先手必勝
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次の日、日差しを強めた太陽が空に昇り切った頃。ひびきは黒い革の鞄を持たされ、ミラルと共にラマノの住宅街へと向かった。
街の中心よりも少し離れた所に行くと、レンガ壁に囲まれた豪邸が何件も見え始める。その中でも一番大きな建物がハーマン伯爵の邸だった。
敷地を取り囲む塀の壁には、いたる所に蛇が絡み合うような模様が刻まれている。建物には太く立派な柱が並んでおり、全ての柱の上部に様々な猛獣の顔が彫られている。
金を惜しみなくつぎ込んで豪華にしているのだろうが、どう見ても趣味を悪くしているとしか思えなかった。
見ているだけで目が痛くなる。思わず視線を逸らし、ひびきはミラルに尋ねた。
「あの、本当にやるんですか?」
いくら狙いがあるとは言え、ケンカを売るのはやり過ぎだと思う。ここまで来ても、仕事と割り切ることはできなかった。
ミラルは悪びれる様子もなく、満面の笑みを浮かべて拳を握った。
「もちろんよ。ここで主導権を握らないと、後から面倒なことになっちゃうもの。ダラダラと時間をかけてたら、話も間延びするし、次の取材が遅れちゃうしねー」
そう言うなりミラルは門を潜って玄関まで行くと、垂れ下がっていた呼び鈴のヒモを引っ張った。
グェッゲッゲッ。
中から濁った蛙の鳴き声のような音がする。そして間を置かず、金属をこすり合わせるような甲高い音や、立てつけの悪い扉が開くような音が続く。
咄嗟にひびきとミラルは耳を塞ぎ、音が収まるのを待つ。
耳から手を離して開口一番、ミラルが「……呼び鈴からして趣味悪っ」と吐き捨てた。
しばらくして腰の曲がった老執事が現れると、「お待ちしておりました」と二人を中へ通してくれた。
屋敷の中も外観と同じく、壁も床も模様だらけで奇妙極まりない。しかも統一感が皆無で、つぎはぎだらけのボロ布のようだ。廊下を歩くだけで遠近感が狂い、目眩がしそうだった。
そして通された応接間は、より一段と濃厚な、目には優しくない部屋だった。
壁は様々な花の絵が所狭しと描かれ、床の絨毯は真紅の生地に数多の昆虫の模様が施されている。置いてある調度品も、一つ一つが凝った作りをしている。
単品だけなら豪華で素晴らしい物だろうが、寄せ集められるとそれぞれの個性がぶつかり合って騒々しい。見苦しいの一言に尽きた。
「ようこそ、ミラル殿。博士の研究は順調かね?」
部屋の中央に置かれた豪勢なソファーに、ハーマンはふんぞり返っていた。短く太い足を組んでおり、ずいぶんと偉ぶっている。だからこそ彼の姿が滑稽に見える。
螺鈿細工を隙間なく散りばめたテーブルを挟み、ミラルとひびきはソファーに腰かける。
いつもならミラルもふんぞり返って座るが、今は背筋を正して行儀よく座り、真っ直ぐにハーマンを見つめた。
「とても順調よ。色々と分かったことがあったから、レスター博士は確認で忙しいわ……だから代わりに、アタシが事情を説明しに来たのよ」
「事情とは?」
ミラルは膝に手を置き、身を乗り出す。
「最近街でこんな噂を聞かない? 傷がすぐに治ったとか、枯れた植物が元に戻ったとか」
即座にハーマンが頷いた。
「おお、そのことなら使用人から聞いたぞ。包丁で指を切ってすぐ、目の前でみるみる内に傷が治ったとか言ってたな」
「そう……良かった。噂を知っているなら話が早いわ」
目を細くして唇を薄く引き上げると、ミラルは声を潜めた。
「ここだけの話、レスター博士は見つけたわ。『傾国の女神』を……」
「な、何っ! 本当か?」
ハーマンも身を乗り出し、出っ張った腹を膝に乗せて話に食いつく。
「本当よ。その証拠がさっきの話。レスター博士の説は正しかったわ。『傾国の女神』は豊穣の女神。女神の奇跡が傷の再生……女神がレスター博士の家にあるから、女神の力が街中に広がっているのよ」
「なるほど、そうだったのか。早速レスター博士の所へ行って女神を拝見せねば! ミラル殿、教えてくれてありがとう」
指の一本一本が肥えて脂ぎった手を差し出し、ハーマンが握手を求めてくる。
ミラルは握手に応じず、不敵な笑みを浮かべた。
「ここからが本題よ。アタシはレスター博士の研究を手伝うためにラマノへ来たの。その報酬として、『傾国の女神』を見つけたらアタシに譲るって約束してくれたわ。ひびき、誓約書をここへ」
促されてひびきは鞄のボタンを外し、中から一枚の紙を取り出して机の上に置く。先日もらったメモの殴り書きとは違い、文字の一線一線を丁寧に引いて書いた誓約書だった。
しっかりミラルとレスターの名前が署名してあり、互いの名前の最後には、家紋と思われる手書きの印がある。
ハーマンが鼻をテーブルへ付けんばかりに誓約書へ顔を寄せる。そして勢いよく頭を上げた。
「ミラル・ガジェット!」
わざとらしくミラルが肩をすくめる。
「あら、アタシのことを知ってたの?」
「もちろんだとも。世界に名高い童話作家に会えるとは光栄だ」
注意深く二人のやり取りを見守るひびきの前で、身を乗り出していたミラルが破顔した。
「今度『傾国の女神』をモチーフにした話を書くのよ。その間だけ手元に欲しくてさ、話が書けたら売っ払おうと思ってるの。この誓約書がある限り、『傾国の女神』はアタシの物。もし『傾国の女神』が欲しければ、アタシと交渉して買い取ることね」
「いくら出せば買えるんだ? なんだったら金だけじゃなく、ワシが集めた世界に二つとない宝石もつけよう! どうかね?」
興奮したハーマンが、矢継ぎ早に言ってくる。そんな彼とは対照的に、ミラルはゆったりとした口調で言葉を返す。
「まだ決める気はないわ。レフィークスに戻ったら各地の好事家に呼びかけて、希望者の中から一番高い値段をつけた人に売るつもりよ」
ミラルは身を起こし、悠然たる動きで足を組む。ハーマンとは違って様になっている。
「よーく考えて値段を出してね。国同士がわざわざ取り合った、国を動かす価値のある代物なんだから」
誓約書を睨んで唸り続けるハーマンを無視し、ミラルはテーブルから誓約書を素早く引き取ってひびきに渡した。
どれだけ温厚な人でも、この態度は面白くないだろう。案の定ハーマンはふくよかな頬を引きつらせる。それでも愛想笑いは絶やさなかった。
「分かった、しっかり考えさせてもらおう。ただ……本当に『傾国の女神』を手に入れたのかね? ぜひ見せて欲しいものだ」
正当に売買をするなら、ハーマンの主張は当然のことだ。しかしミラルは首を横に振る。
「ごめんなさいねー。初めて『傾国の女神』を見る権利を、購入した人にあげたいの。せっかく大金を出してもらうんだもの、それだけの特権は当然だと思うから」
かなり理不尽な言い分だ。横柄なミラルへ、ハーマンはムッとした声を返す。
「それでは本当に『傾国の女神』を手に入れているか、疑わしいではないか」
「これが何の変哲もない宝石ならそうでしょうね。でも、今まさに街で女神の奇跡が起きているわよね? それが証拠よ」
ニイィ。ミラルが歯を見せて笑った。
「あんまりしつこいと、伯爵とは取り引きしないわよ? まだレスター博士の家にいるから、もし希望の金額が決まったら言いに来てね」
半ば脅し始めたミラルへ、ハーマンは首やこめかみに青筋を立てながらも微笑み続ける。
「もちろん、ミラル殿に選んでもらえるように考えよう。是が非でも手に入れたい物でね」
「いい返事を期待してるわ。それじゃあアタシたちはこれで……行くわよ、ひびき」
立ち上がって颯爽とミラルが部屋を出て行く。誓約書を鞄にしまいハーマンに一礼してから、ひびきも後を追おうとした。
去り際にハーマンから舌打ちが聞こえたような気がした。




