表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

34/51

   伯爵からの伝言

 開けっ放しの玄関に足を踏み入れると、その惨状に二人は息を呑む。

 床は足あとだらけ。家具は大きくズレたり倒れたり。二階の書斎も荒らしたようで、本や紙がいくつか一階に散らばっていた。


 二階へ上がると、どの部屋も物が散乱して目を覆いたくなる光景だった。

 ただ、自分たちが寝泊まりしている部屋でイグニス用の罠にかかったらしく、上に仕掛けてあった箱や鎖などが床に散らばっていた。


 イグニスが顔をしかめながら、ボソリと呟く。


「アイツら、好き勝手しやがって……次に会った時は容赦なくぶちのめす」


 あの怪力を人間相手に出しかねない気配に、ひびきは冷や汗を滲ませる。自業自得とはいえ、下手すれば死人が出てしまいそうな気がした。


 先輩よりも先に彼らを見つけ、さっさと自分が倒してしまおう。

 ひびきはそう心に決めてから、袖をまくった。


「暗くなるまでに終わらせてしまいましょう」


「ああ。俺が二階を片付けるから、ひびきちゃんは一階を頼む」


 互いに頷き合って二手に分かれると、黙々と物を元の位置にもどしたり、雑巾で床を拭きあげていく。


 半分ほど終わり、窓から夕日が差し込み始めた頃。

 キィィィッ、と玄関の扉がゆっくり開く音がした。


 食堂を片付けていたひびきは、手を止め、素早く居間へ顔を出す。

 そこには不安げに家の中を見回すセロとムートの姿があった。


「セロ! ムートさん!」


 慌ててひびきが駆け寄ると、少し遅れて二階からイグニスも駆けつける。

 こちらの顔を見るなり、セロたちは安堵の表情を浮かべた。


 顔色はまだ青ざめていたがケガは見当たらず、ひびきもホッと胸を撫で下ろす。


「お二人とも、ご無事みたいですね。ケガがなくて幸いでした」


 セロが力なく笑いながら、小さく頷いた。


「うん。ミラルが襲ってきた人たちにお金を渡して、俺たちを無傷で解放するよう取り引きしてくれたんだ」


 隣でムートも何度となく頷くと、オロオロしながらひびきとイグニスを交互に見た。


「ハーマン伯爵様が「人質を全員解放して欲しかったら、明日の朝に『傾国の女神』を持ってこい」と……あの、博士は『傾国の女神』を手に入れることができたのですか?」


 まったく事情を知らないムートからすれば、寝耳に水の話だっただろう。困惑するのも無理はない。

 どう説明すれば良いのだろうかとひびきが悩んでいると、イグニスが口を開いた。


「それが、まだわからないんだ。博士は『傾国の女神』かもしれない物を見つけて、調べている最中だったんだ。それを伯爵が勘違いして奪おうとしている……無関係のムートさんを巻き込んでしまって申し訳ない」


 微妙に事実を曲げて、違和感なく話を並べている。本当のことを言う訳にはいかないとはいえ、嘘をつくことにひびきは後ろめたさを感じてしまう。


 こちらを疑う様子もなく、ムートは「そうですか」と俯いた。


「皆さんに……レスター博士に何かあったら、私……」


 身を震わせ、声を詰まらせるムートの背中を、セロが優しくさする。


「兄貴は大丈夫だよ。伯爵は『傾国の女神』が本物だっていう証明が欲しいから、兄貴が世間に論文を発表できなくなるような真似はしないって、ミラルが言ってたよ」


「ああ。それにミラルがうまく交渉して、危害を加えられないよう立ち回ってくれる。アイツ、こんな状況には慣れてるから」


 腕を組みながら頷くイグニスに、ひびきは複雑そうな視線を送る。


 何度も危険を乗り越えてしまう頭の回転の速さと、溢れんばかりの度胸はさすがだと思う。

 けれど、意図的に何度もこんな状況を作っていることを考えると、頭が痛くなってくる。


 こちらの視線に気づいたイグニスが、「俺も同じ心境」と言いたげな視線を返す。それからズボンのポケットから茶色の小袋を取り出した。


「ただ伯爵の言いなりになるだけじゃあ、無事に戻ってくるか分からない。だから、これを伯爵に渡すフリをして、俺とひびきちゃんでミラルたちを救出する。心配は尽きないと思うけれど、ムートさんはみんなの無事を豊穣の女神様に祈って待っていてくれ」


 フッとムートの表情が曇る。それから意を決したように胸元で手を組み、イグニスを見上げた。


「どうか私たちにも救出のお手伝いをさせて下さい。私の知り合いに伯爵様の召し使いをしている方がいらっしゃいますから、その方にお願いすれば、騒ぎを起こさず屋敷内に入ることができると思います」


 思いがけない申し出に、イグニスが唸りながら考え込む。


 ムートの知り合いということは、シャパド教の関係者だろう。

 彼女たちを安易に信用しない方が良いとミラルに言われたことを思い出しつつ、ひびきはイグニスの結論を待つ。

 

 一人頷いてから、イグニスはムートを見据えた。


「屋敷内に協力者が居てくれるのはありがたい。ムートさん、急かして悪いけれど、今からその人にお願いしてもらえるかな?」


「ええ、分かりました! そろそろ帰宅している頃だと思いますから、今すぐ行って来ますわ」


 沈んでいたムートの表情が一気に輝く。レスターの力になれることが嬉しくてたまらない、という気配が漂っていた。


 一瞬、セロがムートから目を逸らす。

 小さなため息をついてから、ムートに微笑みかけた。


「もしものことがあったら大変だから、ムートさんを教会まで送っていくよ。良いかな、イグニスさん?」


 セロの提案に、イグニスが口端を上げる。


「ああ、しっかり送り届けてくれ。家の片付けは俺たちでやっておくから」


「ありがとう、戻って来たら俺もやるから。……じゃあムートさん、行こう」


 セロに促されてムートは「ええ」と頷き、ゆっくりと踵を返して二人並んで歩き出す。ひびきとイグニスは玄関の扉が閉まるまで、彼らの背中を見送った。


 完全に二人が見えなくなってから、ひびきはイグニスとの距離を縮め、小声で話しかけた。


「本当にムートさんを頼っても大丈夫でしょうか?」


 彼らを警戒するミラルのことが引っかかり、素直に受け入れられない。

 ひびきの問いに、イグニスは唸りながら頷いた。


「多分、大丈夫だと思う。もしシャパド教の信者たちが『傾国の女神』を狙っていたとしても、レスター博士が捕らわれたままになるのは望んでいないだろうから、救出に心から協力してくれるハズだ。それに――」


 急にガックリと肩を落とし、言葉を続ける。


「――ここにミラルが居ても、シャパド教を巻き込んでいただろうな。どっちに転ぶか分からない不確定要素を、アイツが入れない訳がない。……だから事が大きくなるっていうのに……」


 話の途中からひびきの脳裏に、ミラルが「ネタのためだから」といつになく良い笑顔で答える姿が浮かぶ。


(……収拾がつかない事態になったら、どうするつもりなんだろう?)


 考えれば考えるほど、この先の結果を知ることが怖くなってくる。

 はぁ……、と諦めのため息を吐くイグニスにつられ、ひびきの口からも小さなため息が漏れた。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ