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   切実なお願い

 

 

 

 

「おーいミラル、入ってもいいか?」


 夕食を終えてから、イグニスは二階の書斎の扉を叩く。しばらくして、中から「いいわよー」とミラルの声が返ってくる。


 扉を開けると、中央の机に紙を並べ、勢いよく文字を書き綴っているミラルの姿があった。レスターとシアはまだ食事を楽しんでいる最中で、今はこの場に姿はない。


「執筆は順調に進んでいるのか?」


 近づきながらイグニスが尋ねると、ミラルは頭を上げず、手を動かしたまま答えた。


「今のところはね。これからの状況次第で執筆が滞るかもしれないから、今日中に書けることは全部書いておくわ」


 そう言ったところで紙に空きが無くなり、新しい紙を手に取る。

 おもむろにイグニスを見上げたミラルの目は、やけにキラキラと輝いていた。


「さあ、調査の報告を聞かせて。何があったか、全部包み隠さずに言ってよ。ひびきが目覚めてからのこともね」


 思わずイグニスは息を止め、ミラルから目を反らす。

 明らかに今回の執筆にひびきとのことを書く気だ。彼女の中ではもう予定ではなく、決定になっている。


 オモチャにされるようで嫌だったが、素直に言わなければ後が怖い。ミラルに嘘は通じないのだから。


 イグニスはひと息ついてから、「実は――」と今日のことを話し出す。

 一通り報告を聞いた後、ミラルは笑いで腹部を震わせた。


「やっぱりアレってキスする直前だったのね! やるわねー、ひびき。あの子、意外と大胆と言うか、思い切りがいいと言うか……これからの進展に期待しちゃうわ」


「おいおい、『傾国の女神』のことで書かなきゃいけないことはたくさんあるんだろ? 横道に逸れる余裕はないと思うぞ」


 できれば書いて欲しくないというのが本音だが、私情抜きで余分なことを挿入できる余裕はない。

 仕事と割り切ってイグニスが忠告すると、ミラルは不本意そうに唇を尖らせる。


「確かにそうなんだけれど、アンタたち二人ともネタの宝庫なんだもの。いっそ外伝で担当と雑用係の恋と仕事の奮闘記でも出そうかしら? 帰ったらカルツを口説き落とさなくちゃね」


 常に社長のカルツはミラルの言いなりで、渋ることはあっても、断ることはまずない。一緒に仕事を始めてからずっとそうだった。

 いつかは書かれてしまうなら、なるべく後の方が良い。イグニスは腕を組むと同時に息をついた。


「もうそれでいいから、今は『傾国の女神』に専念してくれ。良い物を書いてくれないと、俺たちが穴に落ちて怖い目に合った甲斐がなくなる」


 スッ、とミラルが真顔になった。


「隠し部屋の床が崩れた直前、どんな行動を取っていたの? まさか隠しボタンをうっかり押しちゃった、なんてことはないでしょうね?」


 イグニスは目を閉じて調査していた時を思い返す。

 思い当たることはなく、小さく首を横に振った。


「それは大丈夫だったと思う。壁も床も、押して動きそうな所がないか確かめながら調べていたし……ひびきちゃんから聞いた話だと、どうもその時、何者かが動いた気配があったらしい」


「ふうん……じゃあ、そいつが意図的に穴を作ったのかもね。神殿に隠された仕掛けを熟知しているヤツがさ」


 たまたま床が落ちて、偶然訪れた好機を逃さず突き落としたと考えるには都合が良すぎる。

 ミラルの意見にイグニスは頷いて同意を示す。


「あそこって、元はシャパド教の神殿だったんだろ? じゃあシャパド教の人間……先住民の誰かが犯人かもしれないのか」


 ミラルが「そう――」と言いかけ、口元を抑える。


「案外、ほとんどの先住民がグルなのかもね。信仰の象徴である『傾国の女神』を余所者に奪われたくない。あわよくば自分たちが奪って手元に置きたい……動機としては十分だわ。ふう、思っていた以上に敵は多そうね」


 一度に数人を相手にするぐらいならともかく、何十人、何百人を同時に相手にすれば、足止めされてミラルたちを守れなくなる――このままの自分でいるなら避けられない道だ。


 眉間にシワを寄せていくイグニスを、ミラルは真っ直ぐに見据えた。


「取り敢えずレスターとセロには、シアの力を他言しないように口止めしておかなくちゃね。でも、今の話は二人には内密に……下手に知ってると不自然な態度になって、相手に怪しまれちゃうから」


「……ああ」


 どうしても歯切れが悪くなってしまうイグニスを見て、ミラルが小さく息をついた。


「あと、ひびきはアタシたちが何か隠していることに気づき始めてるわ。これから色々とやってもらいたいから、不信感で息が合わなくなるのは回避しなくちゃ……だから、そろそろアタシたちのことを教えようと思う。異論はないでしょ、イグニス?」


 確かにミラルの言う通りで、ひびきはこちらに隠し事があることを察している。これ以上隠そうとすれば、怒ってこの仕事を降りてしまうかもしれない。


 できれば今回の取材を終えた後も、引き続き雑用係として働いてもらいたい。けれど――。


 イグニスは視線を下げ、僅かに頭を垂れた。


「……ミラル、一生のお願いだ。ひびきちゃんにはまだ言わないで欲しい」


 一瞬の静寂の後、ミラルから盛大なため息が聞こえてきた。


「そう言うと思ったわ。アンタって図体はデカいくせに、中身はか弱いんだから……正体知られて嫌われたくないから、ギリギリまで秘密にして、少しでも長く今のやり取りを続けたいってことでしょ?」


 イグニスは息を詰まらせ、唇を硬く結ぶ。

 

「ああ……頭では分かっているんだ。俺たちの事情を分かっていたほうが、これから先の仕事もやりやすくなるし、密に連携を取ることもできるって。でも、今までみたいに接してくれなくなると思うと……」


 正体を知らないからこそ、自分の隣に居ても怖がられず、大きな目に期待の色を浮かべて、手合わせしたいと言えるのだ。

 知れば、どれだけ自分に近づくことが危険なのかが分かってしまう。そうなれば、己の身を守るために隣へ並ばなくなるだろう。


 少し手を伸ばせば、いつでも触れられる。

 この距離を失うことが怖かった。


 目だけを動かして前を見ると、ずっとこちらを凝視していたミラルの視線とぶつかる。

 フッと彼女の目つきが穏やかになった。


「今まで老若男女問わず、ここまでイグニスを相手にできる人なんていなかったものね。底なしの体力に、脅威の回復力……まさにアンタのために用意されたような子だわ。これを逃したら、次は絶対にないでしょうね」


 ミラルは腕を組み、唸りながら人差し指をトントンと動かす。

 と、息をついてから「しょうがないか」と呟いた。


「本当なら私情を挟みたくないけど、今回は特別よ。アタシからは言わないから、イグニスが好きな時にアタシたちの正体を教えてあげて。あ、でも非常事態の時は問答無用で言わせてもらうわよ」


 ミラルにしては最大限の譲歩。気が変わらない内にと、イグニスは即座に頷く。

 

「ありがとうな、ミラル。この恩は絶対に忘れないからな」


「良いのよ、良いのよ。なるべく引き伸ばしてもらったほうが、ネタも熟成されて面白くなりそうだもの。うまくいけば文句なし、駄目だったとしてもアンタの絶望っぷりが描けるから、それで元が取れるわ」


 ……結局ネタのためか。

 手をヒラヒラとさせるミラルを、イグニスは肩を落としながら恨めしそうに見る。


 そんな視線を気にも留めずに、ミラルは「じゃあ明日からの予定は――」と話を進め始めた。


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