予定調和の襲撃
「ちょっと失礼します」
ひびきはソファーから腰を上げ、玄関へと足を運ぶ。
「どうしたの、ひびき?」
不思議そうなセロの声に、ひびきは微笑を作って少し振り返る。
「甘い物を食べて体を動かしたくなったので、軽く鍛錬してきます。すぐに戻りますから」
二階のミラルたちだけでなく、外にも伝わるようにひびきは声を強めに出す。ほんのわずかだが、また玄関の方から小さく軋む音がした。
ひびきは静かに玄関の扉を開ける。
すぐさま瞳を左に動かす。さして異変はない。
扉を閉じて瞳を右に流すと――肩を誰かに掴まれた。節々が太い大きな手。ひびきは素早く右側を見上げる。
そこには厳つい顔をした、二の腕が逞しい男がいた。薄ら笑いを浮かべる彼の目尻はいくつか皺を刻み、さほど若くない様子だった。
「静かにしろ。大人しくしていれば、何もしない」
顔色を変えずにひびきは両手を挙げ、従順な態度を取る。男は「物分かりがいいな」と呟き、ひびきの右手首を掴んできた。
自分よりも背の高い男をジッと見上げながら、ひびきは心の中で呆れ返る。
ミラルの予想通りの展開だ。しかも屋敷を訪れたその日の内に来るとは……。
早い展開でありがたいわー、と高笑いするミラルの顔が脳裏に浮かんだ。
襲撃を受けた時にどうすれば良いのか、既に指示は貰っている。
自分は適当に戦って、イグニスと一緒に逃げる――他の人間を置いて行けば良いから、と。
明らかにレスターたちへ迷惑をかけてしまう。それが分かっているからこそ、気分が重くなってくる。
予想通りに来なければ良かったのに。
しかし、来てしまった以上は、指示に従うしかなかった。
男が辺りに目配せすると、草むらや階段の下から、いくつか人の気配が動いた。
(十人はいる……まずは――)
ひびきは掴まれた手首を捻り、男の手首を掴み返す。
「何っ!」
急な動きに男がたじろぎ、ひびきへ拳を向ける。
わずかに男の腰がよじれた。
刹那。ひびきは男の手首を掴んだまま短く跳躍し、彼の背後へ回る。
そして勢いよく膝で背中を蹴り、その場に男をねじ伏せた。
(まずは、一人)
ひびきは男の首に手刀を落として気絶させると、脱力した首裏を鷲掴みする。
「仲間の首を折られたくなければ、みなさん姿を見せて下さい」
時間を稼いでもらいたいという指示も貰ってある。駆け引きは苦手だが、人質を使って交渉すれば十分に稼げそうだ。
首を折る気は全くないが、これぐらい脅さないと通用しない。
ひびきは静かに男の首へ両手を添える。
動く気配がない。これだけでは駄目かと、男の首を少しだけ捻ろうとした。
「……分かった。姿を見せる」
階段の下に潜んでいた男が二人立ち上がる。怪しまれないためか、どちらも服装は街の普段着のまま。だが、服越しに膨らむ胸板や腕の筋肉は一般人とは違う。
「そこの草むらにも居ますよね? これ以上私に近付けば、彼の身の安全は保障しません」
動揺を見せないよう、ひびきは鼓動に急かされながらもゆっくりと口を動かす。
男たちが顔を見合わせ、笑った。
「腕は立つようだが、人を殺したことはないだろ? 虚勢を張っているのは見え見えだそ」
瞳が揺らぎそうになり、ひびきは目に力を入れて堪える。
ここで否定しても弱みを見せるだけ。いかに自分を強く見せるかも武術家には必要だと、父が言っていたのを思い出す。
だから男たちに合わせて、ひびきは薄く笑ってみせた。
「確かに人を殺したことはありません。でも、こんな真似を二度とさせないように、腕や膝を壊すことはできます」
男たちが言葉に詰まる。
その間に、別の人間の気配が左右で動く。
注意を引いて、時間稼ぎをしつつ死角から攻めようとしているのだろう。
こちらとしてもありがたい。できる限り乱戦に持ち込んだ方が作戦は成功しやすくなる、とミラルから勧められていたから。
隠れて動いている者たちに気づかないふりをして、ひびきは男たちを見据える。
「何もせずに引き返して頂けるなら、彼をお返しします」
彼らは互いに顔を見合わせた後、ひびきに一番近い男が首を横に振った。
「そいつはできない相談だ、すでに金は貰っているからな。こっちはアンタが邪魔しなければ、アンタに手は出さないぞ?」
「お世話になっている家を荒らすような真似、見て見ぬふりはできません」
どちらも譲らず、睨み合いが続く。
ガタッ。頭上からの音に気づき、ひびきは屋根を仰いだ。
屋根から黒い影が、一、二、三。ひびきと目が合った瞬間、一斉に男たちが飛び降りる。
気絶した男から手を放すと、ひびきは跳び上がり、真上に来た輩をかかとで蹴りつけた。
無様に「グェッ」と濁った声をあげ、一人が床へ崩れ落ちる。
着地してすぐ、新たに蹴りを繰り出そうとひびきが足を上げようとした時。
「ちょこまかと動きやがって!」
横から来た男に体当たりされ、ひびきは押し倒される。
(しまった、早く退かさないと!)
ひびきは床に手を置いて強引に体を起こそうとしたが、さらにもう一人が上に乗る。男二人の重さが、ひびきの小さな身を圧迫した。
「そいつを押さえていろ! 用事は俺らで済ませてくる」
他の男たちが階段を上がり、玄関の扉へ手をかける。
次の瞬間、彼らが取っ手を回すよりも先に扉が騒々しく開いた。
先頭の男が扉に押されて後ろへ倒れる。
後方にいた男たちの支えで体勢を整えるが……扉の後から出て来た長い足に蹴られ、階段にいた輩が全員なだれ落ちた。
こちらの状況を目の当たりにしたイグニスが、ギョッと目を見開いた。
「なっ! お前らひびきちゃんの上から退きやがれ! ……まったく、羨ましい」
言うなりひびきを押さえつけていた男二人を、容赦なく蹴り飛ばす。
重圧が消え、ひびきは素早く身を起こした。
「こんな時に変なことを言わないで下さい。気が散ります」
「ゴメン、思わず本音が出た」
……本音がそれか。
首を振ってひびきが気持ちを切り替えていると、男たちが家の中へ入ろうと一斉に突進してくる。
ひびきが避けるよりも先にイグニスに腕を引っ張られ、入り口から横へずれる。
障害が消えたせいで、男たちは勢い余って前のめりになり、床を転がる者も出た。
突然の侵入者にレスターたちが驚き、息を引く音が聞こえた。
「な、何だよコレ! どうなってんの?」
戸惑いを隠さないセロの声を聞き、侵入を許してしまった者たちがまばらにそちらを見る。
直後、彼らは前のめりになりながら、レスターたちの所を目がけて走り出した。
危害を加えさせる訳にはいかないと、ひびきとイグニスは追いかけようとする。
だが、これ以上の侵入を防ぐことに精一杯で、玄関先で応戦することしかできない。――これも、合図があるまでは出口を確保しておいて、というミラルの指示だった。
背後で逃げ回る足音や、「きゃあっ!」と悲鳴を上げるムートの声が耳に入り、ひびきは後ろめたい気持ちになってくる。
本当にこの作戦で良いのかという疑問を持たずにはいられなかった。
応戦しながらチラチラと後ろを気にしていると、
「イグニス!」
二階の手すりから身を乗り出したミラルが大声で叫ぶ。
その手には茶色い小袋が握られていた。
待ってましたとばかりにイグニスは踵を返し、ミラルの元へ走り出す。
声に気づいた男たちも一斉にミラルを見上げ、「あれだ!」と目の色を変え、階段へ上がろうとした。
彼らが二階に足を踏み入れるより先に、ミラルは大きく振りかぶって小袋をイグニスへ投げる。
緩やかな弧を描きながら、腕を伸ばしながら跳躍したイグニスの手に渡った。
大切なお宝をイグニスが持って逃げる、と相手に見せつけることが目的だ。
シアが『傾国の女神』であると疑われないための策だった。
「それを持って逃げて! 絶対に渡しちゃ駄目なんだからね!」
「分かってる、俺たちに任せとけ!」
イグニスが返事をしながらひびきに目配せして、外へ脱出するように促してくる。
ひびきは頷きかけて、視線をソファーの方へ移す。
既にレスター、セロ、シア、ムートの四人は捕らえられている。そしてミラルも捕まる寸前だった。
(イグニス先輩と力を合わせれば助けられるのに、敢えて助けずに逃げ出さなければいけないなんて……)
今ならまだ間に合う。ひびきの足先がソファーへ向きかける。しかし、
「行くぞ、ひびきちゃん。納得できないと思うけど、これも仕事だ」
イグニスに肩を叩かれ、ひびきは我に返る。
これで逃げ遅れて小袋を奪われた日には、ただレスターたちに迷惑をかけるだけになってしまう。
動き出した以上は指示通り動かなくてはいけない。今は自分の考えは後回しだ。
唇を噛んで覚悟を決めると、ひびきは床を蹴り出す足に力を込めた。




