答える。


「怪盗が捕まってないからといって毎回成功するとは限らないだろ。目的の物が偽物だったり警備が厳重で入れなかったり、失敗する理由はいくつかある」

「………」

「だからこそ100パーセントという数字はすごい。情報収集から目的のものを盗るまで完璧にこなしてるということだからな」

「そう言われればそうね」

「だろ?」

「ええ……」


「……(BLACK)(MOUTH)の成功率が100パーセントだから、それくらい当たり前だと思ってたわ」


 そう言った舌莉の表情は素っ気ないものだった。だがその瞳には揺るぎない自信がある。


「おぅ……」

「さすがですっ!」


 天牙は少し引き、小夜は目をキラキラさせて舌莉を見た。


「小夜、続けて」

「はいっ、お2人もご存知だと思いますが、【White Eye's】が主に狙うのは盗品や不正な手段で手に入れたものですっ、つまり…」

「【月下美人】か展示される孤宝博物館関係になにかしらの問題があるってことか」


 そう言ったところで、天牙は今朝の教室での会話を思い出す。


「そういや、孤宝博物館の先代館長の村なんちゃらに黒い(うわさ)があるとか聞いたな」


 天牙がいい終わらないうちに小夜は素早くキーを叩いてその情報を左の画面に出していた。


「元館長の村山(むらやま) 善造(よしぞう)さんですねっ?ですがその方は既に亡くなられてますっ」

「今は誰がやってるんだ?」

「お孫さんの村山(むらやま) 善二(ぜんじ)さんですっ、そしてこの方を詳しく調べたところ……」

「脱税でもしてたか?」

「いいえっ、暴力団と繋がって色々悪いことをやってるみたいですっ」

「………うわ」


 暴力団と聞いて顔が引きつった天牙。

 小夜はその反応に首を(かし)げた。


「程度に差はあれど、あたし達も手が後ろに回るようなことをやってますよっ?」

「それはそうだが、暴力団と聞くと健全な高校生としてはだな……」

「闇夜に乗じて美術品を盗む高校生のどこが健全なのかしら?」


 シニカルに笑いかけた舌莉に天牙はすかさず言い返した。


「お前にだけは言われたくない!」

「あら実行犯は全て天牙君でしょう?私は完璧な窃盗計画を考えただけよ」

「お前もばっちり盗みの片棒担いでるんだからな。俺が捕まったらお前も共犯で牢屋にぶち込まれるんだぞ」

「その時は大金を積んで回避するわ」

「汚いぞ!」

「汚いのは下水道を通ってきた天牙君よ」

「なんでその話を戻すんだよ!」

「天牙君も下衆だったわね。変態は近づかないでもらえる?」

「酷い言いがかりだ!」


 舌莉はギャーギャーと騒ぐ天牙を無視して小夜の右隣に立った。


「小夜、【月下美人】と孤宝博物館もとい村山善二との関連は?」

「はいっ、どうやら【月下美人】を所有している月ノ宮家は村山善二に多額の借金をしているようなのですっ」


 聞かされた情報に舌莉は顔を(しか)めた。


「月ノ宮の人間とは黒条家主催のパーティーで会ったことがあるけれど、負債を抱えているという話は聞いてないわよ?」

「詳しいことは分かりませんが、ちょうど1ヶ月前くらいに月ノ宮家を村山善二とその取り巻きが訪問していますっ」


 小夜が真ん中のキーボードをカチャカチャと操作すると、右のモニターにどこかの部屋の映像が映し出された。


「こちらがその時の映像ですっ」

「え、月ノ宮家に盗撮カメラを仕掛けたのか?」


 片眉を上げた天牙に小夜はヘラッと笑って否定した。


「そんな面倒なことしませんよ。月ノ宮家の応接室の監視カメラをちょちょいとハッキングしただけですっ」

「相変わらずとんでもないな」


 普段『Stray Cat's』で働く姿からは考えられない小夜の能力(ハッキング)に舌を巻く天牙。


 映像は応接室のソファー腰掛けた人物を映し出していた。

 片方に和服を来た男、向かいには眼鏡を掛けた黒いスーツの男が座り、眼鏡の男の後ろには白いスーツを着た屈強そうな男が2人立っていた。


 映像が進み、眼鏡の男が横の(かばん)からファイルを取り出して机に置いた。


「これは……なんかの紙か?」

「契約書の(たぐい)ね。小夜、拡大して」

「はいっ」


 小夜が操作して映像を拡大すると、上に大きく『借用書』と書かれ、小さな文字の羅列(られつ)が下に続き、最後にサインと赤い印が押してあった。


「借用書だな。しかも金額は20億だ」


 途中に書かれたとんでもない金額に天牙は片眉を上げる。


「さすがに偽物じゃないですかっ?」

「いえ、月ノ宮家の実印があるわ。真偽はともかく、この書類は有効よ」


 小夜の疑念を鋭い視線になった舌莉が否定した。


「期限は7月7日、ちょうど今から一週間後までだな。なんでまたこんな無茶を」

「【月下美人】は担保といったところかしら?あれは10億の価値があるのよ」

「残り10億はどうするんだ?」

「さあ」

「2枚目があるみたいですっ」


 割り込むように叫んだ小夜が画面を指さした。

 眼鏡の男が借用書を少しずらして裏にあった2枚目の紙を見せる。一瞬で分かりづらかったが、それを見た和服の男はかなり驚いている様子だった。



「よく見えないな。溝口、もう少し解像度を上げられないか?」

「むむむ………むう〜限界ですっ」


 映像を止めて小夜が色々と(いじ)っていたが、文字を判別するには至らなかった。


「孤宝博物館に館長室があったわよね?そこを探れないかしら?」

「館長室にはカメラがないのです……お役に立てずすいませんっ」

「できればという希望だからかまわないわ。情報はかなり集まったのだし。小夜はさすがね」

「えへへ……黒条さんありがとうございますっ」


 舌莉に褒められ小夜は赤くなり、頬を緩めた。

 それを見た天牙がにやりと笑う。


「溝口は情報収集のエキスパートだけど、アナログに弱いよな」

「ふぇえっ!?」

「天牙君はデジタルに疎いじゃない」


 呆れたように舌莉が半眼になるが、天牙は動じずに胸を張った。


「あんなものをなぜ理解できるのか分からん。俺は最低限携帯とかが使えれば十分だ」

「まあそっち(デジタル)方面は小夜(エキスパート)がいるのだし適材適所よね」






「この白スーツの男はカタギじゃないな。となると眼鏡の男が村山善二か。それに向かい合ってるのは誰だ?」


 映像に再び目を戻した天牙が舌莉に尋ねる。


「月ノ(つきのみや) (みつる)。月ノ宮家の現当主よ」

「若いな」

「これでも50歳は越えてるのだけれど。先代は絶賛隠居中よ。趣味は盆栽とロックフェスに行くことだったかしら?」

「落差半端ないな!」

「あ、誰か入ってきましたよ!」


 小夜の声に2人が画面に目を戻すと、応接室のドアから1人の少女が中に入ってくる。

 青みがかった黒髪と目の覚めるような美しい顔立ち、そしてサファイアを埋め込んだかのような透き通った青い瞳に天牙は見覚えがあった。


「今朝の美少女!」

水蓮(すいれん)!」


 その少女を見て天牙と舌莉が同時に叫ぶ。


 天牙の反応を見た舌莉は目からハイライトを消し、机に置いてあったカッターナイフを手に取った。


「天牙君?どうして水蓮を知っているの?返答次第では切り落とすわよ」

「どこを!?」

「どこでどう会ったのか、場所と時間と経緯を詳しく胃酸ごと吐きなさい」

「ちょっと待て話すからその物騒な刃物をしまってくれ!!」


 なぜか殺気を放って怒り出した舌莉を(なだ)めつつ、天牙は今朝の登校時の出来事を話す。

 それを聞いた舌莉は目を鋭くして真剣な表情に戻った。


「天牙君、その場所は?小夜、地図を出して」

「はいっ」


 小夜が数秒で出した自分の自宅周辺の地図を見ながら、天牙は碧眼(へきがん)の美少女に会った場所を指し示した。


「あーっと、ここだ。この交差点」

「車はどの方向に走って行ったか分かるかしら?」

「信号待ちしてたからこっちの方角だな」


 車の進んだであろう方向へと道を辿(たど)ると、すぐに孤宝博物館が見えた。


「………思ったより深刻かもしれないな」


 脳裏をよぎった嫌な予感に天牙は顔を険しくした。


「まあいいわ」


 どうでも良さそうな舌莉の態度に天牙は眉根を寄せる。


「知り合いじゃないのかよ?」

月ノ宮(つきのみや) 水蓮(すいれん)は月ノ宮家の次女よ。小さい頃に少し遊んだくらいかしら」

「おいおい、だったら…」

「月ノ宮家が潰れたところで、黒条家は小揺るぎもしないわ。精々(せいぜい)パーティーのライバルが減るくらいかしら」

「月ノ宮水蓮の容姿は認めてるんだな」

「……死にたいの?」

「なんでもないです」


 舌莉がカッターナイフを再び手に取ろうとしたのを見て天牙は光の速さで前言撤回した。


「でも、このまま【月下美人】が孤宝博物館の手に渡るのは見過ごせないわ。月ノ宮家が潰れるなら私が欲しいもの。面倒事は少ない方がいいのに」

「「うわぁ」」


 はぁ、と悩ましげにため息を吐いた舌莉を見て、天牙と小夜は同時に声を漏らした。


「なに?」

「「なんでもないです」」


 相変わらず唯我独尊で面倒くさがり、そして自分の欲求に素直な舌莉の変わらない姿に呆れると同時に、尊敬の念さえ抱いたとは口が裂けても言えない2人だった。




「で、どうするんだよ?このままだと【White Eye's】に盗られるぜ?」

「既に対策くらい考えてあるわ」


 フッと笑った舌莉が何かを言おうとしたところで、コンコンと部屋の扉がノックされる。


「来たようね。移動するから小夜はパソコンその他を用意して、天牙君はそこに用意したスーツに着替えて。3分以内」

「は?」

「ほぇっ?」


 状況がうまく飲み込めない2人に舌莉は自信ありげに微笑んだ。


「すぐに分かるわ」


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