一番許せないこと
また一つネタが出来たとミラルが心で拳を握っていると、ハーマンが小刻みに頷いた。
「そういうことなら納得だな。よく見ればお似合いの二人だ、今度日を改めてワシから餞別を贈ろう。ぜひお互いに支え合える良い夫婦になってくれ」
上機嫌に笑いながら、ハーマンがレスターに近づいて肩をバンバン叩く。
手にしたお宝が本物の『傾国の女神』だという世間への証明が欲しくて、レスターへ好意的に接していることが伝わってくる。
これがあるからレスターの安全は最初から分かっていたし、シアも身内になる予定となれば、危害を加えるようなことはしないだろう。でも――。
密かにほくそ笑むミラルへ、ハーマンが目を向けた。
「さて、と……ミラル殿、少し話があるからこちらへ来てくれ」
ハーマンから目配せで立つように促され、ミラルは渋々と従うフリをする。
レスターたちと少し距離を空けた所で、ハーマンは声を潜めて話しかけてきた。
「一つ聞きたいが、ワシに譲ってくれた宝石以外にもお宝を持っているのか?」
……この脂オヤジ、さらに欲が出てきたようね。
レスターたちに危害が及ばないよう自分が悪者になり、敢えて敵意をこちらに向けさせたのだが、愉快なほどに言動が自分の読み通りになっている。
どんな狙いがあるか手に取るように分り、ミラルは呆れを隠しながらにこやかに答えた。
「ええ。仕事柄あちこち取材へ行くから、色々な物を持ち帰っているわ。大体は転売してるけれど、気に入った物は自宅に飾ってあるわ」
「ほほう、厳選されたお宝が手元にあるということか。いやはや羨ましい」
大げさに眉を上げると、ハーマンは目を細めた。
「昼間、ミラル殿があんな態度を取らなければ、もっと穏便に話が進んでいた。迷惑料として、いくつかお宝を頂きたい」
はいキタわね、お約束。
絵に描いたような小悪党だと笑いそうになるのを堪えながら、ミラルは真顔で尋ねる。
「もし嫌だって言ったら?」
「その時は首を縦に振ってくるまで部屋から出さんだけだ。執筆が滞って締め切りに間に合わない、本が出版できないとなれば、ヒューリット社との契約も打ち切られるだろうな」
ハーマンの答えにミラルの目尻が引きつる。
社長のカルツとは幼なじみで、何があってもクビになることはない。
しかし本が出せないとなれば、確実に迷惑をかけてしまう。読者を裏切るだけでなく、出版社の信用もガタ落ちだ。
(明日どうにかなるって分かっていても、仕事を盾に取られるのは不快だわ。まったく、本を人質にするなんて……作家と出版社の敵ね)
憤りを隠さずにミラルが睨むと、ハーマンは勝ったと言わんばかりに口端を上げた。
「そういえば、知り合いのパーティーでカルツ社長を見かけたことがあったな。あんな覇気がなくて頼りない若造なら、少し脅せばこちらの言うことも聞いてくれそうだ。連絡先も分かっている。このまま条件を呑まなければ、ミラル殿の仕事が無くなるかもな」
カルツの名前を聞いた瞬間、ミラルの胸に何かが沈んでいく。
氷よりも凍てつくそれは、怒りで熱くなっていた頭を冷まし、ネタに沸き立つ心を鎮めていく。
無言になったミラルをハーマンが優越感に満ちた目で一瞥し、鼻で笑った。
「良い返事を貰えるまでどれだけでも待つつもりだが、ワシはあまり気が長いほうではない。貴殿の賢明な判断を期待しているぞ」
そう言い残し、ハーマンは手下を連れて部屋から出て行った。
遠ざかる足音を聞きながら、ミラルは深く息を吸い込み、平常心を取り戻していく。
いつも通りに笑えることを確かめてから、踵を返してソファーへ座り直した。
「ミラル、あのオヤジに何を言われたんだ?」
好奇心で目を輝かせたシアに尋ねられ、ミラルは苦笑しながら肩をすくめる。
「もっとお宝をよこせ、だってさ。色々貯め込んでいるクセにまだ欲しいだなんて、とんだ強欲悪趣味オヤジだわ。ところで……」
呆れ半分の息をついてから、ニヤリと笑ってシアを見た。
「あんなに熱烈な告白されて良かったわね。このまま嘘を本当にしてくれたら、ネタとして最高なんだけど」
思い出したようにシアがハッとなり、落ち着いていた顔色を再び赤くした。
「いや、嘘は嘘だ。こんな女かどうかも怪しいガサツなヤツ、オレなら絶対に選ばねぇ。なっ、レスターもそう思うだろ?」
たどたどしく話を振られて、レスターが一瞬きょとんとなる。そして唸りながら一考すると、照れ笑いを浮かべた。
「思いつきで言ったけれど、シアが許してくれるなら嬉しいな。ずっと昔から好きだったって言うのは本当だし、このまま研究が終わってシアが家から出て行くことを想像すると、胸が苦しくなってくるんだ。こんな頼りない、非力で研究しかできない人間だから、シアは嫌がると思うけれど……」
まさかの本告白……やるわね、レスター。
んふふふふー、とミラルの顔がにやけっぱなしになる。
予想外の話にシアは目を白黒させると、急に頭を抱えて俯いた。
「レスター……そんな冗談を言うヤツとは思わなかったぜ。なんて悪趣味な」
「冗談じゃなくて本気で言ってるよ。……やっぱり僕なんかじゃあ役不足だよね」
「べ、別に役不足じゃないが……あっ分かった、オレを起こしたことを悪いと思って、責任取るつもりで言ってるんだろ? オレは起こされても迷惑じゃなかったから、気にしなくてもいいぜ?」
「え? そこまでは考えてなかったなあ。ただ一緒にいられたらと思って言っただけで――」
「マ、マジなのか? レスター、考え直せ。オレみたいなガサツで好き勝手やるヤツなんかと一緒になっても、良いことなんてないぞ? そもそも――」、
シアとレスターの初々しいやり取りを眺めながら、ミラルは懐に入れていた手帳を取り出し、自前の万年筆で今のやり取りを書き綴っていく。
絶対にこのエピソードは入れてやろうと嬉々とする心の裏側で、冷えきった黒い固まりがポツリと呟く。
(……あのオヤジ、どうしてやろうかしら)
自分にとって一番許せないことをハーマンは言った。
人を襲ってきた仕返しに、屋敷を半壊ぐらいで許してやろうと思っていたが、こうなってくると全壊でも気が済まない。
いかにしてハーマンを地の底へ蹴落としてやろうか。
そんなことを考えているとは気づかず、レスターたちはミラルそっちのけで堂々巡りの話し合いを続けていた。




