解放された力
廊下の突き当りを曲がった所で、ノノの足が止まった。
「ここがレスター博士たちがいる部屋だよ。早くここから出して、さっさと逃げるわよ」
「ありがとうございます、ノノさん。お礼に今度クッキーを焼いて持ってきますね」
ムートは深々と頭を下げてから、「さあ、早く行きましょう」と後ろを振り向いてひびきとイグニスを促した。
扉を開けると、床や調度品の模様で騒がしい部屋が視界に入り、一瞬ひびきはめまいを覚える。
しかし、部屋のソファーに並んで座っているミラルたちを視野に入れると、ふらついた頭が元に戻った。
「え? もしかして……」
ミラルが立ち上がり、こちらを指さす。
「皆さん、ご無事ですか? 助けに参りました」
真っ先にムートが駆け出し、レスターの元へと向かう。
しっかり扉を閉めてから、ひびきとイグニスがフードを外して顔を出す。
それを見た瞬間、ミラルが頬を膨らませ、あからさまに不満そうな表情でツカツカと早歩きでイグニスに迫ってきた。
「ちょっとイグニス! なんでこんな煮え切らない潜入してるのよ。ここはもっと派手に正面突破して、屋敷の護衛を全員ぶっ倒すなり、大暴れして屋敷半壊させるなりしてよね!」
「そんな無茶言うなよ。ミラルだけならともかく博士たちもいるっていうのに、危ない橋を渡る訳にはいかないだろ!」
キレたミラルに負けじと、イグニスが詰め寄る。
文句の応酬が始まる気配を察して、ひびきは二人の間に割って入った。
「言い合うのは後です。早くここから脱出しましょう」
イグニスはすぐに「ああ、そうだな」と引いてくれたが、ミラルは頬を膨らませて文句を言いたそうにこちらを睨む。
が、大きく息をついて「しょうがないわね」と肩をすくめると、レスターたちを振り返った。
ひびきもつられてそちらを見ると、心配そうにムートが「大丈夫ですか?!」とレスターを伺っている。
その隣では、血相を変えてシアに駆け寄るノノの姿があった。
「なんて酷いことをするんだ、あの伯爵は! こんな若い娘さんに、こんな手枷を着けるなんて……待ってて、今これを外してあげるから」
事情を知らず手枷をどうにかしようとするノノに、シアが困惑した表情を浮かべる。
「あー、これは元々オレがつけてた物で、その――」
「叔母さん、落ち着いて下さい。このままで大丈夫ですから」
どう伝えればいいか分からないシアに代わり、ムートがノノの手を止めようとする。
カチャカチャと鎖をいじる音が聞こえ――ガシャン。
唐突に手枷が落ち、鎖が床へ広がった。
「なっ……!」
シアが目を見開き、自由になった手を凝視する。
瞬く間に顔色は青ざめ、肩を小刻みに震わせた。
「シア、どうしたんだい?」
隣にいたレスターが、不思議そうな表情を浮かべてシアの肩を叩こうとする。
次の瞬間、シアは力いっぱいにレスターを突き飛ばした。
「オレから離れろ! 早く!」
叫ぶと同時に、シアの周りに白光の柱が立つ。
途端に彼女のまとっていた服がジワジワと黒ずみ、穴が空いていく。
光を浴びた天井は次第に軋み、小さな瓦礫が落ちてくる。
しかし瓦礫はシアへ届く直前に、粉となり消えていった。
(これは一体……)
目の前の光景に、ひびきの頭が一瞬白ばむ。
すぐに気を取り直して視野を広げると、いつの間にかムートとノノの姿が消えていた。
「ちょっと、何よコレ? どうなってんのよシア!」
ミラルの大声に、シアが顔を向ける。今にも泣き出しそうな気弱な顔だった。
「……オレは豊穣の女神でもあり、国を滅ぼす『傾国の女神』。この力を封じていれば、全ての生物を活性化させるだけで済むが……力を解放すれば、すべてが朽ちていくんだ」
腰を下ろしたまま、レスターは喉を大きく動かしながらシアを見上げる。
「まさか……『傾国の女神』の取り合いで国が滅んだのも、アドゥークが跡形もなく消えたのも、すべてはこの力のせい……」
「ああ、そうだ。オレを得た国はな、日常的にはオレを豊穣の女神として崇め、戦争の時は敵国でオレの封印を解いて、この力を利用して敵国を消していた……アドゥークへ行くまでは」
シアはしゃがんで手枷を拾うと、胸元で抱き締める。服にできた皺から生地が崩れ、しなやかな裸体が現れた。
「アデルはこの力を必要としなかった。ただ傍にいて、ともに生きていくことだけを望んでくれた。嬉しかったなあ……やっと望んでいた物が得られたと思ったのに――」
「アデル王が疫病に倒れて、居場所を失ったってワケ?」
神妙な顔をしたミラルの問いかけに、シアが小さく頷いた。
「これ以上民を死なせる訳にはいかないから、オレに疫病ごと国を破壊しろって……だからアドゥークは滅び、民は生き残った。そしてオレは国を失った民を生かすために、眠りについて豊穣の力を新たな土地へ与えていたんだ」
今まで見てきたことが頭の中で繋がり、ひびきの脳裏にマニキス山が浮かぶ。
国があったという伝承とは裏腹に、国があったとは思えない岩と雪ばかりの山。
つまりシアの封印が解かれたということは、アドゥークと同じ道を辿ってしまうということ。
そう気づいた瞬間、ひびきの顔から血の気が引いた。
シアの頬へ一筋、涙が流れた。
「この力を二度と使いたくなかったから、オレはカギを谷底へ捨てたのに……オマエら早く逃げろ。オレが力を抑えている間に!」
「何言ってんの、シア! このまま放っておいたら、ラマノどころか他の地域まで危なくなるじゃない! アタシたちがカギを奪って封印してあげるから、それまで力を抑えていて」
今までにない危機に、ミラルは逃げる素振りを見せない。むしろ何が何でも戦おうとする気概が宿っていた。
「誰がカギを使ったか分かる?」
悔しそうにシアが眉間にシワを寄せる。
「ムートだ。ばーさんの手を手枷から離そうとするフリして、カギを使いやがった」
ミラルから小さな舌打ちが聞こえてきた。
「手枷を外した上に、もう逃げたってことは……最初からシャパド教の人間は、このことを知ってたようね。だとしたら、先住民全員を敵に回すことになるわね」
スッとミラルは目を細め、イグニスへ横目で鋭い視線を送る。
「イグニス、覚悟はできているわね? 非常事態なんだから、本気を出してもらうわよ」
「ああ、当然だ。シアは俺と同類……絶対に助けてやる」
真顔で頷きながら、イグニスは両方の手袋を外す。
今までとは違う二人の気迫に煽られ、ひびきの心も引き締まる。
「被害が広がらない内にやりましょう。私も全力を尽くします」
ミラルがこちらを見やると、口元に不敵な笑みを浮かべた。
「戦闘になりそうだから、頼りにしてるわよ。邪魔する者は遠慮なくぶっ飛ばして」
通常の時は受け入れがたい指示だが、この非常事態は止む終えない。ひびきは「分かりました」と即答する。
それを見てミラルは短く頷くと、レスターに向けて声を飛ばした。
「レスターは力に巻き込まれない程度に、シアの近くにいて。もし誰かが近づいてきたら、街から避難するように伝えて!」
「うん、分かったよ。今の僕にはそれしかできないから」
少しずつだが、シアを囲む白光は円状に広がり続け、床や調度品を粉に変えている。
滅びの力を間近にして恐ろしいだろうに、レスターは光から数歩離れた所に立った。




