ミラルの原点
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どうにか日が沈む前に一通りの片付けと掃除を終わらせ、セロが作ってくれた夕食を済ませた後。
万が一、再び襲撃を受けた際に対処できるよう、ひびきとイグニスが寝起きしていた部屋で三人が集まり、各々に過ごしていた。
セロは疲れていたのか、部屋に入ってすぐに「おやすみー……」とベッドへ横になり、すぐに深い眠りについてしまった。
それを申し訳なさそうに見つめてから、イグニスは「今の内に仕事しないと」と言って灯りをつけたランプを机に置き、ミラルが書いた原稿の添削を始めた。
特に何もすることがないひびきはベッドに腰かけ、荷袋に入れていた本をじっくり読んでいた。
京佳からレフィークスへ向かう際、途中まで目を通していた『精霊の乳母』。時間ができた時に続きを読もうと思い、ここまで持って来ていた本だった。
精霊を育てる妖精ラミュリスが人間との間に子供をもうけた、その後の物語。
妖精たちはラミュリスに、男と子供とは別れて、今まで通り精霊の乳母を続けろと強く求めてきた。
けれどラミュリスは、男とともに人の世で生きて子供を育ていきたいと、頑なに妖精たちの要求を拒んでいた。
決心を変えられないと悟った妖精の長は、渋々だがラミュリスの望みを受け入れる。
ただし、条件が一つ。
男以外の者に人間ではないことを知られてはいけない。
ラミュリスはその条件を飲み、妖精の里を出て行った。
男は世界を股にかける冒険者だっため、二人は子供を育てながら各地を旅することになる。
目まぐるしく変わる環境でも子供はすくすくと育ち、三才にまで成長した。
しかし、ある日子供が人さらいに捕まってしまい、二人は必死になって子供を探した。
どうにか居場所を突き止めて取り返そうとしたが、逆上した人さらいが子供を傷つけようとし――。
――子供を守るために、ラミュリスは妖精の力――精霊を操り、凶刃から子供を守った。
そうして人間ではないことを知られてしまい、ラミュリスは妖精の里へ戻ることになった。
もう二度と外に出ることは許されず、男とも会うことを禁じられたラミュリス。
その悲しみはあまりに深く、長は「せめて子供は里に居ることを許そう」と妖精たちに提案する。
男は愛する者たちと会えなくなることを悲しんだが、子供は母親の元に居たほうが良いだろうと思い、自分だけで里を去ろうとした。
妖精たちに男が背を向けたその時、子供が言った。
「わたし、おとうさんといっしょに行く」
「おとうさんがここに来れなくても、わたしは来てもいいんでしょ? だって、おかあさんの子だから」
「おとうさんと色んなところに行って、おかあさんに教えてあげたいの。もちろんみんなにも!」
無邪気な子供の提案に誰もが戸惑い、顔を見合わせる。
ラミュリスも激しく動揺しながら、どうすれば良いのか必死に考えた。
男だけでなく、子供も居なくなるのは寂しい。
けれど子供の望みを叶えれば、細々でも家族の繋がりを残すことができる。
覚悟を決めたラミュリスは妖精たちに頭を下げ、子供の言うことを聞いて欲しいと頼み込む。
最初は難色を示していた妖精たちも、子供とラミュリスの熱意に心を打たれ、全員が認めてくれた。
そうして男と子供は旅立って行った。
物語の最後は、こう締めくくられていた。
『こうして私の冒険がはじまった』、と。
最後の一文を見た瞬間、ひびきは思わず「えっ」と声を漏らす。
それに気づいたイグニスが、原稿から手を離してこちらを振り向いた。
「どうしたんだ、ひびきちゃん?」
「あの、今この本を読み終えたのですが……」
ひびきは本を閉じて、イグニスに表紙を見せる。
すぐに何を言いたいのか伝わり、イグニスは微笑を浮かべて頷いた。
「ひびきちゃんが考えている通りだよ。出版した順番は違うけれど、それが本当の『はじまりの物語』だ」
やっぱりそうなのかと、ひびきは手にある本をまじまじと見つめる。
ミラルの本はほとんど実話で、いつも物語を進める『私』はミラル自身のことを指す。
つまり、ミラルが妖精と人間の血を引いた者ということになる。
色々な本や伝承に登場する妖精は、繊細で儚そうな印象のものばかり。ミラルとは真逆の性質で、いまいちピンとこなかった。
「……ここだけ作り話ってことはないのですか?」
「……やっぱりそう思うよな。俺も初めて聞かされた時は耳を疑ったよ。でも、実際に妖精の里には何度も連れて行かれているし、ラミュリスさんや妖精たちからも教えてもらったし」
頷きながらイグニスの話を聞いていたひびきの動きが止まる。
人間を拒む妖精の里に、何度も出入りしているイグニス。
父親でさえミラルと一緒でも行けないのに、身内ではないイグニスが許されるということは――。
ひびきの様子に首を傾げてから、イグニスはハッとなり、目を泳がせた。
「いや、その、これは……はぁぁぁぁ、駄目だ。言えば言うほど嘘臭くなるな」
焦りを隠せず、ため息をつきながら頭を抱える。
それから観念したのか、立ち上がって扉を指差した。
「ちょっと部屋の外で話そうか」
イグニスの提案を受け、ひびきは短く頷き、枕元に本を置いて立ち上がる。そしてセロを起こさぬよう足音を消し、慎重に扉を開いて部屋を出た。
イグニスもランプを摘みながら部屋から出ると、扉を閉めて階段に腰かける。と、いつも通りに隣りを叩いて横に座れと促してくる。
今までと違って浮いた気配は感じられず、ひびきは素直にイグニスの隣に座った。




