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   飴と鉄槌

 遠ざかるシアたちを見届けていると、背後から不規則な足音が聞こえてくる。

 ひびきたちがそちらを見ると、服が擦り切れてボロボロなハーマンが、よろめきながら近づいてきていた。


「お、お前たちか? ワシの屋敷をこんな目に合わせてくれたのは」


 恨めしそうな目を向けてはいるが、かなり精神的に参っているらしく声に張りがない。

 ハーマンからしてみれば、突然屋敷が崩れ始めて、訳も分からずに屋敷と数々の珍品が消えてしまったのだから、怒鳴る気力も出てこないのだろう。


 可哀想な気もするが、ハーマンが強引に『傾国の女神』を奪おうとしなければ、多くを失うことにはならなかった。自業自得と言わざるを得なかった。

 

 ひびきが冷めた目でハーマンを見つめていると、ミラルが軽い足取りで近づいていった。


「勘違いしないでくれる? アタシたちはこの事態を防ごうと努力していたのよー。でも失敗しちゃった。ごめんなさいね?」


 言っていることは正しいが、いつになく小馬鹿にした口調だ。面白がっているというより、怒っているように見えた。


 捕らわれていた時に何かあったのだろうか?

 ひびきが首を傾げていると、今度は複数人の足音が聞こえてきた。


 やって来たのは、肩を貸し合ったり杖をついたりして、亀の歩みのように進んでくる先住民たち――その中にはアンバーとムートの姿もあった。


 ミラルは大げさに眉を上げ、肩をすくめた。


「あらあら、思っていたよりも早く来たわね。上手く手加減できたのねー、イグニス」


「丸一日身動き取れなくなるだけの生気を先にたくさん吸い取ったから、楽勝だったぜ。……おかげでお腹の減り具合が半端ないけれど」


 お腹を押さえながらイグニスが苦笑する。

 ふと寝起きに「お腹空いた」と漏らした声を思い出し、ひびきは警戒しながらイグニスの顔を伺う。


「大丈夫ですか? 空腹で我を失って、みんなを襲ってしまうなんてことは……」


「これぐらいならまだ大丈夫……って、俺の正体を知った上で普通に接してくれるなんて! うわーどうしよう、嬉しくて死にそうかも」


 表情を崩しながら、イグニスは胸元で両手を組んで悦に入る。


 ……幼い頃からずっと魔神に会いたかったということを知った時には、どれだけ暴走するのだろう。

 そんな近い内に現実となりそうなことを想像して、ひびきは頭痛を覚え始める。


 と、アンバーが先住民たちの前に立ち、ミラルを見上げた。


「イグニス殿から、話を聞きに来てくれと言われたが……一体、どういうつもりなのかね?」


 険しい表情を浮かべたアンバーの問いかけに、ミラルはニッと歯を見せた。


「ちょっと提案したいことがあるのよ。多分、司祭様たちにとって悪い話じゃないと思うわ」


 アンバーたちが怪訝そうな顔をする。しかしまったく気にする素振りは見せず、ミラルは楽しげに声を弾ませた。


「司祭様たちがシアを利用しようとしたのは、この土地を自分たちの手に取り戻したいからってことでしょ? つまりそれが叶うなら、シアの力じゃなくても良いってことになるわよね?」


「た、確かにそうじゃが……しかし、どんな方法があるというのだ? ワシらだけの力では――」


 戸惑いを隠せないアンバーへ、ミラルは己の胸をドンと叩いた。


「アタシが全面協力するわ。資金も出すし、取り戻す方法も教えてあげるから、皆で力を合わせてやってみない?」


 まさかの提案にどよめきが起こる。

 住民たちの目から希望の光が灯り始め、その視線を受けてミラルはさらに活き活きと語り出した。


「まずは伯爵様の土地を買い戻して、そこに観光協会とラマノの特色を活かしたお店を出すの。女神の恩恵で、どこにも負けない食材が畑にも山にもあるし、美味しい地酒もある。これを推さない手はないわ。黄金色の麦を収穫する前に、マニキス山に登る人に見えるよう地上絵を作ったりして観光の目玉も作れる。気球を飛ばして見せるっていうのも有りね。それに――」


 次々と出てくる案に、始めは反応が鈍かったアンバーたちだったが、次第に「おおっ!」と声を上げたり、何度も頷いて話に食いついてくる。ムートからも「まあ」と満更でもない声が出ていた。


 ファーデン食堂で話を盛り上げた時のような熱気が辺りに漂い始め、全員やる気に満ちた目になった時。

 ミラルはようやく話を区切り、一呼吸置く。そして強く握った拳を天に突き上げた。


「この街の良さは貴方たちが一番よく分かってるはず。真っ向勝負でも、余所から来た人のお店なんかに負けないわ。だからいっぱい稼いで既存の土地とお店を買い取って、みんなの手で取り戻すのよ!」


 終わりの一言に人々から歓声が上がり、さっきまでの衰弱ぶりはどこかへ行ってしまった。


 ますます熱くなっていく光景に、やっぱりひびきはついていけず、呆然と見届けるしかできなかった。

 同じくイグニスも熱狂することができず、疲れを長息に乗せて吐き出す。


「執筆以外にも手を出すなんて……どれだけ俺たちに負担をかける気なんだ。頼むから締め切りは守ってくれよ……」


 祈るようなぼやきに、ひびきはこれからの多忙さを感じ取ってしまい、一瞬気が遠のいた。


 そして、この中で一番事態を把握していないハーマンは、ぽかんと口を開けたまま、先住民たちの盛り上がりを眺めていた。


 だが、急にハッとなり「ちょっと待て!」と叫んだ。


「さっきから話を聞いていれば、ワシの土地を買い戻すだと? お前らになんか払える金はあるのか? 屋敷どころか、大金をはたいて手に入れたお宝まで失ったんだぞ。弁償代を払わなければ、絶対に売買には応じんぞ!」


 枯れそうになりながら出したハーマンの声に、人々は口を閉ざす。


 静まり返った空気の中、ミラルは颯爽とした足取りでハーマンに近づいて見下ろした。


「へえー……どうせあちこち別荘建てて、お宝も置いているんでしょ? それも、こんな感じて消えちゃっても良いんだ?」


 まだミラルの実情をすべて知らないが、シアの封印を解かなくても、似たようなことができる手段をいくつも持っているのだろう。

 いつになく据わった声と目。逆らえば問答無用で実行することが、ひびきにも想像できた。


 ミラルはにこやかな表情で、親指と人差し指で丸を作る。


「タダで譲れとは言わないわ。迷惑かけちゃったのは確かだし、ちゃんとお金は支払うわよ。……でも、アタシの大切な人を侮辱したんだから、いっぱい勉強してちょうだいね」


 口ではそう言っていても、「タダで譲らないなら、やるわよ?」という心の声が聞こえてくる。


 珍しく目の奥が笑っていないミラルに凄みを覚えながら、ひびきは別の引っかかったことを考える。


 一体、ミラルの大切な人とは誰なのだろう?

 イグニスは知っているのだろうかと思って見やると、彼はすぐに察して教えてくれた。


「ミラルはな、社長が大好きなんだよ。だから少しでも社長を馬鹿にするヤツは、徹底的に叩く。この時だけは血も涙もない悪鬼に変わるんだ……ああなったら社長でも止められない」


 引きつった顔でイグニスはミラルを眺める。その横顔からは、心からの哀れみとミラルへの恐れが読み取れた。

 口を挟むことを許さない空気に圧され、ひびきは何も言わずに成り行きを見守る。

 

 真っ青な顔になったハーマンを見て、ミラルが小さく吹き出す。


「フフ……まだ現実が受け入れられないって顔ね。まあ当然よねー。普通に生きていたら、まずあり得ないことだものね。でも――」


 辺りを見渡すふりをして、ハーマンへ清々しいまでの胡散臭い笑顔を向けた。


「――ようく見てよ。これが現実」

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