事実と創作
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街外れの教会近くまで走った所で、ひびきたちは追手を撒くことができた。
どちらともなく足の動きを緩やかにして立ち止まると、イグニスが少し乱れた息を整えながら肩を落とした。
「はぁぁぁぁ……疲れた。次に同じようなことをするつもりなら、全力でミラルを止めないと……。ごめんな、ひびきちゃん。最初の仕事からこんなに振り回すような展開になって」
指示通りに動くことができたとはいえ後味が悪い。疲れ切った表情を隠さぬまま、ひびきはイグニスに顔を向けた。
「いえ……私も新米だからと遠慮せずに強く引き止めるべきでした。わざわざ相手を挑発して、あえて捕まるなんて……いくら仕事のためとはいえ、やり過ぎです。誰かがケガをする――場合によっては殺される可能性もあるのに」
さっさと『傾国の女神』を奪いに来るよう仕向けて、本当の『傾国の女神』がシアであると気づかせないために敢えて偽物の宝石をイグニスに渡すところ見せ、ミラルたちを置いて逃亡する――これがミラルの指示だった。
イグニスと一緒に反対したが、ミラルから「シアがいるから、ケガしても大丈夫。死ぬことはないわ」「それに、少なくとも『傾国の女神』を手にするまでは殺されないから」と強引に押し切られてしまった。
最後にボソッと「多少は危険な目に合ったほうが、刺激的なネタになるし」と呟いた時の、ミラルの好奇心に満ちた笑顔が忘れられない。
ひびきが遠い目をしていると、おもむろにイグニスがズボンのポケットからメモを取り出した。
「『ヤツらから取り引きを持ちかけられたら、応じるフリをしてアタシたちを救出。その際、二度と手出しできないよう徹底的に暴れて痛い目に合わせて。目指せ! 屋敷半壊』だと。まったく……自分は戦わないからって、好き勝手言いやがって」
軽く憤っているイグニスへ、ひびきは気になったことを尋ねてみた。
「あの、毎回こんな風にミラル自身が事件をわざと起こして、物語の中のような現実を作っているのですか?」
ミラルを知る前は、あくまで本の内容は作り物だと思っていた。
しかし、もうそんな風にミラルの著書を見ることはできない。
作り物は作り物でも、作っているのは本の中身ではない。現実を作り替えているのだ。
現実にはあり得なさそうな物語を現実に再現している――そんな気がしてならない。
物言いたげにひびきが視線を送っていると、イグニスがわずかに苦笑した。
「ひびきちゃんが想像している通りだよ。完全ではないけど、都合が悪くなること以外はミラルが取材で起こした問題をそのまま書いている。ほとんど作り話じゃなくて実話だ」
あっさり認めてくれるとは思わず、ひびきはイグニスを凝視する。
何度か瞬いてから、長息を吐き出した。
「……やっぱりそうだったんですね」
「しかも厄介なことに、ミラルは自分が面白いと思った筋書きを作って、無理やり実話に仕立てているんだが……いつも筋書きからより厄介な展開になっていく。予想が外れるから面白いネタになるんだ、っていうのがアイツの持論なんだ」
イグニスのぼやきに、ひびきは唖然とするしかなかった。
どうせ作り上げるなら頭の中だけで作れば良いのに、と考えずにはいられない。
つまり竜も魔神も、妖精も精霊も、伝承の化物も現実にいるかもしれないということ。
行動を共にする前ならば、そう言われても信じなかったと断言できる。
しかし、あり得ない現実を目の当たりにした以上、この事実を受け入れることしかできなかった。
これまでの著書のことをイグニスに色々と聞いてみたいところだが、今は問題が起きている最中だ。一段落つくまでは質問を我慢しなければ……。
ひびきは喉まで出かかっていた疑問を呑み込むと、話を切り替えた。
「これからレスター博士の家に戻って、相手からの接触があるまで待機とミラルから聞いていますが……他に私たちができることはあるのですか?」
困ったような顔をしながら、イグニスが肩をすくめる。
「家の中の掃除と片づけと、明日に供えてしっかり休むことぐらいだな。……心配しっぱなしで心は休まらないと思うけどさ」
彼の背後から、心なしか哀愁と諦めを悟った色が漂っている。自分もミラルたちと仕事を続けていけば同じようになるのだろうかと、ひびきは漠然と思う。
踵を返して「そろそろ博士の家へ戻ろう」と、イグニスがこちらに背を向ける。
今まで背負いに背負った苦労が重そうで、思わずひびきはその背を軽く叩いた。
「まだ私は未熟者ですが、全力でイグニス先輩を支えます。必要があれば何でも言って下さい」
弾かれたように、イグニスがこちらへ顔を向ける。その目はやけに潤んでいた。
「そんなこと言ってくれる人は初めてだ。一生のお願いだから、このまま俺たちの所に永久就職してくれ!」
……あ、やばい。
いち早く不穏な空気を察して、ひびきは素早く横へ飛び退く。
直後、元いた場所を目がけて、イグニスが虚空へ抱きついた。
望みが叶わず、物悲しそうに手をわきわきと動かしながら、恨めしそうな目でこちらを見た。
「そんな速攻で避けなくても……懐に入り込んで俺の顎を突き上げるなり、体当たりなりして欲しかったのに」
どうやら避けられるより、痛くても触れ合えるほうが良いらしい。
ふと、痛めつけられることが好きな人がいると、兄弟子がの誰かが言っていたことをひびきは思い出す。
本当にそんな人が現実にいたのか。
内心驚いていたが、顔には出さずに平然とイグニスを見た。
「すみません、邪な空気に体が勝手に反応しました。次からは鍛錬のためにそうさせて頂きます」
心なしか残念そうにイグニスが微笑んだ。
「鍛錬、か……うん、今はそれで十分か。もっと親密な付き合いが出来るよう頑張らないと」
「そんな無駄なことに頑張らないで下さい」
「無駄なんかじゃないよ。俺にとっては、今まで生きてきた中で一番重要なことだから――」
レスターの家へ向かいながら、イグニスが饒舌に口説き始める。
口説き文句の垂れ流しが収まったのは、レスターの家へ到着した時だった。




